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Happy New Year!
日時: 2015/01/01 00:38
名前: JUN

 雪を見ると、彼女の顔が脳裏に浮かぶ。彼女と過ごしてきたどんな時間にも、雪なんて
なかったはずなのに。アスファルトに溶け、沈んでいく淡雪は、彼女の儚い印象と、どこ
までも重なっていた。
少しずつ積もる雪を前に、シンジは決意を新たにした。来年こそ、彼女に想いを伝えよう、
と。

「すみません、これください」


Happy New Year Written by JUN





 1月1日、シンジは駅前で、かじかんだ手をこすり合わせながら、一人の少女を待ってい
た。初詣はミサトとアスカと三人で。彼女も誘ったものの、うまく予定が合わなかった。
――と、いうのは建前で、できれば今日は、二人きりになれる時間が欲しかった。あの二
人と一緒だと、からかわれるに決まっている。できれば今日は、だれにも邪魔されたくな
かった。
 道行く人たちはしきりに白い息を吐きながら、足早に通り過ぎていく。だが、その表情
は明るい。正月という特別な一日でもあり、同時に、平和になって初めて迎える新年でも
ある。頻繁に使徒が襲来し、急いでシェルターに避難する。いつ終わるともしれない戦い
は、街以上に、人々の心を消耗させていた。それから解放された喜びは、誰も同じもので
あった。
 もっとも、その戦いの終焉の真実を知る者は少ない。皆、かつてのサードインパクトの
記憶を持ってはおらず、数人の少年少女のパイロットが、未知の敵を殲滅したことで、戦
いは終わったというのが通説だった。
 そのことに思い当たると、シンジはマフラーで顔を軽く隠す。今でこそ騒ぎにはならな
いが、あまり目立ちたくないのも事実だった。彼女と待ち合わせをするのに、不必要なト
ラブルは避けたい。
 視線を落としたその時、コツコツと軽いヒールの音が、こちらに向かってくるのを感じ
た。慌てて目を開けると、意中のその人は、頬を上気させながら、こちらに向かってきて
いる。
「ごめんなさい。待たせて」
「ううん。僕も今来たところだから。明けましておめでとう、綾波」
「おめでとう、碇くん」
 そう言って微笑むレイは、膝丈のチェックのスカートに黒いタイツ、ワインレッドのダ
ッフルコート、長めの白いマフラーに毛糸のニット帽をかぶっている。かつては制服しか
着なかった彼女も、外出時にはいろいろな服を着るようになった。アタシの指導の賜物、
とアスカは胸を張っている。
「ごめんね、寒いのに誘っちゃって」
「平気」
「それじゃ、行こうか。まずご飯食べよう」
「うん」
 言って歩き出す。肩が触れるかどうかの微妙な距離。歩幅は自然にあっていて、彼女の
息遣いを近くで感じる。そんな些細なことに、どうしようもない充足感を感じる。彼女の
一番近くに自分がいる。それがとても幸せだった。


「すみません、予約していた碇ですけど」
「はい、承っております。どうぞ」
 若いウエイトレスに案内された先は、カフェの隅の小さな席だった。この日のために雑
誌を読み漁り、肉嫌いの彼女でも大丈夫な店を探した。正月から営業していて幸いだった。
「綾波、好きなの頼んで」
「……じゃあ、ボンゴレを」
「僕は鮭のホウレン草のクリームパスタを」
「かしこまりました。少々お待ちください」
 店員がキッチンに引っ込むと、レイは申し訳なさげな表情をする。こんな表情もするよ
うになったんだな、などと考えながら、シンジは尋ねる。
「綾波、どうかした?……もしかして、パスタ苦手だったかな」
「あっ……いいえ、そうじゃなくて。奢ってもらって、申し訳なくて……」
「気にしなくていいよ。こういうのは男が奢るって太古の昔から決まってるんだってさ。
マリさんが言ってた」
 おどけるように言うシンジに、レイも綻んだ顔を見せる。
「だから、ね?」
「……ええ。ありがとう」
「それに、僕の方から誘ったんだし。食事代くらいは出さなきゃ、アスカに怒られちゃう。
なってない、って」
「……碇くん、色んな女の子と仲がいいのね」
「えっ!?」
 じっと見つめる視線は複雑だった。こちらをからかうような視線と、それに混じって少
しだけ、寂しげな色が混じっているようにも思えた。シンジははっと気が付く。そうか、
女の子と食事をするんだから、他の女の子の話はしない方がいいのか――
「い、いや。そんなことないよ。その、綾波を誘うのに、いろいろ相談に乗ってもらって、
それで……」
 必死の弁解に、少し堅い表情をしていたレイも緩む。ほっとする一方で、今度から気を
付けよう、とシンジは決意を新たにした。

 運ばれてきた料理はとても美味で、レイも満足したようだった。もっとも、彼女がシン
ジと行く食事に不満をこぼしたことはないが、それでもシンジにとっては大いに安心でき
ることだった。

「ありがとうございましたー」
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
「――それで、綾波はどこか行きたいところとか、ある?」
 ここからどうするかは、できれば彼女の意見も聞こうと思っていた。あまり連れまわし
たくないというのと、外出時どんな場所に行くのが好きか、シンジ自身あまり知らないと
いうことが大きかった。あまり映画などを見るイメージはないし、騒がしい場所も好きで
はないだろう。学校帰りの買い食い程度にしか誘ったことがないシンジにとっては、あま
り手探りをするのも好ましくないといえた。
「それじゃあ……本屋に……」
「本屋?」
「ごめんなさい、つまらないかもしれないけど……」
「いや、いいよ。行こう」
ゆっくりと歩きだす。シンジの頭の中にもいくつか候補はあったが、どうもレイの中に既
に行先はあるようなので、それに任せることにする。それに、彼女といてつまらないこと
なんてない。
 ついた先は人気の少ない古本屋で、レイはふらふらと本棚の森に消えた。そういえば、
彼女は本が好きだった。今度何か贈ってみるのもいいかもしれない。自分も、古い本の匂
いは嫌いではない。どこか落ち着く紙の香りは、彼女の印象にもよくあっていた。
 何もしないのも勿体ないので、自分も少し見てみることにする。第三新東京市に来る前
は、よく叔父が小説を買ってきてくれた。もっとも、それは一人で遊び相手のいない自分
に宛がわれたものではあったが、幼いころの自分にとっては、それも大切な友人だった。
ふっと懐かしい気分に浸りながら、古い文庫本を一冊手に取る。ある日妖精と少女が出会
う、幻想的な物語。いつか自分の下を去ってしまうことを宿命づけられた妖精に、少女は
いかないでと懇願する――
「……碇くん」
「――あっ、終わった?」
「ええ。ごめんなさい。待たせて」
「それじゃ、行こうか。……どこかほかに行きたいところ、ある?」
 レイは少し宙を見上げ、考えるそぶりを見せた後、
「私は、特に」
「じゃあ、どうしようかな――」
 誘うことと、昼食のことで頭がいっぱいだった感は否めず、シンジはしばし考える。綾
波は静かなところが好きだから。図書館とかどうかな。でも、今本を買ったばっかりなの
に、また図書館っていうのも――
「……あの」
「ん?」
「よかったら、私の、家、に……」
「綾波の?」
「今日のお礼に、晩御飯、作るから……よかったら」
 もじもじと俯きながら言うその可愛らしさに一瞬心を鷲掴みにされる。そう言ってくれ
るなら、シンジに断る理由は微塵もなかった。
「じゃあ、お邪魔していい、かな」
 レイは、こくんと小さく頷いた。



 ざくっ、ざくっ、ざくっ

 白菜を刻む歯切れの良い音が響く。いつもと立場が逆なことに何となく違和感を覚えな
がら、シンジは揃えたばかりのソファに腰掛けていた。ぐるりと見渡すと、大分生活感が
出てきたように思える。コンクリむき出しの寒々しい佇まいは息をひそめ、白色の壁紙に
はコートやマフラーがかけられている。二人で選んだ家具も馴染んできていて、なんとも
いえない満足感にシンジは浸った。
 キッチン越しに見えるレイは、ちょっと見はいつも通りの表情だが、眼もとには凄まじ
い真剣さが宿っている。手つきもまだ少しおぼつかないが、作業の行程自体に淀みはない。

 出来上がったのは牡蠣鍋だった。二人用の少し小さな土鍋に、牡蠣や白菜、豆腐、舞茸
などが隙間なく収まっている。昆布出汁の甘い香りに、シンジの口元も緩んだ。
「美味しそうだね」
「あんまり、自信ない、けど」
「そんなことないよ。よくできてる」
 言いながら牡蠣を口に運ぶシンジを、レイは固唾を飲んで見守る。口に含むと、新鮮な
牡蠣特有の磯の香りと、ほのかな出汁の風味が鼻から抜ける。紅葉おろしの辛みが口の中
をすっきりさせてくれた。
「うん。おいしい。綾波、ほんと上手になったね」
「……よかった」
 レイも一口して、安堵のため息を漏らした。

「碇くん、今日はありがとう」
「ううん。僕の方こそ、正月から付きあわせてごめん」
 片付けは僕がやるよ、というシンジの一言で洗い物を終え、再びテーブルに向き直る。
手元で湯気を立てる紅茶は、その間にレイが入れておいたものだ。
 じっとシンジを見つめる真紅の双眸は、出会ったころと変わらない。
 だが、ここまでに色々なことが変わった。人前で表情を変えることの無かった彼女が、
今は休日に二人で出かけ、料理を振舞ってくれるような女性になっていた。その中で、自
分も変わらないといけない。戦いは終わり、明日の命をも知れぬ日々は終わりを告げた。
しかし、これからずっと、彼女が自分の隣にいてくれるとは限らない。
 窓枠に積もる雪と、彼女が重なる。次も、その次の春も、彼女と迎えたい。届かない手
を伸ばすことを、繰り返したくはなかった。
「……綾波。今日誘ったのは、綾波に、どうしても伝えたいことがあったんだ」
「……なあに?」
「戦いが終わって、僕たちが出会ってから、もう一年になる、よね」
「……ええ」
「ここに来たばっかりの僕は、空っぽで、何もなかった。エヴァに乗っても、生きてるの
か死んでるのか、自分でもよくわかんなかった。父さんに認められたいから……ただそれ
だけの理由で、エヴァに乗ってたんだと思う」
「…………」
「でも、でも君に出会って、少しずつだけど、変われた気がするんだ。あの日、綾波が笑
ってるのを見て……この人と歩いていきたいって、思った」
「……碇くん」
「僕は、綾波を守れなかった。目の前で綾波が消えていくのを、ただ見てることしかでき
なかった。……でも、僕はまた、綾波に会うことができた。だから――」
 シンジは提げていたバッグの中から、濃紺のジュエリーボックスを取り出し、レイに差
し出す。
「クリスマスにちゃんと渡せなくてごめん。一年が始まる今日だから、綾波に伝えておき
たいんだ。…………好きだ、綾波。こんな僕だけど、これから綾波のこと守っていけるよ
うな男になるから。だから」
 まっすぐ、彼女を見つめる。吸い込まれそうな眼差しから、眼をそらさないように。少
しでも、自分の想いが伝わるように。もう二度と、彼女の手を離さないように。
「受け取ってほしい。それで、よかったら、僕とずっと、一緒にいてほしい」
 しんと、静寂が訪れる。外では少しずつ、雪が積もっているようで、しとしとと湿った
音が微かに響いてきた。シンジは耐えきれなくなって目を瞑る。
 どれくらい経ったか、シンジにも分からない。時間の感覚がなくなるほどに時間が経っ
たのか、それとも、ほんの僅かな一瞬だったのか、ともかく、今一度シンジが目を開いた
その時――


 ――レイは、泣いていた。

 真っ赤な眸からとめどなく流れる大粒の涙を拭おうともしないまま、レイは泣いていた。
そのあまりの美しさに、シンジは一瞬、心を奪われた。
「綾波……?」
「嬉しい……碇くん。私も……碇くんの、こと……」
 シンジの顔に喜色が浮かぶ。その表情に、レイも淡い微笑みを浮かべた。
「開けても、いい?」
「……うん。あんまり、高いものじゃないんだけど」
 開けると、中に入っていたのは小さな水色の石を埋め込んだネックレスだった。
「きれい……」
「アクアマリンって言うらしいんだ。石言葉っていうのがあって、『幸福』なんだって。そ
の、綾波に、似合うかな、って」
「……つけて、くれる?」
「……じゃあ綾波、後ろを向いて」
 立ち上がったレイの背後から、慎重にチェーンを嵌める。雪のように白いうなじは、丁
寧に扱わないと傷つけてしまいそうで、シンジは知らず知らずのうちに呼吸を止めてしま
っていた。
「……碇くん」
「なに?」
「一生大切に、するから。碇くん……――大好き」
 か細い声だったが、確かに届いた。耳まで紅に染めるレイに、シンジは思わず肩越しに
抱きしめた。
「あっ……」
「綾波。もうどこにも行っちゃ、やだよ」
「どこにも……行かない」
「ほんと?」
 答える代わりに、レイはシンジの腕をほどいて振り返る。
「……綺麗だよ」
 きらきらと胸元で光る蒼い宝石は、彼女の美しさをより際立たせていた。
「私は、碇くんと出会うまで、空っぽの毎日だった。いつ消えてもいいと思ってた。私に
は――幾らでも代わりがいた」
 シンジの表情が曇るのにもかまわず、レイは続ける。
「でも、碇くんと出会って、手を握って――ずっと一緒に生きていきたいって、思った。
代わりのある毎日じゃなくって、たった一人の綾波レイとして、碇くんと二人で――」
「綾波」
「還ってきてから、毎日碇くんと一緒にいられて、夢みたいで……――いつも、怖かった。
もしかしたら本当に夢なのかもしれない。いつか碇くんと離れ離れになって、こうして一
緒にいられる毎日は、無くなってしまうんじゃないかって……だから」
 シンジの胸元に、レイがしがみつく。
「碇くんに好きって言ってもらえて、すごく、嬉しい」
「綾波、僕、頼りないかもしれないけど――」
「頼りなくなんて、ない。碇くんは、素敵な人……」
「……ありがとう」


「……私、碇くんに何も準備、してない」
 不意に、レイが呟く。シンジはおどけたように笑って、
「いいよ、そんなの。僕が勝手に――」
「……よくない。だから――」
「え……」
 
 ちゅ、と背伸びしたレイが、シンジにそっと口づけた。
「ん……」
 レイの柔らかな唇が、シンジの口元をそっとなぞる。驚きに目を見開いたシンジも、レ
イの頭をそっと抱いた。
(かわいい……)
 健気に口づける彼女が、どこまでも愛おしい。彼女のためなら、なんだってしよう。そ
う思えるほどに。これからどんなことがあろうとも、彼女と生きていこう。そう思えるほ
どに。
「ふ……」
 長い口づけの後、どちらもとなく手を離す。頬を紅潮させるレイに飛びそうになる理性
を必死で抑えながら、シンジはレイの肩に手を置いた。
「……プレゼントに、なった?」
「……十分すぎるよ。綾波、僕、頑張るから、だから――今年も、よろしくね」
「……うん。今年も来年も、再来年も、よろしくお願いします。碇くん」
 答える代わりに、シンジはレイをぎゅっと抱きしめた。


 ――これからずっと一緒だよ、綾波。




               ――FIN――

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