『 You must love your neighbor as yourself. 』





私は、他人を愛するということが、その理由が、その意味が、よく分からない

私には、私しかいなかったから

世界の中心は私で、世界は私で全てだったから

他人という存在が、私の深いところまで届いたことがなかった



母親は、私が物心ついて切に求めるようになったときにはもう既に居なかった

私はすがり、よがり、助けを求め、愛してくれる存在を失っていた

エヴァンゲリオンは私にとって欠け換えのない手足であり居場所だったけれど、でもそれは愛する存在にはなりえなかった

心を開き、心を与えるものじゃなかった



私は孤独だったから、孤独を与えられ自らそれを選んだから、私には他人を愛するということがよくわからない

でも、今の私は私だけじゃない

なけなしの全てを失った私は、たった一つだけ手に入れた

私はそれによって好きという思いを知り、愛されるということを感じ、愛するということに触れた

だからこそ聞いてみたかった

孤独だった私よりもずっと孤独で、いまも尚ずっとずっと孤高な血を宿し巡らせている彼はどうなんだろうかと



愛するヒトだからこそ

私を愛してくれるヒトだからこそ

私よりも孤高なヒトだからこそ

私は教えてほしかった







Xeオーバーライド   aba-m.a-kkv      








「ねえ、カヲル」


それはいくつも生まれては過ぎていく今日という日の夜の下


「アンタは、何故アタシを愛せるの?」


私の左手がそれまでの私よりも微かに重くなって久しい日々

宵闇も深まって既にしたいこともするべきことも終わらせてしまった時刻

本を読む渚カヲルの背中にすがりついて、私はその耳を食めるほどの距離で囁き尋ねた

我ながらストレート過ぎる質問だったかなとも思う

けれど、ダイレクトな問いなほど掛け値ない答えが返ってくるものだ

でも、確かにストレート過ぎる問いだったらしい

密着する先のカヲルの思考が、その時が、一瞬停まるのを感じた

そんな無音と空白が、本がパタンと閉じられる小気味いい音の響きと共に回復する

首だけを回して、カヲルが私の表情を横目に見つめた

その紅い瞳が私を貫くように見つめるので、私は少しだけ視線を逸らす

でも、カヲルの射抜くような、見定めるような瞳の色は変わらずに感じる


「アスカは、僕を愛してくれてる

 僕も君を愛しているよ」


私の頬に触れながら優しく言うカヲルに、私は色を落とした声で呟く


「そんなのは、わかってるわよ

 じゃなきゃ……」


私はその背中に完全に身を委ねて力を抜く

カヲルの後ろから回してだらりと伸ばした手をその手に重ねる

そんな私をカヲルは支えてくれる


「こんなに、寄りかかったりしないし、できないわよ」


それは力や身体だけじゃない

想いや心も含めた私の全てだ

総てを一人でやるしかなかった私も、今はそう出来る存在がここにいる


「そうじゃなくてさ

 意味を、理解できる理由を知りたいのよ……アンタなら」


うつむき加減で声が細る私の腕をゆっくりほどき、カヲルは向き直って私の目の前に相対した

さっきまでカヲルの首に回していた手は、左はカヲルの右手に、右はカヲルの左手に絡まっている

そして揺れる私の青い眸を覗き込むようにカヲルの真っ直ぐな紅い瞳が重なる

私はカヲルに縫い付けられた



「アスカはアスカだけだったから、そう尋ねるんだね?」



言葉が足りないくせに、全てを分かっている、それが伝わる

それはくやしいような気もするけれど、このヒトの瞳は私を素直にさせてくれる


「そうよ」


頷く私に、カヲルは一つ瞼を閉じる


「そして僕が僕だからこそ、そう尋ねるんだね?」


言葉が曖昧なくせに、全てを知っている、それが伝わる

それはずるいような気もするけれど、このヒトから伝わるぬくもりは、私を優しく包んで離さないでいてくれる



「ええ、そうよっ!」


カヲルはまた一つ瞼を閉じ、大きく息を整えた

私は笑われるのかもしれないと思った、いつものように

そしてカヲルらしい言葉で聞かせてくれるんだと何処かで思っている自分もいた

でも私が引き出したのは、私が望む通りのもっともっと深くて大きなものだった

ゆっくりカヲルは瞼を開く

紅い瞳が、いままでよりもずっと強い瞳が、私を捕まえる

私の心はそれに跳ねた

それは怖いほどまでに綺麗な紅い瞳だった

そして氷海を割るようにカヲルの口唇が開く


「人は自分が全てなんだよ」

「えっ?」


割ったはずなのに、凍てつくように凛とした答えが私の中に氷を張る

カヲルはそれをわかっているはずなのに、同じ色と温度とで紡ぎ続ける


「人は何処までも利己的だ

 自分自身のことなら何処までも愛せる

 群体であるリリンがそうなら、単体である使徒は尚更だ

 自らが全ての使徒は自らを愛してやまない

 極々自然で単純明快な話だ」


憂いも諦感も迷いも揺れもない、力強くも弱々しくもない、ただただ芯をもった言葉が私に刺さる

カヲルの握る掌は私の指を折りはしない、けれどそれは鋼の枷に固められたように動かない気がした

カヲルの言うことは厳然たる事実そのものだったし、私が歩んできた道の一部だったし、カヲルが歩んできた道の一部でもある

でもそれは、質問以前の代えがたく揺り動かしがたい事実と歴史に過ぎないはずだ

今と、私が理解したいものとは離れている、そう思うのに何故そんなことを言うのだろう


「それって、どういう……」


私の問いが凍えたように思ったのは気のせいだろうか

氷が私の中心に根を降ろして葉脈のように覆って行く気がした

でも、そんな心の状態から出た私の声を半ば遮って、カヲルの言葉が私の中心を打った


「君は僕だ、僕は君だ

 欠けた心を重ね合わせ、互いに溶かし合い、交わし合った

 僕と君は二人で一体、一体で二人の使徒だ

 リリンとタブリスではなく、惣流アスカと渚カヲルという存在の

 そうであるなら、僕が君を、自分自身のように愛することに、何の不思議があるというんだい?」



それは力強い言葉だった

私の中に急速に広がっていった氷海を一撃で粉々にするほどまでに

そしてカヲルの瞳が、真摯で怖いまでに綺麗な紅い瞳が、私を捕まえて離さない

炎熱のような瞳に射抜かれて、私の中で砕けた氷が一瞬で蒸発する

喉が涸れる

絡ませる指から熱が伝わり、頬と耳に朱が走る音が聞こえる


ああ、そうか、そういうことか

理解できる理由、孤独に生まれ、選び、生きたからこそ、分かるものなのかもしれない

私にだから、カヲルにだから、互いに理解できる、愛する理由

そして最大限のものだと思う

交わしあったものの、溶かしあったものの、重みと大切さとを想う


あの時、全てが終わってしまおうとした時

天と地、白と黒の月の狭間で、カヲルは私を呑み込んだ

私はカヲルを呑み込んだ

私たちは私の意志とカヲルの意志で一つになった

存在意義を互いに交わして、そこに生きる意味を互いのものに付して、一緒に生きていこうと選択した

カヲルは私だ

私はカヲルだ

それがそのまま意味だったんだ

それが理由だったんだ

それなら、そうであるなら、私がカヲルを愛することに、カヲルが私を愛してくれることに、何の不思議も見い出しはしない


「……カヲル」


その想いに、込み上げるものに、溢れて止まないものに衝き動かされて私はカヲルに抱きつこうとした





「でもね、アスカ」


声がすぐ目の前で聞こえた

そんな私にカヲルのほうが近づいていたのだ

一瞬のことだった

前髪が触れあうほど、吐息を感じるほど、視界いっぱいに紅を埋めるほどにカヲルがすぐ側にいる

そしてその雰囲気は優しく柔らかかった

厳然に平坦でも、打ち砕くように力強くもなく

氷を張らせるように冷たくも、砕けたそれを蒸発させるように熱くもなく

どこまでも暖かくて優しいアルカイックスマイルを浮かべる


「これは分かりやすい理由でしかないんだよ」


そしてその時初めて、磐石に動かなかったその紅い瞳が歓喜の色に揺れる

その色に私は総毛立った

それは恐怖でも驚嘆でもない

カヲルの中にあるものが私に伝染する


「いまは、さらにずっと大きいんだ

 君と一緒に生きれば生きるほど、僕の欠けた心に填まり込む君の心が大きくなるのを知る

 それは自らの心の領域の限界を超えるほどまでに

 今は、自己愛以上に、自分自身以上に君が愛しくてたまらない

 僕の全てを君にかけても、なんら構わないほどに

 それは日に日に大きくなるんだ」


私は目を見開いてカヲルを見つめた

カヲルは私のその青い眸を刻むように幾許が見つめてから瞼を閉じ、天井を仰ぐ

そして、私とカヲルが存在する世界を呑み込むように味わうように息をした


「不思議だね

 これが使徒を超えた、群体を選んだリリンの本当の力なのかもしれない

 使徒としての行き着く先を一歩踏み越えた形なのかもしれない」


そう呟くように刻んでから、カヲルは私のところに戻ってくる

そして、カヲルの紅い瞳が私を見つめた

呑み込むように綺麗な紅に青が溶ける


「だから――

 僕が君を愛してやまないことに、何の不思議があるというんだい?」


「っ――!!」


カヲルの欠けた心の歓喜が私に共振し、私の心の奥深いところが震えた

このバカは!

私の心を呑み尽くしてもまだ足りずに、そんな言葉までっ!

もはや卑怯だ

その意味が理解できてもできなくても

でも、卑怯でもずるくても、カヲルはそれを遥かに上回るものをくれている


「ば、バカじゃないのカヲル!

 でも、でも、それで、カヲルはいいの?

 私だっておんなじバカだけど

 それでも、自分を超えてまで差し出して、カヲルはいいの?」

「君が僕を愛してくれてるのを、僕はよく感じているし、この欠けた心から伝わってくるものを知っている

 君が、君以上に僕を愛してくれるなら、何もなかった僕には、それ以上のものはない」


汝、隣人を自らの如く愛せ

それなら、私にも理解できるような気がする

孤独で自分しかなかった私は、私しか愛せなかった私は、それなら理由とできる

でも、カヲルが打ち立てた愛は、私の孤独の範疇を遥かに超えるものだった

でも、欠けた心は、それを知っている

私とカヲルが互いに交わし合い、溶かし合った存在意義は、私とカヲルを一体にする

だから、カヲルが感じているその意義は、私のものでもある

伝染する、共振する、自らに触れれば、欠けた心を抱き締めれば、理として理解できなくても、それを知ることができる

そして共有するからこそ、与えられれば、与えることもできるんだ

自分の欠けた心を超えた心を

そして、触れれば知っていたんだ

カヲルと同じように、私の欠けた心の中でも、カヲルへの想いが自らを超えていることに


くっと口唇を噛んで、自分の胸に手をあててカヲルの心の欠片を抱き締める

それからアスカはカヲルの胸に掌を置いた


「受け取んなさいよ」


カヲルは私の手を掴んで引き寄せる

私はそのまま彼に寄りかかり、すがりつき、そして私の意志でカヲルを抱き締めた


「受け取んなさいよ、カヲル

 アタシも、アンタから貰ってあげるから」

「アスカ」


私が差し出した心に、カヲルが答えるように、受けとるように、私を優しく包み込み、そして頷いた

互いの首筋に頬を埋めて、回した腕に力を込めて

欠けた心を重ね合わせる



私は、他人を愛するということが、その理由が、その意味が、よく分からなかった

自分自身のように愛すること、それもまた一つの答えなのかもしれない

孤独で孤高で自分だけだったからこそ、そして互いにその欠けた心を交わし合い溶かし合ったからこそ、それは私たちにとって分かりやすい

でもそれ以上のものを私たちは持っているんだ

それは、いまだによくわからないほど大きくて、理解できないほど深い

けれど、重ね合わせれば知ることができる

与え合うことができる、受け取り合うことができる

だから、いまのままでいいんだ

だから、このままでいいんだ

二人でいるなら

二人で一つなら

二人で歩いていくのなら



だって――



『 We love us, “OverRide” oneself. 』






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