Be. |
- 日時: 2015/12/26 03:14
- 名前: のの
- 無許可、無免許、未承認。
Be.
確かにその日は満月だった。朝のニュースでも言っていたから憶えていた。忘れてたから、思い出したというべきか。 「ほら、やっぱり冬は綺麗ね」 ベランダに出たアスカの声を受けて立ち上がってベランダに出た。サンダルはぼろい方が残されていた。僕の足には少し大きいそのサンダルは、ミサトさんが入居した時からあったものだという。それを聞いて以来、アスカは絶対にこっちのサンダルを使おうとしない。 「満月にクリスマスなんて、日本風に言うと、粋ってやつじゃん?」 アスカはこっそり飲んだホットワインのせいでほろ酔い口調だった。それでもしっかりした足取りで、なるほどドイツ人の血を引いているだけのことはあるのかもしれない。でも、美味しいと思わないものを飲む気にはならないので、それに付き合おうとは思わなかった。 「クリスマスと月なんて、関係ないと思うけど」 「それがかけ合わさったところが粋だっつってんじゃん、わかんないヤツね」 「悪かったね、頭悪くて」 「そういうこと言ってんじゃないっつうの。まあ、そういう意味じゃ、」 「ホントにバカです」 「わかればよろしい」 クリスマスにまでバカ呼ばわりは、思えば悲しくなるだけなのでできるだけ考えない。ついでに、今日のパーティーのオードブルが頼みすぎて余ってるから明日のメニューも考えない。 「でも、ホントのバカは鈴原ね。あのプレゼント、なんなのよホント」 ベランダのリラックスチェアに座りながら顎でリビングを指してみせたので、苦笑いで返した。隣に座る場所はないので、リビングの床に腰かけて。逆光の姿がアスカにどう見えるのか、ちょっとよくわかないけど。 「顎でなんて、可哀相だよ」 「ハン・ソロへのオマージュよ、気にしないで」 静かに言い切って親指を立てると、アスカはそのまま両手を頭の後ろに当てて、大きく体を伸ばした。ショートパンツから、絹のようにするりとした感触を思わせる白さと質感の脚が伸びていた。 気にしないでと言われても、ああそう、という他ない。 確かに、いくら男女混合でプレゼント交換をするからと、当たり障りのないものを、と考えたトウジの気持ちもわかるけど、折りたたみ傘という発想はどこからきたのか、誰も深くは聞けなかった。本人はまんざらでもなさそうな顔だっただけに、尚更聞けない。町内会かよ、というケンスケの力ないツッコミだけが、唯一の希望だった。 「ああいうの、ドヤ顔ってやつ、生で初めて見た」 アスカもよくしてるよ、とは、思いついても言えない言葉、その66だ。腰掛けた尻に窓の桟が当たって居心地が悪いので座りなおすと、垂直に位置するアスカが横目でこっちを見たのがわかった。彼女の青い眼は、動くとよくわかる。 「まあ、ファーストの図書券ってやつも、実利的すぎて味気なくて面白みに欠けるけどね。金券て、プレゼント?」 「人によってはアウトだよね、たぶん。でも、委員長は喜んでたよ」 「三人姉妹の真ん中が、家の中で如何に不利益を被ってるかを知った感じ」 「アスカのヘッドホンは、あれ、予算内?」 「タイムセールでポチったから。鈴原以外ならOKと思ったけど、相田がマジで喜んでるのみて、ああ、施しの気持ちよさってコレかって気分」 「そんな高みからなの」 「悪い?」 「悪くはないけど。モノはいいし。あれ、僕が欲しかったな」 アスカがため息だけで返答した。自分で買えってことか。 アスカは首をこっちに向けて、もう一度顎を前に突き出した。何を指しているのかはすぐにわかった。 「ま、あたしのセンスの良さはさておき、アンタのも悪くはなかったんじゃん?ふつーに使えるし」 「でも、相当印象薄かったんだろうね」 振り返れば、持って帰り忘れられた僕からのプレゼントが見えるはずだ。封はもう一度きちんとした。今度会う時に渡そうと思う。でもきっと、要らないと言われてしまうだけだろう。あるいはただただ使われないだけか。 「え、あんた、ほんとに気づいてないの」 アスカが上半身を起こして尋ねるので、なんのことだかわからないという反応を素直に示した。 「何が」 「ファースト、リツコの白ワイン間違って呑んでたわよ」 「うそ」 「ホントよ。だからミサトたち、急にお開きにしたでしょ。たぶん、様子がおかしいってバレたくなかったんでしょ」 「そうだったんだ……」 まあでも、それならそれでしょうがないと、諦めもつく。だって僕はサンタじゃないし。 それでも、楽しいはずのクリスマスの夜に盛大なため息をついている僕はきっと、結構ついてない方だ。なんとなく唇の端に残るチキンの脂を拭いながら、実際、楽しかったパーティーを思い出す。 「昔みたいに寒かったら、こんな風にベランダに出て話すなんて、ありえないよね」 「いや、今日は満月だから、仮に季節があっても外で喋ったりするでしょ。恋人同士とか」 「えっ」 「えっ?」 顔を見合わせて、アスカの赤い髪がばっと揺れて、彼女が起き上がるや否や立ち上がって僕を飛び越えて家に戻っていった。きっと赤くなってる顔を見られたくない身としては、それはむしろありがたかった。
夜風に当たっていると、雲が流れているのがよく見えた。月は雲を貫いて街を照らそうとしているのに、ビルの光は月明かりが地上まで届くのを拒んでいた。それでも月はそうとも知らず、雲を貫く。その身の周囲にぼんやりとした七色の輪を残すだけなのに。相手の都合にお構いなく。
僕は、立ち上がって、リビングのプレゼント袋を手にとった。中身は普通よりちょっといいボールペン。なんてささやかなものだ。袋だってとても小さいし軽い。それでもそれを手にするのは、思っていたより大仕事だった。 「アスカ、僕、ちょっと出てくる」 自室に引っ込んでしまったアスカに大声で声をかけると、彼女がやってくる前に素早く靴を履いて家を出た。あんまり使わないので鍵もつけてない自転車を引っ張り出して、カゴにプレゼントを入れて、一目散に家を出る。自転車のライトが自動的に点いて、僕の目の前だけを明るくしてくれる。漕げばつく、漕がなきゃつかない。単純明快、素晴らしい。トナカイもいないしトナカイじゃないし。それでもお前が役に立つのさ、と漕ぎつづけること十五分、僕は朽ちかけたアパートに辿り着いた。 もう夜も遅い。といっても、このアパートに住んでいるのはたぶん一人だけだから、足音を騒々しくしても周囲の迷惑にはならないだろう。それでも僕は、プレゼントを持って、抜き足差し足で階段を上った。煙突を下りる気分はこんな感じだろうか。 四階に着いて、二番目の部屋のドアノブにプレゼントを掛けて、すぐさま引き返した。部屋の明かりはついていないから、きっと彼女はもう寝ている。それならそれで、それならそのほうが。 僕は自転車を漕ぎ出した。 暗い夜道にピカピカと、こいつのライトが役に立つ。
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