Re: 「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を語るスレ/ネタバレOK ( No.13 ) |
- 日時: 2021/03/13 16:51
- 名前: tamb
- 見てきた。いま帰りの電車の中。その熱量で書く。
確かTV版の開始の時、庵野秀明は「碇シンジは14歳の頃の僕じゃない、今の僕です」と言ったと記憶しているが、その言葉に、そしてラストシーンに象徴されるように、エヴァという物語は徹頭徹尾、庵野秀明の私小説だったと言える。つまり我々は安野秀明という人物に徹底的に取り込まれていたというわけで、正直勘弁してくれという話なのだが、もはやそんなことはどうでもいい。 この徹底的なまでの、今作で張り巡らせただけでなく過去作を伏線としての回収、こんなことまで回収しなくていいという――例えば特撮への思い入れ、撮影セットあるいはスタジオへの思い入れさえも映像にしてみせた。あとはリナレイくらいだが、それさえもエヴァに乗らない幸せの形の一つなのだ。 それももはや細かい話に過ぎない。
答えは魂の連続性にあった。アスカのインターフェイスヘッドセットは外れていたし、マリは(姫ではなく)アスカと叫んだ。レイの髪は伸びていた。そこに宿るもの。そしてレイがシンジを選ばなかったことにすら重要な意味があった。人の運命は、あらかじめ決定されているわけではない。自らの意思がそこにあるという重要性。仲良くなるおまじない。 わかんないこともいっぱいある。渚司令ってなんだ。マリは何者だ。イスカリオテのユダとマグダラのマリアが合体したみたいなマリとは。弐号機が飛びつき逆十字かけてた。 不満だってある。東日本大震災を乗り越えてなお、あの村の薄っぺらさはなんだ、とか。 でもそれも細かい話だ。
もう一回、チャンスがあれば行くだろう。パンフレットの類は見当たらなかった。何とかのヤリのぬいぐるみの画像がどこぞに上がっていたが、それもなかった。いらんけど。
エヴァという虚構は幕を閉じた。だが率直に言って、私は取り残された気分なのだ。シンジくんは成長著しく、ゲンドウの言葉を借りるまでもなく、大人になった。でもこっちも足枷を嵌められたまま長い年月を、色んなものを背負い、飲み込み、抱えながら生きてきたわけで、とんでもなく優れた作品を提示されただけで成長し離脱できる程度の、それこそ薄っぺらい人生を歩んだきたわけではないのだよ。
だめだ熱量が高すぎるしぬ。 でもやっぱりおれは、彼女がそこにいてくれたことが嬉しいんだよ。あの記念写真に、頭だけこっそり写っていたのと同じくらいに。
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