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[784] 夜の帳シリーズ
日時: 2021/06/15 17:49
名前: 史燕

”ふと、夜空を見上げたくなったんだ。君が見ているかもしれない、この夜空を。”

         「夜空」
             Written by 史燕

ふと、夜空を見上げたくなった。
周囲はだれも見向きもしない、そんな雑踏の中で。

ふと、夜空を見上げたくなった。
街灯やネオンに邪魔されることのない、静かな場所で。

ふと、夜空を見上げたくなった。
君が隣にいない今を、忘れられそうだったから。

ふと、夜空を見上げたくなった。
そうすれば、ここにはいない君と、同じものが見える気がして。

月の光は碧く輝き、廻る星々はひっそりとたしかに。

「ねえ、綾波。君はどこにいるの」

答えなど返ってくるはずのない問いが、ビルの隙間に消えた。

彼女のいない世界は、真夏日であっても寒々しくて。
彼女の欠けた世界は、真っ赤な太陽でさえも霞んで見える。

霞みきった世界の中で、夜空の向こうには君がいる。
凍えきった世界の中で、君とつないだ手のぬくもりだけが、僕にとっての確かなものだ。

「ねえ、綾波。君とまた手をつなぎたいんだ」

届くはずのない願いを、夜風がさらっていった。

あの溶け合った世界の中で、確かに君とつながり、そして分かれた。
それを後悔はしていないし、今の世界が間違いだとも思わない。

そんな内心とは別に、君を求める僕がいる。
一目でいいから会いたいと思い、一度でいいから言葉を交わしたいと願う。

自分で自分を抑えられぬまま、月明りの下を歩いていく。
郊外へと雑踏から離れるのは、君が僕を見つけやすいように。
下を向かずに歩くのは、君の姿を見逃さないように。

満月が照らす夜道は、存外に街灯がなくても歩きやすい。
何処へという、行く当てもないまま、ただただ両足だけが動き続ける。

「碇くん」

聞こえるはずのない声が聞こえた。
目の前にはNERV本部が存在していた、ジオフロントへの入口。
立ち入ることはできないけれど、たしかに僕たちが、彼女が居た場所だ。
気が付けば、ずいぶんと遠くまで来てしまったらしい。
僕は彼女の幻影を、面影を、ただただ探してここまで来てしまった。
こんなところに彼女が居ないことは、嫌というほどわかっているのに。

「帰ろう」

誰も待つ人のない自分の部屋だが、ここに居たってしょうがないから。

「碇くん」

目の前を、碧い髪の彼女が横切った気がした。
少なくとも、ジオフロントではない、街のほうへと消えていった。
その向こうには、背を向けてきた雑踏と、変わらず輝く月が見えた。

「嫌になるほど、きれいな月だ」

忘れないで、だけど前に進めということだろう。

「君は相変わらず、わかりにくい」

夜空を眺めながら、そう漏らしてしまう。
きっと彼女に会うことはできない。
そんなことはわかりきっている。
それでも、時に叫びたくなる。

「僕がつなぎたかった手は、君の手なんだよ。綾波」

“私も、また、触れてもいい?”

彼女の声が、耳の奥から離れなかった。
メンテ

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Re: 夜の帳シリーズ ( No.1 )
日時: 2021/06/15 17:51
名前: 史燕

”夜風の下を私は歩く。懐かしい人の声が聞こえたから。”


       「夜風の下で」
             Written by 史燕

“ねえ、綾波。君はどこにいるの”

懐かしい人の声が聞こえた。
記憶は朧気で、自分が何者かもわからない。

「綾波レイ」という名前だけが、私に残された唯一だった。
倒れた私を拾ってくれた、町医者の夫婦に感謝は尽きない。

ふと、夜風に当たりたくなった。
ビルの下の熱気ではない、涼やかな夜風に。

ふと、夜風に当たりたくなった。
懐かしい人を、運んでくれるかもしれないから。

ふと、夜風に当たりたくなった。
雑踏から離れた場所なら、世界が澄んで見えると思ったから。

ふと、夜風に当たりたくなった。
自分を呼ぶ声の主に、私の声を運んでくれるかもしれないから。

雑踏を離れ、郊外へと足を向ける。
きっとそのほうが、心地よい風に会えると思ったから。

碧く輝く月を見ながら、頬を撫でる夜風に心を寄せる。
街灯のない夜闇の中でも、月の光が私を案内してくれる。

霞みがかった世界の中で、この場所でなら安心できる。
不安だらけの記憶の中で、この今だけは無心になれる。

「ねえ、綾波」

自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。

「碇くん」

知らないはずの誰かの名前を、夜風に紛れて口に乗せる。

声に出して初めて分かった。
自分が彼を探していたことを。

声に出して初めて分かった。
自分に彼が必要なことを。

「ねえ、碇くん。あなたはどこにいるの?」

姿かたちさえ知らない彼を、なぜか私は確信を持って探していた。
きっとまた、会えるはずだと。

曖昧模糊とした自分の中で、彼の名前だけがはっきりしている。
何も手掛かりのない暗闇の中で、彼のことだけが灯だった。

「ねえ、碇くん。あなたはどんな人なの?」

かすれきった脳裏に浮かぶ、彼の笑顔は柔らかく。
凍え切った身に蘇る、彼の手だけは温かい。

夜風に揺られ、誘われながら。
たどり着いたのは廃墟の入口。
医師夫妻には危険だと聞かされた、昏い地下への一丁目。

「帰る」

そう諦めたその足で、一瞬誰かとすれ違う。
その先は廃墟だと告げようと思うが、暗闇の中で、本当に自分は人とすれ違ったのだろうか。
ついに幻覚に惑わされたのかと、半信半疑。
月の光は自分以外を照らしていない。

いよいよ帰ろうかと思ったときに、夜風が運ぶ、その声を。

「嫌になるほど、きれいな月だ」

そんな悲しい声を聴きたかったわけじゃない。

「君は相変わらず、わかりにくい」

私はそんなつもりじゃない。
踵を返したその先で、夜空の下にぽつりとひとり。

間違いない、彼がそうだ。
自分でも根拠などわかりはしない。
だが、声が、心が、魂が、彼がそうだと自分を急かす。

“僕がつなぎたかった手は、君の手なんだよ。綾波”

その声の主を、思わず抱きしめたくなった。

「私も、また、触れてもいい?」

彼に向かって駆け寄りながら、恐る恐る、私は訊ねた。
メンテ

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