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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q/カラー・GAINAX
件名 | : Re: ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q/カラー・GAINAX |
投稿日 | : 2012/11/19 23:33 |
投稿者 | : Hoffnung |
参照先 | : |
こちらの板には初めて来てみましたが、ネタ振りされてしまったので(忘年会で上司に指名されたみたいだ)、初めて書き込みます。
...が、「論」にするのは苦手なのよね。断片を連ねるくらいしかできないです。手始めに、1行だけ、マルチポストさせてください(mixiにも書いたので)。あれは、
超時空機動戦艦エヴァンゲリオンSEED
であったと。観てる途中からときどき口元が緩んで、劇場を出た時は、なんとなく意地の悪い薄笑いを浮かべてましたわ。もう、いつマクロスアタックするんだよと。スケルトン風味の入ったデザインはディスカバリー号も何となく連想。でも、この「薄笑い」を誘発というのは、作り手の狙い通りかもしれないし、こちらとしても否定的なものではなくて、「よっしゃ受け止めた(にへら)」という気持ちでもあり。
ののさんの考察ともかぶるけど、劇中時間で約30年も妄執にとりつかれたままのゲンドウ&冬月は、前世紀からの「オタたち」の象徴かなという感じはしました。
語学ネタでいうと、ヴンダーWunderは英語のwonderと同じ「素晴らしいこと、驚異」、ヴィレWilleは英語のwillと同じ「意志」ですね。そのうちHoffnung「希望」でも出てくるんじゃないかと妙なところに気をまわしてしまいました(苦笑)。ゼーレ「魂」やネルフ「神経」(ついでにゲヒルン「脳」)が何か「動きのないもの」という印象をもつのに比べて、ミサトの率いる部隊が「生きる意志・能動的な動き」を強く感じさせるネーミングなのは、たぶん意味のあることなんだと思います。
でも、「破」で並みいるLRS系二次創作を凌駕してしまったので、もう書かなくていいか、と思ったりもしたしたが、「Q」を観て、あ、これなら旧シリーズ準拠のしみじみorほのぼのしたLRSものや、「失われた14年」を妄想する作品やら、SSを書く余地はまだあるかもなーと思いました。
画像のクオリティについては、ブラッシュアップがほしい部分もありました。ある人が書いてましたけど、今回からシネスコサイズになったので、作画スタッフの工程が違ったのかも。予告でも放映された冒頭部分の宇宙の広がりは、確かに違いを感じます。
製作期間の長さと上映時間(予想よりやや短い)を考えると、相当の部分を編集で切ってるはずなので、円盤で出るときにはかなり違うものになっていると予想します。そういえば、今回は「破」の予告映像も全く使われてなかったですね。
やっぱ、単なるループというより、並行世界かなー(SF的には表裏一体だけど)。不完全なサードインパクトの発動によって、本来ならば相互干渉しない並行世界が破綻し、時間の経過まで歪んでしまったとか。アスカのアイパッチや、ガムテープで補修したみたいなプラグスーツ、14年経ってるのに補修したてのようなエヴァなど、何かを封印しているのかもしれないし、世界観そのものの破綻を象徴しているのかもしれません。
しかし、世界の「調律」というとラーゼフォンだし、並行世界の淘汰というとぼくらのだったり、ループだとまどマギとかシュタインズゲートとか、出来のいい作品も増えてしまったので、(SF好きを説得する形では)話を畳みにくくなっているという一面もあるかもしれません。
ま、最後の手段はイデオンですが。
...が、「論」にするのは苦手なのよね。断片を連ねるくらいしかできないです。手始めに、1行だけ、マルチポストさせてください(mixiにも書いたので)。あれは、
超時空機動戦艦エヴァンゲリオンSEED
であったと。観てる途中からときどき口元が緩んで、劇場を出た時は、なんとなく意地の悪い薄笑いを浮かべてましたわ。もう、いつマクロスアタックするんだよと。スケルトン風味の入ったデザインはディスカバリー号も何となく連想。でも、この「薄笑い」を誘発というのは、作り手の狙い通りかもしれないし、こちらとしても否定的なものではなくて、「よっしゃ受け止めた(にへら)」という気持ちでもあり。
ののさんの考察ともかぶるけど、劇中時間で約30年も妄執にとりつかれたままのゲンドウ&冬月は、前世紀からの「オタたち」の象徴かなという感じはしました。
語学ネタでいうと、ヴンダーWunderは英語のwonderと同じ「素晴らしいこと、驚異」、ヴィレWilleは英語のwillと同じ「意志」ですね。そのうちHoffnung「希望」でも出てくるんじゃないかと妙なところに気をまわしてしまいました(苦笑)。ゼーレ「魂」やネルフ「神経」(ついでにゲヒルン「脳」)が何か「動きのないもの」という印象をもつのに比べて、ミサトの率いる部隊が「生きる意志・能動的な動き」を強く感じさせるネーミングなのは、たぶん意味のあることなんだと思います。
でも、「破」で並みいるLRS系二次創作を凌駕してしまったので、もう書かなくていいか、と思ったりもしたしたが、「Q」を観て、あ、これなら旧シリーズ準拠のしみじみorほのぼのしたLRSものや、「失われた14年」を妄想する作品やら、SSを書く余地はまだあるかもなーと思いました。
画像のクオリティについては、ブラッシュアップがほしい部分もありました。ある人が書いてましたけど、今回からシネスコサイズになったので、作画スタッフの工程が違ったのかも。予告でも放映された冒頭部分の宇宙の広がりは、確かに違いを感じます。
製作期間の長さと上映時間(予想よりやや短い)を考えると、相当の部分を編集で切ってるはずなので、円盤で出るときにはかなり違うものになっていると予想します。そういえば、今回は「破」の予告映像も全く使われてなかったですね。
やっぱ、単なるループというより、並行世界かなー(SF的には表裏一体だけど)。不完全なサードインパクトの発動によって、本来ならば相互干渉しない並行世界が破綻し、時間の経過まで歪んでしまったとか。アスカのアイパッチや、ガムテープで補修したみたいなプラグスーツ、14年経ってるのに補修したてのようなエヴァなど、何かを封印しているのかもしれないし、世界観そのものの破綻を象徴しているのかもしれません。
しかし、世界の「調律」というとラーゼフォンだし、並行世界の淘汰というとぼくらのだったり、ループだとまどマギとかシュタインズゲートとか、出来のいい作品も増えてしまったので、(SF好きを説得する形では)話を畳みにくくなっているという一面もあるかもしれません。
ま、最後の手段はイデオンですが。
件名 | : Re: ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q/カラー・GAINAX |
投稿日 | : 2012/11/19 21:08 |
投稿者 | : JUN |
参照先 | : |
見てきました。何はなくとも感想を
個人的には、TVアニメの一話だとすれば完璧。ただ映画としては微妙。まず悪い点を
まず、状況説明が乏しすぎる。一週間後には続きが見れるTVならともかく、これでまた三年待たされるのかと思うと気分が暗くなる。
同時に、シンジへの周りの説明の少なさに違和感がものすごい。ちゃんと説明してよ!っていうのはシンジの叫びでもあり僕らの叫びでもある。
戦闘シーンがよく分からん。空中戦が多いから仕方ないのかもしれないが、ガンダムを見習うべき。冒頭意味不明。苦手なら地上戦をやってても文句はないだろう。もともとエヴァは地上戦だし。
あと、破での予告を全く使ってない。てゆーか、予告になってない。ちび波見たかったのに。シンの方で使うのか?
多分14年の間に何があったのかは語られるんだろうけど、もうちょっと情報がないと辛い。正直、次までのつなぎにしか見えなかった
良かった点
14年後っていう設定は予測できなかった。奇をてらえばいいってもんじゃないけど、これはこれであり。見た目年齢が不自然なのはまぁゆるす。アニメだし。てゆーか、冬月先生がそろそろ危ういw
ゼーレはいつから知能だけの状態だったんだろう。というのは結構興味を惹かれた
トウジの妹はかわいかった。もうちょっと活用できたんじゃないかなーと思う。
カヲルの動揺は珍しい。ただ、シンジの話を聞いてやれよとは思った
総合的には、見て損はないと思うが、もう三年たってからまとめて見てもいいと思う。この消化不良がまた続くのかと思うと泣けてくる。
レイについては2chでもいろいろ言われてますが、LRSスレとか大荒れですが、十分期待は持てるんじゃないかな、と。今回の扱いの悪さは次回への引きになっていると予測。
というか、このままじゃ破がネガティブな意味を持ってしまう。DVD等で見返したとき、あの救出シーンで気分が暗くなるようなことにはしてほしくないし、きっとそうはしないと思いたい。
じゃないと、破でシンジがしたことは正真正銘無駄だったということになる。なんらかの救済を求めたい
エヴァは繰り返しの物語、という監督の言だが、少しずつでも前に進んでいってほしいと思う。
少なくとも、破を、シンジの過ちの物語、という風にはしてほしくない
個人的には、TVアニメの一話だとすれば完璧。ただ映画としては微妙。まず悪い点を
まず、状況説明が乏しすぎる。一週間後には続きが見れるTVならともかく、これでまた三年待たされるのかと思うと気分が暗くなる。
同時に、シンジへの周りの説明の少なさに違和感がものすごい。ちゃんと説明してよ!っていうのはシンジの叫びでもあり僕らの叫びでもある。
戦闘シーンがよく分からん。空中戦が多いから仕方ないのかもしれないが、ガンダムを見習うべき。冒頭意味不明。苦手なら地上戦をやってても文句はないだろう。もともとエヴァは地上戦だし。
あと、破での予告を全く使ってない。てゆーか、予告になってない。ちび波見たかったのに。シンの方で使うのか?
多分14年の間に何があったのかは語られるんだろうけど、もうちょっと情報がないと辛い。正直、次までのつなぎにしか見えなかった
良かった点
14年後っていう設定は予測できなかった。奇をてらえばいいってもんじゃないけど、これはこれであり。見た目年齢が不自然なのはまぁゆるす。アニメだし。てゆーか、冬月先生がそろそろ危ういw
ゼーレはいつから知能だけの状態だったんだろう。というのは結構興味を惹かれた
トウジの妹はかわいかった。もうちょっと活用できたんじゃないかなーと思う。
カヲルの動揺は珍しい。ただ、シンジの話を聞いてやれよとは思った
総合的には、見て損はないと思うが、もう三年たってからまとめて見てもいいと思う。この消化不良がまた続くのかと思うと泣けてくる。
レイについては2chでもいろいろ言われてますが、LRSスレとか大荒れですが、十分期待は持てるんじゃないかな、と。今回の扱いの悪さは次回への引きになっていると予測。
というか、このままじゃ破がネガティブな意味を持ってしまう。DVD等で見返したとき、あの救出シーンで気分が暗くなるようなことにはしてほしくないし、きっとそうはしないと思いたい。
じゃないと、破でシンジがしたことは正真正銘無駄だったということになる。なんらかの救済を求めたい
エヴァは繰り返しの物語、という監督の言だが、少しずつでも前に進んでいってほしいと思う。
少なくとも、破を、シンジの過ちの物語、という風にはしてほしくない
件名 | : Re: ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q/カラー・GAINAX |
投稿日 | : 2012/11/18 22:01 |
投稿者 | : くろねこ |
参照先 | : |
受験生とか言ってられず、観に行ってきました。
色々な意見がありますが、私個人としては面白かったです。
ただ、突然始まり、わけのわからないまま話が進み、また無理やりな設定があったりで、良くないなと思うことも多々あり。また情報量が濃く、頭フル回転で観てました。落ち着けなかったですw
「新劇場版」からしか知らない人にはキツい内容だったかな。不満な点などに関しての感想(映像・脚本含めて)は、ほとんどののさんとゴースト部員Yさんに言われてしまったので省略。その通りですね。14年の空白は大きい。
ちょこっとキャラクターのネタバレを。
とりあえず、シンジ君が不憫すぎました。こっちが苦しくなったよ。
レイは2人目ではなく、命令に忠実な「綾波レイ」になっていました。で、2人目はもういない、と皆行っていたけれど、色々な描写やセリフで、どこかにいるであろうことは判明。
無事かは謎。
必死にレイに質問したりお喋りしようとしたり、本を持って行ってあげたりするシンジがただただ切なかった。
そして、「好きって、なに?」というセリフにはグサっときました。破の彼女との違いをはっきりと見せつけてきました。しかし、Qでのレイも可哀想な面もあり、救われてほしい限り。
この子も豊かな感情をもつようになるのだろうか。
アスカは復活していたけれど、どうやって復活したのかは謎。そのへん説明してほしかったです。
とげとげしくなっていましたが、14年分が空白なのでなんとも。けれど、優しい面もみれて、性格はかわらないものなのだな、と思いました。
ミサトに関してもそう。三つ子の魂百まで。
カヲルくん、本当に優しくて穏やかで、本当にシンジには必要不可欠なキャラクターでした。
ボロボロなシンジを少しずつ癒し、真実を伝え、彼を引っ張る。大きな絶望のなかの、一瞬の希望の輝きでした。結果としてこれが仇となったりしてしまいましたが。
で、やはり彼は謎を残していきました。憎いヤツめ。(ぇ
マリ、歌いすぎ。緊張感足りなさすぎ。でも、良い役してました。
LRS人としては、今回かなり切なかったです。けれど、シンジの思いの大きさを見れたのはちょっと嬉しい。2人目に会えたらいいね。
また、エヴァでは「手」がとても重要なつながりということを再確認。SDATもいい仕事してました。
最後にシンジは落としてしまうのですが、後で綾波が拾った、と勝手に妄想。気にしてる様子でしたから。
話の筋的(エヴァンゲリオンというアニメの本質のようなもの)には大きく変えてはない、と思うのですが、設定は完璧にオリジナル。混乱しました。ユイさんの旧姓が「綾波」となっていて、びっくり。色々仕掛けてきてます。
また、声優さんの演技のすごさを改めて感じたり。
とくに綾波レイ役の林原さんは、2人目との演じわけと感情を抑えるのが大変だっただろうな、と。
さすがとしかいいようがありません。碇シンジ役の緒方さんも、苦しい思いをされたんだろうな。
キャラクターだけでなく、役者の方々も救われるような作品に仕上げてほしいです。
Qの濃い情報量でも、まだまだ謎が多い。(というか逆に増えたり。)
はたしてこれだけの内容を次回でまとめることができるのかが不安。大丈夫なんだろうか…(^^;
私が幼いせいかもしれませんが、面白かったです。同じくらい、切なく苦しい。後味は悪いかもしれません。でも、観て損はない。是非みてください。
さて、興奮気味でかつ、「ネタバレってどこまでOK??」とか思いながら書いたんで、ぐだぐだになっていまいました。スミマセンw
「大人」じゃない視点からの感想を書き込みたかったので書きました。
あ~、早く続きが観たい。気になるぅ!
(余談ですが、黒いプラグスーツ姿のレイを見たときに「似合うけど黒だと…ちょっと…」とかなんとか言って照れる(なぜw)シンジ君が可愛かった。いちいちフォローしてて萌えました。)
色々な意見がありますが、私個人としては面白かったです。
ただ、突然始まり、わけのわからないまま話が進み、また無理やりな設定があったりで、良くないなと思うことも多々あり。また情報量が濃く、頭フル回転で観てました。落ち着けなかったですw
「新劇場版」からしか知らない人にはキツい内容だったかな。不満な点などに関しての感想(映像・脚本含めて)は、ほとんどののさんとゴースト部員Yさんに言われてしまったので省略。その通りですね。14年の空白は大きい。
ちょこっとキャラクターのネタバレを。
とりあえず、シンジ君が不憫すぎました。こっちが苦しくなったよ。
レイは2人目ではなく、命令に忠実な「綾波レイ」になっていました。で、2人目はもういない、と皆行っていたけれど、色々な描写やセリフで、どこかにいるであろうことは判明。
無事かは謎。
必死にレイに質問したりお喋りしようとしたり、本を持って行ってあげたりするシンジがただただ切なかった。
そして、「好きって、なに?」というセリフにはグサっときました。破の彼女との違いをはっきりと見せつけてきました。しかし、Qでのレイも可哀想な面もあり、救われてほしい限り。
この子も豊かな感情をもつようになるのだろうか。
アスカは復活していたけれど、どうやって復活したのかは謎。そのへん説明してほしかったです。
とげとげしくなっていましたが、14年分が空白なのでなんとも。けれど、優しい面もみれて、性格はかわらないものなのだな、と思いました。
ミサトに関してもそう。三つ子の魂百まで。
カヲルくん、本当に優しくて穏やかで、本当にシンジには必要不可欠なキャラクターでした。
ボロボロなシンジを少しずつ癒し、真実を伝え、彼を引っ張る。大きな絶望のなかの、一瞬の希望の輝きでした。結果としてこれが仇となったりしてしまいましたが。
で、やはり彼は謎を残していきました。憎いヤツめ。(ぇ
マリ、歌いすぎ。緊張感足りなさすぎ。でも、良い役してました。
LRS人としては、今回かなり切なかったです。けれど、シンジの思いの大きさを見れたのはちょっと嬉しい。2人目に会えたらいいね。
また、エヴァでは「手」がとても重要なつながりということを再確認。SDATもいい仕事してました。
最後にシンジは落としてしまうのですが、後で綾波が拾った、と勝手に妄想。気にしてる様子でしたから。
話の筋的(エヴァンゲリオンというアニメの本質のようなもの)には大きく変えてはない、と思うのですが、設定は完璧にオリジナル。混乱しました。ユイさんの旧姓が「綾波」となっていて、びっくり。色々仕掛けてきてます。
また、声優さんの演技のすごさを改めて感じたり。
とくに綾波レイ役の林原さんは、2人目との演じわけと感情を抑えるのが大変だっただろうな、と。
さすがとしかいいようがありません。碇シンジ役の緒方さんも、苦しい思いをされたんだろうな。
キャラクターだけでなく、役者の方々も救われるような作品に仕上げてほしいです。
Qの濃い情報量でも、まだまだ謎が多い。(というか逆に増えたり。)
はたしてこれだけの内容を次回でまとめることができるのかが不安。大丈夫なんだろうか…(^^;
私が幼いせいかもしれませんが、面白かったです。同じくらい、切なく苦しい。後味は悪いかもしれません。でも、観て損はない。是非みてください。
さて、興奮気味でかつ、「ネタバレってどこまでOK??」とか思いながら書いたんで、ぐだぐだになっていまいました。スミマセンw
「大人」じゃない視点からの感想を書き込みたかったので書きました。
あ~、早く続きが観たい。気になるぅ!
(余談ですが、黒いプラグスーツ姿のレイを見たときに「似合うけど黒だと…ちょっと…」とかなんとか言って照れる(なぜw)シンジ君が可愛かった。いちいちフォローしてて萌えました。)
件名 | : Re: ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q/カラー・GAINAX |
投稿日 | : 2012/11/18 17:45 |
投稿者 | : ゴースト部員Y |
参照先 | : |
ご無沙汰してます(笑)
もうちょっと時期が経ってから見に行こうかなとも思ってたんですが、直前のロードショーでテンション上げられてしまったのと、土曜日に周りから聞こえてくる見に行った報告があったのとで堪えられなくなってしまいました。
言いたいことのうち少なくない部分はののさんが既にコメントなさってるという感じ。
とはいっても僕は全体としてのメタ構造まではあまり目がいかなかったのでそういう捉え方はしなかったのですが……
とりあえず金曜ロードショーで見て面白そうだから見に行ったライト層の皆様は割と御愁傷様かな?(笑)
まず14年にビックリした。リツコさん老けたな青葉さんがあご髭でワイルドだぜぇ~とか思ってたらそらそうやわな。
それでも14年って感じはあんまりしない。
そして鈴原妹。パンフレット見ないともう名前忘れたけどかわいい。
成長しないチルドレン。やったねロリババァだよ!(笑)
マリのおっぱいぷるんぷるんが偽装年増だと思うと興奮もひとしおですね!
本筋と関係ないけど彼女らはお肌のハリも往年のままなんだろうか。それともあの見た目だけどアラサーの肌具合なんだろうか。
んで、やっぱり話の展開がヘタすぎる。
僕らみたいなよく訓練されたファンは下手な話でも行間を読み取って何度も劇場行って補間して理解するんでしょうが、それ一本で見ただけじゃ全然わかんない。
> そりゃメタ的な読みはいくらでもできるけれどもその14年間の物語が語られなさすぎな上に「本当に14年たったんだ」とシンジが思うに足るシーンが下手だと思うんですよ。
やっぱり問題なのはこれじゃないかと思います。
カヲル君との連弾シーンの尺もうちょい詰めればそっちの辺りにも尺回せたでしょ?とか言いたくなっちゃう。
まぁ年月の経過を感じさせてくれる要素がほとんどサードインパクトで吹っ飛んじゃってて、一番感じさせてくれるはずのヴィレご一行にはみんな敵視されてるって事情はあるにはある訳なんですが。が。が……
例えばミサトさんがシンジ君の首輪の爆弾ふっとばせなかった所にはミサトさんの愛憎入り交じった感情があったんだと思うんですが、その前振りもなければその後のフォローもなし。カヲル君の死に様から逆算して首輪を用意したからその辺適当にしちゃってない?とか邪推しちゃいますね。
単体の映画としては、序でラミエル、破でゼルエル戦という大きなクライマックスがあったのに比べると今回は「俺たちの戦いは始まったばかりだ!」って感じで全然オチた感じがしない。序や破はそれ一つでエンターテイメント映画として成立してたけど、今回は「つづく」としか言いようがなさすぎる。いや別に我々は構わないんだけどさ、みたいな。
以下ちょいちょいと些事。
連弾の最初のぎこちなさからすると、新劇のシンジ君はチェロとかの設定はないんかなぁと思った。と思ったら次の瞬間には流暢に弾きまくってる(笑)。え、演出だし……
レイに関しては破の続きとしてみるとあんまりだよと思うんですが、Qをよーいドンで見るとそれほどあんまり感はしなくて、次でどう綾波レイに目覚めてくれるのだろうかと楽しみにしてたりします。我々が何度となく向き合ってきた綾波レイの同一性のテーマを氏がどう持っていくのかは純粋に興味がある。……目覚めるよね?
マリはやっぱり良いキャラしてる。アスカとの漫才コンビも板についてる。しかしマリはどういう経緯でヴィレに加わったんでしょうね。旧世紀の二次創作的発想だとヴィレ=ネルフジャパンという風に捉えがちなのですが、そういう見方を省いてフラットに捉えるべきなのか。
予告の8+2ハーフアンドハーフは致命的にダサいけどだがそれがいい。ただ破の時のQ予告にいた8号機(故)みたいに影も形もなくなってやしないかとは心配で……
巨神兵は最初は「特撮好きだよなぁこの人」くらいに思ってたけど、サードインパクトによる破滅に対する一つの表現として受け止めるとすれば同時上映として適切なチョイスだったのかもしれません。あるいは深読みのし過ぎか。
色々書きましたが、友人とあと1or2回は見に行くことになりそうなのでその上で色々消化できればなぁと思っています。
で、登山ゲンドウと冬月は?(笑)
もうちょっと時期が経ってから見に行こうかなとも思ってたんですが、直前のロードショーでテンション上げられてしまったのと、土曜日に周りから聞こえてくる見に行った報告があったのとで堪えられなくなってしまいました。
言いたいことのうち少なくない部分はののさんが既にコメントなさってるという感じ。
とはいっても僕は全体としてのメタ構造まではあまり目がいかなかったのでそういう捉え方はしなかったのですが……
とりあえず金曜ロードショーで見て面白そうだから見に行ったライト層の皆様は割と御愁傷様かな?(笑)
まず14年にビックリした。リツコさん老けたな青葉さんがあご髭でワイルドだぜぇ~とか思ってたらそらそうやわな。
それでも14年って感じはあんまりしない。
そして鈴原妹。パンフレット見ないともう名前忘れたけどかわいい。
成長しないチルドレン。やったねロリババァだよ!(笑)
マリのおっぱいぷるんぷるんが偽装年増だと思うと興奮もひとしおですね!
本筋と関係ないけど彼女らはお肌のハリも往年のままなんだろうか。それともあの見た目だけどアラサーの肌具合なんだろうか。
んで、やっぱり話の展開がヘタすぎる。
僕らみたいなよく訓練されたファンは下手な話でも行間を読み取って何度も劇場行って補間して理解するんでしょうが、それ一本で見ただけじゃ全然わかんない。
> そりゃメタ的な読みはいくらでもできるけれどもその14年間の物語が語られなさすぎな上に「本当に14年たったんだ」とシンジが思うに足るシーンが下手だと思うんですよ。
やっぱり問題なのはこれじゃないかと思います。
カヲル君との連弾シーンの尺もうちょい詰めればそっちの辺りにも尺回せたでしょ?とか言いたくなっちゃう。
まぁ年月の経過を感じさせてくれる要素がほとんどサードインパクトで吹っ飛んじゃってて、一番感じさせてくれるはずのヴィレご一行にはみんな敵視されてるって事情はあるにはある訳なんですが。が。が……
例えばミサトさんがシンジ君の首輪の爆弾ふっとばせなかった所にはミサトさんの愛憎入り交じった感情があったんだと思うんですが、その前振りもなければその後のフォローもなし。カヲル君の死に様から逆算して首輪を用意したからその辺適当にしちゃってない?とか邪推しちゃいますね。
単体の映画としては、序でラミエル、破でゼルエル戦という大きなクライマックスがあったのに比べると今回は「俺たちの戦いは始まったばかりだ!」って感じで全然オチた感じがしない。序や破はそれ一つでエンターテイメント映画として成立してたけど、今回は「つづく」としか言いようがなさすぎる。いや別に我々は構わないんだけどさ、みたいな。
以下ちょいちょいと些事。
連弾の最初のぎこちなさからすると、新劇のシンジ君はチェロとかの設定はないんかなぁと思った。と思ったら次の瞬間には流暢に弾きまくってる(笑)。え、演出だし……
レイに関しては破の続きとしてみるとあんまりだよと思うんですが、Qをよーいドンで見るとそれほどあんまり感はしなくて、次でどう綾波レイに目覚めてくれるのだろうかと楽しみにしてたりします。我々が何度となく向き合ってきた綾波レイの同一性のテーマを氏がどう持っていくのかは純粋に興味がある。……目覚めるよね?
マリはやっぱり良いキャラしてる。アスカとの漫才コンビも板についてる。しかしマリはどういう経緯でヴィレに加わったんでしょうね。旧世紀の二次創作的発想だとヴィレ=ネルフジャパンという風に捉えがちなのですが、そういう見方を省いてフラットに捉えるべきなのか。
予告の8+2ハーフアンドハーフは致命的にダサいけどだがそれがいい。ただ破の時のQ予告にいた8号機(故)みたいに影も形もなくなってやしないかとは心配で……
巨神兵は最初は「特撮好きだよなぁこの人」くらいに思ってたけど、サードインパクトによる破滅に対する一つの表現として受け止めるとすれば同時上映として適切なチョイスだったのかもしれません。あるいは深読みのし過ぎか。
色々書きましたが、友人とあと1or2回は見に行くことになりそうなのでその上で色々消化できればなぁと思っています。
で、登山ゲンドウと冬月は?(笑)
件名 | : Re: ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q/カラー・GAINAX |
投稿日 | : 2012/11/18 13:07 |
投稿者 | : のの |
参照先 | : |
さて『Q』の感想を書き記しておきますね。
まずこの設定ですが、早速いろいろああだこうだ述べられているとは思いますけども、ここにきていきなり旧劇場版後の舞台を整えるために色々やりましたよ、ということのようですね。
なので14年たった、というのはやはり97年に公開された新世紀エヴァンゲリオンというお話に決着をつけるための舞台ですよ、という設定になると思います。15年でないのは、世界の崩壊が震災のメタファーにもなっているので、ということなのでしょう。
『Q』の舞台は、おそらくここからが庵野さんが本当に書きたい言いたいところであるというのが14年たって、いいトシになった大人たちが必死でエヴァでエヴァを倒そうとする姿と同期するわけですのでミサトさんたち「時間の経った大人」が今回の作り手たちの目線と読み取れます。新キャラは新劇場版から製作に携わっている新顔なのでしょう。エヴァについて当時の熱を知らずにいられるので、主人公のシンジやエヴァ初号機に対する客観的視点が持ち込まれ、ミサトはエヴァを、シンジを「突き放したくても突き放せない」という意味では長年のファンの代弁者ということかもしれません。
ラストシーンにおいて赤い大地となった風景を歩く『Q』は旧劇場版から歩き出したという意味があるのでしょう。故に今回リアルタイムの、というかTV版のファンほど噴飯ものかもしれない。「5年かけてようやくここかい!」ということでね。
このようにして物語の舞台設定やキャラの意味付けなど、すべてがメタ的に読み取れるんですよね。シンジくんが「エヴァに乗れ(乗らなきゃ無価値)」「乗るな(乗ったら死ぬ)」の問答に押しつぶされそうになるのも間違いなく庵野監督自身の心境と立場を反映してるでしょうし、短絡的にエヴァ13号機(初号機=オリジナルと酷似しているが別のもの=大きくなってしまった新劇場版を取り巻く事態)に乗ったがために自分の世界が再びえらいこっちゃなことになってしまったり。それでも物語の最後、シンジは自分の足では歩けないけれども一番馴染みのある3人の歩く姿で終わるのは監督自身が信じているエヴァの力で97年と2011年を乗り越えたいという意味が込められているんだと思います。そういう意味では本当にファイナルこそが庵野さんの結論になるわけですから、楽しみですなということですね。
ただし、今言ったようなことは色々譲歩と推測とをごっちゃにして述べているだけであって、実際の作品としての出来は正直言って低いと思います。
まず絵が整理されていない。最初の宇宙空間での戦闘シーンからして目まぐるしいばっかりでよくわからないし、そもそも初号機があんな形で封印されるまでの経緯がわからないので強奪もクソもない。
やはりこの14年間の空白というものが僕にとっては今回かなり癖者でして、いやそりゃメタ的な読みはいくらでもできるけれどもその14年間の物語が語られなさすぎな上に「本当に14年たったんだ」とシンジが思うに足るシーンが下手だと思うんですよ。老けたネルフの面々に驚くでもなし。ていうか「老けたな」と思わせるほど老けてないし。そのあたりは(比較するのも野暮とは思いつつ)細田監督の『おおかみこども』と比べるとあまりにも……。トウジのシャツが出てくるのも不自然の一語に尽きるし。『破』であれだけ引っ張ったマーク6の雑な扱いとかマーク9の説明のなさとかアダムスがなんちゃらとか。
あと戦艦が動いて使徒を倒すまでが、長い!あそこでもこれでもかというほどカメラをぐりぐり動かしてアニメ技術の高さを見せつけていましたけども、そういう技術の使いどころも「あーどうしてもヤマトやりたかったんだな」という以上の感想が湧かないし、14年間の間に出てきた使徒の数はどんだけ少ないんだよとか、それはそれはもうツッコミどころなんてものを指摘していったらあまりにもキリがないわけです。カヲル君も「○○だよ、碇シンジ君」の言い回し多すぎね。あと君が副座式に乗った瞬間「志村―、うしろうしろ!」の心境でしたよ。そのあとエントリープラグを抜くのもマリがやるってのも意味がわからないし、あれは演出面で言えばカヲル君は死ぬのをシンジに見せたいわけじゃないんだし、どうにかこうにかでもシンジのエントリープラグを排出させて、爆散した瞬間ぼしゅっと抜けるとかでいいではないですか。カヲル君側からのカメラとかもさあ、あれは誰主観のカメラなんだと。
ただまあ、お話しベタなのは15年前に経験してるのでね、耐性ついてるんですよね。特に97年劇場版リアルタイム組はね、まあエヴァでこういうどんがらがっしゃんな狂った展開になるのはもう知ってるし、しかも二次創作をどっっっっっぷりやってきた僕らからすれば3人目も副座式も大佐も13号機も新キャラもトウジの妹も知ってるわけじゃないですか、ヘンな話ですけど。
庵野監督は「エヴァでエヴァを超える」ために四苦八苦してるわけでそこに驚愕したり胸を打たれたりする方々も大勢いらっしゃると思うんですけど、それって俺たち10年以上やってるから!ってことなわけですよ。押井監督は著作で「庵野監督はエヴァ以降商業的成功がなくて、ヱヴァで再び評価された。それは素晴らしいことだけどヱヴァ以外での成功のハードルをより高くしてしまった」と仰っていて、いみじくも『Q』はそんな苦しんできた監督が今度は新劇場版のプレッシャーにも潰されそうになりながら歩き出したという、そんなお話しなのかなと。そういったプレッシャーは自業自得というか自己責任ですがこれだけの期待と重圧をそのまま形にしただけの映画が今後どんな位置づけになるのか、それもこれも全部最終作次第だとは思うのでした。マイケルで言うと『BAD』と『HIStory』の間の子みたいな位置づけになるような気はするけどね。
しかし、3年以上かけてこのまとまりのなさ。でもまあ、あのひとにまとまりなんて期待しちゃ駄目だけどこれだけは言えると思うのです。今回は「わからない」部分は「説明不足」なだけだと思います。歴史と監督としても性質さえわかっていればメタ構造の概ねは解体できますし。そしてこの説明不足を「してやったり」と作り手が思うのなら、それは作家としての資質というより欠点ではないかなと思ったのでした。以上です。
だからやっぱり「二次創作」なんだよね。「エヴァでエヴァを超える」ってさ、俺たちと同じだったってだけな気がするんだよ、作り手の意識の本質的なところは。だからPASTERKEATONさんがおっしゃるように驚きはないなあ……。
最後に。今回、絵が最後息切れでしたね。ていうか戦艦動かしすぎましたよね。あれ、やっぱり要らないと思う。初号機使っておきながらプロペラみたいなの動いてたし。てっきりワープするかと思うくらい、マクロスとヱクセリオンの匂いもしましたよん。
まずこの設定ですが、早速いろいろああだこうだ述べられているとは思いますけども、ここにきていきなり旧劇場版後の舞台を整えるために色々やりましたよ、ということのようですね。
なので14年たった、というのはやはり97年に公開された新世紀エヴァンゲリオンというお話に決着をつけるための舞台ですよ、という設定になると思います。15年でないのは、世界の崩壊が震災のメタファーにもなっているので、ということなのでしょう。
『Q』の舞台は、おそらくここからが庵野さんが本当に書きたい言いたいところであるというのが14年たって、いいトシになった大人たちが必死でエヴァでエヴァを倒そうとする姿と同期するわけですのでミサトさんたち「時間の経った大人」が今回の作り手たちの目線と読み取れます。新キャラは新劇場版から製作に携わっている新顔なのでしょう。エヴァについて当時の熱を知らずにいられるので、主人公のシンジやエヴァ初号機に対する客観的視点が持ち込まれ、ミサトはエヴァを、シンジを「突き放したくても突き放せない」という意味では長年のファンの代弁者ということかもしれません。
ラストシーンにおいて赤い大地となった風景を歩く『Q』は旧劇場版から歩き出したという意味があるのでしょう。故に今回リアルタイムの、というかTV版のファンほど噴飯ものかもしれない。「5年かけてようやくここかい!」ということでね。
このようにして物語の舞台設定やキャラの意味付けなど、すべてがメタ的に読み取れるんですよね。シンジくんが「エヴァに乗れ(乗らなきゃ無価値)」「乗るな(乗ったら死ぬ)」の問答に押しつぶされそうになるのも間違いなく庵野監督自身の心境と立場を反映してるでしょうし、短絡的にエヴァ13号機(初号機=オリジナルと酷似しているが別のもの=大きくなってしまった新劇場版を取り巻く事態)に乗ったがために自分の世界が再びえらいこっちゃなことになってしまったり。それでも物語の最後、シンジは自分の足では歩けないけれども一番馴染みのある3人の歩く姿で終わるのは監督自身が信じているエヴァの力で97年と2011年を乗り越えたいという意味が込められているんだと思います。そういう意味では本当にファイナルこそが庵野さんの結論になるわけですから、楽しみですなということですね。
ただし、今言ったようなことは色々譲歩と推測とをごっちゃにして述べているだけであって、実際の作品としての出来は正直言って低いと思います。
まず絵が整理されていない。最初の宇宙空間での戦闘シーンからして目まぐるしいばっかりでよくわからないし、そもそも初号機があんな形で封印されるまでの経緯がわからないので強奪もクソもない。
やはりこの14年間の空白というものが僕にとっては今回かなり癖者でして、いやそりゃメタ的な読みはいくらでもできるけれどもその14年間の物語が語られなさすぎな上に「本当に14年たったんだ」とシンジが思うに足るシーンが下手だと思うんですよ。老けたネルフの面々に驚くでもなし。ていうか「老けたな」と思わせるほど老けてないし。そのあたりは(比較するのも野暮とは思いつつ)細田監督の『おおかみこども』と比べるとあまりにも……。トウジのシャツが出てくるのも不自然の一語に尽きるし。『破』であれだけ引っ張ったマーク6の雑な扱いとかマーク9の説明のなさとかアダムスがなんちゃらとか。
あと戦艦が動いて使徒を倒すまでが、長い!あそこでもこれでもかというほどカメラをぐりぐり動かしてアニメ技術の高さを見せつけていましたけども、そういう技術の使いどころも「あーどうしてもヤマトやりたかったんだな」という以上の感想が湧かないし、14年間の間に出てきた使徒の数はどんだけ少ないんだよとか、それはそれはもうツッコミどころなんてものを指摘していったらあまりにもキリがないわけです。カヲル君も「○○だよ、碇シンジ君」の言い回し多すぎね。あと君が副座式に乗った瞬間「志村―、うしろうしろ!」の心境でしたよ。そのあとエントリープラグを抜くのもマリがやるってのも意味がわからないし、あれは演出面で言えばカヲル君は死ぬのをシンジに見せたいわけじゃないんだし、どうにかこうにかでもシンジのエントリープラグを排出させて、爆散した瞬間ぼしゅっと抜けるとかでいいではないですか。カヲル君側からのカメラとかもさあ、あれは誰主観のカメラなんだと。
ただまあ、お話しベタなのは15年前に経験してるのでね、耐性ついてるんですよね。特に97年劇場版リアルタイム組はね、まあエヴァでこういうどんがらがっしゃんな狂った展開になるのはもう知ってるし、しかも二次創作をどっっっっっぷりやってきた僕らからすれば3人目も副座式も大佐も13号機も新キャラもトウジの妹も知ってるわけじゃないですか、ヘンな話ですけど。
庵野監督は「エヴァでエヴァを超える」ために四苦八苦してるわけでそこに驚愕したり胸を打たれたりする方々も大勢いらっしゃると思うんですけど、それって俺たち10年以上やってるから!ってことなわけですよ。押井監督は著作で「庵野監督はエヴァ以降商業的成功がなくて、ヱヴァで再び評価された。それは素晴らしいことだけどヱヴァ以外での成功のハードルをより高くしてしまった」と仰っていて、いみじくも『Q』はそんな苦しんできた監督が今度は新劇場版のプレッシャーにも潰されそうになりながら歩き出したという、そんなお話しなのかなと。そういったプレッシャーは自業自得というか自己責任ですがこれだけの期待と重圧をそのまま形にしただけの映画が今後どんな位置づけになるのか、それもこれも全部最終作次第だとは思うのでした。マイケルで言うと『BAD』と『HIStory』の間の子みたいな位置づけになるような気はするけどね。
しかし、3年以上かけてこのまとまりのなさ。でもまあ、あのひとにまとまりなんて期待しちゃ駄目だけどこれだけは言えると思うのです。今回は「わからない」部分は「説明不足」なだけだと思います。歴史と監督としても性質さえわかっていればメタ構造の概ねは解体できますし。そしてこの説明不足を「してやったり」と作り手が思うのなら、それは作家としての資質というより欠点ではないかなと思ったのでした。以上です。
だからやっぱり「二次創作」なんだよね。「エヴァでエヴァを超える」ってさ、俺たちと同じだったってだけな気がするんだよ、作り手の意識の本質的なところは。だからPASTERKEATONさんがおっしゃるように驚きはないなあ……。
最後に。今回、絵が最後息切れでしたね。ていうか戦艦動かしすぎましたよね。あれ、やっぱり要らないと思う。初号機使っておきながらプロペラみたいなの動いてたし。てっきりワープするかと思うくらい、マクロスとヱクセリオンの匂いもしましたよん。
件名 | : Re: ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q/カラー・GAINAX |
投稿日 | : 2012/11/18 02:07 |
投稿者 | : のの |
参照先 | : |
見てきました。
なんというか「付き合わされてる」というのが最初の感想です。
全体的な出来はかなり低いと思います。
語り口が上手ではない。
翌日にでもまとめて書きます。
たぶん14年間の空白をテレビかOVAでやるんじゃないすかね。バスタードの地獄篇みたいなもんで。
とりあえず、こんなところです。
なんというか「付き合わされてる」というのが最初の感想です。
全体的な出来はかなり低いと思います。
語り口が上手ではない。
翌日にでもまとめて書きます。
たぶん14年間の空白をテレビかOVAでやるんじゃないすかね。バスタードの地獄篇みたいなもんで。
とりあえず、こんなところです。
がっつりやって下さい。ネタバレされたくてうずうずしてる私のためにw
ネタバレされたくない人は見ないように。
私はちょっといつ行けるかわからない状況です。
そしてこんな記事が。
http://neweva.blog103.fc2.com/blog-entry-1916.html
なんだってー!!
Hoffnungさん、ネタバレ&解説よろしくw