たなばた |
- 日時: 2016/07/07 23:30
- 名前: 史燕
- 「たなばた」
Written by史燕 「……たなばた、ですか?」 「そう、七夕よ。レイも来るわよね?」
突然葛城三佐に誘われたのは、7月6日のこと。 明日、7月7日に三佐の家に集まれるかという確認だった。 ……確認というよりも、三佐の中では確定事項のようだけれど。 七夕、日本の伝統行事らしい。 なんでもこの紙――短冊と言うらしい――に書いた願いごとが叶うのだとか。
……何を書いたらいいのだろう。
とうとう次の日になってしまった。 外はしとしとと雨が降っている。
「あっ、綾波も来てくれたんだ」 「っ!! ええ」
葛城邸を訪れると、碇君が出迎えてくれた。 いつものことなのに、最近はなぜか心音が高くなり、脈拍も異常に早くなる。 そんな異常を自覚しながらも、なぜかここに来ないという選択肢は浮かばないのだから、自分でも自分のことがわからない。
「さあ、中に入って」
碇君に促されるまま、私は部屋の奥へと進んでいった。 リビングの中央には、大きな笹の木が置かれていた。
「レイってばおっそ〜い。この大きな木を早くどかさなきゃ、みんな座れないのにミサトったら『レイが来るまで』って聞かないんだもの」 「……ごめんなさい、アスカ」 「まあまあ、アスカ。そういうのは綾波じゃなくてミサトさんに言うべき話でしょ」 「それはわかってるけど〜。肝心のミサトがどっか行っちゃったんだもん」 「たぶんまたえびちゅでも買いに行ったんじゃないかな」 「え〜またぁ? この間も買ってたじゃないの」 「でも、ミサトさん毎日5本は空けてるし」 「そうだけど」
アスカと碇君が楽しそうに話している。 これもいつもの光景。 でも、胸の奥がいつもチクリと痛む。 これはどうして?
「あっ、綾波も座ってよ。……アスカの言う通り狭いけど」
碇君がようやく私の方に話を向けてくれた。 それだけでなんだか頬がぽかぽかしてくる。
「……ええ、そうするわ」
私が座ったのは碇君の隣。
「まったく、やってらんないわ。シンジ、ミサトが戻ってきたら呼んで」
そう言って、アスカはさっきと同じ調子で悪態をつきながら自室へ戻っていった。
「あっ、綾波はさ」
碇君が急に慌てたようにして、改めて話しかけてきた。 声が少し裏返っている。 どうしたのだろう?
「綾波は、願い事はなんて書いたの?」 「……まだ、何も」
私がそう答えると、碇君はバツの悪そうな顔をしながら「そうなんだ、ごめんね」と謝ってくれた。 碇君が悪いわけじゃないのに……。
――ねがいごと。 ――現実にはない要望。 ――自分がこうあってほしいと希望すること。
(……わたしはなにをのぞむの?)
私と碇君の間で、沈黙のままに時間が過ぎていく。 碇君は時折手を握ったり開いたりしているけれど、その場を動こうとはしない。 私も私で、何をするでもなくただ渡された紙とペンを手に持ったまま、ひたすら思考の渦へと沈んでいた。
(……わたしはなにをのぞむの?)
この沈黙を破って行動を起こしたのは、やはり碇君だった。
「綾波はさ、織姫と彦星って知ってる?」 「……いいえ」
私は首を横に振りながら、そう答えた。 正確には夏の大三角を構成する星のうち二つの日本での別称だったと記憶しているけど、たぶん碇君が聞いているのはそういうことではないだろうから。
「織姫と彦星ってさ。いろいろあって離れ離れにされちゃった恋人同士なんだ」 「……はなればなれ?」 「うん。なんでも織姫のお父さんを怒らせちゃったんだって」 「……そう」
碇君の話に相槌をうつ。 ふと脳裏に碇司令に命令されて碇君と会えなくなる私の姿が脳裏に浮かんで、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような痛みが襲った。 どうして?
「そんな二人がずっとお願いを続けてやっと年に一度会うことが許されたのが七夕の日なんだ。その日に僕たちも願い事を書けば、織姫と彦星のように願いが叶うんだって」
最後に「全部加持さんの受け売りなんだけどね」と苦笑しながら碇君は話を締めくくった。 一年に一度だけ、二人が会える日が今日。
「……今日が終わらなければいいのに」 「うん、そうだったらいいのにね」
ぽつり、とこぼした言葉を碇君が肯定してくれた。 これをそのまま短冊に書けばいいのだろうけど、私が実際に(碇君に見えないようにして)書いたのは別のことだった。
「ただいま」
葛城三佐が帰ってきたのはそれからしばらく経ってからだった。
「ミサトっ、遅いわよ」 「ゴミンゴミン、ちょっち、ね」 「『ちょっち』って何よ『ちょっち』って」
碇君が呼ぶより先に、アスカが玄関へと飛び出していった。
「あら、レイももう来てたのね」
葛城三佐はリビングに私と碇君がいるのを見つけると、なぜかうれしそうにしてそう言った。
「それじゃ、短冊をつけてベランダに出しましょ」
葛城三佐が笹の木を抱えながら言った。
「ミサトさん、外は雨ですよ?」 「だいじょ〜ぶよ、ちゃんとベランダも屋根はあるんだから」 「そうですけど」
碇君が三佐に対して反論しても、三佐は聞く耳を持たない。 結局そのまま押し切られて、(碇君が)笹の木をベランダに立てた。
「シンちゃん、ありがとう」 「もう、いいですけど」
そう言って碇君は元の席に座る。 また碇君が隣に座ってくれて、なぜかさっきよりさらに頬がぽかぽかした。
「今年もちゃんと雨になったわね」
碇君の予想通り買ってきたえびちゅを空けながら、葛城三佐がそう言った。
「ちゃんとって、どういう意味よ。ミサト」
アスカが不思議そうに尋ねた。 碇君も口にこそ出さないが同じく聞きたそうにしている。
「七夕の雨は織姫と彦星の涙よ。別れを惜しむ二人の涙が、天を濡らし地に降り注ぐの」
「あれ、知らなかった?」とでも言うように、さも当然のように葛城三佐は言ってのけた。 アスカも碇君も感心しているようだった。 特にアスカは
「ミサトって、意外とロマンチックなところもあるのね」
なんて口に出して言っているくらい。
だけど、私は二人と違って内心で織姫と彦星に申し訳なく思っていた。
(ごめんなさい)
離れ離れになる恋人たちには悪いけど、私はこう願ってしまったから。
――碇君とずっと一緒にいられますように――
別に恋人でも何でもない。 それでもなんだか碇君と離れ離れになるのはいやだったから。 想像しただけで、胸が苦しいくらいに締め付けられたから。
(ごめんなさい)
そう空の上の恋人たちにもう一度謝ってから、碇君たちの会話に耳を傾けることにした。
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