時を止めたのは、笑い声だった

戦闘の喧騒もあらゆる思惑も、終わりへの時さえもとめてしまったのは、一人の笑い声だった

周りの全てを唖然とさせる、不自然な、有り得ないような、信じられないような、そんな高く、大きく、狂った笑い声

木々の命を縛り、風の流れを氷らせ、神々の戦の歩みを止め、巨大な、もはや止めることができなくなったはずの運命とシナリオの歯車を、止めた

世界の中心、黒き月の真中、その上で、少女は笑っていた

声を上げて

纏う蒼銀の髪をゆらしながら

なんの押さえることもなしに、狂喜とも思える笑いをいつまでも










狂笑とここにありたいという気持ち
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「…綾波…?」


紫の鬼神にのる少年が目を見開いて、小さく呟いた

喉が張りついたような中から声を絞りだして

少年が見たのは、黒き月の上で肩を震わせながら笑う少女の姿だった

あるときは無機質な存在として、あるときは神秘的な存在として、
 またあるときは自らの分身のような存在として、愛しい存在として、恐怖の存在として、信じられなくなってしまった存在としてある少女

いまは、どうなのかわからない

その綺麗な紅い眸を持つ少女が笑っていた

全てを氷らせるほどに狂った笑いを

そして、少年が少女の名を口にした瞬間、少年は少女の前にいた

鬼神の胎内から、少女の前へと

何故そこへと移されたかはわからなかった

口に出したその名の中に、少女に対する何かの心が再び目覚めたからなのかもしれない

少年はただ立ち尽くして、少女の姿を見つめていた

そして考えていた

自分は今、どういう存在として彼女をその心の中にとめているのかと

少女が笑うのを止めた

そして穏やかな表情で少年の名を呼んだ


「碇くん…」


それから、また笑った

少年に向かってではない

それは違う何かへと向けられていた

そして幾許かしてまた止めると少女が呟いた

本当に小さな声で一言


「…槍よ」


頭上で、まだ時が来ていないはずの白い月が輝いた

それは月の拘束をいとも簡単に解き、自ら光の流れとなって大気圏を突き破り、自らに命を与え、自らを呼んだ主の下に降りた

少女の身の丈程の紅い槍は、少女の胸の前で止まり、命とともに主である少女が自らを手に取るのを待った


「碇くん」


槍の待つ前で少女が口を開いた

先ほど見せたのと同じくらい、どこまでも穏やかな表情だった


「何もかもが終わったとき、私の問いに一つだけ答えて欲しい」


少年は少女の目を見た

穏やかな表情のなか、その紅い眸はとても真剣なものだった

少年は少女の意思を汲む

そして、頷いた

少女は槍を手にした

槍はその命のままにその頭を二又に割り、身をねじり、力を、封を解いた

刹那、少女は少年の前から消えた

次の瞬間、九人の白きを纏う神々が自らの血の中に沈んだ

何のカケラも残さず

攻撃も反撃も再生も治癒もできないまま、生命の実を破砕され、身を、骨を、臓を切り刻まれた

一瞬だった

九の神々が刹那に滅び去った

彼等が滅ぼされ、血の中に崩れていく中、天国への扉が音もなく崩壊した

そして、その奥の純白の十字架に磔られた巨人の杭が飛んだ

十字架から解かれた巨人は、自らの海の中へと落ちる

だが、赤い水に落ちる瞬間、七つの目の仮面が剥がされた

そして、その奥の顔が晒される前に、巨人は核を粉砕され、その空間を満たす自らの水に、水となって落ち、消えた

一瞬の出来事だった

そして、九の神々が自らを自らの血の中に埋め、巨人が水へと滅び、自らの水へと還る瞬間、暗い闇の中、十二の漆黒の石版が砕かれた

何の時の差も無く、十二の石版が、自ら神のように振る舞い、人類の道に終わりのシナリオを描いた者たちが砕かれた

絶望することすらも与えることなく、全ての権を奪い、その命を打ち砕いて、血のうちに帰した

刹那の出来事だった


彼らが最後に見たのは、狂笑を纏った少女の姿だった


九の神々が自らの身を自らの血のうちに埋め、
 磔の巨人が自らを水の滅びへと帰し、
  全ての企てを組み立て挙げた十二の老人たちの石版が暗闇の地面の上で音を立て砕けた瞬間、
   少女は黒き月の真ん中、その上で待つ少年の前へと戻っていた


身体を、彼らの血で染めて


右手に持つ槍は握り手まで血に染まっていた

彼女の纏う見知った制服も、赤を基調としたものへと変わり果てていた

手足は血でまみれ、その顔にも、その綺麗な蒼銀の髪にも血が振り掛かっていた

槍の先から、手の先から、顔から、血が黒き月の上へと滴り落ちる

音も風も凍りついたような静かな世界で、その音だけが嫌に響いていた

少女は青い空を仰ぎ、虚ろな目で笑みを浮かべていた 

幾許か時を過ごし、少女はゆっくりと少年に眸を向けた

一瞬、少女は自らの血にまみれた姿を一瞥して、隠そうと努めながらも苦々しい表情を浮かべた

そして少年を見つめる

少年は、ただ、少女の眸を、その綺麗な紅い眸だけを見つめていた

その顔には、恐怖も不安も苦々しさも無かった

ただ、少女の紅い眸を見つめていた

そして、言葉を紡いだ

緩やかな声で、真っ直ぐと


「…全てを、血に?」


少女はもはや逡巡しなかった

そんなことはもう既に、自分の意志の中に下していたから


「ええ

 血に、始まりの血に帰したわ

 でも、まだ、全てじゃない」


少年が掌を強く握った

その意味を理解して

そして、少女のすぐ前へと歩み寄った

少女の下に流れた血溜まりが少年の足を染める

でも少年は気にしなかった

足を血で染め、少女の前へと立った

そして、言った


 「僕は答えるよ

  綾波の質問に」


少女は少し驚きながら、でもそのことは口にしないで、微笑んだ

狂気の笑いではなく、月の下のあの微笑を


「まだ全てが終わったわけじゃない

 私は、終焉を告げる者

 終焉を成し遂げる者

 その意志を授かりし者

 そして滅亡に導く儀式を笑う者

 そして、私は血のうちに葬った

 九の神々を、磔られた巨人を、シナリオを描いたものたちを

 その頭を砕き、命を砕き、血のうちに帰した

 その奥にある滅亡への儀式を、サードインパクトを挫いた

 そして、残るものは、黒き月と私の存在」


少年の心が震えた


 「碇くん

  私が恐ろしい?

  ロンギヌスの槍を持ち、神々を滅ぼし、この身をその血で染めた私が」


少年はなにも言わなかった


 「碇くん

  私は貴方に問う

  貴方にはそれに答えて欲しい

  その心に浮かんだ本当の気持ちを

  偽らざる、本当の心を

  私は全てを終わらせるもの

  いまここに私と黒き月とが、死海文書に書かれた、残された最後の要

  儀式のために留め置かれた最後の要


  碇くんに問う


  私を、求めてくれる?」


少女の顎から滴り落ちた血の音が、この空間に世界の全てを詰め込んで、音を消した


「貴方が私を恐れるのなら、いえ、それは当然のことだけれど

 私は、黒き月と共に最後の儀式を成し、この地から死海文書に記された全ての要を尽くに滅ぼし葬り去る

 私の命、私の存在も共に連れて

 私の留め置く存在が無ければ、私は、儀式を笑い、要を滅ぼす者としての権威と共に、私自身もが儀式への要となる

 私の役を終えるために、私は私と共に全てを亡くす

 でも、もしも私を求めてくれるのなら………」


言葉は、続かなかった

少女の眸から涙が一つ零れ落ち、血溜まりの中に落ちた

少年はその手を少女に頬に当てた

そして彼女の頬に流れた涙を拭った

少年の手が血に染まる

でも、少年は止めなかった

それが、少年の決めたことだったから

少年が自らの問いに答えを出した、彼女の存在に対する結論だったから

少女の血にまみれた顔を、その手で拭った

そして、血にまみれた少女の身体を

血が奪い、冷えていくその身体をゆっくりと、けれどしっかりと抱き寄せた

少女は身体を硬直させて動かなかった

そんな少女の耳元で少年は囁く


「そんなこというなよ

 別れなんてもういやだ

 言っただろ、「さよなら」なんていうなって

 だから、僕は、もう二度と綾波にそんなことは言わせない

 君の存在、僕の心の中に刻まれた絆

 それが、僕の僕自身の心に対する問いに答えを出した


 君は、僕の大切な存在だ


 その答えをやっとだせた

 いままで出せなくてごめん

 もう、二度と、君を離したりなんかしない

 僕はここに居る

 それが僕の答えだ」


少年はしっかりと少女を抱きしめた

きつくきつく

ここに居る、ここに居て欲しいという気持ちを表わして


少女は自分を抱きしめてくれている少年の背中に手をゆっくりと添えた

その言葉をしっかりと咀嚼するように

少女はぽろぽろと涙を流した
 
清めの涙だった

それは少女の身体の、心の、濡れた血を流す雪ぎになった

少年も泣いていた

少女は涙の中で何度も何度も頷いた


少年と少女の涙が零れ、黒き月の上に落ちて音を立てると、黒き月の上から世界が広がった

それから少女は腕を解き、黒き月を前にして少年の横に寄り添った

そして、槍の先端を地面に向けてしっかりと握った

少年が少女の身体を、心を支える


「全てを?」


少年が再び尋ねる

少女は真っ直ぐ前を見つめて、それに答えた


「ええ、全てを」


槍を黒き月の中心へと立て、手を離した

 
「要に終焉を

 全ての歯車に回帰を

 そして人々と

 “私たち”に新しい道を」


少女の言葉に、槍は黒き月の中枢へと吸い込まれた

水面に波紋が広がるような中に、静かに消えた

主である少女の命、そしてその意志と意思とを果たすために

そして槍は黒き月の核を貫き、黒き月を砕いた

天空の白き月が共鳴し、黒き月が放つ光の断末魔の中で、少年と少女は白き月の光の中に守られて互いを離さなかった

答え、そして言葉を守り続けていくために

互いにしっかりと絆を結び合って



全てが終わった空の下

地上から死海文書に綴られた全ての要が消え去った地の上で

満月が照らす、淡く優しい光の下には、答えを出した少年と少女が新しい道を歩むために手を繋いでいた




彼らの新しい道に祝福を


彼らの新しい絆に祝福を










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