互いに抉り出した心/aba-m.a-kkv |
- 日時: 2009/05/31 00:00
- 名前: tamb
- 【タイトル】互いに抉り出した心/aba-m.a-kkv
【記事番号】-2147481561 (2147483647) 【 日時 】06/08/30 20:29 【 発言者 】tamb <tamb○cube-web.net>
■ファンタジー > 私はこれを何処にしまえばいい?
あたりの儀式っぽい感じが、モロにファンタジーというか、いわゆる剣と魔法を連想させる。恐らくほとんどの人が意味を解さないであろう呪文もそう。妙に硬いというか、漢字の使い方も、この世の物理法則が通用しない世界の雰囲気を出しているといえる。これは成功例といっていいと思うけど、この世界を読者が脳内でいかにビジュアル化できるか、ある意味では読者の技量が試されているともいえる。私は赤点のような気がする(爆)。素養が足りない。つまりこの作品の本当の評価はファンタジーの素養のある人の判断を待たねばならんのであろう。ちなみに誤読と読解技量不足は別物として考えてくださいませ(^^;)。
■大人になるために 異世界への旅は、大人になるための儀式としてある。帰ってきた者のみが大人になる。ファンタジーという物語は、子供時代という聖域、異世界に別れを告げるためにあり、そのように読まれなければならない。ジョバンニは汽車から降りねばならなかった。そして、「Goat for AZAZEL」においてもそれは明らかだった。 だが、この物語においては事情がやや異なる。二人は互いの心臓を交換するというファンタジックな領域を残したまま大人の世界へと帰還しようとする。これは互いの心に依存しながら生きる事を意味する。これをどう解釈するか。 人間というのは、実は何かにすがっていないと生きていけないのではないかと思う。それは母親だったり、薄汚れた毛布だったり、古いぬいぐるみだったり、恋人だったり、ペットだったり、あるいは美少女フィギュアとか綾波レイというキャラとか、宗教やナショナリズムなのかもしれない。この二人にとってのその対象が、「心を知ることが出来た」という記憶と「絆」なのだろう。それにすがっていけば、大人の社会という現実世界でもなんとかやっていける。そういうことなんじゃないかと。
「抉り出す」という言葉は、作者の周到な計算によって選択されている。取り出すではなく「抉り出す」。この言葉のもたらすイメージがどういう効果を生むと計算したのかはあえて聞かなかったんだけど(考えがあったというのは確認済み)、互いの心を傷つけてもかまわないということじゃないかと思った。舐めあうだけではないってこと。つまり、すがるものに傷つけられても生きていこうという決意。どうだろう?
■ヒトではない > 「かまわない」 > 「……えっ……?」
私を含めて、綾波は人だよ系の作品が多い中、これは鮮烈だった。レイの方から動こうとすれば、これは必然ではある。人かどうかというのは実は大きな問題ではない。 しかし私的には、それまで
> そして私も貴方の血によって儀式陣に参画し、貴方の意志を刻む使徒として付与された力を行使できる > 貴方は私の力を持って要の中に入り、私は貴方の血によって十一番目の要として加われる > 儀式の意味を反転させ、世界を元の状態へと再構築できる
などという分ったような分らないようなことを喋っていたレイが急に「えっ?」と素になるところが萌え(爆)。
■イメージ そして最後に、この作品を読んで最初に思ったこと。 一、必殺仕事人の何かのシリーズにあった心臓を握りつぶして殺すという技(爆) ニ、マフィアかなんかの入会時に行われる、互いの血を混ぜるという儀式(通過儀礼!)
ホントすいません。
■作者に質問 一、あなたにとってファンタジーとは? ニ、お勧めのファンタジーがあれば教えてください
■作品はこちら http://tamb.cube-web.net/cont/aba-m/aba-m17.htm
mailto:tamb○cube-web.net
【タイトル】Re: 互いに抉り出した心/aba-m.a-kkv 【記事番号】-2147481556 (-2147481561) 【 日時 】06/09/05 05:23 【 発言者 】クロミツ
これまた難しい世界を構築してきたなあ、というのが初見の正直な感想。tambさんの言うように 読み手の技量というかイマジネーションが試されそう。僕の少ない素養の範囲で喩えるなら、 エタナール・チャンピオンたちのサーガ(過程)をすっ飛ばしていきなりタネローンへ到達した シーンを見ているような感じ・・・という感想の方が訳分からんでしょうが(苦笑)、天地創造の 神話の世界ですな。心臓を取り出すという儀式は土着的なシャーマニズムを連想させ、旧約聖書より 日本の神話や北欧神話の持つある種の泥臭さを感じる。 まあ僕の場合、読解力以前に読めなかった漢字がいくつかあったわけですが・・・。 ^_^;)
「抉り出す」という行為については、僕もtambさんとほぼ同じ。傷つけあうことを怖がるハリネズミ のようだった少年が、互いを傷つけるという代償行為を行わなければ手に入れられないほど大切な ものがあることを知り、実行する勇気を得た。大人になったかどうかはともかく、成長したのだろう。
ただ個人的には、心臓を抉り出すとレイに告げられたときシンジには躊躇して欲しかった。僕自身はレイが 人でなくても全然かまわない派ですが、ためらいもなく『かまわない』というシンジはカッコいいんだけど、 君いつの間にそんなに強くなったのかと。(笑) 最終的にはこの御話どおりの結論を出して欲しいのですが、もう少しさなぎから羽化する過程を読みたかったかな。
ところでtambさん、「ビルドゥングス・ロマン」って何?^^;)
【タイトル】Re: 互いに抉り出した心/aba-m.a-kkv 【記事番号】-2147481552 (-2147481561) 【 日時 】06/09/06 19:29 【 発言者 】tamb <tamb○cube-web.net>
> エタナール・チャンピオンたちのサーガ(過程)をすっ飛ばしていきなりタネローンへ到達した > シーンを見ているような感じ
全くわかりません(笑)。
> 読めなかった漢字がいくつかあったわけですが
はい、私もです。聞いてしまいました。まぁ難解な漢字を使って難解な雰囲気を出すってのは、手としてはありだと思うんで。
> ビルドゥングス・ロマン
見てくれて嬉しい(照)。 教養物語とか言われたりもしますが、いわゆる成長物語のことです。エヴァはそもそもビルドゥングス・ロマンであろうとしたのかどうか、というのが当時は議論になったりしたようです。
mailto:tamb○cube-web.net
【タイトル】Re: 互いに抉り出した心/aba-m.a-kkv 【記事番号】-2147481542 (-2147481561) 【 日時 】06/09/13 10:37 【 発言者 】aba-m.a-kkv
忙しくて、まともにレスできなくてすみません。 ほかにもいろいろレスしたいところですが、とにかくということで。
tambさん、公開ありがとうございます。 そして、たくさんの解説も感謝です。 問題のファンタジーですが、私はいまだにファンタジーがどういうのかわからなくて… なので、おすすめのファンタジーも浮かばないんですよね。 というか、ファンタジー作品って何か読んだことあるかな?
クロミツさん、感想ありがとうございます。 精神的に脆いシンジ君ですが、貞元エヴァの10巻ではもう一息で自ら動けそうな予感を感じました。 ただの願望ゆえに見えたのかもしれませんが(笑) 本当ならこのストーリの前の部分、シンジがレイを拒絶してしまう場面から書ければ良かったんですが、なかなか書ききれなくて(苦笑) ちなみに、私も「ビルドゥングス・ロマン」わかりませんでした(笑)
【タイトル】Re: 互いに抉り出した心/aba-m.a-kkv 【記事番号】-2147481536 (-2147481561) 【 日時 】06/09/15 05:14 【 発言者 】クロミツ
>問題のファンタジーですが、私はいまだにファンタジーがどういうのかわからなくて… >なので、おすすめのファンタジーも浮かばないんですよね。 > 改めてファンタジーの定義を問われると、結構難しいですね。 僕個人としては指輪物語とかコナン(探偵でも未来少年でもない:笑)とか・・・。 学生時代にD&DやルーンクエストなどのテーブルトークRPGにハマったから、その辺りのイメージですね。 ムアコックのエタナール・チャンピオンシリーズもお勧めなんですけど、あれは人によってはSFだそうで・・・。
>精神的に脆いシンジ君ですが、貞元エヴァの10巻ではもう一息で自ら動けそうな予感を感じました。 > レイの秘密を知ったけど、怯えてはなさそうですよね。 アニメのように潰されなければいいなあ。コミック版まで同じ展開じゃつまらんので、レイから逃げないで欲しい。
【タイトル】Re: 互いに抉り出した心/aba-m.a-kkv 【記事番号】-2147481525 (-2147481561) 【 日時 】06/09/25 00:10 【 発言者 】なお。
>■ファンタジー >> 私はこれを何処にしまえばいい? > あたりの儀式っぽい感じが、モロにファンタジーというか、いわゆる剣と魔法を連想させる。
私はこのシーン、ミュージカルなんかの演出に近いなと思いました。読んでる最中も舞台の上でスポットライトに照らされた二人をイメージしました。 で、ミュージカルといえば古典的なものだと神話なんかが多い気がして、私が想像したのはどうもそっちの感じ。『ああなるほど、ファンタジーかもしれないね』と、今これを書いていて思いました。
冒頭の、まさにこのシーンなんですけど、ここを最初に読んだときの印象は『グロテスクにも思えるほど生々しい』、であったのに、実際のここのシーンを読んだときには『ちょっとエロティック』と、印象が変化してました。文章だけを読むと多少は違えど極端に書き方が変わっているとは思えないんですけどね。やっぱりわざとらしくも大袈裟な演出によるファンタジー性(非現実性)のおかげでしょう。でもそうなると冒頭のシーンは、もっとグロテスクにぐっちょんぐっちょんに書いても面白かったんじゃないかと(笑)
|
|