ルフラン/ぶらいと |
- 日時: 2009/05/31 00:00
- 名前: tamb
【Date:】 9 Dec 2008 07:16:00 【From:】 "tamb" 【Subject:】 ルフラン/ぶらいと
カヲルを狂言回しとして使えばこうなるという見本のような作品で、かつ野心的。世界 が繰り返しであるということをシンジがたやすく信じてしまうというのも、「記憶」を示 唆していていい。カヲルが「男は男を好きにならない」で愕然としてしまう所が人外性を 表現しててけっこう凄い。 syota☆さんの「そして、始まりの扉は開かれる」と比較すると趣き深いかと。
http://tamb.cube-web.net/kikaku/new_movie01/buraito02_proj.htm
【Date:】 14 Dec 2008 17:17:00 【From:】 "tamb" 【Subject:】 Re: ルフラン/ぶらいと
なんで繰り返し――物語風に言えばルフラン――をしてるのかが問題となる(急に思っ たが、「魂のルフラン」ってのは凄いタイトルだな)。 カヲルの「毎度同じ手順を踏んで、同じ結末ではつまらない」及びモノリスの「少しず つ、シナリオは修正しているのだ」というセリフから、この世界が数度目の繰り返しであ るということが推測できる。つまり、旧世紀版のエヴァが一回目だったとは限らないわけ だ。リツコや加持あたりは何か憶えていたのかもしれない。
繰り返されるたびに何度でも修正され、再び繰り返すという世界であるなら、「運命」 という言葉は機能しないように思える。100回中100回とも同じなら統計的には次も起きる といえるのだろうが、それは「運命」なのだろうか?
そして、碇シンジの「運命」はどのように定まるのか。誰かにとって都合のいい結末が 別の誰かにとって都合の悪い結末であるとするなら、その後の繰り返しのあるなしは誰が 決定するのか。 たとえばゼーレが繰り返しを決定するなら、シンジやレイにとってはハッピーエンドで 万事OKとなっても繰り返しでリセット。シンジやレイが決定するなら補完計画成功でも繰 り返しでリセット。 繰り返しを決定する者が神だ。要するに勝つまでやればいいだけだから、いわば根気の 勝負になる。決定権を持たない者には何の力もなく、何をしても無駄であろう。リセット されてしまうのだから。
どうすればいいのか?
恐らくどうしようもないのである。これは簡単な話で、つまり我々はこの世の起源を知 らないということと同じなのではないかと思う。「記憶」を持った者は預言者として解さ れる。その「記憶」が理不尽であればあるだけ、創造の神性は狂っているというグノーシ ス的な思想が生まれ、至高の神を求める動きが出てくるはずである。やがて至高の神が目 覚め、闘いが始まるのである。そこに介在し得るのはレイでありカヲルであり、全てはシ ンジが何を望むのかにかかっているのである。
という、恐らくは作者ですら夢想だにしなかった物語が導き出されたのであった(笑)。
【Date:】 15 Dec 2008 23:41:00 【From:】 "ぶらいと" 【Subject:】 Re: ルフラン/ぶらいと
詳細な感想、ありがとうございます!
さて、こういった感想で、作者である私自身が気づかなかったことを 「作品」の中からいろいろと読み取っていただけるということが、 興味深いところではあります。
たとえば、場つなぎで何の気なしに登場人物に言わせたセリフが、 ある読者にとってはすごく重要な「真実」であったりとか。
>カヲルが、「男は男を好きにならない」で愕然としてしまう所が人外 性を表現しててけっこう凄い。 言われてみれば、そうかも知れません。 ただ、新劇場版のカヲルに対して、コミック版のシンジがそのセリフを 言ったらどういう反応をするのかと思って書いてみたわけですが。
魂のルフランについて。
一時、エヴァFFでリターンものが流行った理由のひとつに、旧劇場版 のこの歌詞の「心も体もくりかえす」とか、「奇跡は起こるよ 何度で も」という部分が、あったのではないかと思います。
そして、新劇場版のラストでの、あのカヲルの台詞。 ことによると、繰り返しは公式設定かも知れないと思いました。
では、 >その後の繰り返しのあるなしは誰が決定するのか。
冬月は、旧劇場版で、 「未来は碇の息子に委ねられたな」とは言いましたが、それはその世界 の人類の行く末であって、リセットするかどうかではないと思います。 いくら、神に等しき存在になったとしても。
では、リセットを命じる裁定者はだれか? シンジではない、人智を超えたものには違いない。 そこまでは漠然と私も考えていました。
ことによると、それはリリスかも知れない。 リリスであるなら、自分の末裔であるリリンが、間違った道を進んでいる ことを憂い、正しき選択をするまで、何度でもやり直しをさせようとして いるのかも知れない。それこそ、シンジを「依り代」として。
あるいは、リリスやアダムよりも、より高次な存在かも知れない。 リリスやアダムですら、その者にとってみれば失敗作であり、より自分が 望む世界ができるまで、スクラップ‐アンド‐ビルドを繰り返している のかもと。
そうなると、tambさんの言うように、「どうしようもない」という、救い ようのない話になってしまいます。 せめて、裁定者はリリスであり、それと契約を結んだ人類は、いつかは リリスに満足してもらえるレベルに達することができるといいなと、 思った時点で私の思考はストップしてしまったのでした(笑)。
最後に。 今回の作品、「野心的」といえるかどうかはわかりませんが、最後の レイとカヲルのシーンで息切れしてしまいました。 もう少し、煮詰めることができればよかったのにと思います。
【Date:】 23 Dec 2008 20:34:00 【From:】 "てらだ" 【Subject:】 Re: ルフラン/ぶらいと
カヲル君の主観から『世界を変える』という感じのストーリィで、要所を押さえて綺麗にまとめられていましたね。 劇場版が序しか公開されていなくて、設定の自由度が高いって言うところが効いてるストーリィでした。
繰り返すのは時間の流れそのものなのか、それとも誰かの遺志によるストーリィなのか、解釈次第でまだまだ広いものになりそうです。 生憎と自分は新劇場版のお題では自由度が高過ぎて書けませんでしたが……ストーリィの解釈をいろいろと考えさせていただきました。 ごちそさまです。
【Date:】 24 Dec 2008 21:00:00 【From:】 "ぶらいと" 【Subject:】 Re: ルフラン/ぶらいと
てらださん、こちらにも感想をいただき、ありがとうございます!
>劇場版が序しか公開されていなくて、設定の自由度が高いって言うところが効いてる
何か書くなら、今のうちかと(笑)。 おそらく、「破」ではJAは出てこないだろうし、下手するとガギエルも割愛されて しまうかも知れません。 TV版でのエピソードが使えるのは、「破」の内容が明らかになっていない今しかない と思いました。
>ストーリィの解釈をいろいろと考えさせていただきました。
私自身、いろいろな解釈を多くの方からお聞きしたいと思っています。 最近、雑談での話題にはあっても、あまりFFの中では取り上げられていないような 気がして、少し寂しい気がします。 ある意味、肩が凝る話になりがちで、敬遠されているのかも知れませんね。
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