[839] 【短編2本】「風に託す」「青空の下」
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- 日時: 2021/12/09 23:32
- 名前: 史燕
- この思いを、風に託して
Written by 史燕
空を見ていた。 透き通るように青い空を。 きみの髪のように青い青い空を。
雲を眺めていた。 風に流れる雲を。 きみの肌のように白い白い雲を。
青天の下、吹きすさぶ風。 木々を揺らしながら通り抜けるそれに身を預けながら、はるか彼方の記憶へと思いを馳せる。 思い起こすのは、あの、世界と共に消えてしまった少女。
「綾波、きみはどこにいるの?」
答えるもののあるはずのない問いは、虚空へと消えていった。 生命を感じさせない赤い世界から、命の息吹を感じるこの青い世界へ。 他人を望んだのはぼくで、優しい世界を拒んだのはぼくで、そんなぼくのために、彼女は世界を再構成した。 神に等しいどころか、あの瞬間、彼女は間違いなく女神だった。 6対の翼に、真っ白な体。 それを美しいと思い、恐ろしいと思い、それでもなお、愛おしい思った。 人々の隔てる境界を喪失させた彼女は、世界を再編できるほどの力を持った彼女は、ぼくのために、ぼくの願いのために、かつてと同じような、しかしながら少しだけかつてより優しい、この世界を生み出した。
そこに、彼女はいなかったけれど。 それが、素晴らしいこの世界で、ただ一つの、欠落。
青い空の下で笑う人々を見るたびに、ぼくの表情はかげるのだ。 ――だって、綾波がいないのだから。
おいしい料理、美しい景色、それを楽しむ心はある。 だけど、それを心の底から楽しめないぼくがいる。 ――だって、綾波がいないのだもの。
偉大なる主の教えだろうが、この世界から解脱した聖人の言葉だろうが、ぼくにとってはまったくの無価値で。 変な宗教家やエセ霊媒師のまやかしも、それよりよほどひどい現実を知っているぼくにとっては、まったく魅力を持たない。 ――だって、それで彼女と逢えるわけではないのだから。
「大切なヒトを取り戻しませんか?」そんなうたい文句に価値はない。 彼女は失われたのではない、自分の意思で選択したのだから。 こんなこと、父さんならどう感じたのだろう。 今なら、少しだけ、母さんと再会するためだけに全人類を巻き込んだ父さんの気持ちがわかる気がした。 父さんとぼくの違いは、父さんは母さんと最後に話すことができなかったけれど、ぼくはしっかり話ができたこと。 その一つだけで、ぼくはこの世界にとどまっていられる。 その一つだけで、ぼくにこの世界は愛おしいものに思える。
だけどね、綾波。
ぼくがつなぎたかった手は、ぼくが共に歩みたかった人は。 きみ、だけなんだよ。ほかの誰でもなく。
風に揺られ、木の葉がひとひら、青空の向こうへとさらわれていった。
そちらに、この風は届いているのかな。 この美しい景色を、きみも見ているのかな。
もしも届いているのなら、風に乗せるよ、この思いを。 もしも見えているのなら、必死に振るよ、この腕を。
ぼくはこうして元気でいる、それなりに穏やかに過ごしてもいる。
だけど足りないんだ、幸せになるには。 だけど寂しいんだ、どれだけの人が周りにいても。
ぼくの隣にいてほしいのは、ぼくがその声を聴きたいのは。 ――きみなんだよ、綾波。
きみがくれた青空の下で、きみが残した風の中で。 ぼくはいつでも何度でも、きみに向かって手を振るよ。 ぼくはどこでもいつまでも、きみのために声をあげるよ。
“綾波、待ってるから”
きみとまた、微笑みあえるその日まで。 この思いを、風に託して。

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