「綾波レイの幸せ」掲示板 四人目/小説を語る掲示板・ネタバレあり注意
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fld_nor.gif 惣流アスカの退屈(後編)
投稿日 : 2009/05/31 00:00
投稿者 みれあ
参照先
【タイトル】惣流アスカの退屈(後編)
【記事番号】-2147481264 (2147483647)
【 日時 】07/04/08 01:28
【 発言者 】みれあ

「さて、どうしたものか」
 渚君は引き上げてくる僕と綾波を捕まえるなりいつもと違う冷静な声色で問いかけた。
「僕としては、この世界の平穏を保つためにも、なるべく普通の野球で勝てることを祈っていたんだ」
 『普通の』というフレーズがなんとなく嫌な予感をさせて渚君の眼を見る。いつものスマイルはそこになかった。綾波がいつもどおりの無表情で答えた。
「私たちも概ね同意見。しかし最早その条件に固執していては現状の打開は不可能」
「ふ、不可能って綾波!」
「シンジ君だって、このままじゃ負けるだけなのは分かっているだろう?」
 彼は動揺している僕を制すると策は二つあるんだ、と言った。
「一つ目の策は」渚君はなぜか面白そうに言った。
「基本的にこの地球の物理法則も社会常識も書き換える必要のない案なんだ」
「じゃあそれで決まりじゃないの?」
「本当にそれでいいのかい?」
 渚君はさっきまでの真剣な表情はどこに行ったのやら今度はニヤニヤとしながら僕に確かめる。嫌な予感が頭をもたげる。
「ど、どんな策なの?」
 聞くなり渚君は顔をぎゅっと近づけてきた。唇と唇の間は一センチあるかないかぐらいの距離で渚君が言う。
「この前世界の危機を救ったときの君の度胸には、皆で驚いたんだよ」
 ぞっと体中を冷たい思い出が走る。もしかして、と思いながら渚君を突き放す僕に、彼は「その通り」と言わんばかりの笑顔で応える。
「え、遠慮…しとくよ」
「なら、もう一方の策だ」
「どんな策なの?」
 僕は訊きながら内心ビクビクしていた。油断してまた僕に妙な役割が回ってきてはたまらない。
「いや、今回はちょっと綾波レイ、君の出番なんだ」
「そう」
「モノは相談なんだけれども…」
 どうやら綾波と渚君の二人で解決できる話題のようで、僕はちょっとした疎外感のようなものを感じつつその場を離れてベンチに座って二人の様子を眺めた。渚君は綾波に一言二言声をかけるとそれだけで去っていく。綾波はうつむくとバットを握ったままそのバットに向かって小声で早口で――いつかのように――ブツブツブツブツと呟いているようだ。隣の山岸さんがちょっと驚いたような声色で「呪文…」と誰にともなく呟く。僕は目ざとく、いや耳ざとくか?聞き返す。
「呪文、ですか?」
 しかし僕の質問にはこくんと頷いたきり教えてくれない山岸さんに僕はちょっと、ほんのちょっとだけイライラを感じる。
「『禁則事項』ですか?」
「ご、ごめんなさい…」
 その山岸さんの謝る姿に、僕は罪のない山岸さんを責めてしまったのか、と今度は後悔を感じる。我ながらイライラしたり後悔したり忙しいものだ、と自分に呆れて、そこでふと僕以上にイライラしたり怒ったり怒鳴ったりと忙しい団長様はどうしたのだろう、と顔を上げる。
「ナーイスホームラーン、レイー!!」
 ホームランを打って本塁に帰ってきたらしい綾波をアスカは抱きしめてもう持ち上げて大騒ぎをしていた。さすがは綾波、ようやく本気を出したのか、とどこか引っかかるところを残しつつも綾波の能力の高さに改めて感服した矢先、今度は豪快な金属音が辺りの騒ぎ声を乱暴に切り裂いた。
 父さんの打った打球が豪快にバックスクリーンを越える放物線を放って消えていったところだった。さっきまで腰が痛くて動けるかどうかも怪しかったのに――と一瞬不思議がった僕だったが、やはり父さんは腰を引きずりながらグラウンドをゴキブリのように這い回っていた。桁外れのホームランと桁外れの変質者的行動の前に相手チームはもう戦意喪失間近となっているように見えた。
 ホームに戻ってきた父さんはさも当然のようにアスカとハイタッチをしそれから抱きつかんばかりの勢いでアスカに向かって飛びつきアスカに避けられて地面に顔面を埋め込んでいた。さぁ次は僕の打席だ打てるかな心配だ逃げちゃダメだと立ち上がったところで、ふとさっき綾波が唱えた「呪文」がいったい何なのか気になった。状況と経過から察するにホームランがポンポン打てるようなものなのだろうか、と思いながらバットを振ると何の変哲もないようで疑問に思って綾波を見る。綾波は一瞬僕と目を合わせた後、素知らぬ顔で手元の本に目を落とした。まったく綾波も食わせ物というか、何というか。
 バットに滑り止めのスプレー(そういえばこれも野球部から強奪してきたのか。準備のいいことだ!)を吹きかけ、バットをもう一振りして打席に入る。打席に立っただけで足が疲労を強く訴える。貞野とかいう相手投手は相変わらず涼しい顔をしていたけれど、二連発のホームランで内心穏やかでないに違いない。僕は投手がボールを投げるとすぐに魔法のバットが本当に魔法のバットであることを信じてバットを振ろうとした。が。

 バットは僕の意志にかかわらず勝手に完璧なスイングコースを描いて相手エースの快速球を捉えた。
 何のことはない。バットを握っているだけでバットが勝手に動いたのだ。インチキバットはボールを完璧に捉えると、ボールは二次関数y=-x^2の軌跡を美しく描いてバックスクリーンの時計を直撃した。時計のガラスが割れ穴が開きボールがグラウンドへと跳ね返って落ちる。三者連続ホームラン。
 相手投手ががっくりと膝をついてうなだれるのを横目で見ながら、僕は淡々とベースを回る。分かりやすいうなだれ方だ、無理もないか、と僕は少し申し訳なくなってホームベースをゆっくりと踏む。そしてSAS団団長様の珍しく満面の笑みを浮かべたお出迎えを受けた。その真夏の太陽みたいな笑顔に、僕はさっきまでの申し訳なさもどこへやら笑顔でハイタッチをする。インチキだとしても人生初のホームランという奴に、僕はハイになっていたのかもしれない。そのまま勢いに任せアスカと抱き合って喜びを分かち合いそうになったところで周囲のいろんな色の冷たい視線をとっさに感じて身を引いた。
「バカシンジでもやればできるじゃない! ようやく四番らしい仕事じゃないの!」
「ま、まぁ、運がよかったんだよ」
 それにしても毎度のことながら綾波の超宇宙的インチキには感服させられる、と僕はベンチに戻ると綾波に訊いてみた。
「あのバットは?」
「属性変更。ホーミングとブースト」
「そ、そう…」
 綾波にしては比較的分かりやすい説明だったんじゃないかな、と漠然と思いながら、僕はそれからしばらく連続ホームランを重ねるSAS団と、信じられない状況にどんどんテンションが下がっていく稲草パイレーツを傍観し続けた。誰か一人ぐらいは自分の打撃の不自然さに気づいてもいいものだけれども、トウジやケンスケも自分の打撃センスの開花と都合よく勘違いしているようで疑っているのはもっぱら稲草パイレーツの方のようだった。
「なんかバットが勝手に動いていくようなスイング。これって完璧?」
「ワイ、これやったらプロ行けるかもしらんわ」
「問題ない」
 どんどんボルテージが上がる呑気なSAS団を尻目に、稲草パイレーツの視線はどんどん疑わしげになってきていた。既に投手は二人交代していたけれどその程度で綾波印のHRバットを止められるはずもなく、この回だけで十一点目となる父さんの二打席連発HR、つまり十一人連続ホームランはまたも場外に消えていった。完全にバットに「何か」が仕込まれていることはバレているだろう。突き刺さり続ける視線を気にしながら、僕は受け取ったバットを綾波にこっそり渡した。
「そう、もういいのね」
 綾波は聞き取れない早口で何か呟くとすぐにまた僕にバットを返した。僕は綾波にありがとうと礼を言ってから打席に入った。
 その先、SAS団は九個連続の空振りストライク、つまり三者連続三振であっさり攻撃を終了した。

****

 予選は四回裏で終了なので、この四回裏を一失点以内に押さえればSAS団の勝ち。そして逆に三点以上取られると負け。三回までの「如何にしてコールド負けしないか」とは違って、勝ちに行くための緊張にSAS団は包まれていた。守備につく前に円陣を組んだアスカが言う。
「なんかアタシ、今すっごく緊張してるの。この緊張って、きっと甲子園にも通じるものがあると思うのよ」
 全国の高校球児が怒るぞ。
「この緊張を乗り越えた先に、SAS団の栄光はある筈。アタシはそう信じてる。だから」
 アスカが一つ大きく息を吸う。
「みんな、アタシについてきなさい!」
 彼女は声高く宣言すると僕たちが口を開ける前に円陣を解くと飛び出していった。まったくいつもこれなんだから、と頭を掻いて二塁の守備位置に就く。
 アスカがマウンドに立った。打者が打席に入った。トウジがド真ん中に構える。アスカが頷く。振り被り、大きなモーションから投げ――
 彼女は躓いた。
 マウンドの窪みにでも引っかかったのかアスカはバランスを崩し転倒する。投げられたボールは当然予期せぬ方向へと飛んでいき、あろうことか相手打者の顔面を直撃した。失投したボールにまで敵意が籠もっているのは流石だなと変に感心させられたけれど、審判はデッドボールを宣告するとアスカを指差し、何か叫びながらアスカに出て行けと言わんばかりに腕を振り回している。何事か。まさか。そう思う僕の耳元でいつの間にかそこにいた誰かが囁くように言った。
「惣流アスカに対して退場宣告」
 ぎょっとして振り返ると綾波が僕の真後ろに立っていた。さっきまではまったく気配を感じなかったはずなのに唐突に首にかかる綾波の吐息が気になりだして僕は俯く。振り返ろうにも振り返れないよ、と思って前に視線を戻すと、今度は目の前数センチに渚君の笑顔があった。意外と深刻な状況の割に渚君は平生どおりの笑顔を浮かべていた。
「あの」僕は口を開いた。この板挟み的に物理的に挟まれた状況から脱出しないことには僕の悪い噂が増えるだけだ。解放して欲しいと目で訴えながら、「こんなアマチュア野球に退場処分なんてあるの?」
「大会規約第十三条によると」綾波は僕から一歩下がって答えた。ふっと遠ざかる吐息に一瞬残念かなと下心を覚えかける僕。彼女は当然のように規約を全部覚えているようだ。
「大会のルールに関しては公認野球規則に則ることになっている。当然、退場もあり」
「それじゃあ、僕らは人数が足りなくなって失格?」
「第十三条第二項の特例条項によれば、人数が不足する場合にはその守備位置及び打順を空位にして試合を継続することができることになっているわ」
「要するに」なおも僕の目の前から離れようとしない渚君が綾波の言葉を引き取って続ける。僕はじりっと一歩下がる。渚君は話し続けながら笑顔でまた一歩近づく。「僕達は、惣流さん抜きの八人で試合をしないといけないわけだ」
「いい加減離れてよ! 近づきすぎだよ」
 話の腰を折る僕の抗議に渚君は表情を変えずに言った。
「美しいものを愛でることに、罪はないと思うんだ」
「何を言うんだよ」
「君はもっと自分の魅力に自覚を持つべきだよ。そう思わないかい?」
「思わない!」
 それにしても、いったい誰がピッチャーを務めるのだろう。僕が真っ当な疑問を口にすると、なぜか綾波も渚君も僕の方をじっと見た。冗談はやめてよ、と照れ笑いすると、綾波が真顔で言う。
「監督もそう指名しているわ」
 綾波の視線につられて観客席に目をこらすと、退場処分になったはずの我等が惣流超監督(自称)がどっかと構えてニヤニヤと僕の方を指さしていた。入学以来の数ヶ月間嫌でも毎日アスカの喜怒哀楽に付き合ってきた僕には、彼女の顔に書いてあるメッセージがはっきりと読み取れた。必要なら音読してもいいくらいだ。『アンタが投げなさい、バカシンジ!』
 僕はこの数日間でついたどの溜息よりも重たい溜息を漏らした。そんな僕に綾波が言う。
「大丈夫、貴方一人に任せはしないから。安心して」
 素直に喜べない言い方だなあ、と僕は複雑な表情をする。
「捕手は私が努めるわ」

****

 結局そういうことで僕は人生で初めてピッチャーズマウンドに立っていた。キャッチャーだったトウジがセカンドを守って、センターの綾波がキャッチャーに。僕がピッチャーに回ったので、結局センターは空白だ。外野に打たれたらお終いだろうに、と僕は人事のように心配する。
 綾波は霧島さんや山岸さんに手伝われてようやくキャッチャーの防具をひととおり付け終わり、こちらへと向かってくる。いつもどおりの制服の上からプロテクターを着けているのだから、綾波がひどく場違いに見える。もっともマウンドに立っている僕だって大差はないけど。自嘲気味に息をつくと、綾波は僕の吐息をどう感じたのか「緊張する必要はないわ」と言う。言いたいことは伝わるけれどそういう台詞はもう少しエモーショナルに言ってほしいよね、無理なお願いですか、と目で訴える。通じていないのか綾波は少しだけ首を傾げる。そして何を思ったか突然僕の右手を取った。
「あ、綾波!?」
「じっとしてて」
 自分でもよく分かるほど動揺している僕の右手首に、綾波はスカートのポケットから取り出したミサンガを結んでいく。頭にいくつもの疑問符を浮かべ続けながら僕はその様をじっと見ていた。
「これで大丈夫」
 綾波は何を満足したのか一人頷くと自分の持ち場へ戻ろうとする。このミサンガは何? 僕の好投を願った綾波のらしくない乙女心ある応援アイテム? 無意味な妄想を繰り広げる僕に綾波は振り返って言った。
「力学位相コントロールのマーキングポイント」
 本当はその力学位相コントロールの説明をしてもらいたかったのだけれど綾波はすたすたと行ってしまった。綾波が18.44m向こうのバッターボックスのその後ろにしゃがんでキャッチャーミットを構える。ガラスのように澄んだ瞳がこちらを見ている。しかし待てよ、と僕は綾波から目を外す。いつもどおりの制服のスカートでしゃがんでいる綾波の膝元がふと唐突に僕は気になり始めて首をぶんぶんと振る。今はそういう場合じゃないだろう落ち着いて落ち着いて。僕は自分に言い聞かせてまた綾波をじっと見た。綺麗な色の瞳が見つめ返してきた。何か魅入られたかのように呼吸も忘れてじっと見ていた僕だったけれど、審判に促されて僕は投球練習を始める。こうやって見ると遠い綾波のグラブを狙って僕が投げたボールはふわふわと情けない山なりの軌道を描き、なんとか綾波のグラブにノーバウンドで収まる。相手チームからと、僅かばかりの観客からの失笑が聞こえる。けれどもその失笑は僕の耳をなんとなく通り抜けていっていた。白状しよう。僕は緊張し始めていた。
 渚君の言ったことが耳の奥でリフレインする。――『世界最期の日にならないことを祈ってるよ』
 せめて緊張に抵抗すべく息を一つ吐いて、打者に向き合う。はっきり言って見様見真似のフォームで振り被る。一旦挙げた左脚を前に出して踏ん張り、体重をかけながら思い切り腕を振る。
「あ」
 ボールを放すその刹那、僕はそのボールが明らかに不自然にスピンしたのに気づいて呟きを漏らした。綾波の細工だと分かってはいてもひどく奇妙な感じがするなと思って相手打者のバットが空を切って綾波のキャッチャーミットが乾いた音をたててボールを受け取った瞬間、僕はようやく今のボールが剛速球だったのだと気づいた。三百六十度周り全体からどよめきが唸る。審判が慌ててストライクを宣告するのを聞くより前に綾波が無表情で投げ返したボールを僕はおっかなびっくり受け取り、もう一つ息を吐く。振り被って投げる。手元でスピンする。バットが空を切る。振り被って投げる。手元でスピンする。バットが空を切る。三振。打者が代わる。空振り、空振り、空振り三振。僕は綾波によって無敵のリリーフエースに仕立て上げられていた。
 さっきまでは馬鹿にしたような顔で僕の事を見ていた打者が今度はどこか恐がっているように打席に入る。優越感というよりは同情心をもって僕は振り被ると力を入れているふりだけしてボールを投げる。景気のいいズバンという音を立てて綾波の構えたミットにボールが収まってようやく打者が見当違いなところを狙いバットを振る。その様子を人事のように見ていた僕に綾波がボールを投げ返す。
 再び構えてボールを放る。
 また空振りかな、と思わせておいて相手打者は今度はタイミングを合わせてバットを振る。バットにボールが当たる。ボールが金属バットをへし折る。鈍い金属音を残してバットの残骸が転がる。ボールが転々と横に転がる。審判がコールする。「ファウル! ストライクツー!」
 僕は金属バットを平気でへし折った常軌を逸する剛速球の球威に怯えた。しかし待て。その信じられない剛速球にあの打者はバットを当てたのか。バットを取りに行くその打者の背中を一瞥して綾波を見た。面倒なことになるのは御免だ、と僕は綾波に目で訴える。綾波は僕をじっと見つめ返した。普段は透明なルビーのように見えるその瞳の奥に何か燃える炎のような彼女らしくないものを感じ取って僕は錯覚だろうと首を振る。もう一度じっと瞳を見つめる。それでも綾波の瞳の奥に揺らめきを感じた僕はまぁ気のせいだろうと高をくくり、次の一球が最後の一球になることを願いながらボールを投げた。今度こそはと闘志を漲らせてバットを構える相手打者がバットをテイクバックし勢いよくスイングする。さっきと同じだ。
 しかし今度はバットにボールが当たろうかとするその手前、ボールは突然回転を失い、真下にすとんと落ちた。当然バットは獲物を見失い空を切り、打者の顔が驚愕に歪む。転々とバウンドして手元まで転がったボールを綾波は拾い、打者に何食わぬ顔でタッチする。審判はもう驚くことにも疲れたのか、ゲームセットを覇気なく告げた。勝った。
「か…勝ったでぇ!」
 この奇妙で後味の悪い勝利に対するコメントを探していたところで、トウジが勝ち鬨の声を上げる。その声で金縛りが解けたかのようにみんな叫び声を上げた。抱き合って喜びだし、歌い踊って大袈裟に祝福し始めた。こんな試合でもみんなそれなりに緊張していたのかな、と苦笑いして「おめでとう」と言いながら近づいてくる渚君に対してなんとなく身構える。ところが案の定僕に顔をぎゅっと寄せてくる渚君から逃れるべく僕は一歩後ろに下がろうとして、ふと力が抜けて真後ろに転倒した。なんだか僕も緊張が急に解けて脱力したようで情けない。
「大丈夫かい?」
 僕じゃなくてほかの女の子に見せれば多分イチコロの笑顔で渚君が僕に手を差し伸べる。その手を遠慮して立ち上がったところで、ふといつもの癖でアスカの視線を気にして見回す。さっきまでアスカが座っていた客席にはすでにいなかった。
「アスカは?」
「さあ、どこだろう」
 渚君は肩をすくめる。まったくどこへ行ったのやら、と僕は辺りを見回す。
 そこで唐突に後ろに僕は殺気を感じた。…という言い方は嘘でその殺気に気付いた時には臑に強烈な蹴りを一発頂いていた。
「い…痛っ!!」
 情けない声を上げて振り返るとアスカがニヤリと笑って立っていた。
「いきなり何するんだよ」
 アスカは僕の真っ当な問いを「どうでもいいじゃないの」と一蹴すると「それよりも」と声のトーンをぐっと上げた。
「シンジって、てっきり何も取り柄がないダメの人間の見本だと思ってたんだけど、」ダメ人間の見本とは何だ。流石に言い過ぎじゃないか。「アンタ意外とやるじゃない! アタシにはちょっと及ばないとしても、なかなかのナイスピッチングだったわよ」
「ま、まぁ、ありがとう」
 自分がボロボロに打ち込まれたことは既に頭から抜け落ちているらしいアスカの賛辞に素直に応えられる筈もなく、僕は曖昧な返事をしてその場を離れる。ベンチに行くと予想通り綾波がキャッチャーの防具をつけたままで何事もなく本を読んでいた。僕は彼女にやあ、と手を振った。
「流石にあれはやりすぎじゃないのかなぁ」
 やんわりと非難しようと会話を切り出した僕に、綾波は本から目を離さずに「何が?」と聞き返す。「ボール」と僕は苦笑しながら「どこの高校生があんな球投げるんだよ」と続ける。綾波は顔を上げた。
「確かに高校生が投げる球にしては若干非現実的だけれども」綾波の視線は僕を通り抜けてアスカの方を見ていた。「惣流アスカの退屈を紛らわすにはあの位が丁度」
「手間のかかる退屈しのぎだね、全く」
「それが私の使命」
 毎度毎度皆アスカのために必死だな、と思いながら僕は「お疲れ様」と労う。綾波は視線をまた僕に戻す。
「それに」
「ん?」
「……何でもない」
 言いかけた綾波は妙に口ごもって本に目を落とした。訝しんで追及しようとして僕はその視線を追った。彼女が読んでいる本のタイトルが目に入った。僕は思わず噴き出した。なんとなく綾波が僕に無茶な球を投げさせた理由が分かって、僕は可笑しさを堪えきれずに笑いを零す。
 と、そこに僕のではない笑いが混じる。渚君だ。
「談笑中のところ失礼するよ」
 渚君が口を開いた。
「まずは世界滅亡の危機を回避できて万歳、といったところだね。僕個人としては2回戦でもシンジ君の華麗な投球劇を恍惚と眺めていたいんだけれど、残念ながらそうもいかなくて、ちょっと野暮用を……」彼はアスカをちらっと見て続ける。「片付けに行かないといけないんだ」
「じゃあ、2回戦は?」
「僕は出れないね。筋から行くと棄権になるんだろうけれど、惣流さんの説得をシンジ君にお願いしたいんだ」
「自分で言ったらダメなの?」
「それは得策ではないね」
 僕は気乗りしなかった。これだけ派手な勝ち方をしたのだから、アスカの脳内ではきっと2回戦を鮮やかに勝ち進むSAS団の姿が躍っていることだろう。そんなアスカに棄権を促しに行くなんて虎児の爪垢欲しさに虎穴に入る以上に危険な事だ。
「……僕じゃないとダメなの?」半分諦めながら僕はもう一度訊く。「渚君が自分で言ってよ」
「碇くんでなくては、駄目」
 綾波が無慈悲に言う。渚君もしたり顔で頷く。僕はやむなく溜息をついて立ち上がる。またこのパターンか。僕は投げやりな使命感を発揮するしかなかった。

****

 アスカはスコアブックを満足そうに眺めつつ、何をしたいのかノートに召喚陣か電子回路図かはたまたナスカの地上絵かといった複雑な文様を並べていた。
「それ、何の模様?」鉛筆を鼻と唇の間に挟んだアスカが振り向く。噴き出しそうになるのをこらえて僕は続ける。「2回戦は呪術で勝つの? それとも召喚獣を呼ぶの?」
「あんたバカぁ?作戦立ててるに決まってるじゃないの」
「作戦?」
「そ、2回戦にあたってまずは1回戦の結果を分析してるの」
 1回戦の結果に分析に値するほど有意義な情報があるとは思えないけど。アスカは何を思いついたのか「そういえば」と謎のメモ書きに更に書き足している。僕がどこから言い出そうか逡巡しているうちにアスカの方から話しかけてきた。
「ねぇシンジ、2回戦の打順なんだけど」
「あ、あのさ」アスカを遮って口を開く。
「何よ」
「その、さ」言いにくい。「渚君が急用で2回戦には出れないらしくて」
「急用?」アスカは一瞬目を泳がせて続ける。「でもさっきみたいに8人でやれば大丈夫よね」
「父さんも病院連れていかないと心配だし」思い出して気持ち悪くなったのかアスカが顔を渋くする。何しろ父さんは試合終了からずっと奇音(既に奇“声”ですらない!)をあげて悶え続けている。あの公害父さんを何とかしたいのは確実に僕の本心できっとアスカの本心でもある。
「僕の肩ももうボロボロだしさ。棄権……しない?」
 肩は嘘。綾波に任せれば投手は山岸さんでもいけるくらいだ。戦闘不能を切に訴えるとさっきまで真夏の向日葵のように無駄に熱くて眩しかったアスカの元気がしぼむ。
「なんとかしてあと二人、集められないの?」
「せっかくの週末を僕達に費やしてくれる暇人はこれ以上いないと思うな」
「う~ん」
 目を伏して「そうかも」と同意するアスカは完全にしおらしくなってしまっていた。普段からそんな風におとなしくしていたらきっともっと愛すべき高校生として日常に溶け込めていたんじゃないかと思いつつしおれた様子に少し(少しだけ!)罪悪感を覚えたその一瞬、彼女は何か思いついたのかふと顔を上げた。そこにあったのはうまくいかなくて落ち込んでいる顔ではなくいつもの悪巧みをしようとしているあのニヤニヤだ!
「確かに棄権は止むを得ないけれど、バカシンジには離脱の二選手の責任をとってもらわないといけないわね」
 寝耳に水!イヤな流れにさりげなく一歩後ずさりしようとする僕にアスカは二歩追いすがる。僕は必死で反論した。
「何でだよ!父さんの腰痛は完全に事故じゃないか!」
「あ・の・ね・え」
 アスカは指を振ると子供に諭すように言う。
「あんな様子なら、遅かれ早かれ怪我して戦闘不能になるのは誰でもわかるでしょう?違うのでしょうか?頭脳明晰の碇シンジ様?」
 そんな虐めて喜んでるような眼をして追及するな、とは思っても口にはできないで心で飲み込む。
「そんな無茶な!それに渚君こそ僕にぜんぜん責任ないじゃないか!」
 僕の反論を気にもかけない様子でアスカは自信満々。
「そろそろ観念したらどう?SAS団で一番渚君と仲がいいのは誰?」
 そりゃあどう考えても僕でしょう。綾波や山岸さんが渚君と仲良くしているシーンなんて全く見た覚えがない。
「なら、誰に責任があるかは自明よね!」
 さらに暴論。抗議しようとする僕の髪をアスカはぎゅっと掴んだ。
「普段あ・ん・な・に仲良くしてるんだものねぇ」
「あれは渚君が僕に絡んでくるわけで決して、その、あの」
「ね?」
 完全に勝ち目のない雰囲気だった。そもそも勝てるとも思ってなかったけれど。わかったよ。僕は溜め息をつく。
「何をすればいいの?」
「最初からそう素直に言えばいいのよ」
 アスカはパチンとウインクするとポンッと手を合わせた。
「お昼、ごちそうさま!」

****

 棄権して2回戦の権利を譲ると伝えると、悲嘆にくれて完全に沈み込んでいたパイレーツの面々は激しく驚いて感謝の言葉を口にし始めた。そもそも彼らに勝ってしまっただけで申し訳ないこと極まりないのだからその彼らに感謝されるのは非常に良心が痛んだけれども2回戦を戦わなくていい安堵はあまりにも大きくて僕の顔は申し訳ないのかホッとしているのか分からない奇妙な表情だろう。パイレーツの主将は一通り感謝の言葉を並べ立てると、わずかに周りをはばかる仕草をした。急に小声になって彼は言う。
「本当にどれほど感謝しても足りないくらいなんだけど、もう一つ頼みがあるんだ」
 何のことだと首を傾げる。アスカをスカウトしたいとかなら勝手にどうぞ。
「君らが使っていたあのバットなんだけど……」

****

「好きなだけ食べてちょーだい!今日はシンジの奢りよ!」
 団長が高らかに謳うまでもなくすでに団員Aから臨時団員まで全員(おっと、渚君はATフィールドへと旅立ち父さんは病院に押し込んできた)が牛馬のごとき勢いで並ぶ牛丼の群れを空丼に変えていっていた。っていうかアスカ、そのセリフは普通僕が言うべきだろう!
「細かいことは気にしないの」
 はいはい。結局僕らは1回戦の祝勝会ということですぐそこの牛丼屋に押しかけていた。アスカは牛丼よりも値段の桁が二つくらい違う嗜好品レベルのお食事を望んでいたようだけれどそれはなんとかご勘弁いただいた。皆の素晴らしい食べっぷりにあきれながら2杯目の並盛牛丼に手を伸ばしたところで斜め向かいの席の山岸さんが牛丼の山に目を送ってから心配そうに話しかけてくる。
「シンジ君、こんなにたくさん頼んじゃって、大丈夫なの?」
 確かに目の前に積まれていく丼はこの店を回転寿司か椀子そばあたりと間違えているんじゃないかっていう勢いだ。でもまぁ心配には及びませんよ、と遠慮がちに漬け物をつまむ山岸さんにウインクする。とそのウインクがよっぽど目障りだったのかアスカが割り込んできた。
「ダッサいウインク」
 大きなお世話。
「そういえばさ、なんかバットが一本足りなかったんだけど、知らない?どーせ野球部に返すアテはないんだけど」
 それは僕の財布に訊いてほしいな。心の底でボソッと呟いた。


【タイトル】Re: 惣流アスカの退屈(後編)
【記事番号】-2147481263 (-2147481264)
【 日時 】07/04/08 01:29
【 発言者 】みれあ

長い長い長い。とりあえず最後まで行き着いたつもりですがオチがどうしようもなく弱いんでエピローグを足すべきか悩んでます。

あと、携帯で書いて持ってきた部分が多いので!?とか漢数字かローマ数字かとかがめちゃくちゃですがご容赦を。将来的にはなおします。


【タイトル】Re: 惣流アスカの退屈(後編)
【記事番号】-2147481261 (-2147481264)
【 日時 】07/04/13 19:14
【 発言者 】tamb <tamb○cube-web.net>

ハルヒ関連はスルーと書いた通り今回もスルーしようと思いましたが、ひとこと書くなら
とにかく長い(笑)。掲示板に投下するサイズじゃないわな。
まぁでもハルヒと絡めて話が見えれば読めるんだろうな。

mailto:tamb○cube-web.net


【タイトル】Re: 惣流アスカの退屈(後編)
【記事番号】-2147481260 (-2147481264)
【 日時 】07/04/13 22:20
【 発言者 】みれあ

■師匠
最初に前中後編と宣言して書き始めて妥当なところでチャプターを切ったら最終的に後編だけ膨らむという典型的なアホパターンです。ごめんなさいw

自分で読み返そうと思ったんですがごめんなさい、この文字の密度は読む気が失せます。


【タイトル】Re: 惣流アスカの退屈(後編)
【記事番号】-2147481249 (-2147481264)
【 日時 】07/04/14 18:49
【 発言者 】tamb <tamb○cube-web.net>

> 最終的に後編だけ膨らむという典型的なアホパターンです。

後編上、後編下とかしたらよろしがな(笑)。
本当は掲示板で読ませる工夫ってのが必要なんだろうけど、html化前提ならそんなことし
てもしょうがないし。

つかこの掲示板、フォントが小さいんだよな。

mailto:tamb○cube-web.net
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