Re: 眠り猫 ( No.1 ) |
- 日時: 2021/10/02 22:35
- 名前: tamb
- 一時期通っていた小学校の校庭には大きな銀杏の木があって、校歌にもなっていた。そういう学校が全国にいくつあるのか知らないけれど、転校したので卒業アルバムに載っているわけでもなく、あんまり関係ない。
イチョウもギンナンも同じく銀杏と書く。子供の頃、それがよくわからなかった。今でもよくわからない。ギンナンはともかく、イチョウとは読めない。世の中にはよくわからないで済ませておけばいいこともある、ということがわかる程度には大人になった。 銀杏――ギンナンは地面に落ちているもので、食べるものではない。食卓に出る銀杏と地面に落ちている銀杏が同じ物であると知ったのは、たぶん中学生になってからだったと思う。食べるものというのはスーパーに並んでいるもので、そこら辺に落ちていたり成っていたり歩いていたりはしない。だから子供の頃にイチゴ狩りとかに行くのは実は重要な事なのかもしれない。食べる前提での魚釣りとか。ぼくには連れて行ってくれる人はいなかった。彼女もそうだろう。
お風呂は一人で入ると、一緒に暮らしはじめた頃、彼女は言った。家の中で一人になれるのは、トイレとお風呂しかないから。 それが今はこうだ。 髪を洗うのが面倒らしい。洗うのはともかく、流すのが大変。座っていれば全自動で全部終わるのはとても楽ちん。 その後、身体を洗うのを眺めている時もあれば、洗ってあげることもある。スポンジを使うこともあるし、手でそのまま洗うこともある。笑ってしまうこともあるし、黙っている時もある。そういうこと。
今日も昨日と同じで、たぶん明日も今日と同じ。変わらない毎日。変わることのない日常。変わらない幸せ。でもほんのわずかな、取るに足りない変化が積み重なって、ふと気づくとずいぶん遠くにいる。積分、と彼女は言う。そうかもしれない。そう言う彼女は、相変わらずぼくの隣にいる。昨日は1ミリ離れ、今日は2ミリ近づく。そうやって揺れながら、ぼくの隣にいる。
「お風呂、先に入る」 彼女もたまには足を伸ばしたいのだろう。 「うん。洗い物、済ませておくよ」 「待ってるから」
つまりはそういうことだ。
冷蔵庫のプリンを食べるのは、夜更け過ぎになるだろう。
明日はお休み。
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Re: 眠り猫 ( No.2 ) |
- 日時: 2021/10/02 22:37
- 名前: tamb
- 眉間にシワを寄せる彼女、というのが微妙にツボったのだった。が、使えなかった。
こういう特に何もない日常の話は好きです。感想は書きにくいけどね。
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Re: 眠り猫 ( No.3 ) |
- 日時: 2021/10/02 23:21
- 名前: 史燕
- ○tambさん
感想ありがとうございます。 さらにはFFまで書いてくださるとは思ってもみず、本当にうれしいです。 ありがとうございます。
>こういう特に何もない日常の話は好きです。感想は書きにくいけどね。 そうですよね、感想は書きにくいですよね。それでも日常の二人を書くのは大好きです。
>眉間にシワを寄せる彼女というのが微妙にツボったのだった。が、使えなかった。 完全に手癖のなかから出てきた表現なのですが、お気に召して幸いです。
>イチョウもギンナンも同じく銀杏と書く。(中略)ぼくには連れて行ってくれる人はいなかった。彼女もそうだろう。 この二人の特殊性が、きっちり文章に表現されていて、すごいなあ、と感嘆するばかりでした。
>髪を洗うのが面倒らしい。洗うのはともかく、流すのが大変。座っていれば全自動で全部終わるのはとても楽ちん。 綾波さんは、たしかにそういうところありそうですね。なにより碇くんがやってくれるのが気持ちいいのだろうな、なんて思います。
>今日も昨日と同じで、たぶん明日も今日と同じ。 シンのヒカリさんの台詞を思い出しました。変わらない日常だから、変わらない二人だからいいのですよね。
>そう言う彼女は、相変わらずぼくの隣にいる。昨日は1ミリ離れ、今日は2ミリ近づく。そうやって揺れながら、ぼくの隣にいる。 少しずつ変化しながら、それでも変わらず隣にいる。それがこの二人のいいところなんだと、この文章から実感しました。
>つまりはそういうことだ。 >冷蔵庫のプリンを食べるのは、夜更け過ぎになるだろう。 >明日はお休み。 夜更け過ぎまで大変だなと碇シンジ氏の苦労は推察いたしますが、明日休みなら問題ないですね。
重ね重ねになりますが、本当にありがとうございました。感激しております。
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