頭を撫でられる感触。

 本当にナデナデという擬音がしっくり来るような感じで撫でられる。

 私は頬杖をつきながら、その時を過ごしていた。

 顔が赤いのは自分でもわかっているし、ものすごく恥ずかしいのも事実だ。

 ふつーこんなところでするか?と思うものの、拒むことは出来ないし、拒む気もない。

 出来れば二人でいるときにして欲しい、なんて思ってまた赤面した。

 二人の時にナデナデされる、耐えられないかもしれないが、求めている自分もいて不思議だった。

 でもやっぱり恥ずかしい。

 そう思いながらも心地よい気持ちも確かだったし、嫌ではないし、むしろ嬉しい。

 でも…。


 「ね、ねえ、カヲル。

  は、恥ずかしいんだけど…。」

 「そうかい?

  でも、アスカ、今日はよく頑張ったから。」


 そう満面の笑みで嬉そうに言われると私には言葉が無くなってしまう。

 人があまり通らないフロアだし、現に今も人はいないわけだからまだいいのだが、それでも…と思うのは決して的外れじゃないはずだ。

 よりによって“姉”に見られた日には……………想像もしたくない。

 あと、あのバカップルに見られるのもごめんだ。

 
 ナデナデ。

 
 嫌じゃない。

 けど…。

 ふぅ〜とため息を出せるほどの余裕のない私。

 息が喉元でゆっくりと右往左往していた。

 でも、こんな風に過ごせているなんて、実際信じられないことだとふと思った。

 私、もしかしたら幸せなのかもしれない。

 一瞬そう思って、後ろにいる銀髪の少年の赤い瞳をチラッと覗く。

 見透かされているような、その瞳にドギマギしてしまい、耳が赤く染まっていく音が聞こえるようで、沈んだ。

 あーいやだ、なんか最近顔を赤くしてない日なんてない気がする。

 身体が持たないかも…

 …………

 でも、そんな風になれるようになったのは、あの日を越えたから…。

 









撫でる手のキッカケ
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 ドイツ・ベルリン旧NERVドイツ支部。

 現国連特別隔離指定施設。

 黒い森の中に建設された巨大な施設は、一つの街ほどの広大な土地にあり、白い建物が良く目立つ。

 とはいえ、もとからの強固な対空防衛設備に加え、国連紋章の入った車両が支部施設を防備していた。

 支部施設を中心に半径数キロの範囲は陸上、航空のいずれもが進入を制限されている。

 訪れたとき、NERVの紋章はまだ消されていなかった。

 使徒戦と対SELLE戦が終結した後、NERVは国連の介入を受け、国連非公開特務機関としての全ての権限を剥奪された。

 そのすぐあとに開かれた緊急総会でNERVの組織的行動停止が可決され、ごく一部の活動を例外に運営を事実上ストップした。

 そして私は本籍であるドイツに送還された。

 力が無くなったとはいえチルドレンの一箇所集中を国連は恐れていたのだろう。

 送還後、元チルドレンという立場から、しばらく国連下の旧ドイツ支部施設で生活することになっていた。

 NERVの今後の処遇を裁定する特別総会の最終決定が下されるまで、半分軟禁の生活を余儀なくされた。

 それでも待遇は良く、監視があるものの施設や敷地内を出歩くことはできたし、個人用の部屋も用意されていた。

 どうせ誰かと会話するのは定期調査と検診の時の国連要員か、週に一度かかってくる電話ごしのミサトぐらい。

 一年数ケ月ぶりのドイツ語もなんの滞りもなく復活した。

 でも普段は独りでドイツ様式の部屋にある窓から、外の雲を眺めていた。

 外に出ることもなく、一日中。

 やっぱり今みたいに頬杖をついて。

 でも、あの時の私は全てを失った喪失感に半分死んでいるようだった。

 植物状態だったころの傷あとはだいぶよくなったものの身体的、とくに精神的なダメージは癒えていなかった。

 そんなある日…。







 空を流れる雲。

 差し込む日の光。

 青い空。


 「白い雲、黄色い太陽、青い空…。」


 戯言のように呟く言葉は微風の中に消えていく。

 今日また一日があの雲のように過ぎていく。

 綺麗だったはずの青い眸は霞み、空を映すその目に雲のペイントは映らない。

 何もない日、退屈な日。

 それが永遠のように思えた。

 そして、することがない自分には、既に生きている意味も無くしていた。

 戦争の終結、それはNERVの存在自体の終結でもあった。

 目的を失った存在は必要ない、それは一つの定め。

 例え、国連の決定が存続であったとしても、それは私が籍をおいたNERVではない。

 エヴァの消滅、ロンギヌスの槍の消失、使徒の滅亡。

 人類補完計画が消え、E計画が消え、アダム計画が消えた。

 自分の今までの生涯を置き、精神も身体も捧げてきたものが目の前で瓦解した。

 希望を失い、拠りどころを失い、大切な存在を失い、意欲を失い、自分の存在を認めさせる"腕"を失った。


 結局、私にはエヴァしかなかった。

 そんな私には、いま、もう何もない。


 ふと誰かの静かで透き通る声が頭を流れ苦笑した。


 その通りだった………。


 心が、目の前に大きく広がる空とは裏腹に、静に狭まって行くのを感じる。

 外に顔を向ける。

 青くすがすがしい空が広がり、雄大な雲がゆっくりと流れる。

 太陽の光の中を、鳥の黒い影が横切ったり、陽光を受けた黒い森が濃い緑をたたえたりしてた。

 でもその目は何も見ていない。

 空も雲も、何も誰も自分さえも。


 「白い雲、黄色い太陽、青い雲…。」


 戯言のように無意識に呟く言葉は微風の中に消えていく。

 青い眸は何も映さず、霞む。

 もう、いまさら何も動きはしなかった。

 心も身体も。

 存在意義を無くして死を選ぼうと考えたこともあった。

 喪失という苦しみから解放されるために、監視を隙をつき、支部の屋上から身を投げようともした。

 でも出来なかった。

 死が恐くて、恐くてたまらなくて。

 死を目の前にして足がすくみ、膝が折れ、震えが襲った。

 うずくまり、涙が顔を濡らし、両手で震えを押さえながら、自分の情け無さを呪った。

 自分はただの憶病な人間だと自らに突きつけられて。

 何度も命の灯火に息を吹きかけたが、やはり出来なかった。

 恐い。

 恐い。

 恐い。

 死ぬことも、生きることも、壊れることもできない。

 絶望した。

 何をして、何を拠りどころとして、何を目的として生きていけばいいのだろう。

 もう誰も見てくれない、もう誰も求めてくれない。


 「……………………」


 もう言葉も出てこない。

 生きていながら死んでいて、死んでいながら生きている。

 私は何なんだろう?

 答えてくれる声はない。

 だからといって自分にはどうすることも出来ない。

 ただ、絶望の中で空を見つめているだけ、いや何も見つめてはいない。

 何も見ず、何も聞かず、何も感じない。


 「……………………」


 目の前に広がるのは流れる雲、まぶしく輝く太陽、青い空。


 「……………………」


 そして、銀色と赤色。


 「何を見ているんだい?

  その綺麗な青い眸は。」

 「……………………」


 何かが耳に飛び込んできた、透き通るような声。

 目の前の白い雲も、黄色い太陽も、青い空も消え、銀色と赤い瞳が私を見つめていた。

 最初は理解できなかった。

 話しているのが誰なのかも、何を話しているのかも、というか目の前にいるのが人かどうかすらも最初わからなかった。

 目の前の銀色の髪が、傾げる様に揺れた。

 不思議だったのは、その姿が逆さまだったということだ。


 「何を見ているんだい?

  その綺麗な眸は。」

 「えっ?」


 二度目の言葉に、ようやく思考がついてきた。

 目の前にいるのは人。

 その人は私に話しかけ、質問していること。

 そして、この部屋が支部の四階に位置しているということと、目の前の人が逆さまになっているということ。


 「えっ!?

  あんた、何やってるのよ!?」


 座っていた椅子から飛び出しとっさに手が出た。

 彼の上半身をしっかり抱き締めると、部屋の中に倒れ込むような形で引っ張り込んだ。

 その人を押し倒すように、彼の上に乗る形になる。

 突然の出来事とひさびさの激しい動きに肩で息をしていた。

 暫くの間、彼を抱き締めたままでいた、もちろん自分が何をしているかとか、自分がどういう状態だとかは頭にない。

 ただただ必死に。

 落ち着いてきたとき、怒りにも似た心配と驚きが爆発した。


 「あ、あんた、何やってんのよ!

  バカじゃないの!?

  あんた、あれ…!」


 そこまで言って言葉が回らない。

 口をパクパクさせてしまう。

 なんでこんな状況になったのか、何故彼が逆さまだったのが、何故自分は動いたのか、どれも理解できなかったからだ。

 自分は何をしているんだ?その言葉が頭を巡る。

 そしてピントがあっていなかった視線を合わせて、再び固まってしまった。

 目の前には赤い瞳、それがこちらを見つめている。

 しかも、鼻が触れ合うか触れ合わないかというぐらいの距離で。


 「あ、あ、あ…。」


 ようやく自分の状態に気づき、飛び起きようとする。

 が、逆に抱きしめ返され、それが出来なかった。

 本来の力やキレが戻らない状態で、抗うことも出来ない。

 その人はしっかりと私を抱きしめていた。


 「や、やめて。

  人を呼ぶわよ。」

 「ぶら下がっていたのさ。

  五階の窓からね。」

 「えっ?」

 「君が尋ねた答えさ。」


 凛とした声が、耳元に届く。

 それから、ゆっくりとその人は満面のアルカイックスマイルを浮かべて腕を解いた。

 私の手をとって立ち上がらせると、倒れてしまっていた椅子を戻し、手を引いてそこに座らせる。

 彼は部屋にあったもう一つの小さな椅子を持ってきて私の前に座った。


 「貴方は…」

 「さて、君の質問には答えた。

  次は僕の質問に答えてくれると嬉しいかな、惣流・アスカ・ラングレーさん。」

 「な、何であたしの名前を…。」

 「ふふ、君は自分の存在をもう少し理解したほうがいいかもしれない。

  君は、自分には何もないと言うかもしれないけどね。

  さて、僕が君を知っていて、君が僕を知らないというのはあまりいいことじゃないね。
  
  不自然だし、失礼にもなる。

  僕は、渚カヲル。

  最後のシ者であり、失われたフィフス・チルドレンでもあった。」









 「!?」

 アスカは驚愕の表情を一瞬見せ、それから窓のほうを向いた。

 カヲルは背中を丸めて猫のようになりながら、アスカの反応を静かに待った。

 アスカの背中からはもう何も感じない。

 ただ、静かに、流れる。


 「……………………

  …それで。」


 静かで、無関心な声だった。

 カヲルは「おや?」という表情を一瞬見せるが、そういう反応もありか、と悲しげに口を開いた。


 「そうか…そういうことも、確かにありえる。

  いや、むしろ、そういうほうが当たり前なのかもしれない。」


 アスカが振り返り、その青い眸が赤い瞳を捕らえる。

 昔の彼女なら、怒鳴りつけていたかもしれない。

 でも、今の彼女はそうではなかった。


 「あんたに何がわかるの?

  私には何もない。

  そんな何もない、生きてはいるけど死んでいるあたしに、何を求めてるのよ。

  一度死んだ最後の使徒が。」

 「ふう、きつい言葉だね。」

 「そうかしら。

  私にはもう何も関係ない。

  あんたがここにいること、存在していること。

  驚きはするけど、それはもう関係ない。」


 アスカはまた空のほうを向いた。

 その背中には敵意はない。

 でも何もない。

 もう自分は存在していても、もう終わってしまった人間だと、そういう雰囲気を纏っていた。

 カヲルが悲しい顔をその背中に向けた。


 「君のその綺麗な青い眸は、いったい何を見ているんだい?」

 「……………………

  …何も。」

 抑揚のない声が微風の中に消えた。

 静かになる部屋に中に、椅子を引く音がした。

 
 「…………」


 その音に、悲しくなったのは何故だろう。

 別に彼がこの部屋を出て行ったところで自分には何の関係もない。

 そういえば、何であんなに必死になったのだろう?

 なんであんなに心配して声を荒げたのだろう?

 
 関係ない…。

 
 その言葉で再び、何度もやってきたように自分の心を殺そうとした。

 瞼を閉じる。

 風になびく森の音、日の光の暖かさ、風の通り抜ける感触。

 
 …関係ない。

 それはあたしのために吹いているわけじゃない。

 あたしのために降り注いでいるわけじゃない。

 あたしの存在は…。


 瞼を開く。

 すぐ近くに赤い瞳があった。

 時間が止まったような感じだった。


 「こうしている分には、君のその綺麗な眸は、僕の目を見ているわけだ。

  それから、僕も君のその青い眸を見つめている。」

 「……………………」

 「君の眸は綺麗だ。

  そして、その奥にある君の心は本当に繊細で、それでいて美しい。

  好意に値するよ。」

 「………………

  あたしは臆病者よ。」

 「何故だい?

  君は生きているじゃないか。」

 「死ぬことも出来ない。

  もう終わってしまった人間よ。」

 「僕はまだ生きてる。」

 「…………………

  だから?」

 「君も、まだ生きてるんだ。

  素晴らしいことだよ。

  生きているということはね。

  想像以上に。」

 「…………………

  あんたが言うと、重い言葉な気がするわ。」

 「君は何を求めているんだい?

  その綺麗な眸の先には何を欲しているんだい?」

 「……………………

  あたしは、もう終わってしまった人間よ…。」


 虚ろな目はカヲルの瞳から視線をそらした。

 広がる空に向かう。

 カヲルは立ち上がった。

 部屋の扉のところまで歩き、ノブを回した。


 「……………………

  でも……。」


 カヲルの動きが止まる。


 「あたしは、目的を失った。

  母を、エヴァを、仕事を、生きる意味を失った。

  でも、それは、結局誰かに見てもらいたかった、から。

  ……だから。」


 窓の縁に肘を乗せ、頬杖をつく。


 「……………だから。

  ……………………」


 アスカの言葉は続かなかった。

 喉が張り付いてしまったかのように。

 沈黙が広がった。


 バタン…。


 沈黙を破り、扉が閉まる音がした。

 アスカが眸を閉じる。

 その音は、何かが一つ終わった証の音だった。


 ポン。


 「えっ………?」

 
 目を上げると、優しい微笑があった。

 アスカの輝きの戻りつつある亜麻色の髪に手が置かれていた。

 





 ナデナデ

 
 心地いいけど、やっぱ恥ずかしい。

 それに、ふつーこんなところでするか?と思うのはやっぱり的外れじゃないと思う。



 「か、カヲル。

  あんたねぇ〜いいかげんに…」

 「なんだい?」

 「………………………」


 少しの怒気を含んだ、見上げるその青い眸を、今では見るものを見つけることが出来たその眸を、優しい赤い瞳が見つめ返す。

 いつも、傍らで見つめていると、約束してくれた赤い瞳が。

 そして、沈む。


 あ〜馬鹿だ、あたし…。

 こいつのこの表情を見たら、何もいえない。

 あの時の笑顔のまんまだ。

  
 と、思ったときに、頭の手が離れた。


 「あっ…。」


 恥ずかしいだのなんだの呟いていた自分の心も、やっぱり変わらず求めているのだ。

 それが声に出る。

 そんな自分が恥ずかしくてまた赤くなった。


 あーいやだ、なんか最近ほんとうに顔を赤くしてない日なんてない気がする。


 そう思いながら、後ろを振り返った。


 「…………」
 
 「そろそろ時間だからね。」

 「………

  あ〜いやになるわ。」

 
 照れ隠しに、わざと少しだけ大きく声を出した。 

 立ち上がって背伸びをする。

 さて、動くか、と切り替えようとした瞬間に、後ろから抱きしめられた。


 「でも…。」

 
 カヲルが耳元で囁いた。


 「アスカ、頑張ったら。

  またしてあげるから。

  撫でるだけじゃなくて、抱きしめてあげてもいいし、キスをしてもいい。

  僕はアスカを好きだからね。」

 「………………

  ………バカ。」


 まったく、顔が赤くなるのがよくわかる。

 それでも、私は微笑む。

 彼が私に笑顔を向けてくれるから。

 見つめていてくれるから。

 私の傍らで。


 撫でる手のキッカケ。

 それを思い出したとき、思った。

 今の私、幸せなのかもしれない、って。

 ものすごく、幸せなのかもしれない、って。









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