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[662] ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q/カラー・GAINAX
日時: 2012/11/17 08:41
名前: tamb

いよいよ公開。というわけで、この掲示板はネタバレ掲示板なので当然ネタバレありです。
がっつりやって下さい。ネタバレされたくてうずうずしてる私のためにw
ネタバレされたくない人は見ないように。
私はちょっといつ行けるかわからない状況です。


そしてこんな記事が。

http://neweva.blog103.fc2.com/blog-entry-1916.html

なんだってー!!

Hoffnungさん、ネタバレ&解説よろしくw
メンテ

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Re: ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q/カラー・GAINAX ( No.3 )
日時: 2012/11/18 13:07
名前: のの

さて『Q』の感想を書き記しておきますね。
まずこの設定ですが、早速いろいろああだこうだ述べられているとは思いますけども、ここにきていきなり旧劇場版後の舞台を整えるために色々やりましたよ、ということのようですね。
なので14年たった、というのはやはり97年に公開された新世紀エヴァンゲリオンというお話に決着をつけるための舞台ですよ、という設定になると思います。15年でないのは、世界の崩壊が震災のメタファーにもなっているので、ということなのでしょう。
『Q』の舞台は、おそらくここからが庵野さんが本当に書きたい言いたいところであるというのが14年たって、いいトシになった大人たちが必死でエヴァでエヴァを倒そうとする姿と同期するわけですのでミサトさんたち「時間の経った大人」が今回の作り手たちの目線と読み取れます。新キャラは新劇場版から製作に携わっている新顔なのでしょう。エヴァについて当時の熱を知らずにいられるので、主人公のシンジやエヴァ初号機に対する客観的視点が持ち込まれ、ミサトはエヴァを、シンジを「突き放したくても突き放せない」という意味では長年のファンの代弁者ということかもしれません。
ラストシーンにおいて赤い大地となった風景を歩く『Q』は旧劇場版から歩き出したという意味があるのでしょう。故に今回リアルタイムの、というかTV版のファンほど噴飯ものかもしれない。「5年かけてようやくここかい!」ということでね。
このようにして物語の舞台設定やキャラの意味付けなど、すべてがメタ的に読み取れるんですよね。シンジくんが「エヴァに乗れ(乗らなきゃ無価値)」「乗るな(乗ったら死ぬ)」の問答に押しつぶされそうになるのも間違いなく庵野監督自身の心境と立場を反映してるでしょうし、短絡的にエヴァ13号機(初号機=オリジナルと酷似しているが別のもの=大きくなってしまった新劇場版を取り巻く事態)に乗ったがために自分の世界が再びえらいこっちゃなことになってしまったり。それでも物語の最後、シンジは自分の足では歩けないけれども一番馴染みのある3人の歩く姿で終わるのは監督自身が信じているエヴァの力で97年と2011年を乗り越えたいという意味が込められているんだと思います。そういう意味では本当にファイナルこそが庵野さんの結論になるわけですから、楽しみですなということですね。

 ただし、今言ったようなことは色々譲歩と推測とをごっちゃにして述べているだけであって、実際の作品としての出来は正直言って低いと思います。
 まず絵が整理されていない。最初の宇宙空間での戦闘シーンからして目まぐるしいばっかりでよくわからないし、そもそも初号機があんな形で封印されるまでの経緯がわからないので強奪もクソもない。
 やはりこの14年間の空白というものが僕にとっては今回かなり癖者でして、いやそりゃメタ的な読みはいくらでもできるけれどもその14年間の物語が語られなさすぎな上に「本当に14年たったんだ」とシンジが思うに足るシーンが下手だと思うんですよ。老けたネルフの面々に驚くでもなし。ていうか「老けたな」と思わせるほど老けてないし。そのあたりは(比較するのも野暮とは思いつつ)細田監督の『おおかみこども』と比べるとあまりにも……。トウジのシャツが出てくるのも不自然の一語に尽きるし。『破』であれだけ引っ張ったマーク6の雑な扱いとかマーク9の説明のなさとかアダムスがなんちゃらとか。
あと戦艦が動いて使徒を倒すまでが、長い!あそこでもこれでもかというほどカメラをぐりぐり動かしてアニメ技術の高さを見せつけていましたけども、そういう技術の使いどころも「あーどうしてもヤマトやりたかったんだな」という以上の感想が湧かないし、14年間の間に出てきた使徒の数はどんだけ少ないんだよとか、それはそれはもうツッコミどころなんてものを指摘していったらあまりにもキリがないわけです。カヲル君も「○○だよ、碇シンジ君」の言い回し多すぎね。あと君が副座式に乗った瞬間「志村―、うしろうしろ!」の心境でしたよ。そのあとエントリープラグを抜くのもマリがやるってのも意味がわからないし、あれは演出面で言えばカヲル君は死ぬのをシンジに見せたいわけじゃないんだし、どうにかこうにかでもシンジのエントリープラグを排出させて、爆散した瞬間ぼしゅっと抜けるとかでいいではないですか。カヲル君側からのカメラとかもさあ、あれは誰主観のカメラなんだと。

ただまあ、お話しベタなのは15年前に経験してるのでね、耐性ついてるんですよね。特に97年劇場版リアルタイム組はね、まあエヴァでこういうどんがらがっしゃんな狂った展開になるのはもう知ってるし、しかも二次創作をどっっっっっぷりやってきた僕らからすれば3人目も副座式も大佐も13号機も新キャラもトウジの妹も知ってるわけじゃないですか、ヘンな話ですけど。
庵野監督は「エヴァでエヴァを超える」ために四苦八苦してるわけでそこに驚愕したり胸を打たれたりする方々も大勢いらっしゃると思うんですけど、それって俺たち10年以上やってるから!ってことなわけですよ。押井監督は著作で「庵野監督はエヴァ以降商業的成功がなくて、ヱヴァで再び評価された。それは素晴らしいことだけどヱヴァ以外での成功のハードルをより高くしてしまった」と仰っていて、いみじくも『Q』はそんな苦しんできた監督が今度は新劇場版のプレッシャーにも潰されそうになりながら歩き出したという、そんなお話しなのかなと。そういったプレッシャーは自業自得というか自己責任ですがこれだけの期待と重圧をそのまま形にしただけの映画が今後どんな位置づけになるのか、それもこれも全部最終作次第だとは思うのでした。マイケルで言うと『BAD』と『HIStory』の間の子みたいな位置づけになるような気はするけどね。
しかし、3年以上かけてこのまとまりのなさ。でもまあ、あのひとにまとまりなんて期待しちゃ駄目だけどこれだけは言えると思うのです。今回は「わからない」部分は「説明不足」なだけだと思います。歴史と監督としても性質さえわかっていればメタ構造の概ねは解体できますし。そしてこの説明不足を「してやったり」と作り手が思うのなら、それは作家としての資質というより欠点ではないかなと思ったのでした。以上です。

だからやっぱり「二次創作」なんだよね。「エヴァでエヴァを超える」ってさ、俺たちと同じだったってだけな気がするんだよ、作り手の意識の本質的なところは。だからPASTERKEATONさんがおっしゃるように驚きはないなあ……。

最後に。今回、絵が最後息切れでしたね。ていうか戦艦動かしすぎましたよね。あれ、やっぱり要らないと思う。初号機使っておきながらプロペラみたいなの動いてたし。てっきりワープするかと思うくらい、マクロスとヱクセリオンの匂いもしましたよん。
メンテ

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