Re: サイト開設十周年カウントダウン企画・八月―カウントゼロ― ( No.5 ) |
- 日時: 2011/08/21 22:09
- 名前: クロミツ
- ○ ▲ ○ ペンギンカフェ・オーケストラ ○ ▼ ○
古ぼけたクーラーが鳴らすカタカタと耳障りな響きに、レイは重い瞼を開いた。 ここ最近は寝苦しい夜が続いていた。一年中夏なので暑さには慣れているつもりだが、連日の猛暑に、自分よりも クーラーが先に参ってしまったようだ。気がつくと、ぐっしょり寝汗を掻いていた。シャワーを浴びて幾分さっぱり したが、空調の設定温度は下がらず、また汗が吹き出した。 濡れた身体を拭いたレイは、手早く服を着て外に出た。昼間、十二分に熱せられた空気はまだ冷え切っておらず、 室外も蒸し暑さが残っているが、夜風が吹くだけ部屋に居るよりはましだった。 まるく浮かんだ月が投げかける光で、夜は意外に明るい。もともとレイは夜目が利くほうだ。外で涼をとるだけの つもりだったが、マンションを降りて散歩する気になったのは、今夜の月が、いつか見上げた満月に似ているから だろうか。
当ても無いまま、知らない道に脚を向けた。この辺りの地理は頭に入っているようで、入っていない。レイにとって 必要な情報は、マンションと駅を結ぶ一本のルート、それだけだ。生活に必要なものは駅前で買える。近所を散策する なんて、考えたことすらなかった。 実際、変わった風景があるわけでもない。日本のどこにでも在るような住宅が建ち並ぶだけだ。だが、方向さえ知覚 していれば迷うことはない。振り返ると、目印となる自分のマンションが、夜景を切り抜いた影絵のように見えた。
四つ角の交差点で、目の前を何かが横切った。人より小さなその物体は、ブリキ仕掛のおもちゃのような動きだった。 「…あれは、葛城三佐の?」 葛城ミサトが部屋で飼っている、温泉ペンギンに似ている気がする。しかし何故、こんな所を歩いているのだろうか? 仮に逃げ出したのだとしても、慌てて走っている様子でもなかった。 気になったレイは角を曲がった。闇に溶け込んだ黒い背と対照的に派手なトサカは、やはりあのペンギンのものだ。 捕まえようとすると却って逃げられる恐れもある。少し迷ったが、後を追うことにした。 目の前を歩くペンギンは何も気付いてないのだろう。羽をぱたつかせながら、ひょこひょこおどけた足取りで暢気に 進む。しかし、ただの散歩だとしても、一羽だけでこんなに遠くまで来るとは考えにくい。ミサトか、ひょっとして 同居人の碇シンジが一緒かもしれないと辺りを見廻したが、誰の姿も見えない。 そうしているうちにペンギンは脇道へ入り、更に細い路地へと曲がる。知っている道のように迷い無く進むと、急に 駆け足になった。意表を突かれたレイも走って後を追う。 住宅街を抜け、やや開けた空き地にこじんまりと白い建物が一つあった。黒い影は、その建物の門をくぐった。
「ここは?」 白い壁に囲まれた門のアーチに『Penguin Cafe』と看板が出ている。入口は開いており、南欧の町角にありそうな 洒落たオープンカフェの玄関には、ほの白い灯りが点っている。入ろうかどうか、大して躊躇しなかった。ここに 逃げ込んだペンギンを探すのが目的で、正直にそれを話せば不法侵入で咎められずにすむだろう。もっとも、こんな 真夜中に人に出会うかどうか怪しいが。 アーチをくぐり、庭に脚を踏み入れようとしたとき、不意に玄関が開き、黒尽くめの影が姿を見せた。 「いらっしゃいませ。ペンギン・カフェにようこそ」 タキシードに蝶ネクタイで身なりを整えた男が、うやうやしくお辞儀をした。 「本日はお一人様でいらっしゃいますか?お席は空いておりますので、どうぞこちらへ」 「いえ、私はペンギンを探しに来ただけで…」 「ペンギンならうちで間違いありませんよ。他に似たようなカフェもありませんからね」 どうも話が噛み合わない。考えてみればこんな街中で『ペンギンを探している』などと云っても、言葉通りに受け 止めてもらえないかもしれない。『ペットが逃げてしまって』と云ったほうが良かっただろうか。 「本日は特別に、オーケストラの生演奏がございます。開演時間も迫っていますから、お早く」 なおも男は店内へ入るよう促した。口調は丁寧だが、妙に押しが強く、何故か従わなければいけない気になってくる。 だが、レイは音楽に興味はないし、あのペンギンが気掛かりだった。 「本当に私、逃げたペットを探しているんです」 「ああ、あのペンギンでしたら大丈夫ですよ。演奏が終るころには、ひょっこり現れるでしょうから」 男の言葉をレイは訝しんだ。捕まえたペンギンを返す替わりに、音楽を聴いてゆけと、そう云いたいのか?何が目的 なのか、皆目見当もつかない。 「ご心配はいりません。ゆっくりお寛ぎ下さい」 男は玄関の扉を開け、左手をまっすぐ室内へ伸ばす。袖元の銀のブレスレットがちかりと光った。観念したレイは カフェの中に入った。明るい照明で照らされたカウンター形式の店内には、バーテンダーも客の姿も見えない。 「こちらです。どうぞ」 レイはL字に曲がったカウンターの奥の扉まで案内された。部屋に入ると真っ暗だったが、ステージを覆う大きな カーテンの隙間から、ほんの僅か照明が漏れている。ステージに向かって並べたテーブルに、何組かの客が座っている のがぼんやりと判る。レイは、唯一空いていた入口付近の円形のテーブルに座った。何も注文していないのに、男は カクテルを置いて去った。洋梨にサワーをミックスしたような味で、アルコールは入っていない。 周囲の客を見廻したが、部屋が暗すぎるうえ、全員がステージを向いているので、最後列のレイから顔は見えない。 ただ、なんとなく若い男女が多い気がする。光の無い部屋は開演前の独特な雰囲気、期待に満ちた静寂で包まれていた。 「皆様、お待たせいたしました。ペンギン・カフェ・オーケストラの開演です」 どこからともなくアナウンスの声が響き、ざぁっと拍手が上がった。茫洋とした電子音の残響が空間を満たしてゆく につれ、カーテンの向こう側の青白い光がだんだんと強くなった。演奏者のシルエットがカーテンに投影される。 その影の一人が動くと、オルガンの音が同じ旋律を繰り返す。更に別の影が動き、アコーディオンの響きを重ねる。 さぁっとカーテンが開いて顕わになった演奏者の面々に、レイは絶句した。
十数人ほどのオーケストラは、有名な楽団のように統一された楽器ではなく、思い思いの楽器を各々が持ち寄った かのような雑多な編成だった。主旋律を取る古いオルガンを演奏するのは伊吹マヤ。その隣で、同級生の洞木ヒカリが アコーディオンを弾いてる。二人の音に追いつこうと、懸命に鍵盤ハーモニカを吹いているのが相田ケンスケと鈴原 トウジのコンビだ。 シンプルなドラム・キットに座った日向マコトが、生真面目なリズムを叩き、エレキ・ベースを構えた青葉シゲルは、 長い髪を揺らせながら地味に低音を支えている。そして、最前列でゆったりと弦を動かしているのがチェロの碇シンジ、 その隣に座ってヴァイオリンを弾いているのが――。 「…わ…たし?」 青い髪、赤い目、紛れもなく自分と瓜二つだった。いや、本当に自分なのかもしれない。あのプールで眠る綾波レイ の複製が魂を得て、目の前に現れたのではないか…? 混乱した思考が同じ場所を巡回している間に演奏が終り、再び起こった拍手に、ステージ上の全員が一礼して応えた。 ステージの上手から白衣を着た赤木リツコが現れ、博物館に展示されていてもおかしくないほど旧型のシンセサイザー の前に座った。リツコが目の前のキーボードを操作すると電話のダイヤル音に似た、機械的で、だがどこか人懐っこい 音が響く。 アスカ・ラングレーが握るピックが透明な音を爪弾くと、ついで隣に座る加持リョウジ、葛城ミサトが同じフレーズ を紡ぎ出す。三本編成のギターは、アスカとミサトのエレキ・ギターが硝子のきらめきのように反射し、加持のフル・ アコースティック・ギターが温かみを加える。 曲調が変わり、ウクレレの音が陽気に跳ねる。ステージの後方では冬月コウゾウが直立不動でウクレレを掻き鳴らし、 同じく最後列でパーカッションを叩いているのは、ネルフの最高責任者、碇ゲンドウその人である。 「碇司令まで…」 賑やかな曲が終わり、不意に出来た静寂の隙間に、静かにピアノの音が滑り込む。ステージの下手で目を閉じながら ピアノを弾くのは、自分と良く似た顔立ちの、銀髪の少年だった。レイはその少年の風貌も、ましてや渚カヲルという 名前など知る由も無い。それなのに、曲が終わったあと観客に向かって仰々しくお辞儀する赤い目の少年を、なぜか 知っている気がした。 ステージの照明が拍手を贈る客席に向けられ、照らし出された観客の姿に、今度こそレイは言葉を失った。 各々のテーブルでくつろぐカップル――何組もの碇シンジと綾波レイたちが、再び始まった演奏に聴き入り、音楽に 身を委ねていた。 先ほど、ステージの上の綾波レイを見たときの考えが再び持ち上がる。だが、自分はともかく、シンジが何人もいる 筈はない。よく見ると、全員が同じではない。中学校の制服を着ている二人も居れば、大学生くらいや、中には長い髪 を束ねたレイの膝に赤ん坊を抱いている組もある。共通しているのは、どの席のシンジとレイも、楽しそうな笑みを 浮かべていることだ。 夢かもしれない。自分は夢らしい夢を見たことがないが、この光景はそうとしか思えない。レイの頭の一部では冷静 に考えつつも、どうした訳か、この不思議なカフェが現実のものだとしても、すんなり受け入られそうな自分がいた。
演奏が進み、幾人かは楽器を持ち替えて、ペンギンの行進のようなユーモラスな曲が始まった。トウジは授業で使っ ている縦笛を吹き、ケンスケがトライアングルを叩く。相変わらずの仏頂面でマラカスを振るゲンドウが妙に可笑しい。 一曲一曲は数分の短い曲ばかりで、殆どソロは取らず、聴いてすぐ耳になじむような覚えやすい旋律を繰り返す。 かとおもうと、呼吸するように規則正しいリズムが不意に表情を変え、単調なテンポに慣れた指先のステップを戸惑 わせる。落ち着いた曲、静かな曲、楽しい曲、様々に曲調が変わるが、指揮者がいなくても、アンサンブルに乱れは ない。自分たちがどこで、何を演奏すればよいか、ちゃんと理解しているからだろう。 「La La La ……」 澄んだ声に導かれ、涼しげなギターの音色が部屋いっぱいに散りばめられる。軽快に踊るリズムの真ん中を、ヴァイ オリンが駆け抜ける。知らず知らずレイは、音に合わせて僅かに身体を揺らしていた。
曲間が空き、ステージの上のレイが立ち上がった。静かなピアノのイントロに合わせて、ヴァイオリンがそっと囁く ように唄い始める。一小節終えたところで、ちらりと自信無さそうな視線を隣に流した。目を交したシンジは大丈夫と 云う代わりに微笑みを返すと、目を閉じて愛器を構える。チェロの太く厚みのある音がヴァイオリンに寄り添って、 ハーモニーを奏でる。地面すれすれを滑空するような低音を足掛かりに、レイはヴァイオリンの音色を高く飛翔させる。 二つの旋律は交わりつつも離れ、重なり、ピアノの音を道しるべに、ゆっくりと着地した。 ピアノと二本の弦楽器だけで演奏されたこの曲に、今までよりも大きな拍手が降り注ぐ。ステージ上のレイの顔が ほころび、何よりも嬉しそうな笑みを共演者に向ける。シンジも着席する彼女を笑顔で迎えた。 次の曲ではシンジとレイが二人揃って小刻みに弓を動かし、アスカのギターが乾いたトーンを鳴らす。中間のソロ を取るレイは、さっきよりも自信を持って演奏している。音そのものが楽しそうだ。冷静な表情でシンセサイザーの ダイヤルを調節するリツコも、起動実験のときの張り詰めた感じは無く、和やかな雰囲気が漂っている。 先程の曲が最後だったのだろう。演奏者全員が立ち上がってお辞儀をする。客席からの拍手は絶えない。アンコール として、これも珍しくテンポの速い情熱的な曲を、全員で演奏した。すべてのプログラムが終了してフロアライトが 点いても、しばらく拍手は鳴り止まなかった。
演奏者が去り、観客が徐々に少なくなってゆく光景を、レイは独り座ったまま見つめた。 腕を組んで笑い合うシンジとレイ、まだ初々しく手を繋いでいるふたり、目を覚ましてむずがる赤ん坊をあやす大人 のレイ…。いまの自分とはまるで違う自分たちの姿を、最後まで見送った。 辺りに誰も居なくなっても、まだレイは残っていた。じんわりと温かいものが心を包んでるようで、ここを去るの が名残惜しかった。やがてゆっくりと身体を起こすと、部屋を後にした。 カウンターの前に立っていた男がレイに気付き、笑顔で玄関の扉を開いた。 「ありがとうございました。次回は是非、御連れさまとご一緒にいらして下さい」 「あの、ペンギンは…」 そう云いかけたレイの身体に、急激に眠気が襲ってきた。 「…なぁに、ご心配なく。もう店じまいの時間ですから」 足下が覚束なくなったレイに、男が手を差し伸べる。左腕のブレスレットに『PEN 2』と文字が刻まれていた。
レイが再び瞼を開けたのは、自分のベッドの上だった。服を着て眠ってしまったようだが、不思議と汗は掻いて いない。むしろ、ぐっすり寝た後の心地よさが残っていた。昨夜のことは憶えていたが、考えば考えるほど、現実の ものとは思えない。だが、どうしても気になって、レイは朝の授業には出席せずにマンションの周りを探索した。 ようやく、記憶に残っている空き地まで出たが、あのカフェは影も形も無かった。
「綾波、具合悪いの?」 昼休み、校舎の屋上の日陰で座っていたレイに、シンジが声を掛けた。 「何故?」 「今日は起動実験も無いのに、朝、来てなかったじゃないか。鞄を置いたらすぐ居なくなっちゃうし」 独りになりたくてこの場所を選んだだけだが、どうやらあちこち探し回ったらしい。 「…そう。ごめんなさい、大丈夫だから」 「じゃあ、良かった」 安堵の表情を浮かべるシンジに、レイはずっと気に掛っていたことを口にした。 「碇くん…。確かペンギン飼ってたわね、どうしてるの?」 「ペンペンのこと?ああ、このところずっと暑いから、家の冷蔵庫に篭りっきりだよ」 「もしかして、夜中に勝手に散歩する習性はない?…昨晩とか」 「さあ…?家のなか以外では臆病だし、外に出たがらないから、それは無いと思うけど。…どうして?」 「いえ、別に……」 レイは口を噤んだ。昨晩の話をしても信じてもらえないか、夢だと云われるのが落ちだろう。 「ふうん…」 やや釈然としない面持ちだったが、シンジはそれ以上訊ねないことにしたらしい。そこで会話が終ってしまった ことが、レイは残念だった。知りたいことへの回答が無かったからではなく、仄かに願っていたシンジとの繋がりが、 断ち切られたような喪失感を覚えた。あのカフェで談笑していた自分たちのように、上手く話せればいいのに… …そう思えば思うほど、云うべき言葉が浮かんでこない。ステージの上のふたりは、何も云わなくても笑顔だけで、 心が通じ合ってあっていた。あんな幸せそうな笑顔を、いまの自分は知らない。
まだ心の底に残っている、微かなぬくもり。ステージの上の自分も、観客の自分たちもきっと一緒に感じていた 想い、それを『幸福』と呼ぶのだとすれば、この綾波レイもまた、幸せの一環に繋がっているのではないだろうか。
「あの…碇くん…」
いつか、あのように笑えたら――。
「え?」
「……碇くん、楽器…教えてくれる?」
綾波レイという少女の、幸福な物語。その始まりは、こんな言葉かもしれない。
Fin
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タイトルについては、きっとtambさんはとっくにご存知でしょうから、解説などと野暮なことは致しません(笑)
改めて、十周年おめでとうございます。いままで素晴しい作品を読ませて頂いたことの感謝と、これからも たくさん素晴しい作品が読めますようにとの願いを込めて――。
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