[777] 幸せの在り処
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- 日時: 2021/05/20 21:26
- 名前: 史燕
- 幸せの在り処
Written by史燕
「幸せってどういうこと?」
突然、そう聞かれた僕は、即答できなかった。 いや、そもそも即答できる人間なんているのだろうか? ほかの人がなんていうか、取り急ぎ脳内で整理をしてみよう。
ミサトさんなら「えびちゅとシンちゃんの手料理があれば、何もいらないわよ」と事も無げに言うかもしれない。 加持さんなら「葛城と一緒に夜景でも眺める、それだけで男冥利に尽きるさ」なんてかっこよく決めるのかもしれない。 アスカは「アンタばかあ? 世界中にアタシのことを認めさせることに決まってるじゃない」なんて言いそうだ。 トウジは「メシやメシ、それも別嬪のかみさんが作ったやつや」なんて、洞木さんのほうをちらりと覗き見ながら言うに違いない。 ケンスケは「俺の好きなものを見に行って、好きなやつとつるんで、ま、人それぞれってやつだ」と、諭してくれそうだ。
目下、僕の答えを見つけるのが喫緊の課題である。 それも、目の前で僕のことを、ひと時も視線をそらさずじっと見つめる碧い髪の少女に対して答えなければならない。 何の変哲もない一日の終わりに訪れた、突然の難問。 二人で歩く帰り道では、鉾先をそらす相手さえ介在しない。 ひとまず、僕の親友の言葉を拝借することにしよう。
「人それぞれ、かなあ。その人が幸せだと思ったら、幸せなんじゃない」 「……そう、じゃあ、幸せって、どうしたらわかるの?」
ごめん、ケンスケ。通用しなかった。 心の中で彼に詫びを入れる。 今日の彼女は、いつも以上に手ごわいようだ。
じーっと射貫くような視線で僕を見つめながら歩く彼女に対し、何と答えればいいのか返答に窮してしまった。 窮しながらも、このままでは解放されないことはよくわかった。 とはいえそれに対してとっさにうまい回答ができるなら、こんな風に困っているわけがない。 というわけで、ひとまず無難に、当たり障りのないことを話しておこう。
「幸せっていうのは、心が満たされていることだと思うよ。今が充実している、満足している。そんな状態のことを言うんじゃないかな」 「……心が、満たされている」
彼女のほうは、今度は顎に右手を当てて、歩きながら考え始めてしまった。 ひとまず、危地は脱した。 そう、ひそかに胸をなでおろして、さあ進み始めよう、とした時だった。
ぐいっ、と突然隣から強い力で引き寄せられた。
「わっ、とっ、とっ」
突然のことに、僕は転びそうになりながらも慌ててバランスを取り、何とか醜態を晒すことは免れた。 下手人は決まっている。隣の彼女だ。
「と、突然どうしたの、あやなみっ」 「……やっぱり、温かい」 「温かい? なんのこと?」 「……碇君の、手」 「手?」
気が付けば、彼女は引き寄せた僕の手を、ぎゅっと大切なものを握りしめるように、両手で包み込んでいた。 もう片方の手は、夕飯の買い出しのビニール袋を提げているためか、ターゲットからは外されたらしい。
しっかりと握った両手を胸に、瞑目する彼女。 そんな彼女に、どきり、と胸が高鳴った。
しばらくして、それが数秒のようでもあり何時間ものようにも感じられた、不思議な時間が終わりを告げた。
「碇くんの手、やっぱり温かいから」
彼女が再び口を開いたのだ。 温かいからどうしたというのだろう。
「……心が」 「心?」 「ええ、心が、ポカポカするの、全然、いやじゃない。不思議と満たされていく」 「そう、なんだ」
彼女の言葉に顔から火が出そうになる。 そんなことを言う彼女は心の底から不思議そうで、何にも裏がないみたいだから余計に質が悪い。
「さ、さあ、帰ろう。アスカやミサトさんがお腹を空かして待っているはずだから」
内心を隠して、強引に家へと歩き始める。 じっと見つめたままでいたかったけれど、そうしてしまったら、僕のほうはどうなってしまうか自分でもわからない。
「……今日の晩御飯、なに?」 「さっき買った材料はなんでしょうか」 「……ニンジン、じゃがいも、牛肉、たまねぎ」 「大ヒント、うちの冷蔵庫に残ってた賞味期限が近いもの」 「あっ、カレールー」 「そういうこと」
真っ赤になった頬がばれないように、とりとめのないことを話しながら歩き始める。 だけど、彼女の表情が気になるから、ついつい、彼女のほうを向いてしまうと――。 目線があった。 彼女の紅い瞳とばっちりと。 すると、お互い同時に明後日の方向を向き、また、相手のほうを向いた。 今度は二人ともなんだかおかしくなって、くすり、と同時に微笑んでしまった。
「綾波、歩きにくくないの?」
立ち止まったのはいい機会だと、僕は彼女に尋ねた。
「……いいの」
しかし、僕の問いに短く答え、歩きにくいだろうに、彼女のほうが足を進めた。
彼女に片手を握られたまま、僕たちの影が少しずつ伸びていく。 僕も綾波も、無言のまま、いつもより少しだけ小さな歩幅で、帰路を歩き続けた。 二つの影は、歩いている間はずっと、ぴったりとくっついて離れなかった。
幸せの在り処は、意外と身近なところにあるものらしい。

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