世界を埋め尽くすその紅は、少女の眸の色そのものだった

血の赤でも、群体が融けあって果てた赤でもない

この世界の主である少女、その存在を顕すような綺麗な紅

海がその色で満ちているというのは、この世界が少女の掌の中で従っているということ

地上に黒き月は無く、天上には約束を交えた夜のように優しく柔らかな満月がただ唯一の見守る存在として輝いている

紅い海は漣一つない

それは少女の心が震えていない証

でもそれは、昔の、ただ一つの願いのために心を凍らせていた時のような無関心とは違った

空は澄み渡って、宙と空の境界を融け込ませ、まるで手を伸ばせば白い月に届きそうなほどだった

そんな紅い海の上を、澄んだ空の下を、風になりきれない空気の流動が巡り、常に新しい空間を作り出しては移り行くを繰り返している

そんな静謐の世界の中心に少女はいた

その華奢な身体を紅い海に横たえて

そして、蒼銀の髪を冠する頭を少年の膝に枕して







I'm so happy, All the things are because of you.  aba-m.a-kkv









少女は瞼を閉じ紅い眸を隠しながら、腕を天に伸ばす

彼女がその細い指で空をなぞると、いままで白い月がただ唯一掛かるものだったところに星が現れ始めた

内なる眸で一つ一つを感じるように少女の指が踊っていく

そして、幾許かの時が過ぎた時、天空には100万の星が光点を成し、輝いていた


「この星たちは……私の可能性の枝葉」


静寂がたゆたう紅い海と空との間に、凛とした声が響いた

少女は腕を下ろし、瞼を開く

紅い眸が全天を埋め尽くす星を映し込んだ


「私の、私たちの歩いてきた道の後ろに刻まれた……無数の物語の結晶体」


少年の漆黒の瞳が、少女と同じように星の群体を映しこむ

月の光にも食い尽くされない光点は、澄んだ空気の地上でも見られないほどの数となって輝いている

それはこの世界だからなのだろう

空と宙の境界が融けて消えているというだけの話じゃない

この世界と、この世界に現れた星の持つ意味ゆえに、これほどまでの数の星が輝いている

500に近い数の力強く輝く星を均等に配して、様々な等級、様々な色彩の星が溢れている

少年は驚きの色を帯びながら少女に尋ねた


「これ、全部が?」


少年の言葉に、少女は眸を細める

そして、愛おしそうに幾つかの星や星団を指差した


「そう、自ら輝くものもあれば、その光を受けて輝くものもある

 それは一つ一つの内面で、一つ一つの時ごとに違う物語や思いを産み出したわ」


近い宙で自ら物語となって力強く輝く星

その中には、一つに纏まって星座を成すものもあれば、連星をなすものもあった

遠い宙で自ら物語となって輝く星

その中には、単独で輝くものもあれば、他の星の光をもらって輝くものもあった

それから、それらの星たちを包み込んで言葉という光を重ねる星団や考えや想いや意思を内面に生み出した星もある

それぞれの星たちが、この100万にも及ぶ全天の星を構成していた


「すごいね、最初は零だったはずなのに、いまでは100万を越える輝きとなって綾波の空に輝いているんだね」


少年が感慨深く空を仰ぐ

その声には嬉しさも滲んでいた

この星の数は、少年が願い続けているものが叶い続けていることでもあるから

そんな少年の服の裾を小さく引っ張って少女が呼ぶ

少年が気づいて視線を落とした先で、少女は微笑んで言葉を重ね加えた


「私たちの空よ、碇くん」


その言葉の意味に少年ははにかむように笑顔を返した

そんな少年の笑顔を見上げていた少女は、ふと気がついたように少年の頬へ手を伸ばした

そして、少し首を傾げて問う


「ここにいるときは、いつも綾波って呼ぶ」


普段の世界で呼ばれるときとは違う、懐かしい響きの言葉

眸が翳るわけではない、けれど不思議そうにする少女に、少年は困ったような笑顔をたたえた

少女が口にするのも同じだというのに、それを言葉に乗せてみる


「綾波だって、そうじゃないか」


少女は伸ばした手を戻して、考えるように口元に当てた

そう、この身に纏っているものはもう互いに制服じゃない

零だった空も100万の星を数えるほどに時を経ている

互いを呼び合う言葉も、普段の世界では変わっている

でも、少女にとっての少年のその名前は特別なものだ

あの戦争を、あの事象の果てを、その名前で結び合って超えたのだから

だから、深淵に限りなく近いこの世界では、深い意味を持つその名を呼ぶのだろう


「碇くんは……魔法の言葉だから」


そう少女は表して笑った

そして、その思いは少年も同じだった

少年にとっても、少女のその名前は深い意味を持つものだから

だから、少年も少女の眸を覗き込んで、同じ思いを重ねる


「……僕も同じだよ」


互いに見つめあい、互いに微笑みあう

それから、二人一緒に、空を見上げ仰ぎ、全天を覆う星たちの輝きに自らを落とし込んだ





少女の蒼銀の髪を梳くゆったりとした音が、静寂満ちる空間を微かに震わせる

少年の指が少女の髪に触れるたびに、少女は安らかな雰囲気に包まれていった

そして幾許かの間、言葉を繋ぐことなく、空を見つめていた少女の心の中に満ちていくものがある

それは、星が伝え降らす光、その中にある物語や想いや意思の欠片

100万の星の光は、少女の器を短い間に満たして溢れさせるのに十分だった

その溢れたものが、言葉になって零れる


「……私は、この星が見れて嬉しい」


少女の髪を梳く手を止めることなく、少年は星から視線を落として少女を見つめた

少女は満天の星を見つめながら、思いを零し続ける


「私は零を望んでいた存在だった

 私はそこにたどり着くために存在していた

 この一つ一つの星の意味を、価値を知らずに」


この空が、まだ何一つ掛けていなかった頃を思い出す

こんな風に明るいものではなく、空がただ一つの闇だったころ、ただそれしか見なかったころを

闇の帳を引き裂けば、何か星を見つけられたのかもしれない

でも、その時の少女は、それまでの少女はそれを知らなかった、知ろうとしなかった


「でも、それはとても素敵なものだった

 それが今では私たちの星になって、100万もの輝きになってる」


少女は両の手を胸の上に重ねる

闇の帳を切り裂いて、夜のキャンバスを張り付けて、一つ一つ増えていった星たちの軌跡を思い出す

そこには、たくさんのものがあった

それまでは知ることも、望むこともできなかったものが

少しずつ少しずつそれは少女の心の中に灯り、今がある


「それが、すごく、うれしい

 月の下を歩いて……よかった」


少女が、その紅い眸を少年のそれと重ねる

黙して聞いていた少年が、その眸の奥にあるものを汲んで、安らかな笑顔を浮かべた


「綾波がそうなら、僕も嬉しいよ」


少女が嬉しそうに瞼を閉じ、小さく頷いた

そうして、幾許か少年の言葉を噛み締めた少女は、真摯な眸を少年へと向けた


「でも、すべてにはきっかけがあった

 闇の帳を切り裂けたのも、星を知ったのも

 この100万の星空は、移り行き移り行き8年の歳月を経てこの空になった

 でも、ただ一つ変わらないものがある

 私が歩き出したときから、それだけは

 月だけは

 この空に浮かぶ月だけは変わらない

 いままでも、今も、そして、これからも」


闇の帳が引き裂かれ、夜のキャンバスが掛かったとき、そこには月が掛かっていた

夜の最初から

星が一つもない最初から

月だけは変わることなく掛かっていた

少女は知っていた、その月がすべての始まりだと

そして、今もその月は輝いている

星がどれだけ増え、どれだけ輝こうとも、褪せることなく常にはっきりと、月が空の真ん中に輝いている

少女が少年へと手を伸ばし、その頬に触れた

そして、刹那の沈黙を絡ませて、紡ぐ



「碇くん、貴方がその月よ」



少年は目を見開く

驚きの声が喉もとにまで上るが、それは少女の魅入るような眸の紅い色に溶けて消えた

少女は、少年の頬を優しく撫でる

それから、始まりを思い出すように口を開いた


「……初めて触れた時は……なにも感じなかった

 碇くんの手」


それは、少年と初めて出会った時の一瞬の記憶、一瞬の感触

少女は霞の奥を分けるようにそう告げた


「2度目は……すこし気持ち悪かった、かな?」


それは、少年が始めて少女の領域に入り込んできた時の記憶と感触


固まっていた少年の身体が微かに震え、少女の触れる頬に朱がさす

でも、ごめんと、あの時のように言葉を出したりはしない

この告白が、あの庭園での邂逅の時のように意味を持つものだとわかったから

そして、それに続くものだとも

少年は少女の言葉の続きを待った


「3度目は……暖かかった

 スーツを通して碇くんの体温が伝わってきた」


それは、少女の闇の帳に深いひびが入った時の記憶と感触

これが、最初の一歩だったのかもしれない

そして、この夜が約束の夜でもあった

二人の、時とシナリオに拘束されない約束の


「4度目は……嬉しかった

 私のことを心配してくれる、碇くんの手が」


それは、少女が自分の空っぽの空洞部分に、少年がいることに気がついた時の記憶と感触

それまでの少女の中には藁人形のようにぽっかりと空っぽの部分があった

その空洞が、少女を怯えさせ不安にさせる

でも、少年のことを想うと、それが埋まっていくのを感じた

しかもそれは、少女だけの想いじゃない、少年の心もそこにはある、それが例えようもなく嬉しかった


4度目を言葉に乗せて、少女は沈黙を一つ食む

ここまでは少年の記憶に残る少女の想い
 
そして、あの庭園での続きが紡がれる


「5度目は……優しかった

 もう、一度、触れてもいい? そう聞いて繋いだ碇くん手から、私の心に、想いが満ちていった

 ずっと、触れていたい、そう、思った」


それは、少女が自分の心を少年に預けた時の記憶と感触

それまで朧だった想いが、絆が、澄んではっきりと繋がった瞬間だった

それが、少女と少年とを、例え世界を打ち砕く鉄の歯車に挟まれようとも切れる事のない絆を、その魂の奥底に繋げたんだろう

その後の終局に加速する世界で、それは夜の空に輝く満月のように光を保っていた

それは例え、真っ暗闇の辛く悲しい世界で、人の誰もが天上を見上げなくても


少女の想いを聞いて、少年は瞼を閉じた

終局を巡った想いが心の中で圧縮される

でも、いまここには少女がいる

伝わる少女のぬくもりがとてもとても熱く感じた

そして、少女は終局と始発の境界での想いを告げる


「6度目は……救われた

 権威を遂げて消え行く私を、碇くんは掴んで離さないでいてくれた

 私は……ここにいていいんだと思った

 貴方と……歩いていっていいんだと思った」


それが、少女がスタートラインに立った時の記憶と感触

闇の帳をすべて引き裂いて捨て、幾らでも描くことの出来る夜のキャンバスを張り延ばした時だった

でも、それは一人で引き裂けたわけじゃない、一人で張り付けられたわけじゃない

絆があったから、それが出来た

二人で行ったから、互いに見つけられた

そしてそのときに、月が輝く空に、一つの星が瞬き始めたんだろう


少女がゆっくりと身体を引き起こす

紅い海に微かに波紋が広がりすぐに落ち着いた

少年に向かい合う形で少女は座り、そして少年を見つめた


「……いつも、碇くんがいた

 この空に浮かぶ、月のように

 だから、私はこの100万の星を紡げた」


少女が微笑みを向ける

何処までも美しい微笑みを、少年のために

全天に輝く100万の星が、全天の真ん中に浮かぶ月が、その光の強さを、そこに込められた意味を増した気がした

少年は噛み締める

少女の紡いだ想いを

100万の星が描き重ねられた過程を

目の前に少女がいるというその事実とその微笑みの深さを

だから少年は少女の名前を口唇に乗せる

特別な少女の名前を、愛しくてかけがえのない絆を表す少女の名前を

そこに、零から今まで共に築きあげてきた想いのすべてを織り込んで


「綾波……」


少女がその想いを受け取る

それを抱きしめるように少し俯いた少女の頬が微かに朱に染まる

少女は一つ深呼吸をした

世界を、少女は飲み込む

そして、少女は少年に尋ねた

あの庭園でしたのと同じように

あの時から時を重ね、星を加え、想いを築き続けた今を、今この二人の奥底に刻むために


「……碇くん、また……触れてもいい?」


少年が頷く


「……いいよ」


どちらともなく、二人は手を伸ばす

指先が触れる

滑るようにして掌が重なる

そして、二つの手が握り締められた

それは、手と手だけではない

そこにある、絆と絆もともに

そこにある、欠けた心と心も共に


「どう? 綾波」


少年がそう尋ねながら、もう片方の手を添えて重ね、力を増す

少女が一つ頷いて、もう片方の手を添えて重ね、握り締める

そして、そこに額を当てた

重なった絆を、ぬくもりを、欠けた心の奥底で感じるように

そして、この世界に刻み付けるように口唇を震わせた



「いまの私は……綾波レイは……幸せだわ」



世界が共鳴するように、紅い海に一つ大きな波紋が広がった

少年が重ねた片方の手を解いて少女を抱き寄せる

繋いだ手を胸に抱いて、少女は少年に身体を預けた

少年が、少女の蒼銀の髪を一つ撫でる


「よかった……

 僕も、碇シンジも幸せだよ」


少女が腕の中で頷くのを感じる

少年もそれに合わせて少女の髪の中に頬を埋めた


「でも、綾波の道は、僕たちの道は、まだ途中なんだよ

 この先もっと時を経て、幸せを増し加えて、絆を築き続けて、この紅い世界の空に輝く星を増やしていくんだ

 100万の星じゃ足りない、もっともっと無数の星で」


少女は頷き続けていた

少年の手を握る力を強め、そして尋ねる


「これからも……触れてくれる?

 隣を……歩いてくれる?」


二人を祝福するように見守る、月と100万の星の下で、紅い海の上で、少年は少女の耳元で囁き、約した


「この空に、月が浮かんでいる限り」








どれだけの時を抱きしめていただろう

少女と少年のいる世界が明るい光に薄まり始める

その光を瞼に受けて、少年が顔を上げた


「そろそろ日が巡ってくる

 帰ろうか、僕たちが生きるあの世界へ」


笑顔をたたえて少女を促す

それに引き上げられて少女も顔を上げた

月と星が輝く夜が終わり、二人が生きる世界が再び始まる

二人手を繋いで、隣を歩く、あらゆるものに繋がり、可能性と未来に満ち溢れる世界が


「そうね、帰りましょう

 今度は、もう一つの名前で呼んで欲しいから」







零から重なり加わった絆と物語が、100万の星となって輝いている

でも、その星の輝きはまだ途中

これからもその星は無数に、この世界の夜を彩り続ける

紅い海と、その空に浮かぶ月を中心に









祝辞


「綾波レイの幸せ」100万ヒットおめでとうございます

いきなり私事で恐縮ですが、私がこのサイトをはじめて訪れたのは約7年前でした

そのときはまだ、カウンターも数万ヒットというものでしたし、作家さんの数も作品も今よりずっと少ないものだったと記憶しています

それが今では、100万ヒットという数に達し、たくさんの作家さんのたくさんの作品があります

それはとてもすごいことだと思うと共に、私自身がその過程に幾らかでも参加できたことを光栄に思っています

私の文章はまだまだ稚拙ですが、私はここで小説というものを学んだといっても過言ではありません

tambさんの編集や作家の皆さんの作品、二人目や三人目や四人目の掲示板での交流を通して、投稿一作目に比べずっと良い物語を紡げるようになったんじゃないかと思っています

でも、まだまだ描きたい物語はたくさんありますし、もっともっとうまくなりたいと思います

そして、もっとたくさんの物語や考えに触れたいと思っています

綾波レイと、彼女に繋がる新世紀エヴァンゲリオンの登場人物たちが織り成す、可能性と幸せに溢れた物語に

これからも、もっとたくさんの物語が生まれる場所として発展していかれることを祈っています

そして、できたらこれからもいろいろと参加させてください

もうすぐ9年目を迎える「綾波レイの幸せ」の運営者であり作家であり編集者でもあるtambさんに感謝を贈ります。

いつもありがとうございます、これからも頑張ってください


最後に、物語の原点である綾波レイがこれからも幸せでありますように


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