Re: ゲロ甘ベタベタLRS企画 ( No.7 )
日時: 2011/03/30 00:33
名前: aba-m.a-kkv








それは、始めて見る、冷たい白い欠片が、傷だらけの世界を覆い尽くした、そんな夜。

でも、手元にあるマグカップの中身に、その白が落ちても、その中身は白くも冷たくもならなかった。

それは、私たちの、心の中のように。







ココア     aba-m.a-kkv     Pray4TOHOKU







「どうしたの?」


私がふと零した微笑に、キッチンで洗い物をしていた彼が首を傾げた。

対面式のキッチンとはいえ、窓の外を眺めていた私の表情を良く見ているものだ。

可笑しさ半分。

私をいつも見ていてくれているそのことに胸の奥が熱くなった。

あのときの約束は今も続いているのだ。


「雪」


私は少しだけ彼のほうを見て、誘うように窓の外へ視線を向けた。

青闇色の暗幕を背景に、踊り巡る白い踊り子たち。


「ああ、今夜半から降り出すって、天気予報で言ってたけど。

 降り始めたんだね」


最後の食器を乾燥棚に立てて、彼は蛇口を捻る。

私たちのいる空間に音が消えて、窓の外の無音の演劇の音が聞こえてきそうだった。

タオルを手に取りながら、彼がエプロンを着けたまま私の隣に座る。


「それで、雪の降り始めるのを見て、何を笑ったの?」


彼の二度目の問いに、私は姿勢を低くして彼に擦り寄った。

そして、彼の漆黒の瞳を見上げ見つめながら甘えた。


「ココアを入れてくれたら、教えてあげる。

 お願い、インスタントのでいいから」


彼が頬を染めながら頷いて再びキッチンに向かうのを少し見送って、私は大きなブランケットを取りにいった。

持っている中で一番大きなブランケットを引っ張り出し、テーブルに戻って耳を澄ませば再び部屋の中に音が満ちていく。

お湯を沸かす音。

食器棚から二つのマグカップを取り出す音。

そこにインスタントのココアパウダーを落とす音。

沸騰したお湯を注いでそれを溶かす音。

そのどれもが、昔は何も感じなかった、今では愛しくてたまらない音だ。

最初は無感覚に掌を滑り落ち。

次に崩れて消えていくそれを握り締められず。

そして形を汲み上げていけることに気がついたときから、その大切さを、その愛しさを育んでいけたもの。

でもそれは、私に新しい始まりがあったから。

私が私であったから。

独りではなかったから。

彼が一緒にいてくれたから。


「おまたせ、淹れたよ。それで――」


白い煙をくゆらす二つのマグカップを持って彼が私の所に戻ってくる。

私はブランケットを広げてその片側を自分に羽織りながら彼を迎えた。

それからすぐ傍に寄り添って、もう片側を彼の肩に掛ける。

そして促す。


「ありがとう、じゃあ、いきましょう」







見渡す限り一面に広がる瓦礫の平原。

隙間なく爆撃を受けたかのように要塞都市の名残さえ何一つない。

戦禍がまさに地上を嘗め尽くして消え去った痕だ。

その中央にくず折れる神々の亡骸があった。

そして骸だけに成り果てた九つの残骸に囲まれるようにして、ただ一つだけ巨人が立ち尽くしている。

だがその眼にもう光はない。

すべてが過ぎ去ったのを顕すように。

その足元に二つの影があった。

瓦礫の中に埋もれたであろう学校の制服を纏った二つの小さな影。

その二つが寄り添うように巨人の足元で火を囲んでいた。


「地上部隊が来るまでは、ここにいてくれってさ」


世界を満たしていた赤い海が引いて幾許かして、軍用のヘリが伝令と物資を落としていった。

その中にあったガスコンロで水を沸かしながら黒髪の少年が明るく言う。


「よかった

 人も、自らの形を自ら思い出すことが出来ているのね」


伝令を付した手紙を読みながら蒼銀の髪を纏う少女が呟いた。

そこには良く知る人たちのメッセージも添えられている。

少女の欠片が海へと誘ったものたちも、少年と少女の願いの元に戻ってきているのだ。


「僕たちが、生きることを望んでシナリオをねじ曲げたように、生きることを諦めなかった人たちは強いよ。

 大丈夫、人は滅びたりしない」


少年が少女の手に指を絡めて握りしめた。

少女も頷くように刻み込むように握り返す。


「そうね、行きていこうと思えば、どこだって天国になるのよね。

 例え傷を帯びていても、幸せになる機会は無限に広がっているのだから」


少女が少年の肩に身を委ねる。

少年はその髪に頬を寄せて頷いた。


「うん、そうだね。

 自分で進む道は自分達で切り開いていかなきゃならない。

 でも僕たちはまず一歩を切り開けたんだ。

 この世界を天国にするのも、生きていれば必ず出来るよ」





天が開ける。

蒸発していく海を集めた天上から混じり気のない真っ白な欠片がゆっくりと落ちてきた。


「これ、なんだろう」


少年が手を伸べてそれに触れる。

とても小さい独特な形をしたそれは少年の掌で瞬く間に消えていく。


「前、本で読んだことがあるわ。

 雪っていうもの」


少女が呟いた。

それは記録に残る事象に重なるけれど、二人ともそれを見たことがなかった。


「これが雪。

 なんだか冷たいね。

 空気も冷えてきたし。

 ちょっと待って」


繋いでいた手を離して少年が投下された物資を探る。

一瞬、少女の口唇から声にならない声が漏れた。

少年は一枚の大きな毛布を引っ張り出して広げて片方を少女にもう片方を自分にかけてくるまった。

そして、少し遠慮がちに、でも確実に、その距離を縮めて寄り添う。


「これに、くるまっていれば暖かいよ、それから――」


がさごそとステンレスのカップを取りだし、いくつかある銀色の袋に入った粉をその中にあける。

それから携帯式ガンコンロで沸かした湯をそこに注いで溶かしていく。

チョコレート色の渦がステンレスのカップの中に生まれ、疲れきった体を溶かすような薫りが二人を包んだ。


「ココアだ。温まるよ」


熱いから気を付けて、そう囁きながら少年が手渡す。

ありがとう、と少女はそれを受け取り、暫くその水面を見つめてから一口飲み込んだ。


「……甘い」


少女が驚いたように見つめ、そして目を細めた。

それから少年にもカップを差し出して勧める。


「それに、暖かいわ……」


少年は少し頬を染めながら、カップをその少女の掌と共に包み込んで傾ける。

そしてぬくもりに溶けるように笑みを称えた。


「うん、そうだね。暖かいな」








巨人の影の下にあって二人の上に雪が積もることはない。

けれど目の前の世界は、まるでそれが失われたものへの手向けの花束のように白く白く見渡す限りに覆われていく。

崩れ果てるところまで崩れきった世界。

凪の海のように残骸が広がる光景は、少年と少女が知っている全てだった世界が終わったことを顕すようだった。

この地面から上は、子供たちがまだ知らない子供たちのための世界。

そしてその上に、雪が白く白く覆う光景は、まだ何も描かれていないページのようだ。

自分達の血で洗って白くした新しい本。全ては終わり、歩き出すための全てが整い始める。


「生きて、いこうね」


覆われていく世界を見渡して少年が呟いた。


「ええ」


少女がその言葉を刻み込む。


「今度は、もう君を離したりしないから」


少女は目を見開いて少年を見つめた。

少年が、一度は離しかけてしまった少女の掌に自分のぬくもりを重ねる。

その言葉の意志を込めて。


「君が君であることを、僕の中に刻むから。

 僕が僕であることを、君の中に刻むから。

 ずっと君の隣にいるから」


少年が少女の紅い眸を覗き込む。

雫に揺れるその眸の奥の、欠けた心を優しく撫でるように。

それぞれの失ったものを、それぞれの持っていなかったものを、結い合わせて。

月の道を辿る言葉をのせて。


「だから、一緒に、生きていこう」

「うん……うん……」


少女の紅い眸から雫が落ちる。

少年の瞳からもまた同じく。

それは、世界を始まりに染める白よりももっともっと純粋だった。

それから互いに涙を拭い、互いに指を絡め、笑顔を交わしあって、荒廃した世界を二人で見通した。

何もない世界、何もないから新しく建て始めることのできる世界。

切り開いていく世界。

それを見つめて。


「いつか、この終わりと始まりがあったから、今の幸せがある、そう思えるだけの世界になるように、生きていきましょう」


火を灯す、ココアを飲み込んだ胸の中のように熱い火を。

生きていくと決めた意志を、幸せになると決めた意志を灯す。

切り開き、築き上げて行くために。

この世界を、この新世紀を。





「あの時の続き、ね」


私は、今でも鮮明に思い出せるあの時のことを思い浮かべながら、彼の淹れてくれたココアを飲む。

ベランダの欄干に寄りかかり、彼と二人ブランケットにくるまって寄り添いながら。

あの時と同じで、ココアはとても甘く、とてもあたたかい。


「そっか、あの時も、雪の降る日だったね。

 初めて雪だった」


彼が息を白く凍らせながら懐かしそうに言う。

今、目の前に広がるのは雪景色、白い欠片たちが優雅に舞い降りる。

部屋の中の電気を消してベランダに出てきたから、外の景色も良く見えた。


「これが、私が笑顔になった理由よ」


雪の薄霞の向こうに、街の明かりが見える

私たちが生きる街

私たちが生きる世界

始まりから、築き上げてきたもの。


「覚えている?」そう訪ねようとして、聞く必要なんてなかったことに気が付く。

寒さからくるんじゃない組む腕と繋ぐ手に伝わる震えと、隣を見上げた先にある彼の笑顔が私のそれと同じだから。


「ほんとだね

 ここは、天国じゃないけれど、人は生き続けることを形に出来ていってるんだ」


海から帰れない人も、帰らなかった人も少なからずいる。

でも帰ってきた人たちは皆生きようと、幸せになろうと、ここまで頑張ってきた。

その証が今ここに見える景色だった。


「そう、あの時、この終わりと始まりがあったから、今の私たち、人がいると言えるような世界を願った。

 その願いはたぶんずっと続くものなんでしょうけど、いま、この世界を見て笑顔を浮かべられるまでにはなったんだと思うわ」


幸せになる機会を人は切り開いていっている。

例え罪があり、傷があり、心を隔てる壁がいまだ人の心を遮っていたとしても。

今は、過ぎ去っていった世界より力強いと言えるかもしれない。

ほんの少しだけわかりあえるようになったと、言えるかもしれない。


「それが、私は嬉しかったの」


世界がそうなら、私たちはどうだろう。

口には出さない。

私たちもまた道の途中。

でも、この世界が新しい形を持ったのと同じ、否、それ以上に、私たちの絆はあの時よりも強くなっている。

私がここにいて、彼がここにいる。

彼の中に私の象が刻まれ、私の中に彼の象が刻まれていっている。

命を保てるのかも分からなかった私が、自分を保てるかも分からなかった彼が、やはりあの時終わりを迎え始まりを受け入れ、そしていま共に生きて歩んでいる。

一緒に生きていこう、その言葉を繋ぎ続けられている。

それは、この世界がいまここにある以上に嬉しい。

私の想いが伝わったように、彼は私を見つめて微笑んで、そして優しく抱き締めてくれた。





雪を見つめ、世界を見つめて、私は彼に寄り添う。

彼の存在を感じ、それを通して私自身を感じる。

それから私はココアを口に含む。

甘味を食み、あたたかさを飲み込む。


「どうかな、あの時みたいに甘かったかな」


彼が愛しい笑顔で尋ねてくれる。

その問いに私は一瞬考える。

あの時のココアと、今の自分を。

それから私は胸を熱くしながら答えた。


「ええ、とても、甘いわ

 けれど、今ではそれ以上のものを持っているから」


そうでしょ、そう心をのせて私は瞼を閉じた。

重なるそれはココアよりも、ずっと甘く、そしてずっとずっとあたたかかった。