寂寥調味料 110913 |
- 日時: 2011/09/13 23:48
- 名前: aba-m.a-kkv
君に逢いたい。
声になりきらない静かな想いが夜の闇に融けていく。
瞼を開いても君の姿はない。
手を伸ばしても君の手を掴めない。
名を呼んでも帰ってくるものはない。
風のように肌の上を滑っていくのは寂しさ。
それは瞳に闇を、掌に冷たさを、舌に苦味を残す。
でも、それとともに愛しさは凝縮していく。
寂寥調味料 aba-m.a-kkv
「またいないと思ったら、こんなトコに」
背中に届いた声に銀色の髪が揺れ、瞼に隠されていた紅い瞳が現れる。
その瞳に映るのは長い亜麻色の髪を初秋の夜風に揺らしながら近づいてくる欠け換えのない存在。
広大なコンフォートの屋上、その中心にただ唯一置かれた四人掛けのベンチ。
カヲルはそこに深く腰を下ろしていた。
周りには何もなく、周囲を囲っている欄干も遠くに感じる。
無機質な案内灯が屋上の入り口までを照らしてるだけであたりは夜闇に覆われている。
空は分厚い雲に埋め尽くされて月もなく、星一つ見えない。
遠くに街の音が聞こえるけれど周囲に賑やかな音はなく、静寂がカヲルの周りにはべっているようだった。
「心配させてしまったかな?」
すぐ近くまで来たアスカを認めたカヲルはベンチに張り付いたような姿勢のまま小さく尋ねる。
「バカっ、あんたがいないと、誰が私にイブニングティーを淹れてくれるっていうのよ!」
見透かされたというように少し頬を染めながら仁王立ちする彼女の姿に、カヲルは微笑む。
それから手を差し伸べた。
「座らない? アスカ」
とっとと連れ帰ろう思っていたのにまたカヲルのペースに乗せられてしまう、そんな逡巡を一瞬見せてアスカはため息をついた。
差し伸ばされた掌に掌を重ねる。
カヲルがそれをゆっくりと包み込むように、何かをじっくり感じるように握り締め、それから彼女を自分の隣に引き寄せた。
アスカはもうなんの抵抗なくその隣に座る。
すこし開いた隙間を潰すように身を寄せ、それからカヲルの肩へと頭を傾けた。
「こんな曇り空を眺めて何が楽しいのよ?」
青い眸を少しだけ夜空に向け、少し呆れたような口調でアスカが尋ねる。
「いや、空の色や模様は今日は関係無いんだ。
ただ、寂しい夜だな、って思ってね」
アスカが怪訝そうにカヲルのほうを向く。
そこには、言葉の意味とは裏腹にとても嬉しそうにしているカヲルの姿があった。
「夜、曇り空、広い場所、独り座るベンチ。
寂寥を感じるにはとてもいい環境だ。
ここにいるとすっかり寂しくなる。
この暗く何もない世界が全てで、僕だけひとりぼっちで存在しているような気持ちにすらなってくる。
そんな寂寥を僕は求めてここにいるんだ」
アスカの脳裏に昔のカヲルの存在がよぎる。
胸の奥が疼くような気がして、覗き込むようにして尋ねた。
「何で? そんなに寂しいのに。
なんで、そんな笑顔で言えるのよ?」
心配そうなアスカにカヲルは微笑みで返す。
そんな悲しげな顔をしないでと、アスカの頬に触れながら。
それから世間話でもするような気軽さで想いをつむぎ始めた。
「寂寥という感覚は、いままでの僕には無縁のものだったんだよ。
リリンを除く使徒は全て生命の実を喰らい単体として存在することを定められたものだ。
この星に住まうものとして人と同じ形に行き着いた僕もまた同じ。
他者の介入や接触がない以上、寂寥を感じる必要がない。
もともと存在し得ない概念だ。
だから、僕にとってそれはとても特別な感情の一つなんだよ」
「どういうこと?」
カヲルは片腕を伸ばす。
それから空に何かを掴むように握り締める仕草をした。
それは、いままで虚空だった感情の海から確かに存在するものを取り出したかのように。
それを胸に当てる。
「寂しいとは他者の存在を感じている証しだ。
寂しくない状況を知っている、寂しくなくなるものを持っているということ。
単体である僕が、群体の中で生きるために必要な感情、今の自分の立ち位置を確認することのできる感覚が寂寥なんだ」
言葉を綴ったカヲルはゆっくりと息をついた。
柔らかく微笑んではいるけれど、まっすぐ前を見つめる視線は真摯で、アスカはそんなカヲルの横顔を見つめながら静かに耳を傾けていた。
言葉を挟むことはせず、ただ静かにカヲルの言葉を待つ。
幾許かの静寂。
ほんの一呼吸ほどなのに、長い時を過ぎさせたような空白を挟んで、カヲルはアスカに視線を向けた。
「そして、寂しさを感じる僕は、君を求めてやまない」
「えっ?」
アスカは目を見開く。
カヲルは嬉しそうに頷いた。
「ここにいるとき、寂しいと感じるとき、いつも瞼の裏に映るのは君の姿だ。
この欠けた心に刻み込んだ君の名をなぞりながら、僕の魂は君を切望する」
カヲルはアスカのほうに向き直る。
握った手を胸の高さまで上げて、自分の胸に当てた。
引き寄せられるようにカヲルとアスカの距離が短くなる。
「そして、こうやって迎えにきてくれた君の顔を見ると、声を聞くと、その手を握ると、そのぬくもりに、その存在に触れると、もう寂しくない。
君が隣にいれば、僕は存在していられる。
それを確かめられるのはとても素晴らしいものだよ。
寂しさを感じることが出来るようになった僕に、君ほど甘美なものはない。
これ以上甘いものはない」
そしてカヲルは瞼を閉じる。
そんなカヲルを見て、アスカは怒ったような、あるいは恥ずかしさか幸せか嬉しさが極まったような表情をたたえて、その襟元を掴んだ。
カヲル君へ、今年一年とてもお世話になりました。
この一年もよろしく。
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