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一杯の夕空をきみに
日時: 2021/02/27 19:23
名前: 史燕

          一杯の夕空をきみに
                     Written by 史燕

今日もまた、僕は二杯のティーカップを運ぶ。
一杯をきみに、もう一杯を僕に。
あまり自慢ができるとは言わないけれど、手慣れた手つきで、ポットからカップに紅茶を注ぐんだ。

「お待たせ」

そう言って僕は、窓際に座る君の前に二つのティーカップを置く。
時は夕暮れ、真っ赤に染まる空を、二羽の雁が横切っていた。

「……ありがとう」

そう言ってきみは、僕の用意したカップをゆっくりと傾ける。
夕陽に照らされた君の様子を、自分の分のカップに手を付けるのも忘れてじっと見つめるのが、ここ最近の僕の楽しみだ。

一口、二口ほど口をつけて、きみはカップを口から離し、その水面をじっと見つめる。
きみがカップから口を離すのを見て、思い出したように僕もカップに口をつける。

「苦くなかった?」

自分で尋ねながら、再度確認するように再び紅茶を口にする。
苦くはない、はずだ。
少なくとも、彼女や自分の好みからすれば、今日の紅茶は渋みを感じさせない、会心の出来だ。

「……いえ、むしろ甘いくらいよ」
「甘いかなあ?」

甘い、のかな。
確かめるようにゆっくりと味わう。
たしかに彼女が言うように甘い、のだろう。
淹れた本人も気づかなかったが、ほのかに甘い味わいが口の中に広がった。

「……ふふっ」
「どうしたの?」
「だって、あんまりにも碇君が不思議そうに紅茶を飲むものだから」

何が琴線に触れたのかわからないが、鈴を転がすような声で、彼女は小さく笑い声をあげた。
笑いものにされるほどおかしかった覚えはないのだけれど。

「……それに」
「それに?」
「そっくりだと思わない? カップと、空と」

言われてみれば、茜色に染まる空と手元のカップの中身の色は、奇妙なほどにそっくりだった。

「まるでこの場に合わせて淹れてくれたみたいね」

そう言ってほほ笑む彼女の瞳もまた、茜色に彩られている。

毎日必ず、僕は彼女とこの場所で、同じ時間を過ごす。
彼女はこの席を本当に気に入っているようで、いついかなる時でも、この時間になれば、彼女はこの席から窓の向こうの景色を眺めている。
彼女の住むマンションの一室、その一番奥の窓際の席。
昔に比べればずいぶんと物が増えた部屋だけれど、それでも天井や壁は昔のままで、グレーのコンクリートが目に痛いほど地肌を露呈している。
そんな打ちっぱなしのコンクリートの壁が、不思議なことに、夕陽に染まる彼女の碧い髪をかえっていっそう際立たせている。
まるで、そのまま一枚のポートレートのように。

「……うん、綺麗だ」
「なっ、なにを言うのよ」

思わずこぼしてしまった本音を聞きとがめたきみは、燃える空の色に負けないほど、頬を真っ赤に染めた。

「ごめん、つい……」

そんな彼女の反応に、思わず反射的に謝罪の言葉を口にしてしまう。
だけど、今、この場でそう思ったことは本当なんだ。
だから正直に、その思いをそのまま言葉に乗せてきみに伝えることにする。

「でも、本当にきれいだと思ったんだ。真っ赤に染まる夕空が、そしてそんな空を見つめる綾波が」
「………」

沈黙が、痛い。
彼女に何か不快な思いをさせたのだろうか。
そこまでおかしいことを言ったつもりはないのだけれど。
先ほどの穏やかで楽しい空気が一変して、冷やりとするような緊張が内心を支配する。
それでも、僕は先ほどの思いを口にしたのは、間違いだとは思わない。

「嫌、だったかな?」

おそるおそる、僕は彼女に確認する。
これで嫌だと言われたら、今日はこのまま僕はこの部屋を後にすることになるだろう。

「……嫌じゃ、ないわ」

どのくらいの時間が経ったのかわからないほど間を空けて、彼女はそう言った。
思わず胸をなでおろす僕だが、彼女の言葉にはまだ続きがあった。

「……私も」
「えっ?」
「私も、綺麗だと思うから」
「夕空が、なにより碇君が」

綺麗だということがあっても、言われることがあるとは思わなかった僕は、予想外の言葉に一瞬思考が停止しそうになった。

「綺麗? ぼくが?」
「ええ」

今度は迷いなく、ハッキリと肯定の言葉が聞こえた。

「綺麗だと、そう言うべきだと思うの」
「私は、碇君がいつも紅茶を用意してくれる手つきが綺麗だと思う」
「真剣な表情で、カップにお茶を注ぐ表情も、綺麗だと思う」
「私を優しく見守ってくれる眼差しも綺麗だと思う」
「私と一緒にここに座る時、カップに写りこむ碇君の顔も、綺麗だと思うの」

思いがけない言葉に僕は何と答えていいか、返事がすぐには浮かび上がってこなかった。

「……これって、おかしい?」

反応のない僕に向かって、探るような目つきで彼女は尋ねてきた。
おびえるような、期待するような、そんな複雑な表情で。

「ええっと、ちょっと、綾波からそんなに褒められるとは思わなくって、正直びっくりしたんだ」
「予想外だったけど、とてもうれしいし、おかしいとは思わないよ」
「ただ、なんていうか、そう、そんな風に見られてるなんて思わなくって」

僕の返答に安堵したのか、綾波はまさにほっとしたような表情を浮かべた。

「碇君に、いつもいろんな言葉を貰うから、たまには私からも碇君に言葉を贈ろうと思って」
「それは、とてもうれしいよ。だけど、どうして急に?」

僕がそう言うと、彼女はとても面白いものを見つけたような顔で、こう言った。

「カップに写る夕陽の色が、とても綺麗だったからよ」

メンテ

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Re: 一杯の夕空をきみに ( No.1 )
日時: 2021/02/27 19:26
名前: 史燕

ご無沙汰しております。
かなり久しぶりに、(これでも)人にお見せできる作品が書きあがりましたので、投下しました。
お目汚しですが、どうぞよろしくお願いいたします。
メンテ
Re: 一杯の夕空をきみに ( No.2 )
日時: 2021/03/04 22:20
名前: tamb

エヴァ、あるいはヱヴァとは自分に何だったのか、と問い直しても良いだけの時間が流れたような気がする。実際の話、第一世代のトップクラスは恐らく還暦迎えてるぜ(笑)。

セリフが彼女と彼の声で聞こえて、そういうことなんだな、と思った。

カップに映り込むのがシンジと夕陽の色という対比、そして茜色の空と紅茶の色そのものの対比が美しい。シンジと夕陽の色が、共に「綺麗」だということも。

どう書いたらいいのかよくわからないな、この感じ。きっと二人とも制服を着ているのだろうし、時の流れは驚くほどゆっくりなのだろう。それはとても素敵なことだと思う。
メンテ
Re: 一杯の夕空をきみに ( No.3 )
日時: 2021/03/09 00:58
名前: 史燕

○tambさん
感想ありがとうございます。
狙っていた部分がすべてきれいに解説されてしまいました。
さすがです。
時間軸は置いておいて、シンジ君とレイの関係を描いていたなかで、良くできたほうかなと思います。
ある一瞬をきれいに切り取って描き出す、そんな風にかいてみました。
また、今後も、よろしくお願いいたします。
メンテ

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