この春、二人は大学を卒業した。
碇シンジ22歳。
綾波レイ21歳。
薄紅色の花びらが色彩の主役となるこの季節に。
誰もが自らの輝ける未来を信じて旅立つこの季節に。
大人への一歩を踏み出していく。
大空を旅する鳥が渡りをするように、自らの翼で人生という虚空に飛び立つ。
夢だけで生きていける程子供でもなく。
現実に擦り切れる程大人でもなく。
不安定な自分の足下を確かめつつ歩み出す。
若駒の喜びと、雛鳥の不安と。
それは「チルドレン」と呼ばれた彼らにも同じように。
「もう一つの翼」〜比翼の鳥〜
綾波レイ誕生日記念
シンジはそっと家の扉を閉め、鍵を掛けた。
その胸には一つの決意を抱いて。
自分たちが大人の庇護の元を離れたその時、伝えようと思っていたこと。
しばらく前からずっと考えていた。
心易い友人でもなく、エヴァのパイロットという絆でもなく。
未来永劫に二人を繋ぎ止める言葉を。
2022年3月30日。
綾波レイ、と言う少女の、22歳の誕生日。
トーキョー・スリー・モール。
第三新東京市を拠点とする巨大なアミューズメント・パーク。
娯楽施設、デパート、色々な物を揃えた総合施設である。
シンジとレイはその建物の前、待ち合わせのメッカとなっている所で落ち合う約束をしていた。
シンボルは月とそれを支える女神の像。
天に向けて両手を大きく広げ、その力で月を包み込むように。
誰が考えたのかは知らないが、もしかしたら感受性の強い人間が何かを感じ取り、それをカタチにしたのかも知れない。
ともかく、この像の前は若者達に支持されて賑やかな場所となっていた。
早足で目的地を目指すシンジ。
普段なら遅れることなど無いのだが、今日に限って目覚まし時計が壊れてしまっていて、余裕を持って起きるはずが時間超過もいい所である。
不幸な出来事ではあるが、今日に限ってはそんな笑い事では済ませられない。
なぜならシンジから今日の待ち合わせ場所を指定してデートに誘ったのだから。
「あっ、やっぱりもう来てる・・・」
小さく呟いて、走り出す。
遠目からでも一目でわかる、特徴的な蒼い髪。
なによりシンジがレイを見間違えるはずもない。
その髪が揺らめき、頭上を見上げる。時計を確認したらしい。
もう約束の時間は30分過ぎている。
とにかく急がなくては。
「綾波、ごめんっ」
開口一番謝罪の言葉を口にする。
「言い訳はしないよ、ホントにごめん」
レイはプイッと顔を背けたままほっぺたを膨らませて呟く。
「・・・遅い・・・30分の遅刻・・・」
言い訳するなんて男らしくもないし、ひたすら頭を下げて許して貰おうと思ったその時。
小さな声でレイが呟いた。
「クレープ」
「え?」
「クレープで許してあげる。碇くんが理由もなく遅れるはずはないから」
どうやら本気で機嫌を損ねていたと言うわけでもないらしい。
レイが本気で怒ったらしばらく口も聞いて貰えないのだから、シンジにとってはまさに僥倖と言えよう。
ホッと胸をなで下ろし、それぐらいお安いご用だよ、と請け合い、彼女の手を取る。
二度と来ない一日一日を、無駄に過ごしたくないのは二人とも同じ。
そして今日は特別な日。
傍らに立つ少女の祝福されるべき一日。
これから夕方まで、この施設で楽しい時間を過ごす予定なのだから。
私は何度目かの時計を見上げる動作をした。
彼が理由もなく遅れるような人ではないことは今までの付き合いからよく判ってはいる。
だけどこぼれるため息は止められるものでもなく。
はぁ・・・
別に怒ってない・・・けどちょっぴり恨めしく思ってもしかたないわよね・・・
何度も声を掛けてくる、ナンパ・・・とか言うものの相手をするのも苦痛だし。
ふと悪戯心が芽生える。
私はその考えに満足し、くすりと微笑む。
「綾波、ごめんっ」
待ちわびた彼の声が聞こえたのはその時。
私は顔を見られないようにそっぽを向いて、わざとほっぺたを膨らませてみせる。
文句を付けてはみせるけれど、もとより本気で怒ってるわけでもない。
頭を下げて必死になってる碇くんはとても可愛い。
第一弾はここで収めてあげる。
「クレープで許してあげる」
そんな仲直りの言葉。
どちらからともなく手を取り合い、中に向けて歩き出す。
いつ頃からかしら・・・こうして手を自然に繋げるようになったのは・・・・・
時刻は11時半。早めの昼食を軽く取り、ブティックに向かう。
今日は誕生日プレゼントで、レイの好きな物を買ってあげることになっているのだ。
レイの「ちょっとあっち見てくる」と言う言葉に、シンジはワンピース売り場に一人残って見るともなく眺めた。
何組かのカップルが楽しそうに服を選んでいる。
やや手持ちぶさたも手伝って、自分も手にとって眺めてみることにする。
これは綾波に似合いそうだな・・・
こっちのは色合いがすごく良いな・・・
これ着た姿は絶対可愛いよな・・・
最終的には綾波が決めるにしても、良さそうな物を見繕っておくのもいいかも知れない。
あれやこれやと手に取ってみながら、頭の中の彼女を着せ替えてみる。
うーん、やっぱり綾波には清楚な白とか淡色系の服がすごくマッチするよな・・・
そんなことを考えながら、一枚の白基調のワンピースを手に取る。
肘丈の袖の折り返しと襟の折り返しが淡いピンクのアクセントになっているヤツだ。
これなんか良いな・・・シンプルだけど可愛らしくて・・・
そんなことを考えていつの間にか熱心に選んでいると、ポンポンと肩を叩かれた。
思わず振り返ると、ほっぺたにぷにっとした感触。
「あはは、引っかかった」
・・・楽しそうなレイの顔を見て脱力する。
小学生みたいだ、とは口にせず、代わりに綾波のほっぺたを掴んでむにむにと弄んでやる。
「ひひょい、ひょっとひゃめへよ」
ぱっと手を放し、上目遣いに睨む綾波の顔を見つめる。
ホントに拗ねたような表情も魅力的だなぁ、としみじみ思う。
「で、何か欲しいのは見つかった?」
「ええ、見つかったわ。こっちはおまけみたいな物だけど」
綾波が悪戯っぽく微笑む。
あ・・・これはなんかヤバイ予感がする。こういう時は絶対何か裏がある。
「これなんだけど」
そう言って、シンジの目の前に差し出したモノは・・・
「うわっわわわっ」
シンジは素っ頓狂な声をそっぽを向いた。
レイはプッっと頬を膨らませて。
「ねえ、ちゃんと見てよ。私に似合うと思う?」
そう言いながら、ご丁寧に両手の人差し指でびよんびよんと伸び縮みさせて見せる。
それはごく淡いグリーンの下着だった。
清潔感のあるそれは大人の女性、と言う雰囲気ではないけれど、それを身につけた綾波はきっと一層可憐さが増して・・・・・・
ソコまで想像が飛躍しかけた所でシンジはぶるぶると首を振る。
危なく鼻血を吹く所まで妄想してしまうのを咄嗟に思考を切り替えて。
「う・・・うん・・・綾波ならきっと似合うよ・・・・・・」
ぼそぼそと小声で答える。
「なぁに? 聞こえないわ」
ううっ、どうやら機嫌が直ったと思ったのは早計だったらしい。
「その・・・綾波にはきっとすごく似合うと思うよ・・・」
「ありがとう・・・」
メガトン級のはにかんだ笑顔をシンジに炸裂させて、すっかりご機嫌になったようだ。
彼の手を取って、スカート売り場に移動する。
色々と品定めしている最中も、片時もその手を放そうとはしない。
・・・・・・
繋いだ手のひらからは、小さくて柔らかくて、暖かな気持ちの良い感触が伝わってくる。
壊さないように強すぎず、不安にさせないように弱すぎず、穏やかに包み込む。
・・・片手で探すのって大変じゃないのかなぁ・・・?
そんなことを考えながら、レイの真剣な横顔を眺めて。
結局、薄い紫のスカートと黒のブラウス、そしてさっきの下着をセットで買うことになった。
だけど何故なんだろう・・・・・時々綾波の顔に翳りのようなモノを感じるのは・・・・・・
気に入った物があったのでそれを手に取り、碇くんの所へと戻る。
どうやら彼は一心にワンピースを見ているみたい。
白にピンクのアクセントのワンピースが気に入ったらしい。
でもごめんね、そういうのも好きだけど、今日はシックなのにしようと決めてるの・・・。
彼の後ろにそっと近づき、とんとんと肩を叩く。
振り向いた彼のほっぺたには私の人差し指。
唖然とした碇くんの顔。
くすくすと自然に笑みがこぼれてくる。
と、碇くんの両手が私のほっぺたを摘んだ。ふにふにと遊ばれる。
「ひひょい、ひょっとひゃめへよ」
抗議の声を上げると放してくれたけど、彼はじっと私の顔を見つめて。
そんな見つめられるとちょっと恥ずかしい・・・・
「で、何か欲しいのは見つかった?」
問いかけの声に、私は悪戯っぽく微笑んで返す。
「これなんだけど」
そういって、わざとらしく彼の目の前で伸ばしてみせる。
「うわっわわわっ」
素っ頓狂な声を上げてそっぽを向いてしまう。碇くんってこういう所はいつまで経ってもウブなのよね・・・
だからこそもっと意地悪したくなる。
わざとらしく頬を膨らませて追いつめる。もしかして、ネズミを追いつめる猫の心境?
「ねえ、ちゃんと見てよ。私に似合うと思う?」
ぼそぼそと小声で返事をしてくれたけど、聞こえない振り。
「なぁに? 聞こえないわ」
「その・・・綾波にはきっとすごく似合うと思うよ・・・」
ううっ、希望通りの返事を聞けたのはすごく嬉しいけど、自分でも何故か判らない程にどぎまぎして。
「ありがとう・・・」
照れくさくて、それを隠すために彼の手を取ってスカート売り場に移動する。
今日からはシックな出で立ちと可憐な姿の両面で彼を捕らえて放さない予定なの。
しなやかそうでいて、見た目よりしっかりとした碇くんの手のひらを感じながら気に入ったモノを探すのは、すごく素敵な事。
何枚もスカートを手にとっては戻し・・・
目にとまったのは、薄い紫のスカート。
そうね・・・これに黒のブラウスなんてどうかしら・・・?
頭の中でざっとシミュレーションしてみる。・・・悪くない。
次に逢う時にはこの組み合わせにしよう・・・・・・
碇くんが驚き、照れ、はにかんだような笑顔を見せるのが今から想像できてしまう。
誰よりも大事な人。この8年もの間積み重ねられた時間は、それ以前の14年に比べてどれだけ輝いている事か。
何もかも、彼の存在があったからこそ。
そしてそれほどまでに大きくなっている心の中の碇くんをそっと抱きしめてみた。
それだけで頬がカッと熱くなるのが自覚できる。
もしもいつか遠くに離れても、二度と出会う事が出来なくなっても。
私はきっとこの思い出を胸に生きていける・・・
この大事な時間が、どうかいつまでも続きますように・・・・・・
・・・だけど私はその時何をしているのかしら・・・・・・?
自分の将来の姿が見えない事がとてももどかしい・・・・・・
レイは上機嫌の様子を見せている。
これは別にシンジにだけ判る、と言う変化ではなく、放つ雰囲気がとても柔らかいのだ。
8年の歳月は、綾波レイという少女をしてこれほどの変化をもたらす程に。
大人と少女の狭間、と言うのだろうか。
今だけしかあり得ない微妙な光彩を放つ、魔法の時間。
テラスを歩きながら、そっと綾波の顔を盗み見る。
傾きかけた陽に染まり、ほんのりと朱色の横顔。
ほとんど化粧の必要がない綺麗な肌と、薄く引いたルージュ。
誰にも譲れない。綾波の隣の場所だけは。
屋上のラウンジに座り、紅茶とサンドイッチを二つ注文する。
硝子張りの窓際の席から振り返れば、夕暮れに暮れなずむ街の佇まいが見える。
このまま時が止まればいいのに!
もちろんそんな事はあり得ないことは判ってる。
だけど、穏やかに自分たちを包むこの時間は、ひどく幸せに思えて。
・・・・・・時々綾波の顔をすり抜けていく翳りを除けば。
注文した品が運ばれてくる。
二人はティーカップを軽くチン、と合わせて。
「綾波・・・誕生日おめでとう。今日は楽しんでもらえた?」
「ええ・・・とても楽しかった・・・今日は本当にありがとう・・・」
だけど、そんな綾波の言葉すら、何故か痛々しく聞こえて。
続く言葉がシンジの感性が正しかったことを告げる。
「これからもこうやって生きていけるのかしら・・・・・・」
「エヴァに乗らなくなって8年・・・・・・」
「ネルフにとって必要の無くなった私は、何をしていいのか判らない・・・・・・」
「みんな、ヒカリもアスカも自分の進むべき道を見つけているのに・・・・・・」
「私だけが取り残されていく・・・・・・」
「昔はそんな事考えなくても良かったのに、今はそれがとても怖い・・・・・・」
我知らず、シンジは両手を伸ばしていた。
「誓うよ、綾波・・・」
そっとレイの頬を両手で包み込み、深紅の瞳を覗き込む。
「ボクが君のもう一つの翼になる」
はっ、とレイの双眸が大きく見開かれる。
呼吸することすら忘れて。
僅か10cm先の黒曜石の瞳には、まごうことなき自分の姿。
「二人で一対、とても立派な姿とは言えないかも知れないけれど・・・」
「きっとお互いがいれば、どこでだって生きていけるよ」
「だから泣かないで・・・」
「・・・私は泣いてなんか・・・」
「ボクにはそう見えたんだ・・・・・・」
「何のために、誰のために生きていていくのか、って・・・苦しんでたように見えた・・・だから・・・」
言葉をそこで一度切って。
「ボクの生きていく意味は綾波レイ、君の幸せなんだ・・・」
頬を包んだ手をゆっくりと背中にずらしていく。
それに呼応するように、レイの身体はシンジへと傾き、体重が預けられていく。
「私はこれからも側にいていいの・・・・・・?」
啜り泣くような声でレイが問う。
同じように背中に回した手に、かすかに力を込めて。
「当たり前じゃないか・・・綾波はもう幸せになっていいんだ・・・」
「使徒もいない。ネルフも僕達は必要ない。残ってるのは人としての幸せを求めることだけだよ」
「だから、ボクと一緒に・・・・・・」
「二人で力を合わせて、二人の翼で、二人だからこそ見つけられる幸せを探そうよ・・・・・・」
「うん・・・・・・うんっ!!」
レイは幾度も頷いて。
「私が碇くんのもう一つの翼になる。・・・・・・なってもいいのね・・・・・・」
そう呟くと、力の限りシンジを抱きしめ、胸に顔を埋めた。
レイの顔が、輝く宝石を溶かしたような涙と、透き通るような微笑みに彩られていく。
彼女の胸は純粋な喜びに満たされて。
誰よりも大事な人の片翼となれる事が、その人から望まれているのだから。
これ以上の喜びが他にあるだろうか?
しばらくして、彼の手が束縛する力を失い、私は至福の時間が過ぎ去ったことを知る。
「綾波・・・これを受け取ってくれる?」
彼はごそごそとポケットから何かを取り出し、私に差し出す。
「ありがとう・・・・・・今開けてもいいの?」
それは疑問ではなく、確認。彼が今までそれを否と言ったことはないのだから。
果たして、彼は首肯することで私を促す。
美しくラッピングされたそれを、丁寧に開けていく。
現れたのは、一目でわかる指輪の入れ物。
おそるおそる彼の顔を見上げる。
「・・・これは・・・?」
「気にしないで、開けてみて?」
そこにはいつも通りの優しい眼差し。
震える手で蓋を開ける。
現れたのは、二つの指輪。
うっすらと銀色の輝きを放ちながら。
・・・・・・しばらく見つめて、私は勘違いしていた事に気付く。
二つ、なんじゃない。一対なのね・・・・・・
羽ばたくように、大気を掴むかのように大きく伸ばされた翼。
驚く程細かい意匠で片翼ずつ刻まれたそれは。
さっきの碇くんの言葉とオーバーラップして。
うまく表現できない、こみ上げてくる衝動に胸が痛くなる。
かろうじて絞り出した声は、か細く震え。
「これを・・・・・受け取っていいの・・・・・・?」
「ペアリング・・・・・・僕と綾波の絆になるかと思って」
きりきりと胸を締め付けてくる衝動。たった一人で思い悩んでいたことの愚かさを知る。
私にはこの人がいる!!
そんなことすら見落としていたことが情けなく。でもそれ以上に必要とされていることが嬉しくて。
震えの止まらない手で、やや大きめのリングをそっと手に取る。
ゆっくりと碇くんの左手の薬指にはめていく。
それは神聖なる儀式にも似て。
官能的な気分に支配されながらその行為を終える。
はあぁぁ・・・・・・
思いもかけない程の熱い吐息が漏れる。
そして儀式は折り返す。
残った方の指輪を碇くんが手に取るのを、多分上気しているであろう眼差しで見つめる。
彼のしなやかな指が私の手に触れた瞬間、それは快感すら伴って。
ゆっくりと私の指にリングがはめられていく。
碇くんと一つになっていく、そんな感覚。
そのまま彼の左手を取り、指を絡ませる。
「やっと・・・碇くんと一つになれた気がする・・・・・・」
「8年前の私からずっと今まで思い続けてきたことが」
もうそれ以上は言葉にならなかった。
私はただただ彼の首に右手を巻き付けて、言葉の代わりに抱擁で溢れる喜びを彼に伝えた。
愛する人と共に歩んでいける、これ以上の幸せはないと思えるから・・・・・・
比翼の鳥。その起源の古い言葉を二人が知っていたどうかは判らない。
だがその様は、まさに伝承にある姿そのものだった。
クロミツさんの「誕生日記念を書いてます」宣言に触発され、某お方に請求されて後押しされて書いたモノです。
しかし、何故私は甘甘なのが書けないのか、と一人苦悶してたりしました。
だれかゲロ甘SSの書き方を伝授してください。
では、またいつか、お会いできるといいですね。
あいだ
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