Re: 「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を語るスレ/ネタバレOK ( No.16 ) |
- 日時: 2021/03/16 01:15
- 名前: tamb
- わたしはテレビ本放送は通っておらず、いわゆる旧エヴァ――春エヴァの直前になされた三夜連続再放送から入ったクチで、つまり97年から参戦したことになる。それでも実に24年。あまりに長い。サイト開設からでも20年(!)だ。
こういうことは意図してあまり語らなかったのだが、当時から家に帰るとアスカ様がとか言ってたように、同伴者がいた。今もいる。わたしも五十半ばを過ぎた。子供はこの4月に高校生になる。彼とも妻ともこの数年まともに口をきいていない。当時経営していた会社はディラックの海に飲み込まれた。妻から投げつけられた言葉は忘れる事はないだろうし、忘れるつもりもない。 24年というのはこういう歳月だ。 こんなことはどこにでもある、ありきたりといってもいいくらいの良くある話で、例えば十年以上も音信不通だった親が生活保護を申請して扶養照会が来て困惑しているとか、扶養照会されたことを知って自殺したなんて地獄もある。 庵野秀明が壊れていたというのは、ある意味では壊れていてもいいくらいの経済的成功に恵まれたからであり、それはもちろん優れた才能ととてつもない努力があったからだろうが、言うまでもなく運もある。才能のあるなしは本人にはコントロールできない。率直に言って、こっちは壊れてる暇なんかなかった。 そして彼が壊れた状態から回復できたのは、ひとつには「みんな優し」かったからというのもあるだろう。恵まれていたとしか言いようがない。 結局、シンエヴァが庵野秀明の私小説であるとか、安野モヨコ≒マリだとかいうのは、ある意味ではどうでもいいことに過ぎない。彼が自分の中のエヴァンゲリオンにケリをつけたからといって、わたしもまた卒業する――卒業できるかどうかは全く別の問題だ。
わたしはレイを指して「グレた妹」と言っていた。この表現が適切かどうかは難しいが、つまり恋愛対象ではないが放っては置けないし幸せになって欲しい人物、という意味だ。 年齢的にはミサト、リツコ、加持のラインに近かったが、その三人を含めて登場人物にシンクロしたり自己を重ねたこともなかった。そう考えると、なぜこんなにハマったのかが不思議ではある。ただ、レイは幸せにならねばならんと強く思ったのは間違いないはずだ。それがなぜなのかはわからない。
エヴァとは、虚構から離脱して現実に帰る、ということを結果的に強く意識せざるを得なかった物語だと思う。ある意味で偶然に出来てしまった、あまりにも強度の高い虚構。囚われてしまった者たちはそこから離脱するためにあがき、独自の物語を構築し、あるいは壊れてしまった。 だがパートナーを選びあるいは選ばれて虚構から離脱し現実に帰るという、あまりにも、あえて言えばありきたりな結論は、わたしたちが20年以上前に立っていた場所ではないのか。ヒカリのセリフを借りるまでもない。今日と同じ明日が来るということの幸せはよくわかる。だがわたしたちはあの時すでにそこに立っていたのではないか。 だからこそ、現実に帰り、虚構の中に閉じこもって――現実逃避という力で対抗するのではなく、パートナーと共に――人は一人では生きられない――社会と接続されるべきなのだ、というメッセージは受け止めつつも、シンジはなぜエヴァに乗り、そして降りたのかを考えるべきなのではないのか。エヴァに乗らなければ価値がないとまで信じていた彼がなぜエヴァを降りたのかを。そして登場人物――綾幸レイの幸せの形とは何なのかを。 社会とは他人の存在を認めるということだ。他人の瞳に映る自分の姿。他人の中にいる自分。自分の中にいる他人。あり得る自分の姿というのは社会の中にしかない。その中で作り上げていくものだ。自分の中にあるものを、社会の中で構築して行くものだ。 それが始まりで、わたしはそこから一歩も動いてはいないのだ。電車から降りたその先に、立ち向かい生きてゆくべき現実はある。
さようなら、全てのエヴァンゲリオン。
さようならは、また会うためのおまじないだ。
まとまらなかったし言葉足らずで意味不明だが力尽きた。
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