[743] Poco a poco accelerando
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- 日時: 2018/10/15 20:33
- 名前: 史燕
- Poco a poco accelerando
Written by史燕
――来い
たった二文字しか書かれていない便箋を目にするのは生涯でもこれで二度目だ。 5年近くも経ってから同じ手紙で、同じ場所へ呼び出されるとは思ってもみなかった。 それでも5年前と同じ電車に乗り、同じ駅へと向かってしまうのは、それがとてもとても大切な思い出を残してきた場所だからだと思う。
サードインパクトが終わり、第三新東京市は計画そのものが破棄された。 使徒迎撃のための要塞都市なのだから、当然と言えば当然のことなのだろう。 あれ以来の場所へ立つのははじめてだ。 14歳という多感な時期を過ごした日々は今となってはまるで幻のようであり、しかしそれが多くの痛みや悲しみを伴った現実であったということは自分自身が一番よく知っていた。
「もう、来ることはないと思ってたのに」
ふと、自分の口元が緩むのを自覚した。 なんだかんだ言いながら楽しみなのだ。 5年経った今日、いきなり招集された目的が何であれ。
「綾波も、いるのかなあ」
思い起こすのは碧い髪の少女のこと。 5年もの歳月を経ても、その特徴的な容姿は深く記憶に刻み込まれていた。 父親と彼女と自分と 思えばずいぶんと歪な関係だったのだと思う。 自分が彼女に向けていたものは、全く振り向いてくれない父親に目をかけられる彼女への羨望と嫉妬。 そして、隠された真実を知ってしまった時に感じた、衝撃。 それがいかに醜いものであったのかは、今考えてみれば、なんとも幼稚で、羞恥に身が沸騰しそうなほどだ。
「それでも」
逢いたい、と思ってしまう。 おそらく、自分の最も醜い感情と、最も温かい感情がないまぜになってしまっているのだ。 それが、なんであるのか。 その答えを、彼自身も明確に見つけられずにいた。
電車がホームに到着する。 改札を出ると、まるで図ったかのように青いルノーが自分の目の前に横づけをした。 かつて、自分が初めてこの地に足を踏み入れた時のように・
「はぁい、シンちゃん。元気してた?」
そう言って運転席から顔を出したのは、かつての自分の同居人。
「ミサトさんこそ、元気でしたか」
月日は経てども、その関係は微塵も変わらず。
「まぁね。さあ乗って乗って」
あの凄惨な経験をした後でも、またあの頃に戻りたいと思ってしまうのだ。 この数年間、彼女とも電話一つできずにいた。 サードチルドレンとNERV作戦部長という二人の肩書が、頭に元がついてからも固く縛っていたのだ。
「それで、どこへ行くんですか?」
思いがけない再会を喜ぶのもそこそこに、彼女はルノーのアクセルを踏んだ。 そうまでして急ぐ要件とは何か、彼にとっては尋ねずにいられなかった。
「うーん、ちょっちね。まあ、いいところよ」
彼女は小さく、「シンジ君にとっては」と呟いたのを、シンジは聞き取れなかった。
しばらくして、車は旧市街の中心部へと向かっていた。
「都市計画が破棄されて、再整備の計画が浮かんでは消え、浮かんでは消え」
運転席の彼女は、すっかり様子が変わってしまった景色を見渡す彼に、現在の第三新東京市について語ってくれた。
「結果として残ったのは、戦闘の痕跡なんてどこにも見られない、きれいに整地された広大な公有地と」
そこでミサトは一度言葉を区切った。 どうやらここが目的地らしい。
「この、ジオフロントへの入り口っていうわけ」
そう言いながら、彼女は手慣れた様子で地下へと続くシャッターを開放した。 NERVのものとは違うようだが、どうやら彼女がここに来るのはこれが初めてではないらしい。
車はそのまま、ジオフロントへ進み、地下空間を中心部から外へ外へと向かっていった。 NERV本部があった場所は跡形もなく、地下でありながら直上の大穴から光が入り込み、地上と同じように草木が生い茂っていた。
「不思議でしょ」 「えっ」 「あんなことがあっても、日本も世界も、そして爆心地だったはずのこの場所も、何事もなかったような時が流れているのは」
それは、彼自身これまで何度も思ったことだった。 しかしそれは、所詮自分は大きな流れの中の一部でしかなかったのだという真相を考えると、納得するしかないのだと何とか自分の中で感情を咀嚼し、折り合いをつけたものだった。
「正直、今でもあなたたちには申し訳ないと思っているの」 「それは私だけじゃなくて、あの場所にいた大人たちはみんなね」 「結局あの後は私たちも身動きが取れなくなって、何とかしようにも、気が付けばもう何年も経ってしまっていたわ」
「……恨んでいるでしょ」
彼女はハンドルを握りながら、そうおそるおそる言った。 それは贖罪のつもりなのか、それとも当事者からの断罪を待つ懺悔なのか。 彼にはその心を推し量る術はなかったが、少なくとも今ここで彼女が言うように恨みつらみをぶつける気は、毛頭なかった。
そのまま互いに口を開かずにいると、重苦しい空気を打ち破るかのように彼女は再び話しかけてきた。
「でも、よかったわ。変わりがないようで」
それは、自分の保護者代わりを務めた彼女の、紛れもない本心なのだとわかった。 純粋に、再会と、これまで大過なく日々を重ねてきたことを喜ぶ、彼女らしい一言だった。
「ええ、変わりませんよ」
周囲は変化しても自分と彼女の関係は変わらない。 たとえ離れ離れになり、すれ違いはあったとしても、彼と彼女は今でも間違いなく家族だった。
「さあ、着いたわ」 「えっと、ここですか」
ジオフロントを車で走ること数十分。 ただでさえ広かった旧NERV本部の敷地の外れに、その場所はあった。
「それじゃ、しばらくしたら迎えに来るから」
そう言って、彼女はシンジを強引に降りさせると車を走らせた。
「……ごゆっくり」
そう、言い残して。
彼はひとまず、一番目立つ噴水へと向かうことにした。 なぜ、という理由もなく、なんとなくそうした方がいいという気がしたからだ。
「ここって……」
そうして歩いていくと、どこかこの場所に見覚えがあるような気がしてきた。 たしか以前も、こうやって歩いて訪れたはずだ。 あのときは、そう、たしか二人で――。
「いかりくん」
噴水の目の前まで近づいていくと、その向こうから自分を呼ぶ声がした。 その声は忘れるはずもない。
「初めて触れたときは何も感じなかった」
その声は、コツリコツリと靴音を鳴らしながら、こちらへと近づいてくる。
「二度目は、少し気持ち悪かった」
凛と澄んだその声は、今度はどこか困ったような声色を漂わせて彼に言った。
「三度目はあたたかかった」
少し背が伸びただろうか。 5年前と変わらぬあの碧い髪が、その目に飛び込んできた。
「四度目は……」
その表情は元々あまり豊かではなかったが、久々に顔を合わせるとはいえ、いつになく真剣だった。 その真っ赤な瞳は、自分のことを射抜くようにまっすぐに見つめている。
「やっぱり、秘密ね」
どこか茶化すようにいたそのセリフも、なぜかふざけているような雰囲気は欠片も含んでいなかった。 かつては少女というにふさわしかった彼女も、今では立派な一人の女性として、彼の前に現れていた。
「ねえ、いかりくん」
視線を外すことなく、彼女は一歩、また一歩と彼に近づいていく。
――もう一度、触れてもいい?――
彼の目の前で立ち止まり、彼女はそう言った。 彼女に向かって、ゆっくりとその手を差し出すことで、彼は答えたのだった。

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