[408] 幸せをつくろう/緒形ゆう
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- 日時: 2009/05/31 00:00
- 名前: tamb
【Date:】 26 Apr 2009 23:38:00 【From:】 "tamb" 【Subject:】 幸せをつくろう/緒形ゆう
この作品については様々な難しい問題があり(痛すぎるとかそういうことではなく)、各話で個別にスレを立てるのはとりあえずやめにして、このスレで全話を扱います。
さぁ一体どんな問題があるのか? それを類推しつつ作品はこちら。
http://tamb.cube-web.net/cont/ogatayu/ogatayu03_ind.htm
ちなみに、私の手元に既に最後まで来てますので、更新ペースは私次第(笑)。
【Date:】 26 Apr 2009 23:39:00 【From:】 "tamb" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
というわけで「1.しるし」ですが、 シンジ君、FF書いてます(笑)。 ポイントはやはり最後の部分でしょうか。
> ――もしかして碇君、思い出しはじめているの? > 気持ちよさそうに居眠りするシンジを前に、レイはそっとつぶやいた。喜びと悲し > みの入り混じったその瞳は、シンジが見慣れた彼女のそれとは少し違う色合いをして > いた。 > > その後、彼女の目の前にいる青年が“ここ”で目覚めることはなかった。
いやー痛そうですねー。どきどき(爆)。
【Date:】 27 Apr 2009 01:08:00 【From:】 "緒形ゆう" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
tamb様
いつも無茶な注文聞き入れていただき本当にありがとうございます。 この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
「1.しるし」を読んでこの掲示板へ来てしまった皆様
前回の反省を踏まえ、今回の作品は合わないだろう方には離れていただけるような伏線を 第一話で張っときました。この時点で嫌になった方は多分見ない方がいいと思います。
ただ、もちろんそれを目的に書いた作品ではなく、自分なりに考えがあって書いた作品で す。伝わるか伝わらないかは読者の方々次第ですが、汲み取っていただける余地はあるので はないかと思います。もし全力でぶつかっていただける方がいらっしゃいましたらとても嬉 しいです。
『アイのあいさつ』とはだいぶスタンスの違う作品で、途中で「?」となることが多いか もしれませんが、一応私は最終話公開までコメントをつけないつもりでいます。tambさんの すばらしいツッコミ待ちです(笑) それでは皆様、どうぞよろしくお願いします。
【Date:】 3 May 2009 22:17:00 【From:】 "tamb" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
「2.贖罪の彼方へ」を公開。ペース遅くてすいません。全て私のせいです。今後もっ と遅くなるかもです(爆)。
というわけで「2.贖罪の彼方へ」ですが、全く普通の良くできた逆行物に見えますな。 というより、そうとしか見えない。 前話「1.しるし」ではシンジは何も知らなかった。小説書いてるくらいだし(笑)。示 唆されるのはレイの「思い出しはじめているの?」くらいだけど、思い出して逆行した、 あるいは逆行したら思い出したんではこういうシンジにはならないわな。いったいどうな ってるんだ?
というわけで、周囲にはてなマークを飛び交わせながら続きを待て(笑)。
> すばらしいツッコミ待ちです(笑)
この展開でこの時点でどうツッコミを入れればいいのか小一時間(ry
【Date:】 5 May 2009 05:35:00 【From:】 "tamb" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
「3.紡がれる物語」を公開。
唐突に学園もの。で、何者かが小説を書いてる、と。 「1.しるし」でシンジ君が書いてた小説とは、やはり違うように思う。だってレイが 死んじゃうんだし。つか、「2.贖罪の彼方へ」での逆行ってのは何だったんだ? 逆行 しても結局助けられなかった物語を読んでるのか? どうなってるんだ?
というわけで、周囲にはてなマークを以下略。
しかしあれだな。各話毎にスレ立てないと、何人くらいの人が着いて来てるのか目安が ないな。うーむ。最初は各話毎にレスしないつもりだったからこうしたんだけど、結局こ うやって書くなら立てても良かったかな。でも私以外にレスつかないしな 。つか、 これほどレスの付けにくい話も珍しい(笑)。
【Date:】 6 May 2009 01:54:00 【From:】 "D・T" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
レスは付けにくいですが、これほど面白いFFは滅多にありません。 続きが非常に楽しみです。
アスカが、シンジの左頬をなでて御飯粒を取るシーンがすごく良いです。不気味だと感じました。 映画のラストシーンを、ここに持ってくる事に何かの意味がありそう。
> いつものようにアスカに起こされ、顔を洗い、食事をとり、登校する準備も万全。 > 鞄をもって部屋から玄関に向かった。 >「じゃあ、言ってくるから!」 > 台所で洗い物をする母に声をかける。
これは「じゃあ、行ってくるから!」でしょうか?
あるいは「じゃあ、(綾波に好きだと)言ってくるから!」という意味で……無いですね。これは冗談です。
【Date:】 6 May 2009 19:19:00 【From:】 "tamb" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
> これは「じゃあ、行ってくるから!」でしょうか? > > あるいは「じゃあ、(綾波に好きだと)言ってくるから!」という意味で……無いですね。これは冗談です。
やべ(爆)。あわてて修正。
【Date:】 9 May 2009 01:18:00 【From:】 "tamb" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
「4.こころ、つながる」を公開。
レイが死なない。 もはや今までの何話かと関連があるのかどうかを考えるのは困難。というか、何でもあ り状態と化しているのであった。 そろそろ各話毎にレスをつけるのが難しくなりつつある。それは――いや、書かないで おこう(笑)。
【Date:】 11 May 2009 01:41:00 【From:】 "tamb" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
「5.目覚めの時」および「6.歩んできた道、歩んでいく道」を公開。これにて完結。 これを投稿いただいたときの編集人の困惑がご理解いただけるのではないかと 。
「5.目覚めの時」ではレイが死ぬ。こういうのが私としては最もイタく感じる展開。 レイが納得してるのがこれまた辛い。例えばゲンレイとかだとイタいというより怒りを感 じるんだが、まぁそれはそれとして 。アスカの気づきやレイが“彼女”と表記され ている事に関してはこの際スルーだ(爆)。
そして「6.歩んできた道、歩んでいく道」。 5での彼女の「目を覚ますのよ」という呼びかけに応え、彼は目を覚ましたのだと思わ れる。
一体これはなんなのか? とりあえず用語が難解だ。一者ってなに?(爆) 行為者だの一者だの、ネットで軽く調べた程度では理解できるはずもなく、私は緒形氏 に、意味わかんねからちょっとまて、というメールを出したのであった(爆)。同時に、私 の「Shutdown」って読んだ事あるか、と聞いた。読んだことはなかったがコンセプトはほ ぼ同じ、という返信があった。
「Shutdown」は「新世紀ヤナイの巣」 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7018/index.html に投稿したもので、「企画」―「1000ヒット記念競作」の中にある。
「幸せをつくろう」に戻る。 wikipediaのプロティノスの項には、
「プラトンの『パルメニデス』に説かれた「一なるもの」(ト・ヘン to hen)を重視し、 語りえないものとして、これを神と同一視した。物(霊魂、物質)は無限の存在(善のイ デア)である「一者」(ト・ヘン)から流出したヌース(理性)の働きによるものである (流出説)。」
とある。これだけで理解できる人はいないと思われる(笑)。「幸せをつくろう」には
> ――じゃあ、今は僕が神様なの? > ――いいえ、この世界に絶対的な神は存在しないわ > ――でも > ――あなたはただの一者
という記述があるので、少なくともプロティノスの思想とは異なると思われる。 創造神と至高神がいて世界を創造した創造神は狂っているという思想があって(世の中 の矛盾は創造神が狂っている事に起因する)、それを導入してるのかなという気もするけ ど、外してるかもしれん。
前述のプロティノスの項には続けて「一者は有限の存在である万物とは別の存在で、一 者自身は流出によって何ら変化・増減することはない。あたかも太陽自身は変化せず、太 陽から出た光が周囲を照らすようなものである。」と書いてある。
要するにだ。例えて言うなら大地に残溜思念なるものがあって、それが碇シンジ(一者) の照らす光によって成長し生成された物語が1〜5までであったわけだ。たぶん。だがそ の光そのものにも「綾波レイに対する悔恨」なる残溜思念があって、それが生成された物 語にも影響を与えたわけだ。太陽の光が紫だったり赤外線のみだったりした場合の事を考 えていただければよろしいかと。 で、「綾波レイはリリスとしての魂の欠片を持っていたため、残溜思念に干渉し」、物 語同士をリンクさせる。そしてアスカ。「弐号機の魂となったことで肉体を宿したままこ の世界に存続する彼女に、真実を求める心は強く働き、彼女の体系的な残溜思念をも呼び 起こした」。そして「誰の残溜思念にも干渉されず、どんな記憶資源も伴わない、限りな くかつての碇シンジがいた世界に近い世界」に至った。
と、碇シンジは理解した(と私は理解した)。
そう理解したシンジの前には、綾波レイがいず、髪を切ったアスカがいるという、あえ て言えば甘美な世界が現れたわけだ。つまり、この世界もシミュラークルでないという保 証はどこにもない。もっと言えば、あらゆる世界(物語)はシミュラークルであって、真 実とか現実とかを考えるのは無意味であるとも思える。「幸せをつくろう」そのものがひ とつのシミュラークルであるという解釈が可能であるということだ(この作品のタイトル が「幸せをつくろう」であることがあまりに意味深である)。 そうなると「この世界」で幸せを求めることの無意味さに考えが至ることになり、ここ までくればある種の宗教に近い。だから私は、この世界がシミュラークルであるとないと に関わらず、真実とか現実、夢とかにも関係なく、精一杯生きればそれでいいのではない かと思っている。 そもそも二次創作なんてのは虚構に拠って立つ虚構であって、これほど現実離れしたも のはないわけだ。それでもその中の彼ら彼女らには懸命に生きて欲しいと思うし、不幸に なれば嘆いて幸せそうなら喜び、時には涙さえ流す。そんな毛布は捨てて現実に帰れ、と 監督みたいなことを言われればそれまでなんだが。
というようなことを考えたわけだが、大外ししている可能性が高いので(編集人の負う べきリスクだ)、作者の解説を切望するのであった。読者の数だけ答えがあるなんてのは 無しの方向でひとつお願いしたい。いやマジで。
シミュラークルとかリゾームモデルとかそういうのは、東浩紀なりボードリヤールなり、 ポストモダン思想を適当に調べてくださいませでございます。間違っても俺に聞くな(爆)。
【Date:】 11 May 2009 09:32:00 【From:】 "鯖" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
拝見しました。
この「界隈」に長くおりますと、「ああ、メタフィクション小説」と言うまあ俗に塗れた感触に陥ってしまいがちです(汗)先ずは失礼をば。
では、失礼を承知でこれを
「FFに関するメタフィクション」と捉えた場合、
「EOEに関してサブカルチャー界が無数に作り出した彼等の思想を補強する解釈」を自ずから連想してしまう結果となりました。
曰く、「庵野秀明のファン(ヲタク)に対する『真心』、即ち『現実回帰を促すメッセージ』」と言うものですね。以前ネットでみた、「カーク艦長の講演」(キャストとして人気の高い俳優ウィリアム・キャトナーが熱狂的ファン集会の場で「諸君は私が戯れにやった仕事で人生を無駄にした。まったくあれは只のテレビ番組に過ぎない。自分の人生を持て」と説く。実はアメリカ製バラエティ番組のワンシーンですが 苦笑)ですな。身も蓋も無く言ってしまえば(苦笑)
庵野氏の「まごころ」とは「創作作品を捨て街に出よ」と言う、いわば寺山修司の言葉のモダナイズだと。これは同時に、サブカルチャー関係者のヲタクと言う存在への「一種のパターナリズムを含んだ視線・解釈」をも意味していましたが。
そして、大抵「極めて解りやすい文脈の扱い」として、レイというキャラクターは「ヲタクの幻想への依存」のメタファーとして持ち出された訳です(苦笑)
正直な所、EOE自体を「創作者の自嘲」と言うテーマにおいて捉えていた小生はそれ自体には「なんだかな」と言う感想とともに「でも、解るよ。これ以上何も言うつもりはないですよ?」と言う苦笑い交じりの気持ちで見ていたものなのですが…
しかし。(すみません、続きます)
【Date:】 11 May 2009 09:52:00 【From:】 "鯖" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
続きです。そう、「黙っている気を無くす」事を色んな人々がいろんな所で「やってくれた」訳なのです(苦笑)>(その後の小生の「無頼を嵩に来た無法と無茶苦茶のブンゲイヒヒョウと称する喧嘩三昧」については、かつての総合を御覧になったりログを見られた方は良くご存知かと 苦笑)
エヴァ解釈ブームなるものにのったサブカル業界の、「ヲタクに対する根深いパターナリズムの発露」、そして、其れに対するFF関係の「狂乱?」的反応とも申しましょうか…
ま、正直な所「…おまいら良い加減にしろよ」(乱暴な言い方ですみません)と言う所だったのです。
一つには、そうした論壇の「脱オタクの為のパターナリズム」=「君達が現実社会で幸せになれるようにコミュニケーションを教えてあげる」と言う、近年では「電車男」をヲタクは無邪気に持て囃していて良いのか?と言う様な意味での彼等の姿勢に「又か…と言うか好い加減にしてくれ」と言う感想を持ったこと、もう一つは、一部ファンが、これは小生の穿った解釈ではありますが、EOEにおいて残された方、即ちアスカと言うキャラクターを、言論人等の言う「現実社会でのコミュニケーションのメタファ」と言う意味ではなく、「こっちなら良いんだろう」「こっちなら癒してもらっても文句無いんだろう」に近い?反応を示した様に見えた事…ですね(苦笑)
更に続きます(すみません 汗)
【Date:】 11 May 2009 10:14:00 【From:】 "鯖" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
その後の「色々」は余りに「生臭く又このうえなく無意味」であったので割愛させて頂きます(苦笑)
そしてどうこうしている内に、世間や「論壇」も多くのファンもエヴァ自体に飽きてしまった訳なので…が、未だに思う事もある訳なのです。
ヲタク的なライフスタイル、人生観と一口に言っても千差万別ですが、それは別に「サブカルチャー関係の人々や戦後日本の言論人が考えるような『理想の人間形成』や『ニンゲンとしての幸せの形』」を押し付けられる謂れのあるものじゃないだろう、と。確かに多くは「稚拙だし未熟」なのかもしれないけれど、それを彼等の頭の中の「教育論・発達論」に従った近代社会とか民主主義社会とかにおける「理想的な人間像・愛情に満たされた幸福な人間像」に沿わせる為に一々「教育」されなきゃならんようなものでは無い筈だ、と。
答えは「ヲタク自身が模索して見つけるもので、彼等に上から言われる筋合いのもの」じゃない。ワレワレが欲しいのは社会からのお仕着せの幸福じゃない。自由なんだ!
…などというと「余りに大仰」ですけれども(笑)
【Date:】 11 May 2009 10:57:00 【From:】 "鯖" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
FFと言うものはすべからく「私小説」であると小生などは思っています。必然的に自己言及となり、それをいかに「技巧だ市場だ」と言おうとも、所詮は書き手自身の精神やそれを「構築する何か」の表現型であると。
「個体が造りあげたものもまた、その個体同様に遺伝子の表現型である」(リチャード・ドーキンス)
と言うのと近いレベルで(笑)蜘蛛が己の居場所であり、又生きる術である「巣」を自ずから作り上げるのと同じ次元で人間は自分の精神を表現し、必要な哲学をなんとか形作ろうと「物語」を紡ぎます。
たかがFF、なれども同時にそれはその人間が「必要とする何か・求める何か」の表現であり指針であります。手慰みと侮る無かれ、です(笑)
ボードリヤールやデリダの「ポストモダン」は結局はモダニズムと言う母体の上で鏡にそれを映す中から明日を見出そうとして失敗した行為、であると小生などは愚行してしまう訳なのですが、真に「ポストモダン」と言うものが存在するとすれば、それは思想家の脳内ではなく、市井の人々の暮す現実社会の中からたち現れて「モダン」を侵食し、やがて粉々に破壊する「力」をもったものではないかとも思うわけです。(東さん?あの方はおいときましょう 苦笑 なんかどんどんズレて行ってますから)
言論人のパターナリズムとは結局、「彼等の基盤であるモダンを防衛する為の細工」ではないかと思う時があります。彼等の「望む方向」、モダニズムを存続させ、彼等のイデオロギーを(恐らく本気で、良かれと無邪気におもって)形にする為に「父権者は『子供』によりよい未来を『強要する』」。
(結果として、既存のポストモダンも又「ぐるりと一周してモダニズムに回帰してしまう。EOE解釈しかり、です。しかし…)
しかし、垣間見た「それ」は本当に「父権者」等、リベラル面した「言論人」やそのフォロワー達が主張するような「繰返されるシュミレーションの中で見た只の夢」だったのか?
否。「押し付けられた未来」は要らない…その僅かな「断片」を追って、我等は「父」と決別し不毛の地を目指し旅に出るのだ。例えそれが際限なき「悪夢の連鎖」であったとしてもその先にある「精神が求めるもの」の真の姿を目指して。生ぬるく「幸福に生きる」より「渇望しつづけながら流離う」事のなんと甘美な事よ!
…とまあ、この辺りは電波ですからお聞き長し下さい(笑)
何の事は無い、其処にパターナリズムを見てしまえばこそ「咆える」のです。俺に生ぬるい頸木を掛けるな、俺をモダンに繋ごうとするな、と。「思想的対立」と言ったら大袈裟ですけれども(笑)
飽く迄「メタフィクション小説」としてみてしまった場合の「意味不明の感想」です。緒形様のお考えは全く違ったものであるのだろうと思いつつ、つらつらとタワゴトを並べてみました。
乱文を通り越したカオス状態では御座いますが、なにとぞご容赦の程(汗)
では。ありがとう御座いました。
【Date:】 12 May 2009 02:35:00 【From:】 "緒形ゆう" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
まずは『幸せをつくろう』を最後まで見ていただいた読者の方々に感謝の意を申し上げた いと思います。お付き合いいただきありがとうございました。 tamb様
最後まで面倒おかけした編集人のtambさんにも改めて御礼を申し上げます。たぶん「駄作」 と罵られても言い返せないような今作を掲載していただき本当にありがとうございます。 (もちろん私としては精一杯作ったつもりです)
tambさんの指令(?)に基づき、『幸せをつくろう』に関していくつか創作の経緯などを 述べますが、大前提として「シンジやレイが出した結論は、必ずしも筆者の哲学・思想その 他と直接結びついているわけではない」を設定した上で話を進めますので、ご了承のくださ い。もちろんいわゆるポストモダン思想を迎合する気も、神秘主義や新プラトン主義など、 もしくは近代社会を批判する気はさらさらありません。
もともとの今作の書こうと思ったきっかけは「サードインパクト(もしくは人類補完計画) を二次創作の手法を使って表現するとどうなるだろう」というものでした。本編25・26 話や旧劇場版でもそれとなく描写されていますが、人類(読者)補完にもっともむいている のはエヴァFFなんじゃね?と思ったので、書き始めてみたわけです。ですので綾波レイが 消えてしまうのも、最後にシンジとアスカが残るのもそれほど深い意味はありません。EO Eにあわせた、いわゆる本編系の結末に仕立て上げたかったからです。 プロローグとしてEOEをFF化する案もあったにはあったのですが、それだとびっくり 感がないと思いやめました。それと2話と4話を見ていただくとわかるかもしれませんが、 多分わたしは本編系を書く能力が乏しいです(笑)また、1〜5をもっとFFぽっく戯画的 にできたら、もとメタフィクション感が出たかもしれませんができませんでした。 そして、二次創作を生み出す「環境」を支える論理的支柱としていわゆるポストモダン思 想(特にリオタールやボードリヤールをミックスした東氏の論理)を散りばめてみました。 グノーシスやらなんやらを衒学的に散りばめられた本編へのオマージュ(?)でもあります。 ですので一つ一つの固有名詞そのものに深い意味をもたせているわけではありません。一応 文章内で完結した意味で受け取れるようになっている……はずです。できなかったら私の文 章力が不足しているということでしょう。
「と、碇シンジは理解した(と私は理解した)」までのtambさんの理解はとてもわかりや すく、筆者が求めていたところでもあります。ドゥルーズとかデリダの話しに詳しい人であ れば、もう少し見方も変わるかもしれません。これは文章内での私の勝手な使い方ですが、 リゾームという概念をハイパーリンクと関連させています(リリスとしてのレイの能力)。 ひたすらシミュラークル(物語)が生み出される「環境」をインターネットと比較して表現 したかったからです。そしてその「補完行動」を差延という概念(反復による差異の延長化) をエヴァという物語を飽きないためにアプローチを変えて補完し続けることと関連させまし た。たぶん正当な用語の使い方としては間違っていると思いますが、表面的には何とかなる ようにしてあるはずだし、事実tambさんには届きました。たぶん。
その先のtambさんの解釈は筆者の想定を上回るものですが、とても興味深いです。それも ありか!と思いました。さらにメタフィクションっぽくなりますね。私は「読者の数だけ答 えがあるなんて」思っていませんが、作品の強度は読者の読み(解釈)によって高められる ものだと思っています。エヴァという「現象」を体験した方ならご理解いただけると思いま す(思想的に言及されるのであればロラン・バルトのテキスト論などを参照するといいかも しれません)。ですので筆者の想定を超えていても、それが整合性と説得力、生産性(次の 作品につながる)をもっているのであれば誰も文句を言う権利はないと思っています。
1〜5は結局のところ短編集のように見えてしまうかもしれませんが、筆者としては「最 後の最後までは一貫した物語としても把握できる」ものとして努力したつもりではあります。 例えば……
逆行したシンジは苦戦しつつもすべての使徒とエヴァシリーズを倒し平和な世界を手に入 れた。しかし試練が終わると同時にそれまでの記憶を全て失ってしまい、偽装された世界で 高校・大学を過ごした。その記憶を「小説」という形で取り戻す!
みたいな終わらせ方も、すごーーーく無理やりつなげればできるように配置したつもりで す(もちろん表現を変えなければいけない部分、付け加えなければいけない部分がいくつか 出てきますが)1で3過去に遡り、2で4で順当に時間が経過し、5はその交差点です。目 を覚ました瞬間を1に戻してしまえば、もしかしたら何とかなったかもしれません。ただ、 さすがにこの深読みを期待していたわけではありません(そう辿ると面白いとは思います)。 それよりも、「いかにもなFFだな」と思わせることに尽力しました。
ここでやっとタイトルに入れます(笑)tambさんにありがたいツッコミをいただけたので いろいろ言ってみます。『幸せをつくろう』第一印象で皆様はどう変換したのでしょうか? 『幸せをつくろう<作ろう/繕う>』には、一者になって「幸せ」を作り続けるシンジと、 それに付き合って「幸せ」を繕うレイの物語という想いが込められています。もちろん「綾 波レイの幸せ」というサイト名に触発されたタイトルだということは言うまでもありません。 結局彼らにとっての幸せが何なのか、私はいろいろ考えました。考えましたがそれはつま るところ「自分ならまぁこれくらいなら幸せかな」という主観に基づくものにしかなりませ んでした。例えば前作『アイのあいさつ』はイタモノだという評価も受けましたが、私はあ のシンジは結構幸せだと思っています。自分があの立場なら、好きな人に協力できて友だち になれて、チェロも上手くて万々歳といった感じです。さすがに今作の5のように若くして 死んいくレイが彼女の言うとおり幸せかどうかは、断定はできないと思います。ただ、たぶ ん世の中には若くして死んでいっても最後には人生幸せだったと思える人もいると思うし、 それを綾波レイと重ね合わせて考えたときに、私はあまり違和感がありませんでした。だか ら、最後まで出自に翻弄されるレイが、それでも幸せに生きるとしたら、その物語に説得力 を持たせるとしたら、どうすればいいか考えました。その問答の中で必死に足掻いたのが1 〜4のシンジ君だと私は思っています(いつも最後は二人でしたね)。もちろん、幸せには たくさんの形があると思うし、彼らをもっともっと幸せにすることを否定するつもりは毛頭 ありません。 タイトルの由来を聞いて、皮肉に感じて気分を害した方がいらっしゃるかもしれませんが、 少なくとも「幸せを作る」ことに私はネガティブな意見を持っているわけではありません。 それは結局「幸せについて考えてみる」ことと密接に関わっていると思うし、その一形態と して二次創作があるのだと思います。それを真剣に取り組むことは、人生と向き合うことだ とも思います。
また説教くさい長い話になってしまいました……すいません。 細かいとこ(アスカの気づきとか“彼女”という表現とか)について解説するとたぶん限 りなく長くなってしまいますので、聞かれたら答えます(爆)とりあえず『幸せをつくろう』 についてのあとがきは以上です。
鯖様
最後までお読みいただきありがとうございました。 さらには真剣なご感想(ご意見)ありがとうございます。作者冥利に尽きるところです。
tambさんに宛てた返信をご覧いただければ、これから私が申し上げることの大部分は予想 がつくかとは思いますが、鯖さんの本気に私も本気で返させていただきたいと思います。
>「FFに関するメタフィクション」と捉えた場合
全く問題ないです。多分にそういった側面を含んでいますので。tambさんの「Shutdown」 ほど意図的ではありませんが、そこはなんとか表現できたと思います、というかここでつま ずかれた読者がいたとしたら私は海より深く反省しなくてはなりません。
>「EOEに関してサブカルチャー界が無数に作り出した彼等の思想を補強する解釈」を自 ずから連想
上記してありますが、『幸せをつくろう』は主に旧劇場版(のとくにサードインパクト) に乗っ取った形で構成しました。ですのでEOEの解釈と被るのはたぶん必然だし、それが できたら成功だし、それを連想できる鯖さんはとてもエヴァ界に精通していらっしゃるのだ とおもいます。 残念ながら私はいわゆる「エヴァ本」はまともに読んでいませんし、エヴァに対する「ヲ タクの発言」はほとんど知りません。ですのでその辺のことに関してはろくに発言できませ ん。ごめんなさい。
>正直な所、EOE自体を「創作者の自嘲」と言うテーマにおいて捉えていた小生は
ずいぶん前なのでうる覚えですが、確か私は本編26話で学園エヴァと、それに続く「真 実は人の頭の数だけある」「おめでとう」には、直観的に新興宗教とか悪徳商法を連想して しまい、恐怖を覚えました。彼らの最後の笑顔はゼルエルを食らう初号機より怖かったです。 「現実逃避」の四文字が頭に浮かびました。 一転して旧劇場版では「現実にもどれ」見たいなことを言われたと感じたので「極端だな ぁ」と思いました。それでもサードインパクトの映像と音楽にはある種の「感動」を覚えま したが…… 私の中でのこの2つのねじれも、『幸せをつくろう』に少し関わってきますが、後述する ことにします。
>「ヲタク自身が模索して見つけるもので、彼等に上から言われる筋合いのもの」じゃない。 ワレワレが欲しいのは社会からのお仕着せの幸福じゃない。自由なんだ!
これを1〜4(5でもちょろっと)で頑張ったシンジくんを通して描こうとしました(自 由ではないですが)。私が彼ら(6人のシンジたち)を結局戯画的に描かなかったのには、 そういった経緯もあります。また、大きな物語の失効も、リオタールを借りてですがそれを 象徴したつもりです。6人のシンジたちを統一的に回収する幸福は存在しません。
>真に「ポストモダン」と言うものが存在するとすれば、それは思想家の脳内ではなく、市 井の人々の暮す現実社会の中からたち現れて「モダン」を侵食し、やがて粉々に破壊する「 力」をもったものではないかとも思うわけです
確かに事実の一側面だと思います。しかし私はその「事実」に必ずしも楽観的ではないの で、ここでは意見としては保留します。 ただニュートラルな視点で捉えたとき私自身は「市井の人々の暮す現実社会の中」にはパ ソコンの前に座ってエヴァFFを作ってみたり、読んでみたりする「現実」も含まれると考 えていて、その「環境」を描写しようする試みを『幸せをつくろう』に含ませたつもりです。
>生ぬるく「幸福に生きる」より「渇望しつづけながら流離う」事のなんと甘美な事よ!
カッコイイです(涙)ただ、私自身の考えでは油断していると「父」はすぐに追いかけて きます。上記の「生き様」を掲げ、賛同者を求めた瞬間、父は現れます。シンジはいつだっ てゲンドウになる可能性をはらんでいます。私はそのことにたいしていつも慎重でありたい と考えています。
>何の事は無い、其処にパターナリズムを見てしまえばこそ「咆える」のです
一応もう一度書きますが、「パターナリズムを見てしまえ」たら、このFFはある一点で は成功だと思っています。ただそれだけでもないので後ろにもう少しつらつら書きます。
>緒形様のお考えは全く違ったものであるのだろうと思いつつ
そうですね。EOEの庵野監督のメッセージには賛同していません。もちろん新劇場版を やっている今は違うと思いますが……感情論でいえば私はむしろ鯖さんに限りなく近いと思 います。ただ、立ち位置はもう少し曖昧です。
後述するやら後で書くやらのことを書きます。 ここまで読むと結局のところ『幸せをつくろう』では「最終的なメッセージはEOEにあ わせたが、本質としては二次創作万歳!」みたいになると思います。わかりにくいと思いま すのでもう少し整理します。 レイはシンジに「目を覚ませ」と言い、シンジはレイと決別することを決断しました。こ こはEOE的です(EOEではレイは何も言いませんが)しかし、そのレイの発言のバック にはシミュラークル(物語→FF)で「真実」を見つけよう、レイ(や周りの人)を守ろう と頑張った、物語で生まれたシンジの物語を越えた意志があります。つまり物語(FF)が シンジ、さらにはレイを動かす原動力になったということです。その意志も簡単にあったわ けではありません。一応、それぞれのシンジは試練というか厳しい状況と言うか、そういう ものを乗り越えて意志を貫き、ハッピーエンドを迎えました。途中経過で頑張ったわけです。 つまり二次創作万歳です。 ただ、そう簡単には考えられません。というか『幸せをつくろう』を読んで素直にそう考 えてくれる方はいないと思います。先に本編と旧劇場版の2つにねじれが感じられたと書き ました。結局「虚構」はあっていいのか?「現実」に帰るべきなのか? 『幸せをつくろう』では「虚構は現実に作用する力がある」ということを描こうと思いま した。二次創作でも、こころから感動し、価値観を広げ、生き方を見つめられるほどの強度 をもった小説に出会えたとしたら、それは十分に「現実力」を持っています。また、現実の 生活が創作に作用することもあると思います。ただ、だぶんそれほどの作品はかなり稀です。 『幸せをつくろう』のとりわけ2〜4はわりと典型的なFFです。困難を「設定」しまし たが、どれもとても安直です。ただ、それでもシンジの悩みはできるだけ力を入れて描写し たつもりです。6でレイ(リリス?)は「――そして運動の果てに、強度の弱まったシミュ ラークル、小さな物語のなかで、真実を求める心が萌芽した」と言います。二次創作を通し てみれば、ジャンル別けされ、安易なエンドが用意されている補完運動に強度はない、みた いな意味です(エヴァ熱が冷めFF界から人がいなくなっていくことの象徴でもあります)。 そんな世界からおさらばしようともがくシンジ君を描きたかったわけです。 「――悔恨と悲嘆を打ち消すほどの強い想いがないと、一者は甘美な世界で眠り続けてい るから」「――「綾波レイ」「惣流アスカラングレー」「葛城ミサト」という記号を、悲嘆 や悔恨を和らげるために繰り返される運動」2つともレイ(リリス?)の言葉です。ここま で読んでいただいた方にはご理解いただけるのではないと思いますが、別にこの言葉はFF そのものを否定しているわけではありません。差延する補完運動に取り込まれると、いつま でも甘美で安易な世界に安住することになる、という「事実」の一側面を述べただけです。 その生き方をリリスは肯定も否定もしません。イラっときた方は要注意です(笑)ただ、シ ンジはEOEの通り他の生き方を選択します。 つまり、結局は「現実を生きるにしろ虚構を見据えるにしろ、本気で生きること」を、な がーーーい補完計画(いくつものシミュラークル)を通してシンジは身につけたわけです。 なので「どうやら、僕にできることはまだまだいっぱいあるようだ。」ということです。
ここまで言うとさすがに野暮ですね(笑)本当は単純に二次創作を読むことでサードイン パクトを疑似体験していただきたかったのですが、そんな芸当がなしえたとは思っていませ ん。なのでやっぱり「駄作」になってしまうのでしょう。新しい解釈があるといいな……
本当に長くなりました。ごめんなさい。 刺激的なお二方のご感想(ご意見)には本当に感謝しております。 またここまで長い解説を読んでいただいた方にも感謝申し上げます。 ありがとうございました。
【Date:】 12 May 2009 09:26:00 【From:】 "鯖" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
緒形様
いや、あんな電波だけて構成されている様な「感想」に真摯なレスを頂き、此方こそ恐縮です。
>ポストモダン
「保留」しておられる所に勝手に色々述べさせて頂くと言うのは非常に申し訳ないことだと恐縮しつつ、これは割合、小生にとってはFFに触れる上でネックになっている部分でもありますので私的な見解を少しだけ(汗)
正直に申しますと、小生は所謂モダニズムと言う奴に「絶望と怒り」と言うものを只管感じる類の輩なのです(苦笑)元々の性分と言えばそうですが、近年ますますその傾向がはっきりしてきております。
「ヒューマニズムと称して人間至上のエゴを正当化し、テメエの足元の環境すら切り崩した挙句、未だに本質的反省もない。開発論や動物虐待等に対するこの無反省ぶりはどうだ。人間の英知と謳いつつ、その厚顔無恥と馬鹿さ加減はどうしたことだ。頭でっかちに脳の思考に固執し、感覚で感じえる一片の真実を錯覚・妄想と捨象すむ無神経こそ救いがたい」「民主主義だ、市民社会だと唱えながらその企画に合わぬ人々を時に野蛮と切り捨て、その怒りも訴えも無いものの如く軽視・無視して居心地の良い自分達の社会に籠もり、自分達の秩序と理想の維持の為には人命や生活ごと踏みにじってもやむなしと言う顔をして恥もせぬ」…「調子に乗ってるんじゃねぇぞテメエら」と言う感じ、になってしまうわけです(苦笑)
故に、過去の「ポストモダン」論に関して言えば「生ぬるい空論」以外の感想を持ち得ない類の人間でもあるわけです。ソーカル先生のご意見とは多分全く違う動機とは言え、アメリカ人でありながら自らサンディニスタ政権下のニカラグアに足を運んでラテンアメリカの改革を荷う若者の為に教鞭を取ったりしたアラン・ソーカルであるからこそ「ポストモダンの言葉遊び」に対する激しい苛立ちもあったのではないか?とつい妄想してしまう訳です(苦笑)>御存知と思いつつ、なんじゃそら?と思われたら「ソーカル事件」をご参照下さい。
故に…ある意味「モダニズム回帰」と言う意味でもあるであろうEOE解釈・結論に関しては「唾棄する」以外の反応が自分からは出てこない訳です(苦笑)
97年当時の「現実回帰」論は同時に、例えば宮台真司の「終わりなき日常を生きろ」と言う様な言説に直リンしていたように思います。しかし、彼等の言う「尾張なき日常」とは何か?
確かに「大きな物語」=「歴史」は死んだのかもしれない。それを宮台が言い、別の台詞でフランシス・フクヤマが言った。モダニズムの「千年王国」にわれわれは生きていのだ。終末など、主の怒りの日など来ない…結構。
だが、「其処から取りこぼされた者達」はどうする。彼等は永久に「いない事」「いなかった事」にされて只の人柱として我々の「終わり無き日常」とやらを支え続けるというのか?
もうお解りかもしれませんが、この構造が小生の脳内で「妙な回路」に結びついてしまった訳です。偶然にも。EOEと其の後の「レイの居ない幸福な日常を生きる者達」とはすなわち、「規格に合わぬ存在を切り捨ててモダニズムに引籠もってみてみぬふりをする我々の日常そのものだ」と(苦笑)
無論、暴論を通り越して妄想な訳なんですが(苦笑)一ヲタクとしての趣味と、一人間としての社会への視線を「重ね合わせて表現しよう」などと言うのは…
自分は、その「日常」には生きない。その外側にこぼれたものを「探しに行く」と。
続くか続かないか解りません<申し訳ありません(汗)
【Date:】 12 May 2009 20:58:00 【From:】 "緒形ゆう" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
鯖様
議論を広大な場まで移していただきありがとうございます。 私は作品を思想的な観点で解説するつもりはないし、そういう意図で作ったわけでもない し、そういう創作姿勢にはある種「傲慢さ」も含まれるように感じるので、ここでの鯖さん に応対する形での発言は控えます。「ソーカル事件」に関しても私個人としては重層的な意 味合いを読み取っているので言いたいことはたくさんありますが、収拾がつかなくなるので やめておきます。というかたぶんここでは無意味です。
ですので、鯖さんのコメントを読んで素直に感じた感想だけいくつか申し上げさせていた だきたいと思います。 >だが、「其処から取りこぼされた者達」はどうする >自分は、その「日常」には生きない。その外側にこぼれたものを「探しに行く」と
直感的に思ったのは、その発想は脱構築の概念を通して、延々と形而上学批判を繰り広げ たデリダの思想に近いと思いました。前期での理論基盤をもとに後期には政治活動にまで積 極的に参加(アルジェリアやチェコやイスラエル/パレスチナ問題)した彼が、零れ落ちる もの→亡霊、もしくは古名としてのエクリチュールという「概念」に拘り続けたことを連想 させます。最後まで西洋中心主義(今でもはびこっているもの)批判を貫きましたね(ちな みにウィキペディアとかだと概念以外はろくに解説されていないのでご注意を)なぜか彼は ポストモダニストに「祀り上げ」られました。
>一ヲタクとしての趣味と、一人間としての社会への視線を「重ね合わせて表現しよう」
東浩紀が本まで出して実践しましたね。彼の最初の出版物の『存在論的、郵便的』が哲学 システムから逃れようとしたデリダを追った文章であることとつながるのかもしれません。 一応追記しますが私はデリダが好きなわけではありません。
この手エヴァ批判は宮台→宇野ラインに関係するのかもしれませんが、興味はないので言 及はしません。
もちろん以上のことは『幸せをつくろう』とは無関係です。しかし『幸せをつくろう』が 直エヴァ(解釈)批判と結びつくほど強度をもち、読者を触発する磁力を持っている小説だ というなら、私としては嬉しい限りです(それを意図したわけでありませんが)。ですので 筆者としての責任があると感じた部分に関してのみ感想を申し上げました。
つまらない文章に付き合っていただいただき、ありがとうございました。
【Date:】 12 May 2009 23:49:00 【From:】 "鯖" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
緒形様
実に「とっつき難い」レスばかり書かせていただいて、「これはかなり御迷惑だろうな」と反省しつつ、つい楽しくて筆が滑ります(汗)
実際、久しぶりにFF関連の論に熱中出来、これにいかな感謝の言葉を申し上げたものかと悩む次第です(汗)
続くかどうか、と申しつつも矢張り御作及び「後書き」を拝読して色々と考えた事を、我が腑に落ちるまで後少し書かせていただこうかと思います。ご容赦の程(汗)
>広大な場まで移し
いえ、大風呂敷の方で勝手に広がってしまったまでの事でして、小生はあくまで無学文盲の徒、恐らく御専門としておられたのではないかと拝察する緒形様に申し上げるには汗顔の至りではありますが、矢張り下手の横好きと言う奴でして(苦笑)
途中まで書いて「此の侭やっててえーのんか?」と言う感覚に陥った前段ですが、別段「思想」と言う様な大仰な話ではなく別の語で「語る」事もできる物を単に場のノリで好い加減に書いてしまったものに過ぎなかったりします(汗)
>デリダ
更に厚顔無恥を重ねる振る舞いになってしまいますが、小生の思うにデリダの誠実さはしかしながら、彼のみに留まらず「西洋中心主義批判に至る西欧知識人」の陥りがちなオクシデンタリズム(サイードが語るオリエンタリズム、と言う意味に対応させる形で)の縛りを抜け出す事は極めて難しい、と言う事を想起させます。即ち、
「モダンを批判する貴方自身の拠って立つ基盤は何か?」と言う問いにどう答えるか、と言う問題ですね。西欧の左派知識人等が批判した帝国主義に抗するその「現場」でのモチベーションも又、既に「社会主義や近代民族主義」と言ったモダニズム由来のものは悉く壁に当って消えつつあり、より「土に根ざした」それに取って代わられつつあります。
只、デリダの垂直性批判とかリゾームの概念と言う物は、ある意味我々は現在それを現実に目の当たりにしているのかもしれないなあと言う感慨は屡感じますね(苦笑)思想と言うより経済や政治、或いは安全保障と言うより「生臭い」分野で(どちらかと言うと小生の領域はそちらに近い様ですので 苦笑)。
宇野常寛氏は…面白いと言えば面白いんですが、まあ結局は(苦笑)そう言う次元のみの問題でああだこうだ語っていてもしゃーないやん、と言う感じかもしれません(苦笑)
>筆者としての責任があると感じた部分
いえ、飽く迄小生が自由連想的に「思いついたこと、感じた事」をつらつらと書き連ねただけですので(汗)むしろ、これは
「エヴァをサブカルチャーとしてこねくり回していた90年代ブンカジン等の言説の我田引水(及び一部それにのっかったヲタク関連の香具師連中)と、彼等の生ぬるいリベラリズムに感じた偽善性」
への批判的感覚を、その構造を「掘り起こされた」御作に喚起されて再び、十年以上たった今再整理していると言う事なのだと思います。
多分続きます(汗)
【Date:】 13 May 2009 00:26:00 【From:】 "鯖" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
幾らなんでもそろそろ纏めと言うか「オチてない」にしろ何とか落さねば、と言う事で(汗)
>「現実逃避」と「ねじれ」
正直な所、当初の「おめでとう」には??? 、と言うか「投げて逃げたな…」と言う感想しか持ちえませんでしたね(苦笑)「あまりにも時間が無い」って…
過度に観念的な「モダンアート」「カウンターカルチャー」は何だかお洒落と持て囃されるかもしれないが、所詮「美術は感覚で感動するもの」であって無理に「理屈」で解釈するもんじゃない…便器一個おいて「芸術」と言われても、既存芸術を「破壊する」以上の意味は「全く無いよ」というか「それが持て囃される事に慣れた時代にそれほど無価値なものはないよ?」と思う訳で(苦笑)
…というような「ウケ狙い」以前に「逃げたな?」と(苦笑)まあそれはそれで良かったのですけれども。途中で放棄されたものであればこそ「それで我々アマチュアがもっと遊ぶ余地も出来た」訳ですから。
で、「気持ち悪い」(笑)
前述の如く苦笑しました。首締めとあの台詞で「見事に落した!」と苦笑いしつつ内心拍手しました。あれはあの「オチ」でなければ「落ちなかった」。作り手の半無きの笑いを垣間見たような気がして「苦々しくもほろ苦く味のある」落とし方だ…と。
「現実回帰」?…とんでもない。彼は言いたかったんですよ。「馬鹿野郎、お前等なんか死しんじまえ!」と(笑)「現実回帰」なんて結局「キモオタの癖に!」と言う「難癖」の為の口実に過ぎない。そして最後にそれを「認めつつ、自嘲し」幕を下ろした。それに思わず苦笑しながら喝采したんです(苦笑)
それを…なんでそれを「余計なお世話」的に「再生と現実回帰の物語」として読み解きたがるかな?と。お前等「機微」ってものがわかってない、解ってないよ。脳味噌薔薇色の妄想ちゃんは庵野でもヲタクでもなくてオマエラだろ?と。あれだけ一生懸命糞なげて裸踊りまでして「落した」ものをどうしてそっとしておいてやらないんだ!と(苦笑)
そんな感想を持ってましたね(笑)当時は。
その「押し付けがましい善意とお節介」を単にあきれるだけじゃなく、徐々に、猛烈にうっとおしく感じ始めたのはそれから少し後の事ですが…
あ、終わってない(汗)
【Date:】 13 May 2009 04:58:00 【From:】 "緒形ゆう" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
鯖様
まさかデュシャンまで出てくるとは思いませんでした(笑)
一つだけ私が勘違いしている可能性があったので、それだけ補強します。
>「現実回帰」?…とんでもない。彼は言いたかったんですよ。「馬鹿野郎、お前等なんか死 しんじまえ!」と >それを…なんでそれを「余計なお世話」的に「再生と現実回帰の物語」として読み解きた がるかな
鯖さん自身のEOE解釈を私は理解していなかったことに気づきました。この文章を見て 一連の鯖さんの発言の方向性がやっと明瞭に見えました。遅くてすいません。 とすると私の「あとがき」もいくつか付け加えるべき点があるかもしれません。上記した 通り私は「エヴァ本」や、プロアマ問わず誰かのエヴァに関する発言には疎いので、『幸せ をつくろう』のEOE解釈は全く私の独断によったものになっています。「旧劇場版では 「現実にもどれ」見たいなことを言われたと感じた」などと軽々しく発言してしまいました が、その経緯を述べないのは鯖さんに対して失礼に当たると感じたので、以下記します。だ た、恐らくこの解釈は鯖さんのおっしゃる「押し付けがましい善意とお節介」に近いものに なる可能性がありますが、ここを説明しない限りそもそも『幸せをつくろう』という作品自 体が成り立たなくなるのでご容赦ください。
EOEで最終的にシンジがとった行動を象徴したセリフとして私が理解しているのは以下 のものです。
幸せがどこにあるのか……まだわからない。 だけど……ここにいて、生まれてきてどうだったかはこれからも考え続ける。 だけど、それも当たり前の事に何度も気づくだけなんだ。 自分が自分でいるために。 このセリフを機にユイ(海、初号機)と決別するからです。でも、これだけでは現実回帰 とはなんら関係ありません。これよりもう少し前に以下の問答があります。
カヲル「再びATフィールドが、君や他人を傷つけてもいいのかい?」 シンジ「――かまわない。でも、僕の心の中にいる君達は、何?」 レイ「――希望なのよ。ヒトは互いに分かり合えるかも知れない、と言うことの」 カヲル「好きだという言葉と共にね」 シンジ「だけどそれは見せかけなんだ。自分勝手な思い込みなんだ。祈りみたいなものなん だ。ずっと続くはずないんだ。いつかは裏切られるんだ。ぼくを捨てるんだ――でもぼくは もう一度会いたいと思った。その時の気持ちは本当だと、思うから」
この後リリスを初号機で崩壊させ、補完を終わらせ、上記の決別に続くわけですが、とに かく「裏切られることを覚悟で他人を求める」行動を起こすわけですね。つまり自己の想定 内で完結しない「他者」を認めるわけです(たぶんここで精神分析やら倫理学やらを持ち出 ばそれっぽくなるのでしょう)表面的に見ればここは「現実」と向き合うことと考えて問題 ないだろうし、私自身そう解釈しました。 ただここで終わらないのがいいところ(?)で最終的には「僕(=シンジ)の心の中にい る君達(=レイ、カヲル)」という「希望」ではない「アスカ」を最後に登場させるわけで す。そしてシンジは暴力によって、アスカは言葉によって互いを傷つけます。つまり「見せ かけ、思い込み、祈る、続かない、裏切り、捨てる」行為を最後の最後で表現したのだと思 います。つまり「現実」を突きつけたわけだと思います。(誰に?とはいいませんが)です ので、最後の二人のシーンと行動は必然だと私は考えています。それほど驚くべきところで もありません。ただ、この文脈で考えれば二人のこれからはそう暗いものでもない気はしな くもありません。シンジは泣いていますが「ここにいて、生まれてきてどうだったか」をま た「考え続け」るのでしょう。
以上が大まかな私なりの解釈です。鯖さん的には許せない部分は多々あるかとは思います が、この文脈にのって『幸せをつくろう』を私が執筆したことは事実です。もちろん彼らの 結論の良し悪しを問うつもりはありませんし、作品の外の文脈へリンクさせるつもりもあり ません。
ただ、ここまで話しを詰めると「じゃあなんで『幸せをつくろう』のシンジとアスカは傷 つけあわないの?」みたいな疑問が浮かんでくるのですが……誰も気にしていないこと覚悟 で、スルーされること覚悟で一応解説します。そんなにややこしい話ではありません。 それはつまるところEOEに乗ったと言えど『幸せをつくろう』がシンジとレイの物語だ からです。旧劇場版の文脈だけではこの二人をこれほど密接に扱うことは不可能です。プロ ローグとしてEOEを入れようと思ったと書きましたが、その理由の一つは、シンジとレイ の物語であることの必然性を持たせようと思ったからです。EOEをカスタマイズして、ど うにかこうにかシンジとレイの絆を取り戻そうと思ったのですができないのでやめました。 ですのでEOEに乗ったと言いつつ、彼ら二人の話であることは矛盾していると承知で執筆 しました。ただ、「綾幸」様で公開していただくのだから、それほど問題でもないだろう とも思いました。 最後の最後までシンジはレイのほうをむいています。「それが、僕が綾波にあげられる、 たったひとつのまごころ」「今はまだこれでいいと思う。だってこの想いがあれば十分だか ら。」というのはそういうつもりです。EOEでは「他者」を求めて補完を終わらせるわけ ですが、『幸せをつくろう』では「綾波レイ」への想いがむしろ補完を止めてしまうわけで す。その彼にとって、そしてその彼の決断を見たアスカにとって、別に傷つけあう理由がな くなってしまったわけです。この二人の関係を甘美ととるか冷淡ととるか、はたまたもっと すごい想像力を膨らませるかは読者次第です。ただEOEの二人ほど磁力がないのは確かで す。アスカの髪をなくしたのもこの辺に理由があります。
たぶん以上は実際問題「作者としての責任」に関係すると思うので補強しました。私のE OE解釈が必ずしも正しいものだとは私自身思っていなし、多くのご批判があるかとは思い ます。しかし、この解釈のもと『幸せをつくろう』が成り立っています。もしかしたら火に 油を注ぐ形になってしまうかも知れませんが、そういう意図ほ全くございませんのでご容赦 ください。
【Date:】 13 May 2009 12:28:00 【From:】 "鯖" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
緒形様
長らく、しかもダラダラと「駄文」以前の問題なシロモノをお読みいただき、本当に申し訳ありません(汗)
そろそろ「落さねば」と思いつつ脱線に継ぐ脱線でした。が、そろそろ本題?らしきものを語って何とか仕舞おうと思います(汗)申し訳ありません。
>発言の方向性がやっと明瞭に見えました
恐縮です(汗)まあ、こんな乱文で「理解してください」等と申し上げるのは元々無茶苦茶且つ度厚かましい話でして…(我ながら無責任も甚だしい 汗)
>EOE解釈は全く私の独断によったものになっています
…なんと申しますか、現代日本における近代思想系の専門家の方とすればある種「必然・当然」と言う事になるのかもしれないのですが、おっしゃられた「解釈」こそその侭「略100%」、当時のポップカルチャーやライトな現代思想を扱う類の文芸誌(サブカル誌?)等で「執拗に繰り返し」当時の論者等が述べていた「正に其れ」なのです(汗)
着眼も理論付けの道筋も「そのまま、全く同じ」でした。デジャビュかと混乱する程に…(汗)
そして、当初「まあそう言う解釈もありなんだろうね」程度に流していた小生も「あまりにしつこく」それが繰返され、仕舞にはそれがパターナリズムや「その解釈に沿った補完指向者」の登場と彼等による、まあぶっちゃけて言えば当時のアヤナミスト「批判」(と言うより中傷? 苦笑)に結びつくに居たって、当初の
「いーかげんにしろよテメエら。」
に至る事となった訳でして(苦笑)今、「売れっ子」の某氏などには「人形愛者のネクロフィリア」呼ばわりまでされていた記憶がありますね(笑)
その頃になって、実に「甘い」話ですが、「パターナリズムと言う奴の悪質性」と言うものを「改めてつくづく痛感した」と言う話です(苦笑)
父権主義とは常に「権威的な保守主義者」の顔をしてやってくるとは限らない。むしろ「ソフトで物分りのいいリベラル」の顔をしてやってくることだって沢山ある…そして、「気づいた時にはもう遅い」。リベラルやアナキズムとは、保守主義に対立する「もう一つのパターナリズムの姿」に過ぎぬ、と。
真綿で首を絞められ、窒息させられる側の者にとっては、どちらでも大した差はありません(苦笑)
まあ、先ず第一に、当時感じた事は
「テメエらの解釈にそってそこまで罵倒される覚えはねぇよ。そんなに他人様の脳内に手つっこんで人格改造がしたいか?ふざけんな。」
と言う事であり、もう一つは、
「確かにそーゆー解釈ってリベラルかつジュブナイルだよね。しかし、それってレイは単に最後まで「都合の良い女=装置」として扱われて「キャラクター=一人の少女」にはなり得ないって事だよね。それを「ほっといて」、
「ありがとう。僕は君の御蔭で幸せになりました」
って言ったら、レイが「人格と言う意味でのキャラクター」ならば
「ふざけないで。わたしはあなたの人形でも母親でもないわ。呪ってやる。一生その荒れ果てた世界で後悔しながら彷徨えば良いわ。」
位は言うだろう。と言うか言ってもバチはあたらない、いや「言うべきだ」と言う話じゃなかろうか?
とも思った訳です(笑)
後半は後ほど(汗)<終わらないねえ…
【Date:】 13 May 2009 13:51:00 【From:】 "tamb" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
さぁ、なんだか盛り上がっております(笑)。ぶっちゃけ話は難解であり、果たしてどの くらいの人がついて来ているのでしょうか。というか、正直ワタクシもついていけてない わけなので 、下手に喰らいついたりせずに思うところを書こうかと。
■メタフィクション と言われると私が思い浮かべるのは狭義のメタ小説で、作者があからさまに出てくるタ イプの小説か、劇中劇というのか、その物語は登場人物が芝居をしている物語であったと いうタイプの物語です。わかりにくいですね。この物語はフィクションであると登場人物 が自覚的であると言えばいいのでしょうか。もっと広義には色々あるのでしょうが、私の 捉え方はこんなところです。
■「Shutdown」 せっかく言及したので拙作「Shutdown」について 。 これもまぁメタフィクションなわけですが、一義的には幾多のFFがチルドレンが芝居を しているとしか思えないということに対するアンチテーゼとして書いたものだったりしま す。やりたいことをやればいい、やりたくないなら嫌々やらなくていいんだよ、という。 だから登場人物は作者に逆らうわけで、結果的にはメタフィクションですがメタフィク ションを書こうと思って書いたわけではないのです。 ちょっとだけ意識的だったのはLAOだの吐き気がするだの言われた「Running On Empty」 で、記憶が曖昧ですが当時は「俺」がエヴァの世界に入ってしまってエヴァに乗るとかそ ういう話が流行ってた時期で、そんなのは興味ないし書きたくないけど、彼らがこっちに 来てそして帰って行くという話は書いてもいいかなと思って書いたものです。まぁそんな 話はどうでもいいんですが。
■パターナリズム という言葉は知りませんでした 。 話がそれますがウィンドウズのフォントは濁点と半濁点の区別がつきにくく(そう思い ませんか?)、「バター?」と思ってしまったのは私だけではないはずだ!
> 言論人等の言う「現実社会でのコミュニケーションのメタファ」
そういう時代には私はこの界隈にはいませんでしたが、これは要するに
「アスカというキャラはエヴァという世界の中で(例えばゲンドウとの関連という意味で も)唯一異質な存在で、いわゆる外部を象徴する(形式的にも外部から到来する)。シン ジは要するに庵野だし、グレートマザーそのものであるレイを選択するというのは想像的 に補完されること、すなわち自閉的世界に止まることを意味する。エヴァという物語はい かに外部に到達するかという物語なのであるから、レイを選択するということはエヴァを 正しく受け止めているということにはならない」
というようなことであると思います(あってます?)。もう時効だと思うので書きます が、これは三年位前に今は消えてしまったとある掲示板に私が変名で書いたもので、その 時も記憶で書いたので色んな言説が混じってるはずですが、元ネタは東浩紀ですね(そう いやこのあたりのことはこないだの企画の総括にも書いたな)。 念のために書いておくと、文脈的には、「だから?」とか「だったら正しく受け止めて ないでもいいけど、それで?」みたいな感じで書いてます。
> 「こっちなら良いんだろう」「こっちなら癒してもらっても文句無いんだろう」に近い? > 反応を示した様に見えた
というのは、その方面には疎かったためか記憶にないです。
もしかすると「いい加減にしろ」と言われてしまうかもしれませんが 、レイやシ ンジやアスカやミサトや、他のたくさんの登場人物たちが必死に生きていこうとしている から私も何とかやっていけるという自覚が私にはあって、そういう毛布を抱えていないと やっていけない。自分で書いててもかなりキモいとは思いますが、だから彼らにも生とい う道を選択して欲しいと思うのです。パターナリズムだかなんだか知りませんが、毛布を 抱えていたって良く生きていけるのならそれでいいではないか、趣味が読書だったり音楽 鑑賞だったりするのとどう違うのかと思うのです。それぞれが文芸書やクラシック音楽や ロックやポストモダンという毛布をかかえてるわけでしょう?
■ようやく「幸せをつくろう」 だから、それがたとえ夢の中であったとしても、彼らが幸せになろうと足掻いたことは 無駄ではないと思うのです。それが夢であると気づき、現実へと脱却したとしても、かつ て夢の中にいたことを恥じる必要はないし、その事実から逃げる必要もない、と。私の解 釈に間違いがなければ、それが緒形さん言うところの「虚構は現実に作用する力がある」 であろうと。
とりあえずこんなとこかなと。ポストモダンとか語るほど知ってるわけじゃないし、デ リダとかラカンとかは、いしかわじゅんで、確かデリダ・ラカンの思想とかそんなような タイトルで1ページの漫画があった(1ページで書けという無謀な依頼があったと本人も 書いていたと思う)という印象が強烈すぎて、必ず「デリダ・ラカン」とセットで思い浮 かぶ始末。どうかすると「デリダ・ラカン」という人かと思う(爆)。デュシャンなんて知 りもせん。メジャーな人なの?
でもそういうことを知らないからといって「幸せをつくろう」が理解できないとか作品 性が損なわれるとは思わないけど。 まぁそういう意味じゃ、レイに
――全てのシミュラークルは一者をもとに記憶資源から生み出され、流出し、生成 変化し、脱構築され、記憶資源となり、またシミュラークルが生み出される
と言われて、
――うん
と納得するなよとかは思うけど(笑)。
【Date:】 13 May 2009 15:43:00 【From:】 "鯖" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
tamb様
ご面倒をおかけします(汗)
>デュシャン
便器の人です(酷ぇ…っつーか説明になってねーよ)
マルセル・デュシャンと言うフランス・アメリカの画家・芸術家です(汗) ダダイズムに走って市販品の便器を「レディメイド(既製品)」なるアートの ジャンルだとして出展したっつー話ですな。
そういうダダと言うのは結局本質的に「一発芸」であって、「芸術と言う既成概念を 自ら否定する」と言う一発目のインパクトが全てで、それを今度は「したり顔で在り難がる」 様になったら「何の意味も無い」と言う事で(ほほほ 汗)
フォローなんかしたらそれこそ「アホか?」と言う話だよ?と言いたかった訳です(苦笑) エヴァもかつて「其れに近いありがたがられ方」をしてたように見えましたので。
ああ、「便器」だ、と(酷いねつくづく 苦笑)
幸い、こっちの方はそう言う意味でのフォロワーは出ませんでしたが(笑) (むしろ所謂「俺エヴァ」は色々言われつつも皆それぞれに頑張ってたし。ある意味本家より。)
補足
「俺エヴァ」とはエヴァ後、他のクリエイター等が意図する・せざるにかかわらずその影響を受けて発表した諸作品を指します、この場合。
まあ「ラー○○ォン」とか「ファ○ナー」とか、「ガ○○キ」とか「エ○○カセ○ン」とか(汗)
どれもかなり(非常に)好きな作品ですけれども(ほほほ)
【Date:】 13 May 2009 18:00:00 【From:】 "鯖" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
では、「後半」?をば(汗)
今更言うまでも無く、上記に述べた「疑問」だの「癇癪」だのは全て、「97年から数年間における当 時のエヴァ及びそのファンフィクション等を取り巻 く言説」に向けて発せられたものであり、緒形様の 御作にそれらの「文句」を向けることは「全くの筋 違い」であり、そう言うつもりで色々書いたのでは ないと言う事はどうかお含み置き下さい(汗)
誤解を生んでしまうと非常に困った事になってしま いますので…(汗)
単に、「その解釈と言うか言説は昔よくみたのを思 い出しました。中には嫌なヤツラが居ましてねぇ… だから未だに苦手と言うか『食うと腹壊しちゃう』 体質なんですわ(苦笑)」と言う程度の「昔話」なの です(苦笑)
或いは、正にtamb様の書かれた、
>「アスカというキャラはエヴァという世界の中で (例えばゲンドウとの関連という意味でも)唯一異 質な存在で、いわゆる外部を象徴する(形式的にも 外部から到来する)。シンジは要するに庵野だし、 グレートマザーそのものであるレイを選択するとい うのは想像的に補完されること、すなわち自閉的世 界に止まることを意味する。エヴァという物語はい かに外部に到達するかという物語なのであるから、 レイを選択するということはエヴァを正しく受け止 めているということにはならない」
と言う下りも典型的なそれでしょうか。(あってま す。)と言うかここで述べたパターナリズムとは概ね この形の言説から始まる一連の理屈及びその強要を 指したりします 苦笑 しかしながらそれはある意 味単なるカップリングだなんだという「卑近な話」 に留まるものでもない、むしろ一番引っかかるのは 結局アスカと言うキャラが象徴する外部・他者とは 何処まで行っても「モダニズム・現代社会のパター ナリズム=「こう言う人格が現代社会に適応した理想 の人格でありこれをめざすべきと言うお仕着せ」の 域を出ない、と言う事がむしろ最大の問題だったわ けです。
「言われなくたって人間そうそう引籠もって生きら れるもんじゃない。外部に到達だ何だと言う前提自 体が妄想的に過ぎるのだ。ヲタクだの何だのとステ ロタイプに人様を欠陥品扱いしやがって。学者だの 批評家風情にんな事を説教される歳でも無いし、今 時の青少年どももオマエラが思ってる机上の空論よ りずっとタフなんだよ。そんな特殊なケースを「一 般化」して増してや観客・読者に「シンクロ」を求 めてるんじゃねぇよ。こちとらそんな詰らねぇ説教 を見聞きしたくてテレビや映画みてたんじゃねぇ し、物語読んだり作文書いたりしてんじゃねぇんだ よ!」
「ほー、要するにレイ好きはキモオタの欠陥人間 で、アスカが好きなら自立した立派な社会人、って か?どっちもキモヲタってんなら大した差はねぇし、 どっちにしろヒトサマにああだこうだ人格を指弾される程のこっちゃねぇだろうが。たかがヲタク趣味 の嗜好の別でで他人様をああだこうだ言ってんじゃ ねぇぞこら?」
…とまあ、こう言う話にもなってしまうわけで、又、そう言われれば余計に、自分にとっては「アス カ外部論」なるものは「サブカル言論人の迷惑な押 し付け」と「社会側からの脱ヲタク・パターナリズ ム」の両方の色彩を帯びる訳です。
何でおれがオマエラに気に入られるように、オマエ ラの企画に合わせて人格の自己改造なんぞせにゃな らんのだ?と(笑)
…大体「正しく受け止める」ってなぁなんだよ、エ ヴァってのはドグマをもった宗教か? お前等のやっ てる事こそ正しく「自己啓発セミナー」だろうが(苦 笑) その「アスカ外部論による脱ヲタク・パターナ リズム」こそあの「おめでとう」所のキモさじゃな い、「正真正銘ホンモノの人格改造セミナー」じゃ ねぇかよ。と(苦笑)
「ヲタクでもてないボクが辛いんです!」とかそーゆ ー気色の悪い事、俺が一言でも言ったかああ? 或い は、エヴァとはそう言う「泣き言言う心の壊れた 子」の為の教育プログラムであってそれ以外は「楽 しんだら駄目」なんか?
そんなもん商業ベースで公開すんじゃねぇよ、それ ならさー…と、「おかしいでしょ? その理屈は。」 の連続が噴出してしまう訳です。
まあ、ユング「もどき」の理屈と言うなら、それこ そこんな解釈だって可能と言うか、自分ならばこん な風に読むでしょう。
ユングのアーキタイプ論から見るならば、レイ=ユイ =リリスはギリシャ神話における「デメテル・コレ ー・ペルセポネー」の三位一体に相当するキャラク ターと言える。地母神であり、処女神であり又「娘 であり母である」。「龍退治」と言う概念からみる ならばEOEとは明らかにその「失敗」の物語…「龍を 倒し、姫を得る」と言うプロセスを経て「成人に至 る」と言う「通過儀礼の物語」の失敗を意味してい ると言えよう。小谷真理氏らが指摘する説に拠りそ うならば、エヴァとはフェミニズム的な「男性性の解体」の物語であると言う事になるがEOEとはその結 果着地点を見失った「墜落」なのである。
幼年期の少年の中で未分化な「グレートマザー」と 「アニマ」は、やがて象徴的に「龍」として立ちふ さがる「母」からその「娘」たる「アニマ」を分割 して奪い取る(自らの中での女性・生命の原点である 「母」と言うイメージから「異性」と言うアーキタ イプを自らの自我とともに育て、やがて「母なるも の」との臍の緒を切って別れ、アニマとともに 「旅」に出る)事で分化し、それが即ち「男性性」の 萌芽を意味する。「内なるアニマ」を認識すればこ そ「現実における異性」と言う存在を男は「認識・ 理解する」とすれば、「龍とは母」「姫とはアニマ= 異性」と言うアーキタイプの表象であり、「龍退 治」とは即ち「子供が大人=男になる」為の通過儀礼 そのものである。
とすれば…EOEとは即ち「龍退治の失敗」。母(ユイ でありリリス)からアニマを「引き剥がし損ねた」少 年の眼前で「姫」は結局グレートマザーの胎内に戻 ってしまう(少年の未熟さ・異性を受け止め、思いや る能力の欠如を知り、姫は再び原初に帰らざるを得 なくなる。姫を引き止めるだけの「絆」を、只管己 の事だけに固執し相手に無関心だった少年は持ち得 なかった。)
エヴァが「内面の物語」だと言うなら、太母に言及 しつつ、アニマ(アニムス)の概念に触れずに一足飛 びに「アニメキャラクター」を「現実の他者」と結 びつける論は余りに飛躍している…言わば熱狂的フ ァンの妄言に過ぎぬ、と。アスカこそが「アニマ」 だと言える文脈を示しえない、と言うよりむしろ 「一人二役的な自問自答」に「対異性・対他者」の 問答の体をなしていなかったEOEではそう語るのは無 理だったのではないのか?と。
そして、むしろアスカは「他者」でも「アニマ」で もない。言わば彼自身が「否定したくても否定でき ない」彼の「慰め」そのものだったのではないか、 と。(大人になれなくても、現実に触れられなくて も、否定されても「あたしはずっとアンタの中にい るよ?」と言うメッセージ。自分が嫌いでも、ヲタク はヲタクとして生きていくしかないじゃん。あんた がアタシの存在を否定しても、無理に突き放したり 悪いほうにばかり考えても「アタシはあんたの中に 居るよ?」と。それはそれで「優しいメッセージ」で はある訳で。)
長くなりすぎたので矢張り切ります(汗)
【Date:】 13 May 2009 19:52:00 【From:】 "鯖" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
まあ、上記は「どうとでも言える」と言う話の一つの例と言いますか…(苦笑)
それこそ「どうでもいい」話です。現に、LASブームが97年頃から熱狂的に起きていた辺りでは、東氏?辺りのそう言う言説が、結局は「ステロタイプな甘いLAS・FFに耽溺する」行為を自己肯定する口実として使用された様な事だってあった訳です(苦笑)
そうなってくると「何が現実回帰なの?悪化容認の口実になっとるんと違うのか?」と言う様相を呈して参ったりもする訳で…
所詮、「どっちのキャラだから現実回帰だ」と言うアホな話を「大真面目に」趣味の場に持ち出して仕切ったり、説教したりするというのが「大間違いだ」と言う話なのでしょう。
と言うかそんなに「現実回帰」がしたきゃFFなんてヲタクの遊びからはさっさと足を洗え!と(苦笑) たかが「ツンデレ萌え」か「クーデレ萌え」かなんてレベルの話で「人間観」や「コミュニケーション論」まで語ってどうする…
単に、お前等にはそーゆーキャラが「必要」ってだけだろ?俺は「あーゆー子の話」が好きなんだよ。自分の中においてその方が多分「必然性がある」からな…と。
アニメ作品やその評論、あるいはFFで「こんなことをしていては駄目」と語り「堅気になれ」と説くのは結局、「そう言う行為」を否定的に捉えていたり「自ら恥じていてやめたいと思っている」と言う事に他なりませんし。
あの頃、FF界隈で盛り上がって呑み仲間にもなって下さったある古手の作家さんと、色々議論で盛り上がった挙句言われたことがあります。
「これで鯖さんがLASの方に来てくれたら言う事ないんだけどね」と(苦笑)
…それは「無理」(苦笑) だって、そもそも…それくらいならエヴァFFなんてさっさと足を洗う。書きたくも読みたくも無いものを書く動機なんてないし興味も無い。レイが好きだから読んだり、書いたり書こうとしてるんだもん。わざわざ他人のふんどし借りてまで。じゃなきゃ最初からオリジナルで、自分の興味の赴くままの内容を書いてるよ。
レイを描く為にLAS描写が必要だというなら「読んだり書いたり」するかもしれん。が…それは「手段」であって全く「目的じゃない」。
そして、そもそも…恣意的な「EOE現実回帰論」において描かれるレイは、殆どすべからく「お人形」そのものじゃないか、と。
【Date:】 13 May 2009 20:17:00 【From:】 "鯖" 【Subject:】 Re: 幸せをつくろう/緒形ゆう
そう、「お人形」なんです。EOEに於けるレイは。完全に。感情も感覚もそぎ落とされた正しく傀儡に過ぎない。
一話で血まみれの侭苦痛に呻き、それでも出撃しようとした、予想外の奇襲に普段のクールさからみれば「意外」とも言える悲鳴を上げた、血の通った少女では既に無い。片腕が抜け落ちても顔色一つ変えない、「無痛症」の少女と化していた。
そして、シンジのみたイメージ世界の中で語る彼女は最早只の「スピーカー」と化していた。シナリオを進行するための文字通りの「装置」です。
一聞して「希望」を語るその台詞に最早「なんの情動も存在しない」。うわ滑る「口先の観念論」に過ぎない…冗談じゃない。そんなシロモノを見せられて「納得」なぞ出来るか?と。
もしかしたら、シンジが「ポクちゃんイズム全開」の自己補完妄想を見ている間に、「そう、また見捨てるのね。あの人のように。あのときとおなじように。」と「小奇麗に整えられた都合の良い観念、ではなくリリスと融合した生の肉」としての彼女は呟いて呪ったかもしれない…と言う方がむしろ「求める彼女の姿」かもしれない(苦笑)
小奇麗に消えられても困る。異形となって、人を喰らう怪物としての姿をさらしても「肉として生きて」欲しいと。その、仕舞いこんで押さえつけた「エゴ」を思う存分ふるってほしいと。俺はそんな君の姿を見たい。その姿をこそ愛すると(苦笑)
さあ、そこの薄情な、君をうっちゃって自分だけ生き残ろうとしている、自己嫌悪の台詞を吐く割にはご都合主義全開な自己中小僧を頭から噛み砕いて喰ってしまうと良い!
まあ極論ですが(笑)
EOEは全くと言って良いほどレイの存在を「感じない」物語でした。あれだけビジュアル的には派手に巨大に暴れているにも拘らず…そこには何の情念もなかった。それで、後は口先の台詞で「納得しろ」と言われても…「無理」。
ただ、崩れ落ちる彼女の首から血が迸るシーンがあまりに痛々しく、無残で哀れだった事と(二度も、男に裏切られて死んだのですよ。彼女は…)、その後の首締めの修羅場とすすり泣きの「生加減」だけが素晴らしい作品だった(苦笑)
これでシンジが「ぼくしあわせになります」等といおうものなら「市中引き回しの上ノコギリ引き」もんです(苦笑)「お・ま・え・は、自分の犯した罪の意味を理解しているのかなあ?」と(笑)
死んだ女に用は無い。尽くさせて消えてくれたら後釜はいくらでもいる、って男は「刺されても文句は言えんだろう」…と(苦笑)

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