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日時: 2018/10/02 17:02
名前: のの

言い聞かせる。

言い聞かせる。

大丈夫だって、言い聞かせる。




Written By NONO



 あの雲がどいたら、海岸まで走るのはどうだろうか。
 そんなことを考えるのは、空が青すぎるせいだ。そう言い聞か
せて、走り出したい気持ちを抑えて、暑く、気怠いはずなのに妙に
心地の良い風が吹くこの気候に身を委ねて、そっと息を吸い込んだ。
「どうしたの」
 綾波レイが訊ねる。
「どうってことないよ」
「そう」
 短い会話が短く終わった。蝉のひと鳴きより短いその会話は、
澱むことがなかった。そして風に吹かれて消えていった。木漏
れ日があたる時だけ、首筋に熱を感じる。綾波との会話はいつも、
細かい焦点の集合で出来ている。
「怒らないの」
「どうして」
「だって、怒ってると思ったから」
「そう」
 汗ばんだ首筋の汗のぬめりを感じる。上を向いたせいだ。
「それでもいい」
「どうして」
「だって。あたりまえだから」
「なにが」
「怒ってあたりまえだから」
「そんなことない」
 街路樹のアーチを抜ける。この先は段々と建物が高くなる。
大型マンションが多いからだ。
 この街は戦いの街だ。僕はエヴァンゲリオン初号機のパイロット
として、この街で戦い続けてきた。戦う度に痛い思いをして、嫌な
思いをして、それでもなぜか、戦ってきた。もちろん何度もやめた
いと思っている。きっとこれからも、乗るたびに嫌だと思うんだろう。
そんな僕でも生きてこられたのは、この街が、エヴァが戦う使徒と
戦うためだけに作られた「迎撃都市」だからだ。ミサトさんやリツ
コさんもよく言っていた。大勢のアシストがあっての自分達だと。
こうして街をあるいていると、つくづく、実感できる。戦うため
だけの街なんだと。
「碇くん」
「なに」
「ありがとう」
「……なにが」
「わたしといてくれて」
 撤去しきれていない瓦礫のせいで道が狭くなっていた。
 本当は僕も言わなくちゃいけない。僕といてくれてありがとう、って。
 でも、僕は知っている。綾波レイには「たまたま」僕しかいな
かっただけで、もしも、もっと広い世界に出ていったなら、きっと、
僕を選ぶようなことはなかっただろう。
 そんなたまたまのために、僕しかいなかった彼女に対して、何か
言えることがあるなんて。
「わかってる」
「なにを」
「気のせいだってこと」
「わかるの」
「わかる」
「わかろうとした?」
「わかってる気がしてる」
「そう、でも、真実は人の数だけ存在するから」
 既視感のある言葉だった。
 誰に言われたのだったか。いつかの誰か。それとも、どこかの世
界の誰かだったりするのかもしれない。そんなこと有り得ないだな
んて、誰にもわからない。この街に来てから、基本的には有り得な
いことしか起きていない。怪獣と戦うためにロボットに乗って、
ビルからミサイルが飛んできて、ヒーロー扱いされたり、悪者扱
いされたり、妬まれたり、友達ができたり、好きなひとができたり、
好きになれたひとを握りつぶしたり。
「あなたに見えるわたしと、わたしの中のわたしは違う」
「そんなに、作ってるの」
「いいえ。でも違う」
「それは、そうかもしれない」
「そういうものだから」
「そうなんだ」
 団地が見える。彼女の住む部屋だ。初めて来た時のことを、ここ
に近づくたびに思い出す。ふわふわした緊張感のまま部屋に入って、
そのあとで、人生最大の緊張を経験した。あんなことがあったら、
誰だって嫌いになるはずだと思うけれど、何もなかったかのように
振る舞う綾波に、僕は最初、不気味さを覚えたことを思い出した。
「わたしの中のあなたは、とても大切に輝いている」
 彼女はいつもの調子でさらりと言った。
「わたしの入れ物が変わっても、よくわからなくなっても、なくなっ
ていない。わたしの中にはあなたがいる」
 だから、と珍しく彼女は言葉を繋いだ。風が吹いて葉が舞った。
「だからもう、大丈夫」
「なにが」
「わたしの中には、あなたがいた。わたしの肉体がなくなっても、
あなたは居続けた。だからもう、一人じゃない。あなたも一人じゃ
ない。ちゃんと、わたしの魂の中にあるから」
 立ち止まってしまった。彼女の赤い瞳が目に入ってしまった。
その赤は僕に、掌についた血と肉を思い出させるから嫌だった。
歩き続けなくちゃいけない。
「やめてよ、そんなこと言わないでよ。ほとんどそれはお別れの挨拶
みたいじゃないか。言っただろ、ねえ、僕は言ったはずだよ、綾波
と一緒にいるんだって。あの世界に未練はないって。だからこうし
て僕らは一緒にいるんじゃないか。僕はちゃんと、綾波の目の前に
いるだろ。それがどうして、心だとか魂だとか、そういう話をする
んだよ」
 彼女は彼と違って笑わなかった。だからそれが、遺言だと手に取
るようにわかった。
 僕はもう泣いていた。
 彼女は、彼女を見透かす僕を見透かして、僕はそれに気づいてい
たのに気づかないフリをして、彼女はそんな僕に付き合ってくれて
いる予感もしていたのに、その時がくると、もう泣いていた。
 綾波を見ていられなくなって、目を逸らして、歩いてきた方向を
見た。長い、長い道だった。疲れない身体で何か月分歩いてきたの
かわからない。
「ちゃんと歩けるから」
「やめて」
「大丈夫」
「大丈夫じゃない」
「ごめんなさい」
「なんで」
「怒ってあたりまえだから」
 でも、
「わたしはあなたの中にもいるから、大丈夫」
 それから、触れているかどうかもわからないほど軽い彼女が、僕の
頸に両手を回した。
「わがままを言ってごめんなさい」
「ずっと一緒でいいのに」
「それだと、何も変わらない」
「でもそれじゃ、一緒にいられない」
「でも…………いまの碇くんは、あたたかい」
 彼女は腕の中で消えた。
 瞬きの間に、僕の世界から綾波が消えた。
 風が吹かれて消えていったのかどうかもわからない。
 そして僕は、何もかも揺れている世界に戻ってきた。
 風が吹いて、なにもかもが揺れている。
 僕の中でも、揺れている。僕の中の綾波が、根を張って揺れている。

メンテ

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