Re: サイト開設十周年カウントダウン企画・八月―カウントゼロ― ( No.14 ) |
- 日時: 2011/12/25 19:24
- 名前: calu
- スイッチが入ったり切れたりする不規則な音。
耳に覚えのあるその音が、計測器に連動したプリンターがデータを吐き出す際にラックの上で暴れる音だと 理解したのはつい最近のことだ。 遥か俊嶺の向こうで何かが木霊している。それは天翔るハヤブサのようにすぐに枕元までやってくる。そし て、まっ白な光が視界を覆い尽くすのだ。それが、ここ最近のわたしの目覚めのパターンだった。 以前は、時間にして十分も経てば視力は回復したが、最近その時間が少しづつ長くなってきてると感じるの は気のせいではないだろう。これは、検診の際に投与される薬剤が変ってきたからだと思う。効能がより強い ものになっているのだと思う。その理由をわたしは聞かされてはいない。
ぼんやりと天空に浮かんだ陽だまりが、天井の照明だと理解できるまでに視力が回復してくると、見慣れた 天井に少し安心する。そしてもう一つの安心を、わたしは無意識に探す。ゆっくりと頭を転がすと、前髪の狭 間に白い背中が見えた。身体の奥で冷えて凝り固まっていたものが、暖かく、そして緩く広がっていくような 感覚。朧に組み立てられていく現実の中で、例えようもない安心感が持ち上がってくる。 そんなふうに感じはじめたのは、いつからなのだろう? 覚えていない。ただ、その白い背中から、わたし は目を離せない。
いつものように白い背中の持ち主は、机の上で項垂れていた頭を持ち上げ、わたしを振り返る。少し赤くな った目に濃い疲労の色を宿して。そして、ゆっくり立ち上がると、わたしが寝ているベッドまで歩いて来てく れる。
「レイ、目が覚めたのね」 「はい」 「気分はどう? おかしなところは無い?」 「大丈夫です。赤木博士」
にっこりと微笑みかけるリツコに、柔かな表情でレイは応えた。
「そう…今日の検診の結果だけど、特に問題は無いわ。前回の使徒戦で負った怪我の回復状況も順調よ。たま に頭痛に悩まされることもあるかも知れないけど、シンジ君のサルベージも成功したんだし、レイも元気でい ないと、ね?」
碇くんの名前を聞くと少し胸が熱くなった。わたしは小さく返事を返すと、ベッドから身体を起こそうとす る。しかし直ぐに赤木博士に制止された。もう少し体を休めるように指示を受ける。そんな指示を受けるよう になったのはごく最近のことだ。ふたたびベッドに横になったわたしの為にシーツを整えると、わたしの髪の 毛を撫でてから疲れた微笑を残し、赤木博士は部屋を後にした。 後に残された静寂のなかで、届けられた忘れ物のようにプリンターの音が耳に蘇ってきた。
検診の結果について、赤木博士は本当のことを言ってはいない。理由は解らない。 ここ最近、体調が快方に向かうことは無かった。それでも第15使徒までを殲滅した今、身体の変調も相俟 って『その日』が近いことを本能的に理解している。そして、そんな時に、決ってわたしの胸を占めるのは、 自らの存在意義。わたしは、わたし自身の存在の意味を思い出す。わたしは、わたしが何故ここに存在してい るのかを思い出す。わたしは、わたしが誰のために存在しているのかを思いだす。思い出す。思い出す。思い 出さない訳にはいかない。……あれほど、わたし自身が待ち望んだ『その日』。
手を天井の照明にかざすと、壁紙よりも白い手にオレンジの血流が薄っすらと浮かび上がった。
「……わたし、生きてるのね」
思い立ったように体を起してサイドテーブルの鞄に手を伸ばそうとした時、突然脊髄に電気が走ったような 激痛に襲われた。ふたたびベッドマットに沈ませた体を硬直させ歯を食いしばり、日に幾度か訪れるその激痛 をただ只管わたしは耐える。 どの位の時間が経過したのか、ようやくそれをやり過した後、石のように固まった身体を少しづつ解きほぐ し、ふたたびサイドテーブルへと手を伸ばしたわたしが取り出したのは、空色のB5サイズのダイアリー。 残り少なくなった真っ白なページを開き、その右上にわたしは今日の日付を書きこんだ。
◇ second anniversary 前編 - 綾波レイの幸せ - ◇ written by calu
大きく取られた窓いっぱいに陽光が波立っている。壁紙の幾何学模様の陰影までも飲み込んでしまうくらい に眩い光が室内に差し込んでいる。その空間に浮遊する僅かな埃さえ見逃すことのない白く無機質な部屋の中 では、空調機器から事務的に排出される気流の間を縫って、計器の作動音だけが虚しげにその存在を主張して いる。 ネルフ中央病院。第一脳神経外科病棟の病室にその少女はいた。質素なパイプベッドの上。嘗て印象的に煌 めいていたその赤毛を純白のシーツの上に出鱈目に撒き、そして“動”の象徴そのものだった蒼い眸の輝きは 影を潜め、その焦点は現世に焦点を合わせていないように見える。
「……アスカ」
アスカが倒れた。第15使徒アラエルとの戦い。衛星軌道上の敵。 未知のエネルギー波による攻撃は、身体の内膜を剥離するようなダメージをその少女の精神に与えた。そし て、時を同じくして明らかになった加持リョウジの死。半ば半狂乱の様相で加持を探し求めるアスカを見かね、 事実を伝えたのは他でもない、シンジ自身だった。 重ねても。どれだけの言葉を重ねても、目の前の少女の眸がシンジに向けられることはなかった。ただ時を 削るようにベッドの脇に立ち尽くし、腐れ藻の絡み付く胸の中で悔恨の言葉を繰り返すことしか、今のシンジ には出来なかった。
エアロックの解かれる音が浮遊していた意識をシンジに戻す。定時回診にやって来た看護師のいつもと変わ らない朗らかさが、乾いた室内に色を落とし始める。いつものように掛け時計で時間を確認すると、にこやか なユキに会釈し病室を後にした。
(…どこで、いつから、おかしくなってしまったんだろう?)
存在を忘れ去られた時計の針が少しづつズレていくように、気がつくと取り返しのつかない隔たりとなっていた。
(…あれだけ、みんなで)
互いの岸を隔てているものは、暗く底の見えない河。
(…同じ時間を過ごしてきたのに)
離れ行く対岸から、アスカは必死になって手を伸ばしていたのだろうか。そんなアスカを、僕は気付かない でいたのだろうか。
(…あれだけ…あれだけ…)
それとも…ただ気付かないふりをしていただけだったんだろうか。
(…なんで…なんで…)
怖かったんだ……気付いてたとしても…。
(…僕、僕には)
飛び込んでいく勇気なんて。
(…無かったんだ) 心なしか、いつもより人の流れの濃い本部のエントランス。人いきれの中で、雪のように降り積る澱に喘ぐ 胸が小さな悲鳴を上げた。脇にある椅子に体を投げ出すように腰を降ろして浅い呼吸を繰り返す。目の縁には 不審げな視線を投げかける保安局員がいる。腕時計を一瞥したあと、鉛を貼られたような足をゲートに向ける。 IDを読みこんだシステムが一層機械的な音を響かせ僕を失望させる。
今はただ会いたかった。一刻も早く会いたかった。綾波レイに。
∞ ∞ ∞
ようやく辿り着いた第七試験場には、レイはおろかリツコの姿さえ無かった。薄暗い管制室では、ただ一人 マヤが幾多のデータが流れるモニターを前にシステムのチェックに追われていた。そのマヤから受け取った伝 言に従い、技術開発部技術局にあるリツコの執務室へと足を向ける。思考力を半ば失い朦朧とした頭には、今 日ここに来た目的さえ不明瞭になり始めている。それでもシンジは決して遠くはないその部屋へと棒のような 足を動かし続けた。刹那、求める少女の背中を永遠に追い続けているような錯覚に襲われた。
「シンジ君、せっかく来て貰ったんだけど、今日のテストは中止よ」 「え? あ、はい」…でも、と一頻り辺りを見回したシンジ。「あ、綾波は? リツコさん」 「レイは検診が長引いて、まだ中央病院にいるわ」 「そ、そうなんだ……あの…綾波、どこか悪いんですか?」 「…それは、無いわ。…大丈夫よ。シンジ君と同じ健康体よ」 「そうですか……よ、よかった」
水面に揺らいだような表情を、小さな溜め息で打ち消したシンジに思わず頬を緩めたリツコ。ところでと、 おもむろに脇机に置いてあった黒い木箱を手に取り、シンジへと差し出した。条件反射的にそれを両手で受け 取ったシンジは、ワンテンポ遅れて、リツコに救いを求める目を向ける。
「生物よ」 「せ、生物、ですか?」 「そう、生物。シンジ君にはそれを明日ある場所に放してきて欲しいの」 「ある場所に明日って…そ、それに、これってエヴァにどんな関係があるんですか?」
シンジの両肩に手を載せたリツコは、穏やかな微笑みを浮かべると、ゆっくりと首を左右に振った。
「明日でないとダメなの。そして、その場所に行く為には――」
∞ ∞ ∞
街を掃くように通りすぎた風が、地表に薄く敷きつめられた朝霧を薙いでいく。 朝露に濡れそぼった街に、生まれたての暁光が命を吹き込もうとしている。あらゆるものが本格的な目覚め を前に調整に追われるこの瞬間、清々しさが清流のように流れる車道の上を、碇シンジは快濶とは程遠い調子 で歩を進めていた。学校に登校する時と同じ制服に身を包み、背にはさほど大きくないリュックを背負ってい る。そして、その左手には昨日リツコから託された黒い木箱が不自然に吊り下げられ、シンジの歩くリズムに 併せて振り子のように揺れている。 しばらく歩いてリニアの駅に辿り着くと、腕時計を一瞥したシンジは改札のある二階へと一気に階段を駆け 上がる。急いで抜けようとした改札のゲートが開かず、吐き出されたパスに目を凝らすとネルフのIDだった。 何を焦ってるんだ、と自戒する。それにしても、この中にはどんな生き物が閉じこめられているのだろう? ゲートに木箱をぶつけたときに鳴き声らしきものを確かに聞いたような気がした。しかし、その墨をぶちまけ たような黒い箱は数えるほどの空気穴が開いているだけで、中を見ることは出来ないのだ。 今度こそパスを通し改札を抜けると、朝の光でいっぱいのプラットホームにひと際鮮やかな配色のベンチが 目盛りのように行儀よく並び、そのひとつの上に陽光に縁取られた少女のシルエットが視界のなかに飛び込ん できた。足早にベンチに近づくシンジに、少女はつつましく揃えた膝の上の文庫本からシンジへと顔を向ける。
「お、おはよう。綾波」 「おはよう。碇くん」
朝靄に降り立った妖精さながらに、東雲の彩を横顔に残したレイのその優しげな表情にシンジは頬の緩みを 抑えることができない。 いつ頃からだったろう。レイがこんな表情を浮かべるようになったのは。第14使徒との死闘、そしてひと 月もの間溶けこんでいた初号機から戻って来たとき、変わらぬ温かさでシンジを迎えてくれたレイ。ここ最近 に至っては、その少女との間に日ごと高まる一体感を感じずにはいられないのだ。そして、そんなシンジの周 りで、堰きとめることの出来ない陰惨な未来を暗示させるように、続々に事実として組み立てられていく現実。 加持リョウジの死、そして直近の第15使徒戦。ミサトはその姿を自室の奥深くその心と一緒に閉じ込め、加 持の死を知った――いや僕から知らされたのだ――アスカは、殆どコントロールが効かないまでに低下したシ ンクロ率のままに、第15使徒に敢然と立ち向かい――。
「あ、始発が来たよ。乗るよ、綾波」 「うん」
車体を曙の色に輝かせたリニアが静かにホームに滑り込んでくる。にっこりと微笑むシンジに、柔かな表情 で応えるレイ。シンジの胸に深く喰い込んだ楔のような痛みが朝露のように消えていく。以前より少し長くな ったふたりの時間が煌めきを放っている。そんな時間がシンジの心を絹のように優しく繕ってくれるのだ。
∞ ∞ ∞
「う、裏強羅?」
そう、裏強羅、と言ったレイは、視線を前に戻した。 滑るように走るリニアのその車輌には、始発という事もあり、シンジとレイ意外に誰も乗客はいなかった。 何故かいつもは少なくとも隣の車両にはいる筈のガードさえも。まるで額縁のような車窓の中では朝まだきに 輝く建造物が映画の1シーンのように流れている。 昨日リツコからこの木箱を託されるにあたって、シンジは何点かの条件を確認していた。ひとつは、箱の中 身――生物という事だけで詳細は教えて貰えなかったのだが――を開放するのが、ある特定の場所でなければ ならないということ。そしてその生物を放つのは今日である必要があるということ。そしてもう一つ。今回の ミッション(?)には、レイを伴う必要がある、というものだった。更にリツコが付け加えた、ソコでしか採 取できないハーブがアスカの容態を改善させる効能を持つとの情報が、シンジに今回の依頼を快諾させる決定 打となったことは言うまでもない。
「で、でも、聞いたこと無い地名なんだけど」 「そうだと思うわ」 「…え?」 「地図上には存在しない場所、だから」 「そ、それって…どうやって行くのさ?」 「行けば分かるわ」 「…そうなんだ」
聞きたいことは山ほどあった。パイロットとしての任務でないのは明白だ。だが、作業指示以上に本質的な 部分で明されていないことがあまりに多すぎる。そもそも今自分が手にしているのは、何という生物なのだ? そして解き放つべき場所である『裏強羅』とは、どこにあるのだ? 地図には無い場所だとレイは教えてく れた。それは、どういう意味なのだろう? そして、わざわざそこで放たなければならない理由とは?
(……レイも一緒に行って貰うわ)
沈思黙考に陥る寸前に、ふと持ち上がったリツコの言葉。最小限の言動の中に必要にして十分な情報を封じ 込めるのがリツコだ。幾多の疑問符で満たされたシンジの眼差しに応えるように放たれたその言葉から、レイ との行動自体がシンジの内奥に付着する疑問への回答に繋がっているのだろうと肩の力を抜くことにした。
「綾波、あと、そこで取れるハーブのこと、リツコさんに聞いたんだけど……」
これまでの雰囲気を断つようにシンジに流れた深紅の眸に、思わずシンジは言葉を途絶えさせてしまった。
「ローズマリーの亜種。特にあそこで採取されるものは特別な種のもので、他では取れないものだと聞くわ。 ただ…」 「え? な、なにかあるの?」 「簡単に取れるものではない。そして…危険が伴うものだとも聞いているわ」
そうなんだ、とシンジは正面に顔を戻した。東雲に染まった街並みが飛ぶように流れ行くさまを眺めながら、 レイの言葉の内容を反芻しようとしたが、直ぐに無意味なことだと思考を止めた。レイが一緒に行ってくれる のだ。今はそれだけでいい。 着いたわ、と鈴を一振りするようなレイの声に頭を上げたシンジは、眩しげな目を少女に向け、その背中を 追った。
∞ ∞ ∞
駅舎を後にした二人は、山裾へと河のように伸びる道を歩きはじめた。 小さな街を背にして、朝靄の立ちこめる道の先に目を凝らしても、綺麗に舗装された道路に車の往来は見ら れず、人っ子一人その影すら見えない。そして、しばらく歩くと、より濃くなった霧に二人の視界は著しく奪 われた。不吉な雲の緞帳を降ろされたような視界の利く距離はおよそ十メートル。それまでの舗装道も砂利道 へと姿を変えた。 濃霧のなかでも歩調を落とさないレイに、若干の不安を覚えながらもシンジは必死になって前方に目を凝ら した。道中で少しづつ質問しようと思っていた事柄をさっきまで頭の中で整理していたのだが、息苦しく感じ るほどの濃霧にそんな余裕はどこかに飛んで行ってしまった。刻一刻と視界が悪くなる中で、いまはレイに付 いていくので精一杯だった。
「碇くん、こっちよ」
どれくらいの距離を歩いてきたのだろう。実際に歩いているという現実感さえ薄れかけてきた頃、レイの声 が響いた。それは突然耳元で鳴った晩鐘のようにシンジの意識を深く貫き、レイに起き掛けの表情を向けさせ る。シンジの視線を受け止めると、唐突に現れた狭隘な横道へと歩を運び始めたレイにシンジも慌ててその後 に続く。古い参道に見えなくはない。両側を背の高い木立に挟まれた道幅はとても狭く、レイと肩を並べて歩 くのは難しい。必然的にシンジはレイに引っ張られる格好になったが、目前に固定された少女の背は、小さい ながらも無量の安心感をシンジに与えた。
「…綾波は、ここには来た事あるの?」 「どうして?」 「い、いや、地図も無いのに、この霧のなかでよく歩けるなあと思ってさ」 「以前、ずっと前のことだけど、一度来たことはあるわ」 「そ、そうなんだ」
たった一度訪れただけで、こんなふうに歩けるものなのだろうか。前を行くレイは、世界中のスジャータを 溶かしこんだような霧のカーテンから唐突に現れる三叉路を難なく切り抜けていくのだ。白い霧のなかをひた すら歩き進むレイとシンジ。呼吸の度に頭の中まで真っ白に染められていくような錯覚に陥り、薄まる現実感 がややもすると手足の感覚を鈍らせる。通りすぎた幾つかの分岐路に帰路が気になり始めた頃、突如、剥き出 しになった山肌が目の前に現れた。幾層もの岩盤が堆積した山肌に石窟が真っ黒な口を開け、その入口に張り 出した上がり框には、槍のような石柱が天に向かって一直線に伸びている。その先端がどこまで伸びているの かは、乳白色の霧に阻まれ確認することはできない。 石窟を覗きこむと、鍾乳洞のような洞窟が続いていた。風がレイの髪を撫でながら、洞窟の奥へと誘うよう に流れこんでいる。暗闇の先を無言で見据えるレイは暫くの間何かを考えているようだったが、洞窟内に足を 踏み入れようとしたシンジを左手で制すと、右の掌を洞窟に向けて翳し――それはまるで洞窟と外界とを遮る 見えざる壁にその手を儀式的に添えるようにして――静かに目を閉じた。 森閑とした空間のどこかで水滴の弾ける音がシンジの耳を打つ。
「…これでいい。行きましょ、碇くん」 「え? いま何かしたの、綾波?」 「禁則事項。だから、聞かない方がいいわ」 「う、うん…」
洞窟内に足を踏み入れたレイにシンジも続く。さきほどのレイの不可思議な行動への疑問などすっぽり意識 から抜き取られるほどの暗闇がシンジの全てを覆った。白濁から漆黒へ。洞窟の入り口でレイが手を翳した不 可視の壁を境界とするように、世界が一変した。先を歩くレイの向こうに腸のように伸びる洞窟。その奥に目 を凝らすと、ここまで歩いてきた道よりも更に狭隘な洞窟が続いている。底の見えない暗闇にじわりと湧きだ したのは本能的な恐怖とも言えるもの。レイに倣ってリュックからマグライトを取り出すと、左の壁面に埋め られていた化石のようなランタンに淡い灯が一斉に点った。洞窟を二十メートル毎に目盛りをつけるように、 黄色い鱗ぷんのような光が奥へと伸びている。
「…碇くん」 「な、なに?」 「しばらくの間、洞窟のなかを歩いていくことになる。そして、洞窟の中では注意しなければならない事があ るの」 「道が悪いってこと、かな?」 「洞窟だから、道は狭い。でも悪いわけではないわ」 「え?」 「わたしから離れないで。わたしの背中から目を離してはダメ。二メートル以上の距離を開けないで欲しい。 そして、ここでは足を止めてはいけない。これはとても大切なこと」 「うん、解った。…ところでさ」 「なに?」 「ここを抜けたところが、その、目的地なの?」 「そう。この洞窟を抜けたところに、裏強羅はあるわ」腕時計に視線を走らせたレイが言葉の穂を継ぐ。「た だし条件があるの。十二時までにここを抜けなければならないわ」
∞ ∞ ∞
洞窟の中でも、それまでの雲海のような霧の中と同様、レイは歩く速度を落とさない。 マグライトで足元を注意深く照らしながら、やはりシンジはレイについていくのが精一杯だった。途中、壁 面から湧き出した水が地面をぬめらせ、足を滑らせそうになる。反射的に木箱を抱きしめ踏ん張るシンジ。こ こでは足を止めることがあってはいけないのだ。 さらに歩を進めること半時間、突如として空間がひらけた。ライトで辺りを照らすと、直径十メートル位の 円錐状の宗教的な空間が広がっている。そして、その中心部分には、柱が切断されたような石台が空間のバラ ンスを取るように据えられている。天井は途轍もなく高いのか、マグライトの光は、堆積する闇に吸い込まれ その先は見えない。 碇くん、と呼ばれた声に巡らせていた顔を向けると、レイが石台の脇でその天板を指さしている。
「木箱を、ここに」
その天板は何の変哲もない陶板に見えたが、目を凝らすとマグライトの光の輪に儀礼的な紋様が浮かんだ。 レイの言われるままに木箱を置くと、中から何か音のようなものが聞こえた。旧式のラジオのチューニングを 合わせるようにレイが箱の位置を整えると、今度ははっきりと木箱の中から鳴き声のようなものが聞こえた。
「碇くん、こっちよ」
足を運び始めたレイに慌てて木箱を手に取ったシンジは、レイの足の先にぽっかりと口を開けている次なる 洞窟に不審げな表情を作る。この空間に足を踏み入れた際に見た記憶の無い洞窟だ。まるで、レイが足を向け た瞬間に生まれた入口のようにさえ思われる。振り返ってみると、そこにはシンジ達がこれまで通って来た洞 窟が閉店後のレストランのように闇に同化している。ふと、次の洞窟にレイが入った瞬間に、その入口が閉ざ されてしまうのではないかという不安に襲われたシンジは、レイに続いて慌てて中へと飛び込んだ。
足を踏み入れた洞窟には前の洞窟にあった化石的なランタンさえ無く、一層の闇を張り巡らせている。闇の 底へと続く無限空間のように物理的な境界の判別つかない程に夜目がきかない。壁や地面を確かめようと向け た懐中電灯の光は余りに脆弱で、ややもすると前方の暗闇にレイが飲み込まれるような錯覚にとらわれる。全 神経をレイの背に集中しようと気構えるシンジ。そんな矢先のことだった。どこからか流れてきた歌声がシン ジの耳朶を突いたのは。レイの背中から顔を起こしたシンジの目に入ってきたのは、壁の両側に穿った幾つも の横穴だった。そのひとつを通り際に覗くと、横穴の入口から数メートルのところに小さな木が薄明かりの中 にぼんやりと影絵のように浮かび上がっている。驚いたシンジが目を凝らすと、その木はいっぱいの見栄えの 良い果実を付けているようだった。何かに憑かれたように唐突に猛烈な喉の乾きに襲われるシンジ。駅を降り てからこのかた、ほぼノンストップの強行軍で歩いてきたのだから無理は無い。リュックの中にはミネラルウ ォーターの入ったペットボトルは準備してあるが、その瑞々しい果実をその樹からもいで齧りつきたい衝動が、 抗えない欲求のようにシンジの体を刹那支配した。
「碇くん、ダメ!」 「え!?」
思わず素っ頓狂な声を上げそうになった。頭の中を半ばその果実に支配されて半身を横穴に入れていたシン ジの腕を、いつの間にかレイがしっかりと両手で掴んでいる。
「…ど、どうして?」 「アレは、果物では無いわ」
えっ? とシンジがふたたび目を向けた先では、花が咲くように実った果実はその表面を目まぐるしく波打 たせ、一斉に人面へと変貌した。憤怒、絶望、憔悴、貼りついたような笑顔、そして空虚な表情が次々に浮か んでは消えていく。驚くシンジの視界の中で、誘引の糸を送りだすように木からは青白い燐光が迸っている。 そして幾つかの燐光が蛍のようにシンジとレイに向かってゆっくりと近づいてくる。
「長い間、見ていてもダメ。すぐにここを離れた方がいい」
ふたたび歩を進めたところで、シンジはレイとの約束を破り、自分が足を止めて横穴を覗き込んでいた事実 に改めて気が付いた。シンジに足を止めた記憶は無く、ただ通り際にチラと覗き込んだだけ、だった筈なのだ。 それにしても、衰えることの無いこの歌声は一体なんなのだろう。壁面に穿った幾多の横穴から溢れ出す歌声 は、世界中の洞窟を震わせているように思えた。
「碇くん。これ、飲んで」 「え、これって?」
レイが小さなリュックから取り出し、シンジへと差し出したのは水筒だった。
「赤木博士が作ってくれたドリンク。飲んで」
いいのかな、と思いつつも、シンジが飲んだドリンクはレモンと蜂蜜のフレーバーのとても美味しいジュー スだった。張り付きそうにまで乾いた喉を押し広げ、爽快さが全身に染み渡ると、耳を覆いたくなる程の歌声 は消えていた。横穴から漏れていた灯も何事も無かったかのように消失している。
「綾波、有難う。お陰様で生き返ったよ」 「そう…よかった」 「…ところでさ、さっきのアレって、いったい何だったの?」 「この洞窟そのもの」 「え?」 「稀にここに迷い込んだ人間が、喉を乾かせて通りかかったところを罠に掛けるの。灯りと果実に似せたもの で誘引し、その果実に人間が手をかけたところを絡め取るの」 「そ、それじゃあ、あの果実は…」 「捕食されたヒトの魂そのものと言っていいわ。木もこの洞窟がそれに似せて形を変えたもの」 「…そ、そんな」 「ただアレは人間の乾きにつけ込むから、その原因自体が消失すればいい。だから、碇くんの場合は水分補給 で足りたの。でも、乾きは言いかえれば欲求。その人間によって対象は変わってくるわ」 「つまり、金銭的に欲求が強い人間だったら…」 「あるいは、宝石や金が生る木が見えたかもしれない。アレはその人間の心を現す鏡のようなもの。そして、 大抵の人間、特に大人は、その誘引に打ち勝つことはできないわ。そして、ここで洞窟に絡め取られた魂は、 永遠に洞窟から出ることは出来ないの」 「…そうなんだ」
もし一人でここに来ていたのであれば、やはり果実の生る木が見えたのだろうか。それとも……。前を行く レイの小さな背に集めた意識の片隅で、シンジはそんな事を考えていた。
∞ ∞ ∞
その音は突然爆ぜるようにシンジの耳を蹂躙した。怒涛の如く押し寄せる水が地底深く落ちていく瀑布の音 だ。まるで悪魔がスイッチを入れたように唐突に唸りをあげた轟音に、シンジの脚はその意思に反し竦みそう になる。
「碇くん、足を止めてはダメ。わたしの背中だけを見て」 「で、でも、どんどん音が大きくなってくるよ」 「大丈夫。すぐに消えるわ」
降ってきた水しぶきに叩かれた頬を驚いて撫でるシンジ。マグライトの光の輪のなかで、前を歩くレイの髪 にもどこからか舞い上げられた霧雨が幻想的に降り落ちるさまが映画のワンシーンのように流れる。そして次 の瞬間、道ごと呑み込むようにレイの前に突如として獰猛な姿を現した滝が脆弱な光のなかに浮かびあがるや、 瞬く間にレイを呑みこんだ。
「綾波ぃ!」
レイを追って怒涛の如く流れ落ちる水流に身体を突っ込ませたシンジは、木箱をひしと胸に抱え全身を打つ であろう水圧に体を硬直させた。が、次の瞬間、何ら抵抗を受けることも無く、シンジの体はその瀑布をする りとくぐり抜けていた。中腰のまま、そろそろと目を開けたシンジが出鱈目にマグライトを振り回すと、それ までと同じ洞窟の闇の底。奥へと流れる冷気が汗の浮いた頬を撫でていく。失われた音と感覚に、ばら撒かれ た現実感を拾い集めようとした時、それまで体の奥底で影を潜めていたパニックがシンジの体を駆け上がって 来た。
「碇くん」 「あ、綾波。どこ?」 「碇くんのすぐ前」
暗闇を薙ぐように向けたライトに浮かび上がったレイの姿に喜び勇んで足を踏み出したシンジは、あろうこ とかその足を滑らせてしまった。幸運にも尻餅をついただけで済み、反射的に持ちあげていた木箱も無事だった。
「大丈夫、碇くん?」 「ご、ごめん。なんか焦っちゃってさ、はは…」 「………」
緩慢に身体を起こそうとしたシンジだったが、前に立つレイの視線を追った先で、マグライトを持っていた 筈の右手がレイのスカートの裾を掴んでいるのに気付くと、慌てて手を引っ込め、ばね仕掛けの人形のように 起き上がった。
「ごご、ごめんよ! 綾波! わ、わざとじゃ無いんだ」 「……前にも同じようなことがあったわ」 「……へ?」
…何でもない、と踵を返しふたたび歩を運び始めたレイに首を傾げたシンジだったが、慌ててレイの背を追 い始めた。 暗闇がより深くなっていくような気がするのは、気のせいだろうか。一メートルと離れていないレイの姿さ え、ひとたびライトの軸を迷わせてしまうと永遠に見失ってしまうような気がするのだ。そして洞窟を奥へと 歩き進めるほどに、マグライトが生みだす頼みの光さえ、刻一刻と濃くなっていく闇の粒子に削り取られ、彷 徨う侵入者の持つ現実感を一枚また一枚と皮のように剥ぎ取っていくのだ。 僕は、本当に洞窟を歩いているのか。とうに肉体から遊離した意識という思念体だけが、この腸のような洞 窟の底を浚いながら彷徨っているのではないのか。実は、肉体も魂も既にあの木に取り込まれ、この洞窟の一 部になってしまっているのではないのか。思い出したように右手の甲で頬を拭うと、付着していた水滴が頬の 上で塗り広げられ、その感覚に、シンジの現実感は首の皮一枚のところでつなぎ止められた。
「…綾波」 「なに?」 「さっきのさ、あの滝ってさ、何だったんだろう」 「あれは二番目の門」 「え? 二番目って…じゃあ、一番目の門はもう通過してたってこと?」 「一番目の門は洞窟への入口がそうだったの。そして、わたしたちが抜けなければならない門は全部で三つあ るわ」 「でも、さっきの滝は何か変だったなあ……突然現れたと思ったら直ぐに消えちゃったし」 「あれも、この洞窟が見せている幻影なの。太古に存在した地底の滝だとも言われているわ」 「そ、そうなんだ…でも何だか妙にリアルだったなあ。その、音とか、水飛沫とかさ」 「水飛沫は本物なの。第二の門の側壁には地底湖に通う水流が凄い勢いで流れているの。若し滝の幻影に怯ん で、側壁に身体を近づけたり、脇から滝の向こう側を覗きこんだりすると…」 「…そ、その水流に呑まれちゃうの?」 「そう。水流はこの迷宮のような洞窟の血液みたいなもの。水流に囚われた人間は一気に地底湖まで引き込ま れて複雑に入り組んだ地底の経絡 を永遠に巡ることになるわ。その体が朽ちても魂は終わりなく水脈を彷徨い続けるの」 「……さっきの木と言い、何だかおっかないね」 「大丈夫。洞窟が罠に掛けるのは、邪な考えを持った人間だけ。邪な考えを持ってあの場所に踏み入れようと する人間だけ」 「あの場所って、その、僕たちがいま向かっている…」 「そう。裏強羅よ」 レイと言葉を重ねるたびに、体が再構成されたような、自分自身のはっきりとした輪郭を取り戻していくの が解る。夢のなかで時に迷い込む迷宮の冒険にも似た体験と虚無とも言える暗闇に、自我を保てなくなってい たということなのだろうか。今はさっきまでのような、魂が遊離したような――まるで肉体を悪魔の指先で削 ぎ落とされたような――心細さは、シンジには無かった。 マグライトを持つ右手には、レイのスカートの裾を握りしめた感覚がまだ残っている。自分を碇シンジとい う器に繋ぎとめるもう一つの要素が、他でもないその手に残る感覚によるものだと頭のどこかで理解する一方、 その感覚にはなぜかシンジ自身には覚えがあった。……いつ、どこで? 少し考えたシンジだったが、少し離れたレイとの距離に、頭からその思考をふるい落とすと、その小さな背 中に集中しようと脚を大げさに動かし始めた。
∞ ∞ ∞
第二の門を通過し、三つめの三叉路が現れたところでレイの脚が止まった。背中のリュックから地図らしき ものを取り出したので、シンジは慌ててライトの光でレイの手元を照らす。
「綾波、どうしたの?」 「…前に来た時は、この三叉路は無かった」
ふたりの前で分水嶺のような三叉路で分かれている二つの洞穴の漆黒へと交互にライトの光を差し込むレイ。 その先の堆積した闇に視線を暫く留めた後、「碇くん、ここにいて」と、レイは言った。
「え?」 「先を見てくる。直ぐに戻る。だから、ここで待ってて欲しいの」 「あ、うん…」
シンジが頷くのを確認すると、レイは躊躇う素振りを見せることもなく左側の洞穴へと姿を消した。恐らく は、そちらが正しい道だということなのだろう。暫くのあいだ洞窟の中に反響していたレイの軽い足音が聞こ えなくなると、押さえつけていた心細さが喉元へとせり上がってくる。が、それを封じ込めるようにシンジは 自らを強く戒める。得体の知れない闇の中へとレイは一人で足を踏みいれているのだ。恐らくはシンジにかか るリスクを最小限にするために。踏み入れた洞穴がフェイクだった場合、何らかのブービートラップが仕込ま れてないとも限らない。第三の門は近いのだ。
(…大丈夫かな、綾波) (…でも、綾波なら平気かな。そんな気がする)
ふと、以前にも同じようなことがあったな、と思い返す。いつものようにネルフに向かう途中、大規模停電 に遭遇した時の事。予備電源までも通電が途絶えた暗闇の底で、レイは進むべき通路を的確に選択し、シンジ とアスカをリードしていってくれたのだ。まるで本部施設の隅々までも知悉しているように歩を進めるレイに ついていくのが精一杯だったのだ。
(……だけど)
あの時から、どの位の時間が経過したのだろう。長かったようでいて、実は半年と経ってはいないのだ。そ の時に比べると、今はレイの背中がとても近くに感じる。後ろを歩くシンジから時折り垣間見るレイの白い頬 が後ろのシンジを気遣っているように感じるのは、ただの思い過しなのだろうか。まるで、もっと以前からお 互いを知っている二人がその呪縛を解かれ、失くした時間を取り戻すかのように、互いの距離を詰めてきたよ うな気さえするこの半年間――。レイのスカートを掴んでしまった時から、シンジの意識から湧き立って止ま ないデジャヴーに似た感覚が、碇シンジという個の輪郭を際立たせ、懐かしさに洗われた感情がシンジの心の 奥底に閉じこめられた記憶の扉を一枚また一枚と押し開けていくのだ。
(……?……) 何かがシンジの耳を過ぎった。レイが戻って来たのかと左の洞窟へと目を向ける。しかし、そこにあるのは 依然底の見えない絶無の世界。シンジが手にするマグライトの光は、僅か十メートル程で暗闇を構成する粒子 に捕食されるように消え失せてしまう。ここは絶対的に漆黒と音の無い世界なのだ。 釈然としない表情を滲ませたシンジだったが、目の縁に掛った違和感に、それまで気にも掛けずにいた右側 の洞窟に顔を向けるや、思わず目を凝らした。シンジが立っている場所から右の洞窟に二十メートルくらい入 った辺りだろうか、インクを滲ませたような光が点っている。今の今まで認知できなかったその光から滾る誘 引の意図を肌で感じ取ったシンジは身を強張らせた。ここまでに遭った二つの罠の件もある。レイに指示され た通り、何が何でもここでレイの戻りを待つべきなのだ。木箱を持つ手に力が籠もる。 (…ま、まただ)
今度ははっきりと聞こえた。さっきよりも明瞭に聞こえた音は、やはり光が点っている辺りからのように思 えた。そして、続けてシンジの耳を突いたその音に、シンジは瞠目した。
「あ、綾波!?」
紛うこと無くレイの声だった。幾度となく頼りなくシンジの耳に聞こえた音はレイの声だったのだ。実は、 レイが侵入した左側の洞窟はその奥で右の洞窟と繋がっていて、そこから戻ってくる途中に転んで怪我でもし たのではないのか? あの脆弱な光はレイが転倒した際に投げ出されたマグライトの光では無いのか? 脱兎 のごとく駆けだしたシンジは、マグライトなどほとんど何の役に立たない暗闇の中、湿った地面に幾度か足を 滑らせながらも、その光を一直線に目指した。レイの名を呼ぶ声が、狭隘な洞窟の中で終わりのない反響音を 響かせる。 「あれえ?」
バランスを崩しながらも急制動したシンジが見たものは、マグライトの光などではなかった。それは、そこ の壁面に穿たれた横穴から漏れていた灯りだった。淡く照らされた横穴の入口には小さなベンチのような石台 が据えられ、その向こう側は下りの階段になっている。光はその階下から漏れていた。よく見るとその階段の 壁にはメニューらしきものも掲げられ、以前雑誌で見たことのある昔のバーのような佇まいを醸し出している。 レイの声は階下から聞こえてきたのだろうか。シンジの思考に連動するように、階下から響いたレイの声が シンジの耳朶を突く。やっぱりと、ベンチの脇に足を踏み出したシンジの耳に思わぬ声が飛び込んできた。
「ちょっとシンジぃ、アンタも早く来るのよ」 「あ、アスカぁ!? なんでアスカがここにいるんだよ?」 「あんたバカぁ? アタシを置いてきぼりにするから先回りしたに決ってんじゃないのよ」 「だって、アスカ、ずっとベッドで眠ってたじゃないか……そ、そうだ、体はもういいの? それに、勝手に 病院を抜け出しちゃマズイよ」 「体はもうダイジョーブよ。それに、そんなこと気にする必要は無いわ。リツコもミサトもみーんなココにい るもん。ぐだぐだ言ってないで早 く来なさいよ」 「そ、それじゃ、やっぱりお店のなかに綾波もいるんだ」 「あったり前じゃない」 いつの間にか階段の壁にはアメリカの古き良き時代を象徴するようなネオンサインが据えられ、原色を周り に振り撒いている。階下からは、さながらパーティーでも催しているかのような雑多な生活音、そして聞き覚 えのある仲間たちの明るい話し声や笑い声で溢れかえっている。何もかもが、シンジにとって取り返しのつか ないものだった。そんな総てのものに包まれて、シンジの胸は懐かしい温かさでいっぱいに満たされていった。
アスカ…元気になって良かった。……本当に良かった。 加持さんも…死んでなんかいなかったんだね……良かった。…良かったね、ミサトさん。 ねえ、綾波。聞いてよ。みんな一緒なんだ。本当はこんなに近くに皆いたんだ。 ねえ、聞いてよ、綾波。僕は……。 僕は……。
◇ to be continued later ◇
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