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惣流アスカの退屈(中編)
日時: 2009/05/31 00:00
名前: みれあ

【タイトル】惣流アスカの退屈(中編)
【記事番号】-2147481493 (2147483647)
【 日時 】06/10/10 00:13
【 発言者 】みれあ

 僕達が今いる小さな球場は普段は少年野球チームが週末に使うだけだが、毎年この時期だけは異様な盛り上がりを見せる。市内の数多の野球サークル、草野球チームが目の色を変えて集結し、実に二週にわたり週末を使い市内最強の野球チームを決めるのだ。
 その異様な熱気の中において一番醒めた空気を纏った我らSAS団は一回戦から優勝候補と目される強豪チームとの対戦を前にしていた。
「稲草パイレーツ。大学生によって構成され、昨年、一昨年と連覇を達成したチーム。エースピッチャーの貞野選手はズバ抜けた球威を持つ速球と緩いカーブの緩急が武器」
 結局いつも通りの制服姿の綾波が淡々と相手チームの解説をしている。目の前では貞野とかいうピッチャーが綾波の解説通りの速球を投げ込んで試合前の練習をしている。よりによって一回戦から強豪とは荷が重いよと溜息。
「シンジ君はいつも溜息ばかりだね」僕は近づいてくる渚君からナチュラルに後ろずさる。
「渚君の言うゼーレとか言う組織的には」言いかけたところで渚君が唇に人差し指を当ててウインクする。分かったよ。僕は小声で続ける。
「こうやってSAS団がいきなり強豪とぶつかるのもアスカの望んだことだって言うの?」
「確かに難しいことだ」僕には小声を強いたくせに渚君は大きな身振りで悩む仕草をしてみせる。はっきり言って視線を集めて楽しんでいるとしか思えないぞ。
「彼女は確かに勝つことを望んでいる。しかしその彼女が望む勝利はおそらく強敵から苦しみ抜いた末にもぎ取るものではないだろうか。最近僕達はそんな風に捉えているんだ」
「ふうん」
「さて、そろそろ監督さんから守備位置と打順と作戦の発表のようだよ。行こう」
 渚君に促されて見ると、アスカが得意気な顔をしてこちらを見ている。僕が輪に入ったところで彼女は口を開いた。
「さぁて、今日の作戦は非常に簡単よ。猿でも覚えられる作戦なんだから、耳の穴かっぽじってよぉく聞きなさいよ!」
 山岸さんは丁寧にメモなんて開いて話を聞いているけれど、きっとロクな作戦じゃないだろうと僕は半分聞き流し。
「積極的に打って出塁。塁に出たら三球目までに盗塁。以上! アタシの計算だと一回に三点は入るわね」
 どんな計算だ。
「誰か文句言った? ないわね。オッケー!」
 アスカが手に持ったノートを勢いよく叩く。と、トウジが手を挙げた。
「センセー、打順と守備位置まだ聞いてないんやけど」
 アスカはそう聞くと思い出したようにジーンズのポケットから何か小さな紙切れを取り出した。
「昨日一晩アタシも考えたんだけどどうもなかなか決まらなくて、結局クジにすることにしたわ」
「ハァ?」
 大きな疑問の声が響く。尤も綾波はいつも通り無表情だし、渚君もニヤニヤのまま。僕だって今更驚きはしないさ。
「守備位置と打順と、二つのクジ両方に名前書いてちょーだい。アタシは一番ピッチャーで固定だから」
 結局SAS団らしいといえば非常にSAS団らしい決め方で、本日の布陣は決定した。
一番 惣流アスカ(ピッチャー)
二番 綾波レイ(センター)
三番 碇ゲンドウ(ライト)
四番 碇シンジ(セカンド)
五番 渚カヲル(ショート)
六番 霧島マナ(サード)
七番 相田ケンスケ(ファースト)
八番 鈴原トウジ(キャッチャー)
九番 山岸マユミ(レフト)
 …僕が四番とは。しかも父さんと続きの打順なんてといまいち気分の上がらないまま、見事野球チームSAS団の記念すべき第一試合は開幕を迎えた。

****

「プレイボール!」
 審判が試合開始を高らかに宣言する。打席に立ったアスカと相手のピッチャーの両方が不敵な笑みを漏らす。
「打てー、惣流ー」
 トウジのやる気のない声援が空しい。とふと突然、三塁側の狭い客席から下手くそなトランペットの音色が聞こえてきてふと僕らは振り返った。見ると壱高吹奏楽部の見知った面々がどちらかというと嫌そうに応援のラッパを鳴らしている。それにしても下手だ。
「へっへ〜ん、こんなこともあろうかと拉…呼んでおいたのよ! このアタシの手際のよさ、まさに一級ひ「ストラーイク!」
 くだらない自慢を垂れていたアスカの横を速球が通り抜ける。ミットにボールが収まる乾いた音と審判のコールとでアスカは我に返った。
「ちょっとぉ、勝手に試合進めるなんて卑怯じゃない! SAS団と戦いたいなら真っ向勝負で戦いな「ストラーイク、ツー!」
 流石にひどい。しかも追い込まれてるし。
「どないしたそーりゅー、振らんと飛ばんでー!」
 野次るトウジにアスカは「五月蝿い」と怒鳴ると今度はバットを構えなおしてピッチャーを睨みつけた。
 ピッチャーが振りかぶりバックスピンのかかった白球が飛んでくる。打てるものなら打ってみろ、と言わんばかりのど真ん中の速球だ。
 しかしアスカは強烈なスイングでバットを振り球を見事打ち返した。SAS団の喚声を尻目に打球はぐんぐん伸び外野手の頭の上を越えてフェンスいっぱいにぶつかってようやく勢いを失う。ボールが内野に返ってきたころにはアスカは二塁ベース上でVサインをしていた。
「このピッチャー、思ったほどたいしたことないわよー。ガンガンいっちゃって!」
 アスカの調子に乗った叫びが聞こえてくる。相手ベンチにも丸聞こえなんだけどいいのかなと思っていると綾波が立ち上がりヘルメットをかぶって打席に向かっていった。
「それにしてもやっぱり、アスカさんってすごいんですねぇ」
 山岸さんが呑気に驚いているけれど、はっきりいって僕はこのくらいじゃ驚かない。アスカは口さえ開かなければ容姿よし学力よし運動神経よしのスーパー美少女であることなんて、今まで嫌ほど思い知らされている。それこそ彼女が今度のオリンピック代表に選出されたとしても僕は驚かないだろう。
「先頭バッターが出塁しても次が綾波かぁ。碇の親父さんに期待しなきゃな」
 ケンスケが打順を嘆く風なことを言うけれど、よく考えればそう悪くもない打順だと僕は思う。アスカの後に綾波でその次は父さんだ。この三人で一点ぐらいは先制できるかもしれないじゃないか、と思いながらサイズに合わないヘルメットに少し苦労している綾波に少しクスリ笑いを漏らす。
 ピッチャーが一度、二度塁上のアスカを気にするそぶりを見せてから綾波に正対する。華奢な少女相手と思って油断しない方がいいよ、と心の中で僕は少しブラックにニヤリと笑いそうになったけれど、彼女は僕の内心の腹黒を知ってか知らずか、ピッチャーが投げた直後にバントの姿勢を取った。
 綾波はインコースに入ってきた打ちにくい球を正確に一塁線へとバントを転がす。相手の内野陣は落ち着いて処理にいったが逆にアスカの方がバントを考えていなくて慌てて三塁へと滑り込んだ。
「ナ、ナイスバントー!」
 際どい所でセーフの判定をもらえたアスカが一応労う。綾波ならバントせずに打ちにいってもよかったのに、と不審な顔をしている僕の方へと綾波が寄ってくる。
「無死で塁上にランナーをおいている場合の二番打者の一番の仕事は進塁打」
 こんなところで打順の理屈を持ち出すなよ、と僕は思ったけれど綾波は何食わぬ顔でそのまま僕の横に腰を下ろした。せっかくのプロ選手並みの能力がこれじゃ無駄だ、と思ったけど言っても無駄そうだから口にしない。
 三番打者の父さんが打席へと入る。ともあれ先制のチャンスに変わりはないのだから父さんに期待しよう、と僕らは皆見守る。応援も気合が入ってトランペットはいよいよ無理な高音をねじ込むように鳴らし始める。そのいっぱいいっぱい感がどことなくSAS団にも似てるなと勝手に思い僕は立って打席に備えて体を伸ばす。
 父さんは初球から勢いよくバットを振る。捉えたようにも見えた大きな打球が上がったけれど少し引っ張りすぎた打球はファウル。
「うっわ〜、惜しいのぉ〜」
 ピッチャーが振りかぶって二球目を投げる。投げた直後に一瞬ピッチャーの顔がしかめ面になったように見えて、どうしたのかな、と一瞬僕は訝しむ。次の瞬間球場にボールが何かにぶつかる鈍い音と父さんのうめき声が響き渡る。頭を下げているピッチャーと、腰を押さえてうずくまる父さん。ボールはキャッチャーが構えていた外角からは大きく外れて父さんの腰へと見事命中したようだ。
「と、父さん、大丈夫?」
 一応父さんの様子を見に行くと父さんは腰をさすりながら「問題ない」と一塁へと向かう。と、途中でこける。駄目そうだけれど控え選手はいない。頑張れ父さん。
「バカシンジー、ここで打たなきゃアンタ男じゃないわよー! 四番よ、よ・ば・ん! 栄光のSAS団の四番ならなんとかしなさーい!」
 アスカに怒鳴られなくてもこれが得点機であることくらいよくわかってるさ、クジで決めた四番にプライドも何もあったものじゃないよ、と思いながら僕はゆっくりと打席に向かう。どうせ僕に迫力や威圧感は出せそうにないから、とせめてヘルメットを目深気味に被って睨んでるふり。まぁ、こんな脅しがきくピッチャーじゃないんだろうけどね。一睨みしてから、今度はいかにもそれっぽい間でタイムを取る。こうやってイライラさせれば万に一つぐらいは暴投してくれるかもしれない、と三塁ベース上で不服そうにしているだろうアスカの方に目をやった。
 彼女は踊っていた。
 いや、踊っていたという表現は本当は正しくないのかもしれない。よく見ると何かのサインを出しているのかもしれない。尤も、大きな身振りでわぁわぁやる様は踊りにしか見えないけれど。
 ここで僕は頭を使う。この局面で僕に出されるようなサインは何だ? 「打て」とか「かっ飛ばせ」ならわざわざサインを出すまでもない。ということは――「スクイズ」。
 僕はアスカの方を見て、らしくもなく親指を立てて合図する。アスカが踊りをやめたのを目の隅に置くと、バットを握り直して打席に立つ。スクイズなんてできるかな、と一瞬不安に思ったけど、やるしかないんだと自分を何とか鼓舞する。そうだ。さっき綾波がやったバントと同じように転がせばいいんだ。
 審判のプレイのコールで場の空気が再びぎちっと締まる。ピッチャーが投げたところで、僕はバットの先を右手で支えて、しっかりと球を転がせるようにと掴む。
 けれど世の中はそう甘くはいかない。打席の僕からえらく遠いところへと飛んだボールは僕が腕いっぱい伸ばしたバットの更に外側を抜けて空しくキャッチャーミットに収まる。……読まれてた。
 飛び出して三塁と本塁の間ぐらいにいたアスカは日本語ともドイツ語とも猿のわめき声ともつかない怒号を上げながらキャッチャーにタッチされてアウト。いわゆるスクイズ失敗という奴だ。がっくりくるSAS団ベンチの空気がここまで伝わってくる。ごめんごめんごめんごめんごめん。足が震える。手が震える。審判が見かねてタイムをかけてくれたおかげで、僕はほんの少しだけ落ち着いて息をつく。ベンチを見る。思いの外、皆普通の様子をしている。アスカも若干しかめ面だけれども目があった瞬間に命の危機を感じるキングコブラのような怖さは別にない。もう一度大きく深呼吸をして、手の汗をぬぐってからバットを握り直す。こうなったら一度死んだ身だ、とピッチャーを睨み付ける。と、意外にもピッチャーの方は少し爽やかな表情を見せた。彼は彼なりにピンチを脱してほっとしているのかな、と思った次の瞬間には彼はまた戦う人の顔に戻り、僕は二つめのストライクを見事な空振りで喫した。
 こうなったらいちにのさんでバットを振るしかないのか、と三球目に対する。ピッチャーの手からボールが離れる。さっきまでの速球のタイミングで、とバットを振り回す。しかしコースがどうとかいう以前に、ボールはシュルシュルとここまでのストレートと明らかに異なる軌跡を描き、バッター――僕の手前でストン、と曲がった。
「ストラーイクスリー、バッターアウト!」
 バットが空を切ってからようやく、綾波が言っていた「速球とカーブの緩急」を思い出して、僕はバットを地面に叩きつける。ちくしょう。
 まぁ、そんなこんなで、SAS団の一回表の攻撃は四番打者のスクイズ失敗により勢いを失いあっけなく終了した。

****

「バカシンジもたまには役に立つかと思ったけど、やっぱりダメだったわね」
 アスカがいかにも不満そうに言いながらマウンドに向かう。トウジが「シンジには荷が重いわ」と言いながらアスカにボールを渡した。まったくもってトウジに同意だ。
「さぁ、しまっていくわよー!」
 アスカが掛け声をかける。普通はキャッチャーが言う台詞だろうに。相手の一番打者が左打席に入る。どうかなるべくこちらに打球が来ませんように、と願いながら僕は腰を一段落として守備体勢を取る。
 アスカが球を投げる。相手のピッチャーにも負けない球威のストレートを、打者は驚いたように見送った。清々しいまでにど真ん中に決まったボールはストライク。相手のベンチから「は、速い」なんて呟きが漏れている。
 そのままテンポよく二球目、三球目と投げて先頭バッターは空振り三振。
「ナイスピー」
「あったりまえじゃない!」
 キャッチャーのトウジが投げ返したボールをアスカが受け取って自信満面の様子で言う。ただ球威があるだけではなく打者の手前で少しブレる球は性格が出ているかのようで打ちづらそうな様子だ。とはいえ三球全てど真ん中じゃあ、そのうち打たれるぞ、と少し心配する僕。
 二番打者が打席に入る。トウジも僕と同じことを考えていたのか、彼はど真ん中ではなく外寄りにミットを構える。同意を求めるように彼が首を傾げると、アスカは首を振る。内角、高め、低め、全てを拒否して、最後に渋々トウジは真ん中に構え直す。アスカは満足したように頷いた。分かりやすいことで。
 相手の二番打者はアスカの速球の球威を警戒しているのか、バットを短く構えている。こりゃ当てに来るつもりだな、と僕とトウジは目でサインする。
「うりゃっ!」
 しかしどうしてなかなか、一球目二球目とファールするのが精一杯のようだ。やはりアスカがピッチャーをやりたがっただけのことはあるなとちょっと考えた次の瞬間、ようやくボールを前に飛ばした二番打者は結構なスピードで一塁に向かって走り出した。打球は渚君の立っていたところよりはだいぶ左を抜けていこうとしたはずだけれど、渚君は勢いよく滑り込むとボールを掴み、不安定そうな姿勢のままで強烈な送球をノーバウンドで一塁に送った。ケンスケがなんとかボールを受け取ってアウト。
「ナーイス、渚君!」
「いえいえ」
 褒めるアスカに渚君はいつものスマイルで礼を言う。昨日の練習では冴えていなかったはずの渚君の好プレイに霧島さんやトウジ、ケンスケからも賛辞が飛ぶ。僕は少し羨ましくて咳払いをする。彼のことだからまた僕の方へ寄ってきて「本気を出してなかったんだ」とか笑顔で言う様子が容易に想像できるのだけれど、案の定彼はスマイリーな声色でボールを投げながら話しかけてきた。
「僕としても、シンジ君と一緒にいるこの世界を壊したくはないからね」
「そ、そりゃどうも」
 それにしても彼の真の実力というものは分からない。掴めない人だなと思ってボールをアスカに返して、アスカは三番打者に対する。しかし、このままでは本当に勝ち進んでしまうかもしれない。宇宙人的インチキや未来人的インチキや超能力者的インチキを使わずに、だ。これはもしかしてもしかするのかも――
「ライトー!」
 思った矢先に大きな飛球がライトに飛ぶ。ライトの父さんは打球を追おうとするけれど、すぐに腰を押さえてうずくまった。ダメだな、とやむなく僕は走る。打球はフェンスにぶつかる。ぶつかったボールは僕の目測よりもずうっと大きく跳ね返る。ボールが僕の頭の上を越えて、どうしようと思ったところにふと誰かの影が凄いスピードで走り込んでボールを掴む。綾波だ。綾波はそのままボールを投げるとボールはまっすぐな軌跡を描いて渚君のミットへとノーバウンドで収まる。それでも渚君が向き直った頃には相手の打者は悠々三塁を陥れていた。
「あ、ありがと」
 お礼を言うと綾波は何も言わずに一瞬だけ頷くような動作を見せてまたセンターの定位置へと戻っていった。
 内野に戻ると内野は内野でマウンドの周りに皆が集まっていて、トウジとアスカが罵り合っているような様子に見えた。
「一本長打打たれただけで動じてもしゃーないやろ。ま、真ん中だけやったらそら打たれるわ」
「言われなくても分かってる! アンタはアタシの投げるボールを取ってりゃいいの!」
 トウジはそんな理不尽な要求にキレそうな顔になったけれど、諦めたのかもの言いたげな顔のまま持ち場に戻ってマスクを被った。

****

 それから先の有様については、なるべく触れずにおきたい。ボコボコと打たれるアスカや、三振の山を築くSAS団について詳しく描写しても仕方がないじゃないか。一回の裏は運良く一失点で済んだのだけれども、ど真ん中にしか投げてこないことを見切られるや後は打ち放題。ライトの父さんはうずくまったままだし、レフトの山岸さんは山岸さんでボールが来るなり頭にグローブを被ってその場で座り込んでしまう始末。外野の打球はセカンドの僕とショートの渚君、そしてセンターの綾波で何とかカバーしないといけないわけで、ライン際に鋭い当たりでも飛ばされようものなら即ランニングホームランという無様な有様。あれよあれよという間に二回の裏が終わってみると、八対零。ワンサイドゲームだ。ちなみにこの大会、一回戦は十点差コールドが定められているから、三回の裏にもう二点差広げられるとゲームセットになるわけだ。この点差をひっくり返せるとは思わないけれど、コールド負けなんてしようものならそこら中にアスカの不機嫌の嵐が舞うことは避けられないわけで、僕は打席に向かうトウジに一縷の期待を抱いていた。
「ストラーイク、バッターアウト!」
 その一縷の期待も役に立たず、トウジは美しい三振とともに帰ってきた。

 うなだれるトウジをケンスケが慰める横を、アスカがおもむろに立ち上がって通り抜けた。次の打席の準備かと僕が気を留めずにいると、アスカは何を思ったか唐突に山岸さんの首を引きずるとベンチ裏の物陰へと消えていった。何事かと目を向ける。
「しんぱーん、タイムねー!」
 まさか馬鹿なもしやと三点セットで僕を襲った予感はまさに的中していたようだ。物陰で音と声がゴソゴソする。
「ほぉらマユミちゃん、やっぱり応援といえばチアガールよねチアガール!」
「え、いや、え、遠慮しますぅ!」
「そんなこと言わないの! ホラ、アタシも着てあげるから!」
 聞こえてくるS極とM極の叫び声は事態を容易に想起させた。いつも通りのパターンに渚君と目を合わせる。
「チアガールとはまた重要なところを衝いてきたね」
「いい加減山岸さんが可哀想じゃないか」
「そういうシンジ君が、一番楽しみにしているくせに」
 渚君は僕の額を指で軽くつつくと今度は急に顔を寄せて囁いた。
「シンジ君も、チアガールの格好をしてみたりはしないのかい?」
「しないよ! 顔が近すぎる!」
 なおも白昼堂々しつこく迫ろうとする渚君と僕が揉み合ううちに、二人のチアガールが現れた。
「おっまたせ〜!」
「ふえぇ〜ん…」
 アスカが、半泣きの山岸さんを引きずるようにして威勢良く現れた。一瞬、グラウンドの稲草パイレーツの視線がこちらに集まるのを感じてなぜか少しだけ誇らしげな気持ちになり、一瞬でその気持ちは羞恥心に変わる。
「あ、あのぉ〜」
「何よマユミちゃん」
「次、私の打席なんですけれど」
「そぉれならそうと早く言いなさいよ、ガツンと大きいの頼むわよ!」
 アスカに力強く背中を叩いて送り出された山岸さんは、まるで孫悟空も猪八戒も沙悟浄もなしで天竺まで経文を取りに行くことを命じられた三蔵法師のような切なく哀しげな顔をして打席にたった。そんな哀しい目で見ないでください。
 しかし相手バッテリーは確実に山岸さんのチアガール姿に動揺していた。ノースリーブミニスカートのチア姿から伸びる白く美しい腕と脚。チラリチラリと見えるお腹におへそ。ロングヘアをアップにしている分見え隠れするうなじの美しいライン。そしてなによりもその薄着のノースリーブを押し上げる豊かな胸の曲線。この状況で動じずに投げられるのはこの世を悟った聖人か渚君ぐらいだろう。何とかピッチャーはボールを投げたけれど、指が引っかかりでもしたのか明らかに球威のない棒球が飛ぶ。これなら僕でも捉えられるのかな、と思ったところで山岸さんはまったく的はずれのスイングで空振り。結局山岸さんは見当はずれなボールに見当はずれなスイングで三振を決めてアスカの罵倒を健気に正面で受け止めていた。
「まぁ、次はアタシだからね。見ておきなさいマユミちゃん!」
 アスカは口でそう言いながら、なぜか僕の方を見てニヤリと笑うと山岸さんと同じチア姿でバットを構えた。僕は相手投手に羨望と同情と「ざまあみろ」を全部ごちゃまぜにした視線を送る。アスカは確かに性格破綻で何を考え出すやらいつも振り回されてこちらが憂鬱になりそうな人だけれど、しかし同時に相当の美少女なのだ。それこそケンスケに言わせれば――「顔だけならAAランクは堅いね」。
 何を想像して見ているのかは知らないけれど落ち着かずチラチラと横目でアスカを窺っているキャッチャーがサインを出す。ピッチャーが雑念を振り払おうとしているかのように必死で何度も何度も頷く。顎が疲れやしないのだろうかと心配になるくらい頷いたところで、ピッチャーがボールを投げた。意表をつこうとした緩い変化球がふわりとした軌道を描く。しかしアスカは動じた風もなくタイミングを合わせると勢いよくバットを振り切る。また美しい放物線が外野の深いところへと飛ぶ。皆が思わず身を乗り出して目をやる。
 けれどもフェンス際まで飛んだ打球は、フェンス近くで待ち構えていた外野手のグローブにすっぽりと収まり、SAS団の期待は一瞬にしてしぼんだ。

****

 まさに垂らされていた蜘蛛の糸をブツリと切られたかのような陰鬱な空気を漂わせたSAS団が三回裏の守備に就いている時間は、コールド負けへのリミットを背負っているだけあって、鉛色の無限の重みに包囲されていた。最早アスカ以外の多くの面々は完全に勝利を諦めきって疲弊した表情をしている。まあ、残りの面々も無表情の綾波、スマイリーの渚君、腰痛にもだえる父さんといった具合なのだから実際のところ戦意を持って戦っているように見えるのはアスカだけだ。ただし内面は別で、渚君の常時スマイル0円のあの笑顔の下には世界の滅亡に対する恐怖が疼いているのは僕も知っているし、彼だけでなく僕もどんどん増えていくランナーを、十二時へ向かう時計の針を見つめるシンデレラのような気分で見つめつつ精一杯もしくはそれ以上のプレイを続けていた。
 それでも世の中無情なもので、シンデレラの十二時もしくはノストラダムスの1999年まであと塁一つと迫った戦況はノーアウト満塁という絶体絶命のものだった。普通に考えればここから二点は確実だなとおそらく相手チームは皆思っているに違いない。
「サードォ!」
 三塁線に飛んだ打球にアスカの怒号が響く。難しい打球のように見えたけれど、サードの霧島さんは飛びついてボールを取ると素早く三塁のベースを踏む。重すぎる一点と引き換えに一つアウトを取る。本当ならファインプレーだと皆で讃えたいところなのだが彼女のファインプレーが十二時へ時計の針を進めてしまった事実が重くのしかかる。
 アスカは二塁のランナーを一度、二度振り返って睨むと大きく振りかぶって――チア姿のままで――投げ込む。相変わらず球威だけは衰えないことだと感心して見ていたのもつかぬ間、相手打者はバットを振る。カキーンという気持ちよい擬音とともに勢いのよい打球が渚君の方向に飛ぶ。一瞬脳裏を「ゲームセット」という単語がよぎった瞬間、渚君はジャンプ一番、打球をダイレクトにグローブに収めて二つ目のアウトを取る。そのアルカイックスマイルを一つも崩さないまま渚君はボールをアスカに返す。ようやく二つアウトを取ったぞ、と少しだけ空気が和らいで渚君が僕にウインクする。相手の打者がそれを見て悔しそうにバットを叩きつけた。
「つーあうとつーあうとー」
 トウジが何の抑揚もない平坦な声で叫ぶ。僕は一つ息を吐いて、じりっと一歩下がる。アスカが振りかぶる。ふとそのミニスカートの下は何を穿いているんだろうと凄く下世話なことを気にしたところで、また初級打ちの相手打者はライトへとふらふらと打球を打ち上げる。マズい。
 僕はライトへと全力疾走していた。本来その打球を捕球するべき父さんは最初からずっと仰け反り呻いて醜態を晒し続けていて、僕が捕らなきゃいけないようなのだ。綾波がカバーしてくれればいいのに、と一歩も動かない綾波に文句をつける余裕はさっぱりなく、僕はただひたすらボールを追って走る。
「間に合え、間に合え……」
 すでにランナーたちはホームに辿り着いていた。意味することは一つ。SAS団がこの回でコールド負けするかどうかは僕の捕球にかかっているのだ。僕はすでに走りすぎでヒイヒイ言っている足を鞭打った。ボールが目の前に落ちていこうとする。腕を精一杯前に伸ばして突っ込む。土のグラウンドに舞う埃が僕を咽させる。
「アウトー!」
 そんな土埃の中でも審判は冷静だった。審判がアウトと宣告して初めて僕はグローブの中を見た。
 白いボールがニヤリと笑った、ように見えた。


【タイトル】Re: 惣流アスカの退屈(中編)
【記事番号】-2147481492 (-2147481493)
【 日時 】06/10/10 00:15
【 発言者 】みれあ

あまりにも進まないのでキリをつけて投下します。
って、いきなり誤字を自分で発見したりして凹んでます。
>また初級打ちの相手打者はライトへとふらふらと打球を打ち上げる。マズい。
初球。ふむ。

さておき、執筆はこのひどい文章技能と付き合いながらこれからクライマックスに向かうところです。どうなるやら。


【タイトル】Re: 惣流アスカの退屈(中編)
【記事番号】-2147481488 (-2147481493)
【 日時 】06/10/10 23:46
【 発言者 】なお。

あいかわらずカヲルがいい味だしてます。こうホモっ気出してるとどこかでずたぼろにされてしまう彼の多い中、これは誇張しすぎずいいアクセントになっているんじゃないでしょうか。

> このひどい文章技能と付き合いながら

これのどこが酷いんだろう。わかりやすい文章で状況もよく伝わっていると思うんだけどな。それでも酷いと言うのなら、強いてあげてはここ。

> お礼を言うと綾波は何も言わずに一瞬だけ頷くような動作を見せてまたセンターの定位置へと戻っていった。
>  内野に戻ると内野は内野でマウンドの周りに皆が集まっていて、トウジとアスカが罵り合っているような様子に見えた。

ここだけが目立っておかしな気がしました。他はすんなりと状況を把握できるのにここだけが理解しにくかったんだよね。間違ったことを書いているんじゃないのはわかるけど、他と比較してスマートじゃないね。正式投稿の際には修正をお願いします(笑)


【タイトル】Re: 惣流アスカの退屈(中編)
【記事番号】-2147481487 (-2147481493)
【 日時 】06/10/11 22:21
【 発言者 】みれあ

■なお。さん
毎度毎度感想有難うございます。ホンマに。毎日体に鞭打ちがんばってます(嘘

>あいかわらずカヲルがいい味だしてます。こうホモっ気出してるとどこかでずたぼろにされてしまう彼の多い中、これは誇張しすぎずいいアクセントになっているんじゃないでしょうか。

なぜかカヲル君は扱いやすいのと、個人的にこのキャラが好きなんですね。もしかして私自身にそっち方面があるのかもしれません(ぉぃ

>これのどこが酷いんだろう。わかりやすい文章で状況もよく伝わっていると思うんだけどな。それでも酷いと言うのなら、強いてあげてはここ。(中略)ここだけが目立っておかしな気がしました。他はすんなりと状況を把握できるのにここだけが理解しにくかったんだよね。間違ったことを書いているんじゃないのはわかるけど、他と比較してスマートじゃないね。正式投稿の際には修正をお願いします(笑)

ショートショートやってたころは話の辻褄とか伏線とかあまり気にしないでよかった分、思いつくままに書けていたんですよね。それがどうもスムーズに出てこないので困ってます。求道中といえば聞こえはいいか(笑
表現修正はやっときます。ご指摘ありがとうございます。

メンテ

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