Re: ゲロ甘ベタベタLRS企画 ( No.14 )
日時: 2011/04/15 02:27
名前: calu

 ……僕は。



 
 ……僕は。

 
 ……僕は、バカだ。ほんとうにバカだ……。

 …なんで。

  …なんで。


    …なんで……。


 
         …なんで……。




                …なんで……こんなことで。






  間に合わないかもしれない、なんて。



 コンフォート17のエレベーターから吐き出されたように飛び出したシンジは、目的の部屋に向かって駆け

だした。宵闇が足を忍ばせるいつもの廊下は、まるで漆黒に飢えたトンネルのように思えた。

 視線の先にぼんやりと浮かんだその部屋のドア――まるで黄色い鱗粉を撒いたようにライトがあてられた―

―は、近づくにつれ一層不吉な、無機質さをその光沢の中から顔を覗かせた。

 何者かにいきなり襟首を掴まれたかのように目を剥いたシンジは、汗ばんだカードキーを殆ど出鱈目にスリ

ットに通した。



                  「綾波ーーーー!!」




               ■□  Believe In Life - calu  ■□
 
 
「綾波ぃ!」

「碇くん、おかえりなさい」

 玄関に飛び込んできたシンジは、ぱたぱたと羽のようなスリッパの音を立てながら出迎えたエプロン姿のレ

イを何の脈絡もなくかき抱いた。

「い、碇くん!?」

「綾波、綾波っ!」

 百年前の呪文を引出しから拾い上げるようにレイの名を繰り返し、そのうなじに鼻先を這わせたシンジは、

体の中をレイの匂いでいっぱいにした。シンジの腕のなかのレイは、体温の調整さえ覚束ない雛のように、そ

の華奢な肢体を捩らせた。

「…碇くん」

「綾波綾波!」

「…碇…くん」

「綾波、綾波っ」

「…碇くん、痛い」

「綾波、あや…あ、ご、ごめんっ」 

「碇くん、優しくして欲しい」 

「ご、ごめん。で、でも、綾波が、その、切れそうだったんだ」 

「…きれそう?」

 少し目を丸くして小首をかしげる仕草を見せたレイに反応したのか、むしゃぶりつくようにシンジはレイを

抱く腕に力を籠め、耳たぶにキスをした。レイの体が、何かのスイッチを押されたようにビクンと震えた。
 
「…その、綾波がさ…僕の中で、切れそうだったんだ」

「…碇くん、のなかで?」

「そうなんだ。だから…こうしてチャージしないといけないんだ」

「い、碇くん、耳たぶのところで喋らないで…」

「え、何?」

「…嫌」

「綾波が悪いんだよ」

「…ど、どうして?」

「ずっと綾波でいっぱいじゃないと、ダメになってしまったんだ」

 緑深き森のなかでするように、ふたたび顔を埋めたレイの首筋でシンジは深呼吸を繰り返す。腕の中でいや

いやをして身を捩らせていたレイからは、やがて力は抜け落ち、とうとうフローリングの床にぺたんとお尻を

ついてしまった。

「あ、綾波、大丈夫!?」

「大丈夫、じゃない」

「あ綾波、ごごめんよ」

「碇くんのせい」

 そ、そんな、綾波、ごめんよ、と慌てふためくシンジは、しゃがみこんで幼女のように顔を俯かせてしまっ

たレイの背中に手を添え、その顔を覗きこむ。





 ちゅっ。





 いまシンジの目に映っているのは、レイの雪原のように白く艶やかな肌。シンジを魅了して止まない印象的

に深い紅に揺れる眸は、扇のように閉じられ、長い睫が風に撫でられては微かに身を躍らせていた。

 その唇の例えることの叶わないほどに柔らかな感触に、シンジはゆっくりと視覚の門を狭めていった。 

「……わたしも」

 躊躇いがちに唇から離されたその感触と、入れ替わるようにして、鈴をひとふりするようなレイの声が鳴った。

「…綾波」

「……碇くんが、切れそうだったから」

 薄っすら頬を染め目を逸らせたレイは、透き通るような美麗さを際立たせている。森の陽だまりに咲いた春

を告げにきた妖精。悟られないように、逃げ出さないように、そっと掌に包みこむように、シンジは白磁のよ

うなレイの頬に手を添えた。
 
「…綾波」

「……だから」

「綾波」 

「碇くん、ダメ」

「あ、綾波?」

「ごはん、もう出来るもの」

 え? と、上げた頭に降ってきたのは無粋なキッチンタイマーの音。何て奴だ、と真剣に思う。
 
 それでも諦めることの出来ないのは思春期まっただ中の男の子の証。で、でも、もう少しだけ、とレイの背

中に不器用に回そうとした腕を、レイはダンスを踊る魔女のようにするりと抜け出した。

「嫌。碇くん、優しくないもの」

「え? そ、そんな……綾波ぃ」

「嘘。また後で、……だって」

「へ?」

「みんな、着たもの」

 キッチンタイマーなど比較にならない位に大きく響いた無粋なチャイムに、やはり僕は、何て奴だ、と真剣に思う。



  ■□
  □■
                    

「へー、これファーストが一人で作ったんだ」

「これは美味しそうだね。何というプレートなんだい?」

「夏野菜のエスカリバーダ。碇くんレシピの」

「うん。て言っても、僕もこないだ何かの小説で読んで、初めて作ったんだけどね。でも綾波が作ってくれた

これって…」

 食欲をそそらせるあんばいに焦げた茄子に、雨上がりの庭園のようにオリーブオイルの打たれたパプリカが

その黄色い瑞々しさを浮かびあがらせている。

「ほんとうに、美味しそうだ」

 レイを振り返ったシンジは、健全な女子であれば誰もが赤面するような笑顔を浮かべていた。

「…いつも碇くんに、教えて貰ってるから、少しは改善してるんだと思う」

 やはり頬を染め視線を下げてしまったレイに、微妙な間を感じ取ったのは惣流・アスカ・ラングレー。その

顔に意味深な笑みが刻まれた。

「アンタたちって進歩しないように見えるんだけどさ、二人っきりで料理作ってるときって、なんかえげつな

いスキンシップしてんじゃないかなって、偶に思っちゃうのよねー」

「な、何言ってんだよ、アスカ!?」

「…さっきもあったわ」

「うへえっ!? そ、そんな、綾波!?」

「ほーらね。レイ、気を付けたほうがいーわ。このバカ、気はてーんで弱いくせにエッチなんだからさ、油断

しちゃダメよ」

「うん……碇くん、痛くするもの」
 
「あ、あ綾波ぃぃーー」

「…あんたってヤツはー、ほんっとに、さいっていのウルトラバカね!」 

「シンジ君、その行動力は尊敬に値するよ」

 いつも通りのお食事会っぽくなってきたところで、…でも、とレイの言葉がウォータークーラーの水滴のよ

うにポトリと落ちた。

「大切なものを買ってくるのを忘れたの」

「なに?」

「エスカリバーダといえば切り離せないものがあるわ」

「なによ、それ?」

「シュークリーム。エスカリバーダとはお友達だって碇くんが教えてくれたの。それなのに…」

 哀しげに顔を俯かせたレイに、寒がりの妹の背中をさするようなカヲルの声が平和に響いた。

「大丈夫だよ。そんなこともあろうかと買っておいたか――」

「わーい!」

「アスカ。それ、わたしの台詞」

「はぁ? あんた、なに言ってんのよ?」

「すごいや、カヲル君、どうして解ったんだろう」

「君たちにはスイーツが必要だからね」

「でも、あんたねー、それってどこにあんのよ、カヲル?」

「お隣の葛城さんのダイニングテーブルの上に置いたよ。食事が終わったら、取りに行けばいいさ」

「あんたバカぁ? 餓鬼道に堕ちた雑食ペンギンがいんのよー、そんな悠長なこと言ってたら、食べられちゃ

うに決ってんじゃない!」

「それじゃあ、いま取ってくる事にするよ」

「ちょっとカヲル、あんた、鍵持ってないじゃないのよ!?」

 スッと立ち上がって、図書館に入るように涼しげな顔でスタスタ行ってしまったカヲルの背を慌ただしく追

いかけるアスカ。エアロックの音にアスカの意味不明な言葉が噛みつくようにリビングになだれ込んできた。

「はは。相変わらずだね。あのふた――」




 ちゅっ。




 シンジの目に映っているのは、レイの陶磁器のように白く艶やかな肌。扇のように閉じられた眸は、長い睫

をペンライトのように揺らせている。すこし焦げたオリーブオイルの味だった。

 ……すぐに切れてしまうの、と幻のようにシンジの耳を通り過ぎたレイの声の遥か上方では、千個のシュー

クリームが弧を描いている。

 ふたたび世界中に鳴り響いたエアロックドアの音に、やっぱり僕は、何て奴だ、と真剣に思う。 





                        The End