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夏の音色(aba-m.a.kkvさんへ)
日時: 2011/06/09 02:38
名前: のの

すぐに割れてしまいそう。

すぐに欠けてしまいそう。

すぐに壊せてしまいそう。それなのに――



夏の音色
Written By NONO



 汚れを落としたアルミ製の洗い桶に氷を大量投入した。がらごろと転げ落ちる氷の音と、
すりおろしたばかりの生姜や刻んだみょうがの匂い、用意された鍋の様子を五感で感じ取
ったらしい同居人が、ソファに座ったまま首を仰向けに、というよりそっくり返して訊ね
てきた。
「お昼はそうめん?」
 エプロン姿に違和感を感じさせない柔和な顔つきと手馴れた手つきを滞らせることなく、
台所に立つ少年は頷いた。
「あと、昨日の揚げナスの残りと、足りなければつくねでもあっためようか?」
「それって、お弁当でよく出る冷凍のでしょ?」
それはそうだけど、と当然と言わんばかりに少年は頷いた。つくねをちゃんと作ったこと
なんて無いのだから当然だ、という主旨で。
「じゃあいらない?」
「誰もそうは言ってないわ。二本ちょうだい」
 それならそうと早く言えば良いが、そんな風にいかないのがタラバガニのように長い足
をぶらぶらさせながら注文をつけてくるこの少女の特長で、少年もそれを十分に承知して
いるので、取り立ててうんざりせずに、大きなガラス容器に氷を入れると、氷と選手交代
で串に刺さった四本のつくねを出し、先週ドーナツ屋のポイントカードで彼女が持って帰
ってきた、ドーナツ屋のマスコットキャラクターのマークが入った皿に乗せて電子レンジ
に放り込んだ。
「もうできるよ」
「はいはい」
 テレビを消した同居人ーー惣流アスカの足音を聞きながら、シンジはそうめんをざるに
あけ、水で荒熱を取ってから氷水に放り込んだ。冷えていくそうめんを掌で確認しながら、
南の空で食べたなら、きっともっと美味しいに違いないと思うと、修学旅行に行けない自
分たちの現状はさすがにみじめに思えてくる。シンジは自宅待機を命じられる事を予想し
てはいたが、今頃は沖縄料理とやらを我先にと頬張っているに違いない。
『まあ、海なんてどこも赤いだけだし、こないだの海洋研究機構の方がインパクトあるよ
なあ』
 カメラをいじりながらそんなことを言っていた級友を思い出し、気を取り直して器にそ
うめんを盛ってテーブルの真ん中に置いた。
「あんた、いつもながら大皿に盛るのが好きね」
「日本人の信条は大皿を囲むところから理解が始まるんだよ」
「それでわかるのは相撲取りの日常じゃないの?」
 ま、このワイルドスタイル、あたしは嫌いじゃないけど、と付け加えたアスカは自分の
箸を取った。外国育ちの彼女はこうして皆でひとつの器から自分の箸で食べる形式が一番
馴染みがない、とたびたび口にしている。それが愚痴でなくなってきたのはごく最近の話
だ。いただきます、の言葉と共に食事が始まる。この事実が当たり前になっていることに
軽い驚きを覚えながらシンジも後に続いた。
 麺類なので作るのも簡単ならば終わるのも早い。矢継ぎ早に手繰る二人によってそうめ
んは次々と胃袋へのダイブを強制され、ものの五分で彼らだか彼女らだかの半分が器から
姿を消した。
「とうっ」
 アスカが器の中で少し縮こまった氷を器用にはさみ、つけ汁に鎮めた。半透明のガラス
の器にカラリと落ちた音を聞いて、アスカがにやりと笑った。そのためシンジが一瞬眉を
ひそめたことには気づかずつくねの串を頬張る方に意識を向けた。
 シンジは氷とガラスがぶつかる音で、幼少の頃に隣家の庭先にぶら下がっていた風鈴を
思い出した。ジワジワと鳴く蝉、舌を出したくなるような陽射し、一人ぼっちだった下校
の帰り道までも。
 落としていた視線を上げると、アスカが観ていた。呆れ混じりの顔だったので、笑顔で
返すと呆れ顔が顔中に広がっていくのが見て取れる。その後の彼女の箸のスピードが上が
っていったのは予想通りで、申し訳なかった。
 食事を終えて皿洗いにとりかかる。放っておけばおくほど面倒になるのだということも
わかってきたので、なにやらばたばたと準備して出かけて行ったアスカを見送りながら皿
を片づける。口をきいてくれなくなるのはやはり少しつらい。そうさせてしまった原因の、
記憶の中で響く風鈴の音を再生してみる。高まる気温と白んだ空気に、思考をまとめるべ
き縦糸や横糸やらが溶けてしまったかのように、ただただ思い出しては再生する。外は遮
熱に近い暑さの中だというのに、のろくさ、のろくさ、ちりちり、ちりちりと。
 カレンダーを一瞥した。八月八日。呆れるほど有無を言わさず夏休みだった。この空も
空気も熱さも気だるさもすべて夏休みにふさわしい。先日の使徒襲来によって変電所に打
撃を受け、電力制限が叫ばれているために下げきれないエアコンの温度設定が表示されて
いるパネルに視線を移し、ひと睨み。
 夏休みほど「することがない」時間はない、と呟いてみた。膨大な無が広がる未来に押
しつぶされそうになる、といった感慨でもあればまだ悲壮感を背負えるが、それほど大袈
裟な話も持ち出せなかった。「人類の未来を守る」そんな重要な事を何故かその両腕に担わ
されているのにも関わらず。思い出してみるに、そもそも昔からそうだった。夏休みはた
だただ何もすることがない毎日を、両親のいない家の離れで暮らしていた。正確に言えば、
チェロを習っていたぶん時間を潰す事は出来た。大きな庭の端に建てられた小さな離れで
ひたすら奏でる、その行為は作業以上の価値があっただろうか。離れに隣接する家の壁の
裏でははしゃぐ同じ学校の生徒たちが聞こえたものだ。きっと、あの頃聞こえた声のうち
の一人や二人は見覚えがあるに違いなかっただろう。その音を消すために抱え込んだチェ
ロを、弓を握り直して強く弾いてはうまく弾けずに苛立ったことを思い出す。そんなタイ
ミングを見はからったかのように、がしゃん、と割れたガラスの音がしたことも。あれは、
蝉にも負けない声の騒がしさとガラスの音に、エアコンやチェロを操る自分が完全に調伏
された瞬間だった。
『ラムネ玉ゲットー!』
 あれは結局誰の声だったろうか。背の高い窓から第3新東京市を見下ろしているだけで
は思い出せそうにない。シンジは確かに青ざめている自身の顔にはもちろん気づかず、気
遣いなく頭を振った。そう言えばあの声を聞いてから何日か後に、近所にある文化遺産の
ような駄菓子屋でラムネを買って、一人で割ってやろうと思って、持って帰ってきてしま
って。
 だらしのない寝間着から普段着のシャツとジーンズに着替えて財布と携帯電話を手に取
った。外に出るべきか考える前に、出てみようと思った。サンダル履きで外へ出る。どこ
へ向かうかは考えずに出たせいか、出た瞬間の熱気がますます鬱陶しく、目的意識もなく
歩くには難易度が高かった。
 携帯電話を開く。着信履歴はない。電話帳に入っているのはほんの十数人。この街で知
った人だけというおまけつきだった。電話帳の最初に名前が上がる女の子の名前が、事実
上、初めてこの街で出会った人間だった。彼女は今日をどんな風にすごしているのだろう。
いつも本を読んでいるから、今日もどこかで頁をめくっているのだろうか。それとも誰か
と食事でもしているだろうか。彼女が穏やかな顔で食事をできる、たとえば自分の父、碇
ゲンドウあたりと?
 急速に広がる胸焼けのような感覚、三半規管が麻痺した気分に、エレベーターの揺れが
加わって不快感が増した。彼女は碇ゲンドウの笑顔を知っている。碇ゲンドウは、彼女の
いろんな表情を知っているのだろう。きっとそうなのだろう。
 ――僕は手に入れられない。
「ああなんだ、結局つまりは、そういうことか」
 ――僕には、壊せない。
 マンションを出る。さてどうするかと立ち止まると電話が鳴った。相手は先ほど出てい
ったばかりのアスカからだった。
「もしもし」
「シンジ?まだ家にいる?」
「今、ちょうど出たところだけど」
「あ、そ。じゃあ戻って、プールの支度してきて」
「はぁ?なんで」
「アイツラが沖縄を楽しむ代わりにこっちだって楽しくするべきでしょうが。そこで、さ
っきミサトに掛け合って、ネルフのプール貸し切りにさせたから」
 あっさりと権力についての話を始めるアスカにくらくらしながら、話が見えないシンジ
は首を傾げる。
「別にプールに行きたいってわけでもないんだけど」
「と言ってアタシの行為をムゲにするわけね。あのファーストですら、そして何故かミサ
トとリツコですら!来るっつうのよ?それをなに、アンタは断るわけ?それでいいの?人
として断れない状況にあると思うんだけど」
「わかった、わかったよ。すぐ行くから」
「あ、すぐじゃなくていいから。貸し切りは四時以降。んで、晩ご飯を上司の奢りで食べ
る、と」
 よくもまあ短時間でそこまで設定したものだ、と感心しながら聞いていると、再度必ず
来るように、と念を押された。曖昧に頷き、電話を切る。この直射日光よりも迫力のある
彼女の声に身体が早くもぐったりしてしまった。どうやってサボろうか、と考えながら一
応家に戻ったタイミングで、また電話が鳴った。今度はミサトからだった。
「あ、シンちゃん?話は聞いた?」
「ええ、まあ。ミサトさんたちも来るって聞きました」
「そそ、それ。たまたま久々に泳ごうかと思って準備したタイミングだったのよ」
「僕は別に、そんなに行きたいわけじゃ」
「だめなのです、それは許されないのです。んで、シンちゃんにひと〜つ、頼みがあるん
だけど」
 自分の意志などどこへやら、という勢いで話を進めるという点で、アスカとミサトはよ
く似ている。おそらくそういう話術が一番傷つかないという判断なのだろう、と時々思う
ときがある。いつでもそういう判断の元かどうかはわからないが。シンジは一度ソファに
座ろうかと思ったが、ますます気力が萎えそうなので止めた。
「アスカがご飯ご飯って言うんだけど、今月はちょ〜っち厳しくってさ、できればシンち
ゃん、ご飯作ってくれれば、お姉さんうれしいな〜、なんて、ねえ?」
 相手に反撃の余地を与えないしゃべり方をするかと思えば、こんな風に言ってくる。そ
れを断れるほどシンジは酷い人間である自分を作りたくないし、それを考慮して彼女らが
そう言ってくるのかと思うと恐ろしさすら感じるが、ともかく、断るより頷く方に慣れて
いる日々の習慣通り快諾した。
「ありがと、マジで助かるわあ。さすがに怒るかなーと思って奥の手も用意してたけど、
必要なかったわね」
「なんですか、その奥の手って」
「まあまあいいのよ、そこは気にしないで。入れ違いになっちゃまずいから、さっさとリ
ツコにも連絡しておくわ。じゃ、よろしくね」
「はい」
 電話を切る。時計をみればもう二時近い。四時に集合で、晩ご飯を作らなくちゃいけな
くて、その上冷蔵庫はビール以外には調味料とタマネギ二個しかないことは昼食時に確認
済みだ。買い物に行かなくてはならない。しかも何故か、リツコだけではなく、話の流れ
で言えば、彼女も一緒ということか。
「綾波の好きなもの」
 そんなもの知らないぞ、聞きようもないしそもそも買い物にはもう行かなくちゃならな
くて、ただでさえ五人分の茶碗なんてないから作れるものなんて限られてるし難しいこと
ができるワケじゃないから尚更何を作ればいいのかわかりにくくて簡単に済ませたいけど
そうめんで済ませた上に夕食まで手を抜いたらアスカからなんと言われるかわからないか
らそれなりに気合いを入れなくちゃと思っていたのにどうしてまたこういういタイミング
で五人分のしかも綾波も食べるだなんて難易度の高いことを要求されなくちゃならないん
だ、と一息で考えたところで再度電話が鳴った。
「まったく、今度はだれだよ、もう」
 これじゃ、あてつけで騒いでいたあの同じ小学校だった連中よりやかましいじゃないか。
そんな考えが頭をよぎったが、それは電話の液晶表示ひとつで吹き飛んだ。
 生唾ひとつ飲み込んで、着信ボタンを押す。たったそれだけのことで手に汗をかきはじ
めていることには気がついたが、声がうわずらないように気をつけるのは忘れた。
「もしもし」
「……綾波です」
 彼女の声だった。
「碇くん、プール行くの?」
 その質問で、誰の差し金かを悟った。
「うん、行くよ」
「そう……じゃあ、またあとで」
「うん」
 電話を切った。いや、切れなかったので向こうが切るのを待った。
 耳に残る声の残響を保ちながら窓を開けた。夏の熱気が吹き込んでくる。夏の光に晒さ
れても耳に残っている。夏に似合う声だった。彼女の色々な声を思い出してみる。そう多
くない声は、夜にも朝にも昼にも聞いていた。
「今日は暑い」
 こんな日には炭酸を飲みたくなる。スーパーでラムネかサイダーを買っておこう。グラ
スに氷をたくさん入れて、泡立つそれを皆で飲んでみよう。そうすれば、あの頃の子ども
達の嬌声にも負けずに済む気がする。そう考えたシンジは早速もう一度外へ出た。さっき
出た時よりずっとてきぱきした動きだという自覚もなく、足取りはやけに軽く、そして素
早く。夏にお似合いのサンダルのぺたぺたという音を素早く鳴らしながら、エレベーター
へと向かっていった。

メンテ

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Re: 夏の音色 ( No.1 )
日時: 2011/06/09 02:43
名前: のの

どもです。
えー、これはですね、ちゃんと読んでればわかると思いますが、aba_m.a-kkvさんの『硝子の檻の中のラムネ玉』を読んで書きました。

シンジくんの誕生日に素敵なFFを書いたabaさんのために、というのもヘンですけど、呼応して再び。ふたたびって言っても前回は
僕が「勝手に書き換えた」だけですし、今回は「勝手に乗っかった」だけですけども(汗)
しかも今回は完全ゲリラですから、abaさんも未読のまま掲載というなんとも失礼なことかもしれないけど、abaさん、そこんとこは
穏やかに許して貰えると助かります(笑)

これは二人の、というか『硝子の〜』の14歳当時。ここまで長くする気もなかったけど、もっとブラッシュアップしてきちんとした
短編で発表してもよかった気がする。
メンテ
Re: 夏の音色(aba-m.a.kkvさんへ) ( No.2 )
日時: 2011/06/13 23:59
名前: aba-m.a-kkv

■ののさん
もう、どこまでも、ありがとうございます!!
うれしいです、サプライズでお話をいただけるというのはいつでも素晴らしいものです。

しかも、さすがののさん、うまいですね〜。
最初の三文の引き込みから。
文章の繋ぎ、心理描写、背景描写まで、いまさらいうのもなんですが、重ね重ね凄いなーとおもいます。
個人的に「夏休みほど「することがない」時間はない 〜 膨大な無が広がる未来に押しつぶされそうになる」の一文が好きです。
あと、「そんなもの知らないぞ」からの長文、素晴らしすぎます。笑
ところどころに、「硝子の〜」の内容を反映してくださっていて、書き手として、くふふ、と喜んでいました。
アスカとの会話がメインで、ミサトとの会話がそれなりにあって、その二人に比べてレイとの会話は凄く短いのに、シンジにとっては、
一番鮮やかさと深さを持つように描いているのがまたいいです。

ああ、なんというか、「硝子の〜」を書いてよかったなあ、っと思います。
私のSSで、こんな素敵なお話を読めたのですから。



メンテ
Re: 夏の音色(aba-m.a.kkvさんへ) ( No.3 )
日時: 2011/06/25 07:05
名前: tamb

 ラムネ玉が欲しいと思ってラムネ瓶を割ってしまったとき、ラムネ玉はもうそこにはなく、
あるのはビー玉である、というアナロジーあるいはメタファーをどう解釈するべきなのか。

>  ――僕は手に入れられない。
> 「ああなんだ、結局つまりは、そういうことか」
>  ――僕には、壊せない。

 でも瓶を割ってまで手に入れたラムネ玉がビー玉だったとしても、それで本質的な何かが変
わるわけではない。かつてラムネ玉だったビー玉が一歩踏み出しただけなのだから。それは小
さな一歩ではあるけれど、勇気のある大きな一歩でもある。ガラス瓶の中にあってこその輝き
を捨てるということなのだから。でも、違うガラス瓶の中に入って違う輝きを放つことはでき
る。その意思があるならば。
 レイはアスカに呼ばれてプールに行く。シンジが来ると来ないとに関わらず。それでもシン
ジに電話をした彼女にその意思を感じてしまうのは妄想に過ぎるだろうか。

 というわけで、ラムネ瓶がまだ私の目の前にある。中身はもう飲んだ。新しいタイプのラム
ネ瓶だから、スクリューキャップを外せばラムネ玉を取り出すことは容易だけれど、まだ取り
出せないでいる。軽く振ると、かりん、という涼しげな音がする。

 ののさんのお家芸ともいえる、ほぼ時間的進行のない思考とわずかな会話のみで成立してい
るこの話、例えばのろくさ、ちりちり、という関連性のない擬音のようなものを使ってしまえ
るというセンスはすごい。のろくさっていうのは前にも使ってたけど、その時はのろのろとく
らいの意味だった(「ジェンガ」です)。
 わずかなことで気分は上を向ける、というこの話が、ブラッシュアップされるとどうなるの
かには興味がある。薄くならずに、ということを考えるとかなり別の話になるような気もする
けれど、そうでもないのかもしれないし。

メンテ
Re: 夏の音色(aba-m.a.kkvさんへ) ( No.4 )
日時: 2011/06/26 19:56
名前: tamb

 ラムネ瓶というのはラムネ玉を閉じ込めている牢獄そのものである。
 それだけならそれこそユングの龍退治のごとく瓶を割って宝物を手に入れれば丸く収まるの
だけれど、だがラムネ玉はラムネ瓶の中でしかラムネ玉ではいられないという部分に問題はあ
る。

> 「そう、閉じ込められてるのね」
> 彼女がそう言ったことに少し安心する。
> 彼女自身はもうそこにはいない、その自覚を滲ませていたから。
(硝子の檻の中のラムネ玉)

 彼女はすでにラムネ瓶の中にはいない。つまり、既にラムネ玉ではない。そのラムネ瓶を割
ったのは

>  結局ビンを割ることが出来ずに捨ててしまっていたんだよね。
>  やろうと思えば、出来ないことはなかったはずなのにね
(硝子の檻の中のラムネ玉)

 と語ったシンジだ。


>  ――僕は手に入れられない。
> 「ああなんだ、結局つまりは、そういうことか」
>  ――僕には、壊せない。
(夏の音色)

 ラムネ瓶はラムネ玉がなければその機能を果たせず、ラムネ玉はラムネ瓶をラムネ瓶として
機能させる。両者は補完関係にあり、余人の立ち入る事を許さない。ラムネ玉がラムネ玉であ
り続けるためにはラムネ瓶が必要なのだ。だから「壊せない」。
 この呪縛から逃れるためには、ラムネ玉に自分がいつまでもラムネ玉である必要はなく、な
りたい自分になれる可能性を示唆しなければならない。
 その意味で、

>  こんな日には炭酸を飲みたくなる。スーパーでラムネかサイダーを買っておこう。グラ
> スに氷をたくさん入れて、泡立つそれを皆で飲んでみよう。そうすれば、あの頃の子ども
> 達の嬌声にも負けずに済む気がする。

 ラムネを、ラムネ瓶を使わずに飲むという方法を提示したこの部分は重要に思える。屈託な
く瓶を壊した子ども達を、青ざめることなく見る事のできる場所に立てる。

 シンジとレイの会話を聞く限り、シンジがレイの可能性を示唆するにはまだ時間がかかる。
彼女自身もまだ瓶越しに外を見始めたばかりだ。それは大きな一歩ではあるけれども。

 こう解釈すると、「夏の音色」が「硝子の檻の中のラムネ玉」の前日譚であることが明確に
なる。

 いずれにしろ重要なのは、レイがシンジのラムネ玉になった時、そこにレイの意思が介在し
ているという部分にあると思う。繰り返すが、両者は補完関係にある。
メンテ

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