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僕が君を知ってる
件名 | : Re: 僕が君を知ってる |
投稿日 | : 2021/05/16 00:42 |
投稿者 | : のの |
参照先 | : |
これはGalileo Galileiというバンドの『サニーデイ ハッピーエンド』から影響を受けてます。
綾波レイが蜃気楼のように現れては消える。
この碇シンジは、たぶん、完全に僕ですね。
綾波レイが蜃気楼のように現れては消える。
この碇シンジは、たぶん、完全に僕ですね。
件名 | : Re: 僕が君を知ってる |
投稿日 | : 2021/05/15 20:30 |
投稿者 | : tamb |
参照先 | : |
茄子や胡瓜に乗って帰るそれは、いつもはどこにいるのか。どこから来てどこに帰るのか。
その人をその人たらしめているのはそこにその人の魂があるから、というような話は散々書いて来たしもういいかな、という気分ではあるけれども。
彼女の姿が、少なくとも彼には見えるというのは、彼女がそこにいるということに他ならない。あるいは彼女自身は、彼から見えているとは思っていなかったとしても。でもそれはたぶん、監視員の咳払いが聞こえるのと大きな違いはない。だから彼女がそこにいるのは、彼に忘れてほしくないと思っているから、というわけではないのだろう。いいところ、素敵なところ、だめなところ。それを知っているだけで、知っていただけで十分なのだ。
それでも、ガフの扉が開いた時のことを、私は祈らずにはいられない。
その人をその人たらしめているのはそこにその人の魂があるから、というような話は散々書いて来たしもういいかな、という気分ではあるけれども。
彼女の姿が、少なくとも彼には見えるというのは、彼女がそこにいるということに他ならない。あるいは彼女自身は、彼から見えているとは思っていなかったとしても。でもそれはたぶん、監視員の咳払いが聞こえるのと大きな違いはない。だから彼女がそこにいるのは、彼に忘れてほしくないと思っているから、というわけではないのだろう。いいところ、素敵なところ、だめなところ。それを知っているだけで、知っていただけで十分なのだ。
それでも、ガフの扉が開いた時のことを、私は祈らずにはいられない。
件名 | : Re: 僕が君を知ってる |
投稿日 | : 2018/07/26 20:12 |
投稿者 | : 史燕 |
参照先 | : |
TV版第1話の綾波レイの姿が浮かびました。
シンジ君の中でどこまでも彼女は「夢の中」の存在となっていて、その夢の中の存在を決して無視しえないというところに、「彼女が見えるこの身体が誰のものなのか。」という彼自身の問いの本質を見た気がします。
彼が彼女を忘れてしまうのは、きっと淋しいことなんですけど、それが彼が誰なのかという自分自身の問いの答えを見つけられた結果なのだとしたら、それはきっととても素晴らしい事なんだと感じました。
長々と失礼しました。
ののさん、素敵なお話を本当にありがとうございました。
シンジ君の中でどこまでも彼女は「夢の中」の存在となっていて、その夢の中の存在を決して無視しえないというところに、「彼女が見えるこの身体が誰のものなのか。」という彼自身の問いの本質を見た気がします。
彼が彼女を忘れてしまうのは、きっと淋しいことなんですけど、それが彼が誰なのかという自分自身の問いの答えを見つけられた結果なのだとしたら、それはきっととても素晴らしい事なんだと感じました。
長々と失礼しました。
ののさん、素敵なお話を本当にありがとうございました。
僕は言った。それならいい、それでいい。
僕は思う。それならどんなによかったか。
僕が君を知ってる
Written By NONO
茄子も胡瓜も庭先から姿を消して、夏休みの終わりが指折り数えられそうになっていた。今日もこれにて御免、と太陽が沈みゆく時間になっている。それでも陽射しは、まだまだ秋には早いと言わんばかりに斜めから突き刺してきていた。木々のざわめきや虫の鳴き声は、しぶとく粘る太陽への抗議の様にも聞こえたし、陽射しへの嘲笑とも取れた。ビルも地面も無関心を装っているが、蓄えた熱の少なさには、物足りなさそうに口をへの字に曲げているように見えなくもない。
街にチャイムが鳴り響き、外で遊ぶ子供達に帰宅を促していた。この時間でも公園で遊んでいるのは背の高い子供ばかりで、ベビーカーは二台しか見当たらない。そのベビーカーは向かい合っていて、どちらも親の両手に支えられている。どちらのベビーカーのハンドルにも、公園の二つ裏手の通りにある大型スーパーのロゴが書かれた袋がぶらさげられている。右の赤いベビーカーにかかっている袋からはフランスパンが顔を出していた。今日か明日にはシチューでも作るのか、変わり映えのしない朝食に変化をつけようとしているのか。母親は袖のない紺と白のストライプのシャツに白いパンツ姿。仕事帰りだろうか。母親二人の談笑を待つ、身体を起こした赤ん坊同士が顔を見合わせている。片方の子供は左手をパーにしたまま親指をしゃぶっている。そんなおしゃぶりもあるらしい。二人の邂逅は数秒で終わり、赤ん坊たちは大人しく母親を待っている。どちらの年齢もわからないが、少なくともベビーカーに乗る年齢だということはわかる。赤ん坊と言ったら親のいう事を聞かずに勝手気ままに動き回るものだと思っていたので、その様子は奇異に映った。その後ろの遊具を駆け廻る子供達の無軌道さの方が納得しやすい。子供達は四人いて、二人の女の子は男の子を足より言葉で牽制して、鬼役の男の子に触られないようにしている。十歳くらいの女の子の達者な口は風に乗って耳に届くと、それが驚くほど狡猾な言い回しで男の子が手を伸ばしにくいようにしていることが解った。
公園は何もない広場が多く、子供達は隅にある遊具で遊んでいる。ベンチの椅子は広場の反対側にしかなく、遊具で遊ぶ子供を見守る親が座る場所がないのは不思議に思えた。ここからでは見守るには遠い。100メートル走の世界記録保持者でも、ここから遊具にいる子供のところへ行くには一瞬とはいかないから、結局、親は子遊ぶ子供の近くで立ち話に興じるか、一緒に遊ぶかの二択を迫られるらしい。
地面は乾いて、細かい砂が軽い気持ちで舞い上がっている。そこに目を凝らせば、コンタクトレンズの入った瞳でも一粒ずつを見分けることができるので、とにかく、目に力を入れずにいた。あまりにいつもそうしているものだから、周囲からはよく「碇って、いつも眠そうだよな」と言われる。色々と見えてしまうと眠くなるので、眠くならないように工夫しているというのが実態だというのに、そのためにかえって「眠そう」と言われている。そんな些細な誤解を解消する努力をするほど勤勉でも能動的でもなかった。もしそうであったらば、そもそも、瞳の色をコンタクトレンズで隠すような人生になっていなかったに違いない。
額の汗を腕で拭って立ち上がった拍子に、胸から汗が流れ落ちた。両手で握ったサイダーは、確かめるまでもなくぬるくなっている。地面に穴が空いてないことを確認して、世界の端のように滝を作り、砂の海に水の川を創造した。泡立った川が流れて沁みて消えていくのを眺めるつもりが、風に乗ってきた「じゃあまた~」と言い合う母親たちの声に気を取られて顔を上げてしまった。ならばその代わりにと、川よりも長くゆるやかに歩き出した。風が止んで、声はいよいよ明瞭に聞こえる。子供の声と赤ん坊の泣き声、虫の声、犬の哭く声、部活帰りの同じ学校の生徒達。公園の裏の裏の通りのスーパーの屋上に駐車しようとしている車の音。その脇に立つ双眼鏡を持ってこちらの動きを注視する監視員の咳払いまではっきりと。
「大丈夫だよ、ちゃんと帰るから」
なにしろペンペンが待っている。冷蔵庫を開けて鮎をチンして食べてねとは言っておいたし、風呂も洗っておいたから大丈夫のはずだけど。
まばたきの間ほどの一瞬のことだった。ふ、と音が止んで、見えている景色がサングラスをかけた時のように光の量が落ちた。何も変わらない景色と音に戻り、周りを見渡す。
いつもの風景だった。
空になったペットボトルをくるくると回しながら公園を出る手前で立ち止まり、走り去る自転車を見届けた。夏休み中の工事も明日から始まるので、この公園に来ることは暫くないかもしれない。
横断歩道を渡るためにボタンを押そうとしたが、少し待ってみると「コウキ君、ボタン押す?」という女性の声が後ろから聞こえ、子供の「うー」という呻くような声がした。ガラガラと石畳を転がる車輪が脇で止まり、ボタンも押さずに突っ立って待っている汗だくの少年を横目で見る母親がベビーカーを傾けた。男の子が精一杯身体を伸ばしてボタンを押すと、信号が青に変わった。歩き出す親子からひと呼吸置いて歩き出す。
夢か、それとも酔っているのか、横断歩道の向こうに立つ、青い髪の少女の脇を通りすぎる。
家に帰って、ペンペンの残り湯で風呂に入る。薬を飲んでコンタクトレンズを外すと、ソファの向かいに彼女が立っていたので、笑いそうになってしまった-――僕は、まだ生きている。
頭をソファに預けて横を向くと、少女がソファに移っていた。座ってくれていると、身長差が気にならなくなる。顔を見るためにまばたきした時、すでに彼女はいなくなっていて、景色全体がぼんやりしはじめた。彼女が見えるこの身体が誰のものなのか。身体を離れて夢の中で彼女に会うその前にそれがわかれば、自分の処遇もはっきりするのだけどと思ったが、答えや諦め原野に立つ前に意識は途切れ、夢の中に会う彼女にかける言葉を考えることもできず、エアコンのタイマーもかけ忘れ、翌朝には痛めた喉の気持ち悪さを虐めるためにまたサイダーを買う事もわからず、ただただ沈んでいった。