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[672] piece to Peace
日時: 2013/09/08 00:06
名前: calu

         ■□■□ piece to Peace  ■□■□


 目覚めたわたしに光は届かない。
 わたしを待っているものは頭のなかの疼痛。
 疲弊し切った胡乱な意識の底に打ち込まれた余韻のような鈍い痛み。
 その根本を弄って、わたしはかすかな記憶の糸をたぐる。
 色んな思考が交わっていたような気がする。
 わたしは何かを見つけ、それを掴もうとして。…掴もうとして。
 でもその瞬間、何かに追い立てられるように、覚醒が訪れる。
 そして、いつものプロセスをただなぞっている自分にいつしか気付いている。
 目覚めはわたしから全てを剥ぎ取り、手順に沿ってわたしを構成する。
 そして残されるものは、空虚。遡及すべき記憶は残滓さえ見当たらない。
 一切を切り取られた虚ろな思考だけが、わたしを支配している。
 それが、わたしと言われるモノ。

 簡易ベッドを澱みない動作で抜けだしたわたしは、いつもの手順でいつもの衣装を身に着ける。 
 小さなシンクで洗面を済ませると、ふたたび簡易ベッドに腰を下ろした。
 いつもと変わらない午前7時の朝。
 あとは所定の場所に行き、そこで発せられるであろう命令を待つだけだ。
 時計の秒針の音だけが浮遊する空間に、遠くで響くピアノといわれる楽器の音が色をつけ始めた。
 それに気付いたのは最近のこと。
 ふたたび腰を上げたわたしは、おもむろにサインペンを手に取った。
 壁に掛ったカレンダーの今日の日付を×印で塗りつぶすために。


メンテ

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Re: piece to Peace ( No.58 )
日時: 2016/03/24 23:27
名前: calu


                     ▲▽▲▽ Moon Beams ▲▽▲▽


 傾き始めた太陽がその表情を少しづつ変えていく。
 陰影の狭間を白から朱に変えゆくケージの底で、いつものようにシンジとカヲルはピアノの前にいた。

「シンジ君、今日はここまでにしとこうか」
「え、あ、そうだね」

 夕間暮れの迫る空を、意外そうな顔でシンジは仰いだ。

「なんだか。時間が経つのが早いや…どうしてだろう?」
「それは、君がそれほど音階の会話を楽しめているってことだよ」
「そうなのかな…そうかも知れない」
「僕たちの連弾もいよいよ完成間近になってきたからね…きっとそうなんだよ」

 静かに腰をあげるカヲル。

「僕はもう戻るけど…君はどうするんだい?」
「もう少し練習してから戻るよ…反復練習が大切だからってカヲル君が教えてくれたからね」

 にっこり微笑むとカヲルは後ろ手をシンジに挙げ、その背を暗がりの中に消した。   
 カヲルを見送ったシンジは椅子を直すと、改めてヤマハCF�Vに向き直る。夜の帳に覆われるまで
時間は無い。シンジはその意識を深い場所へと落としていった。カヲルと創り上げた二人の解釈に
届かせるために。その全ての神経を………。目の前の鍵盤の先……。…………。


 
「え、あ!? しまった、すっかり暗くなっちゃってる。そろそろ戻らなくちゃ」

 どの位の時間が経過したのか、ピアノまわりを光を落とすスポットライトで気付かなかったが、
ケージ上空には月が蒼白く輝き、零れ落ちそうな星が満ちていた。
 少しのあいだ腰を浮かせ天空を見上げていたシンジだったが、慌ただしく帰り支度を始めた
ところでピアノの脇にあるラタンチェアに身体を預ける人影に気が付いた。

「あ、綾波?」  

 柔かな月明かりの下、煌めくプラチナブルーの髪が揺れている。
 その少女は閉じていた目をゆっくり開くと、シンジに真っすぐな視線を送る。
 どこまでも深遠なるスカーレットの瞳。

 いつからいたんだろう。渚君がここを離れるときには、空席になっていた筈の空色のラタンチェア。
つまりその後、僕が練習に熱中している間にここに来たって訳なのだろうけれど。

「…碇くん」
「ど、どうしたの、綾波?」
「ピアノの音が聞こえたから、だから」
「ごめんよ、熱中しててさ、気付かないで。でも、声掛けてくれたら良かったのに」
「…ごめんなさい」
「い、いや。綾波は、その、全然悪くないから、さ…そうだ、折角だからさ、綾波も弾いてよ」

 ほらその、とシンジはその視線をレイが胸に抱くショパンの楽譜に送った。
 片時も離そうとしない相当にくたびれたその楽譜について、シンジはその所以など何も知識として
持ち合わせてはいない。だからだろうか、シンジは無性にレイのノクターンが聞きたくなった。

「…分かったわ」

 ピアノの前に静かに腰掛けるレイの後ろで、シンジはラタンチェアに腰を沈めた。まだ残っているはずの
レイの体温は消失していた。その天板に蒼白い光を湛えるCF�Vの上で、あつらえたように古い譜面が
夜風に吹かれている。鏡面に写るレイの夜目にも白い指は鍵盤に添えられ、その表情をシンジの位置
から見て取ることはできない。天からの授かりもののように一葉の葉がふわりと舞い落ちてきた。それが
CF�Vの天板に届けられたとき、儀式の始まりにも似たヴォイシングがケージの中を振るわせた。
 
(ショパン…ノクターン第20番…)
(………)
(…約束だからって言ってたっけ)
(………)
(……時が来れば…)
(…一緒に弾くって…どういう意味なんだろう)
(…僕と一緒にって…どう――)

 切なくも厳かに流れていた旋律は突然消え入るように途絶えた。顔を上げたシンジの視界の中で、
レイの両の手は膝の上に行儀よく揃えられている。

「え? …どうしたんだい? 何で止めちゃうんだよ、綾波ぃ」
「……」
「それにしてもスゴイや。綾波、こんなに弾けちゃうんだ」
「碇くん」
「ど、どうしたの?」
「今のままでは…完成することは、無いの…」
「そ、そんな筈――」
「……弾いて欲しい」
「…へ?」
「…碇くんにも、弾いて欲しい」
「…え、ぼ僕が?」

 頷いたレイにシンジは少なからず狼狽した。
 カヲルと練習している曲の完成は近い。今、その為に自分のパートを日々高めていくのに
一杯一杯の状態だ。勿論、レイのノクターンを聴いてしまった今となっては、出来る事なら連弾で
弾きたいと思う気持ちはあるのだけれど、カヲルとの連弾を完成させた後にお願いしたいというのが
正直なところだ。
 シンジの様子を見て俯いてしまったレイに、シンジは輪を掛けて慌てることとなる。

「わ、解ったよ、綾波」

 僕はこっちで、とシンジはレイの隣にそろりと腰を降ろした。決して密着し過ぎないように。
 驚いたように顔を上げたレイは子供のように表情を輝かせる。そんなレイの表情をここに来てから
シンジは初めて見た気がした。そして慌てて視線を譜面に移動させた。

「ででも、その譜面を見ながら、ゆっくりでないと弾けないからさ…その、合わせて貰ってもいいかな?」 
「うん」

 探るようにシンジが単音で鳴らしたC#に絶妙のタイミングでレイに重ねられた和音がケージを震わせる。
 ゆっくり拙くも音を紡いでいくシンジに、その右手で流れるように旋律を重ねていくレイ。
 時折り、シンジが探しあぐねたアルペジオの音をレイが左手でフォローする。
 ふたりの初めての夜想曲が、つたなくも、それでも新鮮にケージを振るわせた。
 ふたりが構成していく一音一音が、零れおちそうな満天の星空に吸い込まれていく。

「ごめん、綾波……こんなんで、その、よかったのかな?」
「うん」
「だったら…良かった…。でも、時間を見つけて練習するよ。せめてもう少し上手に弾きたいから。だからさ…」
「…?…」
「よかったら…また一緒に弾いてもらっても、その、いいかな?」
「うん」
「…碇くん。これ」

 レイから差し出されたのは、シンジにも見覚えのある真新しい楽譜だった。先日、購買部で一緒に
購入したものだと直ぐに解った。

(…同じノクターンだから、今のが古くなったからだと思ったけど)
(…でも、これって、これで練習しろって事だよね)

「…でもいいのか、綾波。折角、苦労して探し出したのに」
「構わないわ。…これまでは、わたし一人では見つけることが出来なかったもの。だから」
「そうなんだ…じゃあ、とにかく借りるよ…あのさ、綾波…聞いて欲しいんだけど」
「なに?」
「その、以前カヲル君が言ったんだけどさ…」 
「………」
「…一緒に弾き始めたときなんだけど、音、音が気持ちいいって」
「………」
「その時はよく解んなかったけど。今はなんだか解るような気がする」
「…そう」

 そう。確かに今日は解ったんだ。綾波の音が気持ち良かったんだ。
 綾波と一緒に弾いていると、何だかピアノを弾くこと、音を合わせることがとても簡単に思えたんだ。
 これって、この感じ。近くにいるとどこかで繋がっているこの感じ。そうなんだ。14年前の戦いの前、
綾波といるときに、ずっと感じていたんだよ。…どうしてこれまで忘れちゃってたんだろう。

 吹き下ろされた夜風がくたびれた楽譜を静かに揺らせた。今更ながら、周囲を包みこむ夜の気配に
気が付いたシンジは、レイを促し早々にケージを後にすることとした。

「そうだ、綾波。教えてほしいんだけど」
「なに?」
「ここで小さな女の子って見かけた事はある?」
「…小さな…女の子?」
「うん。こないだ夕食の後片付けをしてたらさ、ずっと僕の方を見ててさ」
「………」
「ここでは殆ど職員やその家族なんて見かけないんで、後を追っかけたんだけど、その子ったら地下
の廃棄場みたいなところに入って行ったんだけどさ」
「………」
「結局、そこで見失っちゃったんだ。ただ、立ち入り禁止って高雄さんからも聞いたんで、少し心配に
なってさ…」
「…碇くん、その子…」
「…そう、綾波に少し似てたような気がする。遠目だったんではっきりとは解らなかったけど……」

 シンジの名を呼んだレイの声は、シンジがこれまで聞いたこともない程に堅いトーンだった。
 一切の生気を失った氷のようなトーン。いかなる感情をも見い出す事ができないトーン。

「…その子には関わらないで…」
「え?」
「そして…二度と、その場所には行かないで……お願い、だから」



 
 陰鬱な空間にエアロックドアの音が響いた。司令室に姿を現せた銀髪痩身の男は、広大な空間から
嘗ての初号機専用ケージを俯瞰できる窓際へと足を進めた。

「ゼーレの少年と第3の少年とのピアノの連弾は相変わらず続いているようだな」
「…ああ」
「そして、そろそろ見せるのか? 外界を?」
「………」
「…まあいい。その後に真価を発揮するのだろうからな、今の二人の関わり合いがな」
「………」
「全てはお前のシナリオ通りに進んでいるのだからな」
「………」
「それで、レイとのピアノ連弾はどうするのだ? もうすでに何度か繰りかえされているようだが、
レイのタイムリミットを考えると、今更無駄なことだと思うのだがな」
「………」
「お前のシナリオには無い、何ら意味を為さないことなんだろう…好きにさせていてよいのか、碇?」
「…今は、それでいい」
「…いずれにしても、最後の執行者の発動で、その関わり合いも消失。そう考えるか…」
「………」
「それでも第3の少年は、レイをあの『綾波レイ』だと信じているのだぞ。全てとは言わないが、そろそろ
真実を伝えてはどうかと思うがな…」
「………」

メンテ

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