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十月三十一日の任務
日時: 2014/10/26 22:22
名前: くろねこ

機械と資料が山のように置いてある室内を眺める。機械の呼吸音と、キーボードを打つ軽い音、そして私の鼓動。
感じる音はこの三つ。時間が泥のように進むような、そんな感覚。はやる気持ちを抑えるのがこんなに難しいなんて。

「……さて、できたわよ」

閉じていた瞼をゆっくりと上げる。白衣に金髪の女性が、ゆっくりと息を吐いてこちらを振り返った。
腰を下ろしていた椅子から離れ、彼女の右手に収まったものを視界に入れる。

「無茶なお願い事を叶えてあげたお礼は?」

「……ありがとうございます」

短い一言だったが、彼女は薄く微笑むと、私にそれを差し出した。

「可能な限り努力したけれど、人体への悪影響を抑えることを優先したの。死んでもらっちゃ困るでしょ?
持って1日ってところ。副作用はあります。どう?それでも使う?」

眼鏡のレンズ越しに、瞳が問いかける。真っ赤な口紅で彩られた唇は、ほんの僅かに上がっていた。
依頼したのは私よ、赤木博士。

「もちろん」

私はもう一度軽く頭を下げた。










碇シンジは夕飯を作っている。鍋に火をかけつつ、フライパンで野菜を炒める。使用済みの皿を手早く水につけ、
包丁で肉を切る。慣れきった作業は軽やかで、無駄というものは何一つ無い。経験を積んだ成果だった。
料理が完成したところで火を止め、同居人が帰宅するまで待とうと鍋に蓋をした。ふぅ、と息をついたところで、
タイミングよく玄関のベルが来客を知らせた。

「あれ? もう帰ってきたのかな」

ミサトとアスカは揃って買い物へ行っていた。女同士のお買いものよん、だそうだ。大方予想はしている。
今夜はハロウィンだ。お菓子を大量買いしているに違いなかった。
荷物で手いっぱいになっている彼女らの姿を想像しながら、半ば面倒くさそうな表情をたたえつつ、シンジは
鍵を解いた。一瞬カチリとロックが解除された音が響き、続いてドアがスライドした。
そこにいた、あまりにも予想外だった人物を見て、彼は十秒停止し、もう一度無言でドアを閉めた。

「………………」

それから数秒後、もう一度ベルが鳴る。開けて下さい、と外の人物の声が聞こえた気がした。
一旦気持ちを落ち着けようと、両手で顔を覆う。深呼吸して、鍵を解除した。再びドアが開く。

「…trick or treat」

鈴のような声だった。彼のよく知る声だった。ただ外見は彼の知る彼女とはかけ離れていた。

「綾波……なの?」

取りあえずシンジはしゃがんだ。彼女の目線に合わせたのだ。
黒い帽子の下に隠れた整った顔が、ようやく目に入る。幼いが、紅い瞳は変わっていない。
そうよ、とでも言うように、ずり落ちてくる帽子を押さえつつ彼女は頷いた。

「……僕の知ってる綾波は、こんな小さくなかった気がするな」

「一夜限りの魔法なの、碇くん」

それじゃあまるでシンデレラじゃないか、と思いつつ、綾波レイであろうその少女、否、幼女を抱き上げ
もっとよく顔を見ようとまじまじと見つめる。
暫く目が合っていたが、じんわりと彼女の頬が染まりだすと、その飴玉のような瞳も逸れた。
あぁ、綾波だ、本当に。シンジはもう一度息を吐いた。





「たっだいま〜」

それから三十分も経たないうちに、ミサトとアスカが帰宅した。
シンジの予想通り、両手いっぱいにお菓子の袋。そしてそれぞれ仮装していた。猫の耳が頭に鎮座していた。
普段なら、わぁハロウィンですね、と白々しく一応反応を示し、料理の盛り付けを始めるわけだが、今日は違う。
彼女たちの軽いお遊びの仮装では済まない、もはや変身を遂げてしまった少女が一名いるためだ。
帰宅後ミサトもアスカも、笑顔を固めたまま、ひたすら邪魔であったであろうブカブカの魔女帽子を両手に持った
幼女を見ていた。そのままその有り得ない姿に戸惑い、なぁによこれぇ!などと各々で叫び、ミサトに関してはNERVの
医療班に危うく電話を掛けるところだった。

「ちょっと! あんた誰よ!」

アスカがしゃがみ込み、じろりとレイを睨む。

「綾波レ…」

「知ってるわよ!!!」

じゃあなんで聞くのか、と眉を八の字にしたレイだったが、不満を出すのはよくないと思い、我慢をする。

「なんで!こんな!小さいのよ!」

「赤木博士に、薬を作ってもらったの」

今日はハロウィンで、いつもとは違う自分になる日と聞いたから、と真顔で言うレイの言葉を聞いて、
シンジとアスカは無知と好奇心の恐ろしさを知った。
リツコが色々な薬の開発を進めているのは知っている、がまさかこのような作用を起こすものまで
開発してしまう彼女の技能のすごさを見せつけられた。

「綾波、うまくいってるみたいだけどさ、危ないよ……」

「ちょっと痛かったけど、平気。碇くん、こんな私嫌い?」

シンジとしては彼女の身体が心配でたまらなかったのだが、そのような聞き方をされては何も言えない。
嫌いどころか愛らしくてたまらない。彼女の生い立ちより、幼いころの姿は全く想像が出来ず、やはり写真
なんてものはなかったのだから、今よりずっと幼いレイを見れることは、言ってしまえば嬉しかった。
あぁ、綾波はやっぱり可愛かったんだね、などと、場違いな感想が喉から出かかったほどだ。

「嫌いじゃないよ。でも、綾波になにかあったら僕、どうしたらいいかわからないよ」

とりあえず混乱する同居人に目配せしつつ、そっと小さなレイを抱き上げた。
小さくて華奢な少女が、今は更に小さい。わざわざ買ったであろう魔女のマントとワンピースを整え、
あぁこの家に来る間に彼女がよからぬ人に攫われなくて本当に良かった、とシンジは神に感謝した。

「…で?どうすんのよレイは」

リツコ印の薬と聞いて、落ち着きを取り戻したミサトは、台所でビールを漁りつつ尋ねる。
リツコったら本当に変なモン作っちゃって、と心の中で苦笑する。彼女の作ったものなら、間違っても
レイが死ぬことはないだろう。だからといって問題ないというわけではないのだが。

「元の姿に戻るまで、ここに置いておきましょう」

「まぁ、そうなるわね」

「なんか疲れた…。シンジ、ご飯」

はいはい、と返事をして、肉料理の代わりになるものを一品作らねば、とシンジは一人ごちた。





「trick or treat 」

「は?」

食事の後のひと時。
TVでバラエティー番組を見ていたアスカの前に、青い髪が揺れる。
邪魔よ、と押しどけたかったが、丁度今日購入したお菓子の山がそばにあることに気づき、袋を漁る。
大雑把に掴みあげると、チョコレートが三つ、飴が二つ。

「はいはい、お菓子をあげるからあっちへ行きなさい」

パラパラとレイの用意したカボチャ型の小さな容器の中にそれらを入れ、再びTVへ意識を戻した。
ありがと、と消えそうな声でレイが言うものだから、一瞬アスカの顔が赤らんだのだが、幸い誰の目にも
止まらなかった。

「trick or treat 」

「はーい、お姉さんからはビールを……」

缶をひょいと手渡す前に、大きなシンジの咳払いが響く。何をやってるんですか、ミサトさん。
彼は無言だったが、何が言いたいかは手に取るように分かったミサトは、乾いた笑いを浮かべつつ
クッキーの袋を取り出す。

「冗談よ、冗談! はーい、お菓子をどうぞ!」

アスカと同じように、両手でここに入れてと構えられた容器の中にそっと袋を入れる。
小さい分、少々クッキーがはみ出し気味だが、レイは気にしていないようだった。
満足そうに微笑むと、ミサトもつられてにこりと笑う。全く、レイも女の子ね、とミサトは改めて思った。
レイはそんな彼女の横を通り抜け、シンジのところまで寄っていく。

「碇くん」

「あ、ちょっと待って綾波」

台所で洗い終わった食器を棚に戻していたシンジは、彼女を蹴飛ばさないとように注意しながら答える。
ここでしつこく寄って行かないのがレイである。シンジが困ることはしたくないのだ。

「はい、おまたせ」

「trick or treat」

やっとこっちを見てくれた、と嬉しそうなレイに口元が緩む。だが与えたいお菓子がなかった。

「ごめん綾波、僕お菓子持ってないや」

「………それじゃ悪戯をします」

一瞬困ったような顔つきをしたレイだったが、気を取り直したように先ほど貰ったクッキーを
取り出す。さて、どんな悪戯をするのだろうかと呑気に眺めていたシンジだったが、直接本人へ
何かをするのではないらしく、その小さな女の子は彼の部屋へと移動し始めた。
半開きになっていたシンジの部屋の扉を自分の通れるスペースだけ開き、電気も付けずに入り込む。
なんだか黒ずくめで泥棒のようだ、と思う、後ろから追いながら見守るシンジだった。

「綾波?」

手探りで明かりをつけると、ベッドから離れるレイと目が合った。

「悪戯完了」

楽しそうなレイはそのまま部屋から出ようとする。帰るつもりだろうか。
ふと意地悪を思いつき、シンジはレイが出ていってしまう前に扉を閉めた。
驚いたように振り返る彼女をさっと抱き上げる。本日三度目だが、シンジはこれが楽しかった。
そのままベッドに腰を降ろし、彼女を膝に座らせる。やはり恐ろしく軽い。

「一体どんな悪戯をしたのかな」

「……ひみつ」

「教えてくれなきゃ悪戯するぞ」

もぞもぞと落ち着かないレイの脇腹をくすぐる。幼い笑い声が零れる。シンジも思わず笑ってしまった。

「お布団の中……クッキーが……」

ふふっと笑みを浮かべつつ何とかシンジの手を掴み、動きを止めさせると、白状するレイ。
一体なにをしたのやらと片手でレイの手を握りつつ、もう片方の手で布団をめくってみる。
そこには先ほどミサトから貰っていた、クッキーの小袋が隠されていた。

「後で食べてね」

本当は後で驚かせたかったのであろうレイは、少し残念そうな表情をしていた。
こんなの悪戯に入らないよ、と彼女の優しさに一瞬目尻が熱くなったが、こんなことで泣いてどうする
と気持ちを落ち着かせる。こちらを見ようとするレイを振り向かせないようにしながら、彼女をそっと抱きしめた。

「じゃあ、今度は僕が悪戯していい?」

「お菓子をあげる」

「だめ。それはアスカから貰ってたやつじゃないか」

自信満々にチョコレートを取り出したレイだったが、拒否されて途端に焦りを見せる。
だが焦ったところでお菓子は出てこない。大人しくシンジの大きな手を握り返した。

「……それじゃ、悪戯して碇くん」

ちょっと待て、今その恰好でそんなこと言うもんじゃあ無いよ、とシンジは心の中で叫ぶ。
無邪気で無垢な彼女は本当に恐ろしいと思った。
覚悟を決めたのかこちらをじっと見つめる赤い瞳。真っ白な柔肌の頬をなんとなくつまむと、
そのままそこに唇を寄せた。

「はい、悪戯完了」

燃えるように赤く染まった耳に囁く。シンジも照れたように笑う。ちょっと大胆だったかな、と。
ふと時計を見るともう23時が終わりを告げそうな時間だった。そんなに時間が経っていたとは
知らず、シンジは少し焦った。とりあえずレイを家まで送らなければ。

「綾波、もう帰ろうか」

「………」

「綾波?」

「………は……」

「は?」

「はっくしゅん…!」

可愛らしいくしゃみと同時に何か弾ける音がした。うわぁ、と勢いに押されて思わず目を閉じる。
重みが増してシンジはベッドに倒れた。その腕は条件反射的にレイを抱きしめたままだった。

「な、なんだ……?」

シンジはゆっくりと目を開ける。何度か瞬きすると、状況を把握しようと腕の中に目をやる。
レイがいた。幼女ではない。さっきより重いし、ひたすら華奢で柔らかい。一言で言うと、元の姿に
戻っている。

「え?あ…綾波……」

「戻っちゃった……」

そう言って、ぺろりと舌を出す。どこで覚えてきたんだそんな仕草、とシンジは面食らった。
その表情の可愛らしさと、限りなく近い距離に、彼は無意識に彼女に唇を寄せた。
瞬間、扉が開け放たれた。

「ちょっとシンジ!いつまでレイと遊んでんのよ!もう十二時よ、帰らせなさ…………」

葛城家の時間が止まった。










「えっと、今日はありがとう。よかったらまた来てよ」

無事に、否、頭に一つたんこぶが出来ているようだけれど、碇くんは笑う。
もっと一緒にいてほしい、と言いたかった。お菓子ならいくらでも買ってくるから、ずっとここにいて、と。
けれどそんなことを言えば彼は困るし、嫌われるかもしれない。
私は、気を抜けば喉から出そうになる自分の我儘を押し込めながら、彼と同じように笑った。
最初は失敗したかもしれないと思っていた今回の計画もうまくいって良かった。
碇くんを楽しませるのが本日の自分に課した任務だったが、ご褒美まで貰えて得した気分だ。
また来年、彼がこうやって笑ってくれていればいいと思う。ずっと笑顔でいてほしい。
繋がれた手が溶けてしまったように馴染んで心地良かったが、指を一本ずつ離した。
ゼロだった距離が一になる。さよならの時間。

「それじゃ、さよなら」

「綾波」

「……また明日」

そう、さよならは彼との間では禁句だった。また明日。これは次にまた会えるという約束。
寂しい言葉じゃない。私はもう、ひとりじゃない。
何度もこちらを振り返りながら元来た道を戻っていく彼を、見えなくなるまで見送る。
大丈夫、寂しくない。明日になればきっとまた、私は優しい笑顔に出会えるのだ。






























メンテ

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Re: 十月三十一日の任務 ( No.1 )
日時: 2014/10/26 22:27
名前: くろねこ

お久しぶりです、くろねこです。

何か書きたい、何か書きたいと思いつつ色々と忙しくて
気づけば10月に。どうしてこう早く月日は流れるのでしょうか。
というわけでイベントがらみでハロウィンのお話です。
なんか書いていて思ったのですが、これではシンジくんが思い切りロリコンになってしまうな、と。
ごめんねシンジくん。
今回「笑顔」をちょっとしたテーマにしてみたのですが、「笑う」という単語が多くなってしまって見栄えが
悪くなったように感じ、文章って難しいなぁと思い知らされました。

と、言い訳は置いておいて、楽しんでいただけたら嬉しいです。

(追記:発見した誤字修正しました。)
メンテ
Re: 十月三十一日の任務 ( No.2 )
日時: 2014/10/27 14:32
名前: 史燕

○くろねこさん
「綾波可愛いよ、綾波」
今作への私の感想はこれです。
(弁解しておきますが、私はロリコンじゃないですよー)

>「笑う」という単語が多くなってしまって
表現って難しいですよね。
私もよく「泣く」「笑う」という直接的な表現ばかりになってしまい困ります。
気を付けてもなかなかうまくいかないんですよね。

次回作も楽しみにしております。
メンテ
Re: 十月三十一日の任務 ( No.3 )
日時: 2014/10/29 00:00
名前: くろねこ

○史燕さん
 ちょっとあざとすぎたかな、と思ってましたw
 可愛さ全開の綾波さんです。
 表現とか言葉の選び方は技術の問題ですよね。
 もっと沢山の本に触れて、そこから色々なものを学びとりたいなーと思います〜。

メンテ
Re: 十月三十一日の任務 ( No.4 )
日時: 2014/11/09 02:44
名前: tamb

綾波レイの可愛さと幼児の可愛さには、無論全面的にではないが共通する部分がある、というのは目から鱗だった。しかしこの可愛さは破壊的である。

子供サイズの魔女のマントとワンピースは幼女化した後に買ったのであろうが、店員の戸惑いは想像に難くない。いや、変身後のサイズは予想できたであろうからアマゾンとかで買ったのかもしれぬ(笑)。

くしゃみで戻るというアイディアもいいよな。

レイのセリフはとてもそれらしいし(それじゃ悪戯をします、とか)、ゼロだった距離が一になる、とかそういういいフレーズは散見されるのだけれど、私としてはお菓子を美味しいと思っているであろう彼女がとても素晴らしいと思う。その意味では食べてるシーンがあると良かったかな。もぐもぐと。

笑うという単語の多さは全然気になりませんでした。

メンテ
Re: 十月三十一日の任務 ( No.5 )
日時: 2014/11/09 18:28
名前: くろねこ

○tambさん
やっぱりちょっと可愛すぎましたかね…!レイってどこまで女の子女の子させていいか迷います。
綾波レイの可愛らしさは「白さ」だと思って、そこは幼児と共通する部分があるよなぁ、と。撫でたくなる的な?あれ…?

そしてなんだか彼女は、アマゾンさんの存在を知らなさそうです。つまり実際に店で買ったのです。
そしてレジに手が届かないのです。

フレーズを褒めて頂けて泣きそうですありがとうございます。文章は難しいですが楽しいです、へへへ。
もっと頑張ります。

お菓子食べるシーン…思いつきませんでした。帰宅後もぐもぐしてる姿を脳内補完してください。

「周りの人々を笑顔にする」というのが今回の彼女の任務でした。(「笑う」の多さ、気にならなくてよかったです。)

コメントありがとうございました。

(そして!以前のスレ(三度目の春)でのコメントのお返事を返しそびれて、「あぁでも今返すと一番上に上がってしまう…」と悩み悩んで結局そのままになってますが!ちゃんと読みました!
ありがとうございました!もやもやしてたのでこの場でお礼を…(ペコペコ )


メンテ
Re: 十月三十一日の任務 ( No.6 )
日時: 2014/11/22 02:40
名前: tamb

とりあえずそのままでいいですが(^^;)、コメントする時のタイトル欄の右、「スレッドをトップへソート」のチェックボックスを外すと上がりません。そんなことでひとつよろしくです。ま、メンテでスパムを消したりすると結局書き込み順でソートされたりするわけですが(笑)。
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