[780] プロポーズの日記念作品
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- 日時: 2021/06/06 00:01
- 名前: 史燕
- ムーンストーンをあなたへ
Written by 史燕
6月6日、碇くんの誕生日。
「碇くんの誕生日プレゼント、ですか」 「ええ、どんなものを上げたらいいか、わからなくて」 「と言われましても、私もそういうのに詳しいわけではないのですよ」
おなじみの喫茶店で、こっそりとマスターに相談する。 いつもいつもマスターには申し訳ないとは思うけれど、平和になって初めて迎える彼の誕生日を、できる限りきちんと祝ってあげたい。
「ううん、誕生日、誕生日……」
一生懸命私が練習したコーヒーの成功品を片手に、眉間にしわを寄せて考えている。
「6月6日の誕生石は、ムーンストーンでしたね」
コーヒーのせいではない渋面を作り続けて10分余り、マスターは、はっ、と思い当たったことがあったのか、虚空をにらんでいた目線を私に合わせます。
「誕生石?」 「ええ、365日。それぞれ生まれた日に合わせた宝石があるのです」 「碇くんの場合は、ムーンストーン?」 「はい、間違いありません。ムーンストーンは……」
マスターから、誕生石のこと、プレゼントの選び方など、アドバイスを聞き取る。 専門外なのは明らかなのに、一度思い当たればするすると堰を切ったように知識があふれ出てくるあたり、私はこの人に一生敵わないのだと思う。
いよいよ、6月6日当日を迎えた。 今日は日曜、夕方までかかるNERVの用事のほかに予定はないのは確認済み。 ピンクのブラウスに黒いチェックのスカート。 赤いパンプスはちょっと背伸びをしてヒールは高め。 大丈夫、おかしなところは何もない。 集合時間の30分前、彼がやってくるのが待ち遠しい。
「あやなみっ」
彼が息を切らせながら駆け寄ってくる。 駅前の時計の下、ここがいつもの待ち合わせ場所。
「ごめん、待たせたみたいで」 「いいえ、今来たところよ」
これは嘘、もう10分以上は待っていた。 だけど、彼も早めに来てくれたから、これは私なりの強がり。 彼はTシャツにベージュのパンツと軽装だけど、NERVの後に急いできてくれたことを考えれば、これ以上は何もいらない。
「行きましょう」 「また、マスターのところ?」 「それは、あとで」
中学生二人の行先なんて、そう選択肢があるわけではない。 結果として、お決まりのコースになりがちだけど、今日は少しだけ、彼の趣味に合わせようと思う。
立ち寄ったのはCDショップ。 以前から気になっていたのは知っていたけれど、私に気を使って、ウインドウを眺めるだけで通り過ぎていた。
「碇くん、どんなCDが好き?」 「どんなって、いろいろ聴くけど。どうしたの、突然?」 「私も、聴いてみたいと思って」
これは本当。音楽というよりは、彼がどんなCDをいつも聴いているのか、純粋に興味があった。
「うーん、どんな楽器がいいかな?」 「チェロ」 「チェロ? またマイナーな楽器だね」 「だって、碇くん、チェロを弾くのでしょう?」 「え、どうしてそれを……」 「アスカが教えてくれたの」 「ああ、そういうこと」
まいったな、と後頭部をかきながら、彼はCDコーナーを物色し始めた。 オーケストラやピアノのCDは数あれど、チェロとなると、なかなか見つからない。 棚を眺めながら往復すること3度。 ようやく彼は納得のいくものを見つけたらしい。
「うん、これかな」
CDには「無伴奏チェロ曲/J.S.バッハ」そう書かれていた。
「僕が一番好きな曲なんだ」
少し照れくさそうに言う彼を見て、このCDを毎日聴こう。そう決めた。
それから、CDショップをああでもない、こうでもないと眺めて、いよいよマスターのもとへと赴く。 大丈夫、本命の小包はちゃんとバッグに入っている。
「いらっしゃいませ」
いつもと変わらない声で、マスターが出迎えてくれる。 相変わらず、満席には程遠い店内だけれど、私たちにとっては、そのほうが居心地がよかった。 マスターには、ちょっぴり申し訳ないとは思いつつだけど。
私たちが席に着いた時には「HAPPY BIRTHDAY 碇くん」そう書かれたショートケーキが運ばれてきた。
「あ、ありがとうございます」
碇くんは、驚いている。
「綾波さんが、先日教えてくれたんですよ」
いけしゃあしゃあとマスターは口にする。 私はまだ、きちんと口にできていないのに。
「さあ、アールグレイとどうぞ」
2つのカップを私たちの前に置いて、マスターは奥に引っ込んでしまう。 流れてきたレコードは“Fly me to the moon”。
「い、いかりくん」 「う、うん。どうしたの」 「これっ、プレゼント」
私は思いっきり叫ぶようにして、勢いよく小包を差し出した。 差し出すというよりは、押し付けるというほうが近かったかもしれない。
「あ、ありがとう、綾波」
碇くんも目を白黒させながらだけれど、マスターのおかげであらかじめ見当はついていたのか、あっさりと状況を受け入れてくれた。
「開けても、いいかな?」 「どうぞ」
おそるおそるといった様子で、碇くんが放送を開ける。 中に入っていたのは、小さな一つのペンダント。 銀色の質素なチェーンの先には、乳白色の中に青みがかった輝きが月明りのように差し込む丸い宝石がはめ込まれていた。
「これは、いったい?」 「ムーンストーン、碇くんの、誕生石」
そこまで言うのが限界だった。 気に入ってくれるか不安で、まともに碇くんと目を合わせられなかったから。
「ムーンストーンは『危険を知る』『進むべき道を示す』そんな意味があるそうですよ」
見かねたマスターが、横から助け舟を出してくれた。 二人で沈黙したままというのは、どうにもお互いにとってよくなかったから。
「ありがとう、綾波」 「喜んでもらえたのなら、うれしいわ」
緊張で顔から火が出そうだったけれど、何とか所定の任務目標を達成できた。 これで一安心、そう思って紅茶に手を付ける。
「あ、そうでした。もう一つムーンストーンは『愛と絆を深める』という意味もありますよ」
マスターが、この瞬間まで教えてくれなかったもう一つの重要な意味という特大のN2爆雷を投下するまでは。
「あ、愛!?」
ガチャリ、と音がして碇くんの持ったフォークが皿の上を転がった。 私は、何とか事なきを得たけど、手に持ったカップの震えが止まらなかった。
「あら、お二人ともご存じなかったのですか」
さも驚いたという風でマスターは言ってのけるが、私は知っている。 確信犯だということを。
「あ、綾波」
碇くんが、私のほうを向く。 先ほどよりも、さらに神妙な面持ちだ。 正直に言えば、このまま逃げ出したい、話を切り上げたいのだけれど、そういうわけにはいかなくて。
「なに、碇くん」
二人の沈黙を埋めるように、静かな店内に合わせて聞こえてくるのは、“Fly me to the moon”。 そのメロディを聞いてお互いに顔を見合わせる。
「ありがとう、改めて、そう言いたくて」
碇くんが、私に向けて微笑む。 私もきっと、口元が緩んでいるのだろう。 ああ、そういうことなの。 何も、心配することなんてなかったのね。 うんうんと頷きながら特等席でこちらを眺めているマスターには、あとで文句を言うことは決めたけれど。 今はこちらが最優先。
「私を、月に連れて行ってくれる?」 「喜んで。いつか、必ずね」
彼の手元では、ムーンストーンが、深い輝きを湛えていました。

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