[837] flyby
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- 日時: 2021/11/13 22:42
- 名前: aba-m.a-kkv
金属がぶつかり合う音。
紅茶の香り。
苦味、渋み。
冷たさと爽やかさ。
彼女の髪の色。
空の色。
中身のない無機質な金属の缶なのに、五感全てから来る記憶が蘇る。
flyby aba-m.a-kkv
思い出に浸るなんて私には似合わない。
モノに思い出を乗せて固執したり、モノを捨てられないタイプの人間でもない。
社交的じゃないわけでもないけれど、友人関係ではサバサバしていると言われるような人間だった。
小学校時代に仲が良かった人間の顔はほとんど思い出せないし、中学校時代でいまだに繋がっている友人も片手で足りるほどだ。
本来の性格もあるし、時代がそうさせたと言えなくもない。
中学二年のときに起きたサードインパクトに私は巻き込まれ、その後の避難生活で第三新東京市の自宅をしばらくの間離れた時期もあった。
持っていけるものは限られていたし、封鎖が解除されて自宅に戻った時、形を残しているものは限られていた。
だから、私の青春時代の思い出を語ることの出来るモノというのはほとんどない。
唯一の例外が、いま玄関でキートレー代わりになっている金属の箱だ。
中学時代に叔母のために買いに行った紅茶が入っていた。
紅茶好きと言っていたのに「これからはノンカフェインの時代だと」言われた衝撃や、それでも渡されたお小遣いがいつもより多かったことや、幾らかのティーバッグと共に押し付けられた空き缶の記憶は、それに至るまでの記憶に比べれば薄くなっている。
それよりも思い出すのは、教室の後ろに座っていた同級生のこと。
不思議な少女だった。
神秘的な容姿に、陽炎のような希薄な印象。
他人にだけでなく、自分自身にすら関心を持っていないような雰囲気さえあった。
学校生活で最低限のやり取りはあったものの、友人と呼べる関係とは程遠い。
そもそも、あの頃の私は他者を極力排除して過ごす空間を好んでいた。
だからこそ、今でも印象深く記憶に残っているのかもしれない。
あの日の出来事を。
その後、彼女とは挨拶を交わすようになった。
朝に学校で会えばおはようと言い、帰り際にはまた明日と手を振る。
とはいえ、それ以上の事、再び一緒に買い物にいったり、仲良く会話を交わしたりするようになる、なんて間柄にはならなかった。
でも、絶妙な距離感と二人だけで共有した校則違反はとても心地良く私の心に刻まれている。
彼女と紅茶を買いに行ったひと時の事を。
その翌日に酌み交わし合ったアイスティーの水筒のことを。
だからだろう、私はこの紅茶の空き缶を捨てられずにいる。
いな、この金属の箱は、もう捨てるようなものではないのだ。
サードインパクトで被災した自宅にようやく戻れた時、いろいろなものが色を失っている中で、この無機質な金属の箱だけが色を、音を、香りを、爽やかさを、そして懐かしい苦味を持っていた。
自分でも驚くほどに、その箱の中にはあの夏の日の空気が秘められている。
彼女と交わったあの刹那の機会は、ほんの小さな出来事だったけれど意味を持っている。
それは、星を通過する衛星のように。
近づきすぎることもなく、遠すぎることもない関係であり、ほんの少しだけ背中を押してもらう。
でも、長い長い年月を過ぎたときに、その存在は私がさらに先に進むための始まりの力になったことを知る。
今という私を形作っているなんて大それたことは思わない。
でも今の私を織り成す一つのきっかけになったのだとしたら、それは大切なものだと感じるんだ。
だから、私はいまでも紅茶を淹れている。
そして、あの日から十年になる今に至るまで、私は空の金属の箱を持ち続けている。
一人の同級生との思い出と共に。
インターホンが鳴る。
彼女の性格から予想するように約束の時間ぴったりだった。
玄関を開け迎え入れる。
お互いに長くなった髪が風に揺れた。
「いらっしゃい、迷わなかった?」
彼女は首を横に振り、「お邪魔します」と言って、そして、しばらく固まった。
微かに驚いたような彼女の紅い眸の先にあるもの。
キートレー代わりの金属の箱。
すぐに昔の記憶が結びつき、私の頬に朱が走る。
思い出に浸るなんて私には似合わない。
だから、なにか言い訳をしようとして、私はその言葉を失った。
私を見て嬉しそうに笑う彼女に。
空の金属の箱からあの夏が零れだす。
金属がぶつかり合う音。
紅茶の香り。
苦味、渋み。
冷たさと爽やかさ。
だから私も笑顔になる。
あの青空の下で笑いあった時のように。

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