ゼーレの補完計画は失敗に終わったがサードインパクトは起きた。
しかし予想されたものよりかなり小規模で、赤い海に溶けたのはゼーレだけだった。
その後、碇ユイは初号機からサルベージされ、またアスカの母であるキョウコの魂も弐号機からサルベージされ保管されてあった肉体と融合した。
シンジは泣いて謝る母、その傍らに居る父を見て、一緒に暮らすことを決めた。アスカも母と暮らすことを選んだ。
使徒は全て消え去ったがネルフは存続した。ネルフの技術者たちはみな優れており世界が彼らを必要としたからだった。
タブリスこと渚カヲルは生きており、現在冬月と一緒に暮らしている。
加持リョウジもまた生きており、変わらず諜報員として活躍している。
綾波レイはユイから一緒に暮らさないかと誘われたが赤木リツコを選んだ。どういう形にせよ自分をここまで成長させてきたので一緒に居たいと思ったようだ。
少し肌寒くなってきつつある秋。
食卓に美味しそうな料理が並んでおり、ゲンドウの隣にユイ、向かい合わせにシンジが座る。
シンジは前よりも積極的に会話をし、この家族を早く本物にしたいと思っている。
ユイはそんな息子の話を嬉しそうに聞く。
ゲンドウは口数こそ少ないが自分のほうもシンジへ積極的に接していきたいと思っている。
今日もシンジのほうから話題を出した。
「母さん、今日さ学校でプリントもらったんだけど」
「なにかしら?」
シンジは嬉しそうにそれをユイに見せる。ユイはプリントに目を通す。
そこには<体育祭の知らせ>と記載されていた。
なぜ、自分に渡さないのかとゲンドウは思ったが、しかたなく食事を口にしながら右目のみをプリントに集中させた。
ある意味カメレオンだった。
「それで、どうかなって思って」
口は笑っているが無言でプリントを見つめているユイにシンジが期待をこめた言い方をする。当然、来て欲しい。
「もちろん行くわよ。ねっあなた」
ユイは左隣に居るゲンドウを見た。
その顔は笑っていたが「その日は結婚記念日で私と一日デートの約束をしていたはず」というゲンドウの切実なる願いを拒否する顔もしていた。
「フッ問題ない」
男の背中が泣いていた。せっかくこの日のために最高のプランを用意したのに。
シンジお前には失望した。だが口に出すことは出来なかった。
「どうせなら冬月先生や葛城さんたちも誘っていきましょう。大勢のほうが楽しいと思うわ」
久しくミサトたちと会っていなかったシンジ。会ったら会ったでうるさいのだが楽しいことには変わりない。シンジは首を縦に振る。
「ありがとう母さん、それに父さんも」
シンジは心から感謝した。本当に家族っていいもんだな。ユイは優しい笑みを浮かべた。
「問題ない」
人から感謝されることに慣れていないゲンドウは昔のニヤリという笑いをした。
これでいいのか?まあ結婚記念日のことは多めに見てやる。
父さん、その笑い方なおらないかな?シンジは複雑な心境。
「あさってみたいだから明日にでも冬月先生たちに知らせないといけないわ」
「そうだな」
楽しい家族団らんのひと時が終わり、ユイは食器を洗う。シンジとゲンドウはリビングでくつろぐ。
特に会話の無い二人。
気まずいかな、シンジは思う。
「シンジ」
「な、何?父さん」
ソファーに腰掛け向かい合っているゲンドウが話しかける。
「最近、学校はどうだ?」
どうやら学校生活のことを聞いている。
父さんが僕の学校生活のことに興味を持ってくれるなんて、シンジは心の中で涙を流した。
「うん、楽しいよ、友達もいるし。今は体育祭準備でみんなと協力しながらがんばってるけど」
自分が心から思っていることを話す。
「そうか。」
ゲンドウはサングラスを上げ、ニヤッとする。
ゾクッ、なんだよ、父さん。少し寒気がした。
「レイはどうしている?」
「えっ綾波?綾波は別に普通だけど」
レイは性格が少しではあるが変わってきている。
前までは挨拶などをしたことがなかったが今では挨拶を返すようになった。
自分の意見を積極的とはいわないが言うようになってきた。
アスカとも仲が良くなってきている。
アスカは「ファースト」ではなく「レイ」と呼ぶようになった。
同居しているリツコとも仲はいいようだ。
「リツコ君がユイに言っていた」
「リツコさん何か言ってた?」
レイの事になると何故か知りたくなるシンジ。やっぱり僕、綾波のことが気になるのかな?
「シンジが最近、冷たいと言っていたが」
「えっ、そんなこと無いと思うけど」
綾波とは普通に接しているつもりなんだけどな。
確かに前まではよく一緒に帰ったり、僕の家で話したりはしてたけど最近は体育祭の準備が忙しくて。
綾波とは出場する種目がけっこう違うから練習も一緒じゃないし。
「シンジ、女性には優しくしておくんだな。でなければ私のようにもてないぞ」
「わかったよ。」
父さんって一緒に暮らしてから分かったんだけど、うぬぼれ屋なのかな?
でも母さんって僕から見ても美人だし、父さんの言葉にも一理ある。
明日から一緒に登校してみよっかな。でも僕、朝は弱いし。
「シンジ、お風呂沸いたから入りなさい」
ユイが呼ぶまでシンジの脳はレイに明日からどう接していくかという作戦会議がされていた。
ミサトさんがいればなぁ、今はいない作戦部長を思い浮かべた。
まぁ明日になってから考えればいいや。
「シンジ、いつまで寝てんの、はやく起きろ」
亜麻色の髪をした子が遠くから呼んでいる。
眠い。
「あと5分寝かせて・・・・・・・・アスカ」
無邪気な寝顔。
男のクセに可愛いわね。
このままでもいいかなと思う。
でもこのままでは遅刻をしてしまう。
先ほどとは打って変わって可愛らしい声を出す。
「起きてシ・ン・ジ」
「うるさいなぁ」
少し少女の眉が上がる。
大きく息を吸って
「起きろっていってんでしょ」
キッチンではユイが朝食を作り終え息子を待つ、ゲンドウは新聞を読んでいる。
「あらあら今日は一段とすごいわね」
嬉しそうにつぶやく。
「そうだな」
シンジ早く起きて来い。私はユイの朝食が早く食べたいんだ。
心の中は朝食のことで一杯であった。しばらくした後、奥のほうから慌しい音が聞こえる。
「母さん、父さん、遅刻しそうだから行って来るよ」
少し寝癖がついていた。
やれやれ、もう少し早く起きてくれたら一緒に食事を取れるのに。
ユイは少し残念に思った。
「いってらっしゃいシンジ、アスカちゃん」
玄関まで見送りにいき、優しい笑みを浮かべ息子とアスカを送り出す。
「いってきます、おばさま」
「いってきます」
慌しく二人は駆けていった。
キッチンに戻りふとゲンドウをみると箸を持ったままの状態で止まっている。
新聞はすでに読んでいない、何も言わないゲンドウの瞳から朝食が欲しいという光が漏れていた。
「はいはい、今出しますから」
苦笑してユイたちは遅めの朝食を取った。
「今日もなんとかセーフだったね」
教室に入る。肩で息をしていると思いきや意外となんとも無い二人。
伊達に毎日遅刻と戦っているわけではない。
「まったくアンタね、もう少し早く起きなさいよ」
わざとらしく息を吐き、シンジに指を差す。
教室の時計は8時20分を指していた。
今日は10分ほど余裕ができた。
「ゴメン、なるべく早く起きるようにしたいけど」
前まではミサトとアスカの為に弁当や朝食をつくっていたシンジだったがユイと一緒に生活することになってから家事全般はユイに任せきりになってしまった。
それ故、もともと朝に弱いシンジはたちまち寝坊するようになってしまった。
「まぁいいわ。このアタシに起こされることを光栄に思いなさい」
「あははっ、そうだね」
傍から見ればけっこういい雰囲気だが、トウジやケンスケはいつものことだと思っている。
碇君。
窓際の席にいるレイはそんな二人を羨ましく思い見つめていた。
アスカは言いたいことがあればすぐに言うことができる。
でも私はダメ。
碇君に嫌われてしまうかもしれない。
碇君と一緒にいたい。
碇君と話がしたい。
この気持ちは私の願い。
アスカと話をしている碇君は嫌い。
アスカと笑っている碇君は嫌い。
胸がズキッとする。
この気持ちは嫉妬。
昨日リツコさんから聞いた。
私、どうすればいいの?
明日は体育祭。
碇君と私はほとんど種目が違う。
一緒なのは一回だけ
何処までも青い空を見つめため息をつく。
始業のベルまであと5分と言う時にシンジはレイの存在に気づく。
シンジの席はレイの隣、席に腰掛け、カバンを置く。
「あっ綾波、おはよう」
爽やかに挨拶をする。
ドキッ
あっさっきとは違う。
「おはよう」
少し顔を伏せて返事を返す。
少し顔が熱い、たぶん赤くなってる。
赤くなってる顔を碇君に見せるのはイヤ。
「あっあの・・・あのさ綾波」
「なに?」
その時ちょうど始業のベルが鳴った。
ネルフが管理する第壱中学校は他とは違うところがある。
それは臨時教師制度。理科は赤木リツコが担当していた。しかしネルフに予定が無い時だけだったが。今日はリツコが担当していた。
リツコさんの授業ってちょっと固いけどタメになるよなぁ
それはシンジのみならず誰もが思っていることだった。ノートパソコンで授業を受けるシンジはそう思っていた。
ふと見ると誰かからメールが届いている
誰だろう?
学校の制御室に置いてあるMAGIによって管理されているこのパソコンにウイルス付メールやスパムメールは送られてこない
安心して開くとアスカからだった。
<今日、一緒に帰ろう>
リツコに分からない程度にちょっと後ろを見るとアスカが小さく手を振っていた。
シンジは少し悩んだあと返信した。
<アスカ、今日は司会の練習の日じゃなかったっけ?ほら種目の>
シンジ流のやんわりとした断りのメールだった。
返信は一瞬で来た。
<い・い・か・ら>
気のせいであって欲しいのだが文字サイズが通常の3倍ほどになっていた。
そして何やら後ろから禍々しいオーラを感じる。
後ろを振り向くことが出来ないシンジは右隣を見た。
シンジの右隣に居る女子の目が潤んでいる。
某人気格闘ゲームから拝借するとまさしく【殺意の波動】
シンジは身震いしながらキーボードを押し間違えないようにし、返信した。
<わかったよ。待ってるから>
<少し時間がかかるけど待っててね>
返信と同時【殺意の波動】が消えた。
後ろの席から安堵の声が聞こえる。
助かった。生きてる。
シンジの顔がほころぶ。
レイは授業中ずっとシンジの顔を見ていた。
碇君、誰とメールしてたの。
なぜそんなに嬉しそうな顔をするの。
私も碇君とメールしたい。
その思いは口から出ることはなかった。
教壇に立つリツコのパソコンに映し出される生徒のメール。内容こそ確認はしなかったが送信者と受信者の名前は見えた。
まったくシンジ君とアスカは、授業中はメール禁止って言っておいたはずなんだけど、レイはずっとシンジ君のほうばかり見てるし、先生っていうのも案外大変なものね。
午前の授業が終わり昼休憩、トウジとケンスケは食パンを買いに売店へ。
レイはリツコの弁当、アスカはキョウコの弁当、ヒカリは自分が作った弁当を持って屋上へ向かった。
アスカとレイが仲良くなってからレイたち3人は一緒に食事を取るようにしていた。
「やっぱり晴れてると気持ちいい」
空を見上げるアスカ。
青い空が何処までも続いていた。
きっと明日も晴れてくれる。
レイたちはいつもの場所に座った。何気ない女の子たちの会話が始まった。
ほとんど話題を振るのはアスカやヒカリでレイはそれに相槌を打っている。
これが普通。これが3人で居る時の普通だから。
話は明日の体育祭のことになった。
「そういえばレイは徒競走にでるんだったわね。」
二人よりも早く弁当を空にしたアスカ。食欲が満たされて満足したのか、すこし寝転ぶ。
「ええ、他にもあるけど、アスカは何にでるの?」
「私は、玉入れとリレーと二人三脚、あとは司会の仕事があるから」
「そう」
私は碇君と全部の種目が一緒だったら良かった。
本音。
二人の会話を聞いていたヒカリは弁当を置いた。
「アスカ、二人三脚の練習はどう?息は合ってるの?」
アスカの性格を良く知っているヒカリは心配そうだ。
アスカったら少し短気なところがあるから大丈夫かしら。
「大丈夫よ、だってシンジがペアだから。」
自信満々に応える。
ユニゾンのときのようにすれば私たちがブッチギリで勝つに決まってるわ。
シンジと聞いて少しレイの肩が揺れた。
そう、碇君はアスカと一緒なのね。
二人三脚。
二人の息を合わせる競技。
私がやりたかった。
「それよりヒカリはどうなのよ。鈴原と一緒でしょ二人三脚」
アスカは起きてヒカリの肩に手を回した。
ちょっと邪悪な感じがする笑顔。
「わ、私、はあんまり・・・ほら鈴原って運動神経いいでしょ。この前の練習の時も私に合わせてやってくれたんだ」
「へっ・・へぇーーー」
かなり顔が赤くなっているヒカリ。ちょっと羨ましいと思うアスカとレイ。
トウジがヒカリのことを考えているというのがよく分かる。
シンジももう少し私のことを考えてくれたらなぁ。
シンジとアスカのこれまでの二人三脚練習の時間ほとんどは口喧嘩によって潰れている。
(アンタもう少し早く走りなさいよ)
(無理だよ、これでも全力疾走なんだから)
(そんなんじゃ勝てないわよ)
(だからイヤだったんだよ、アスカと組むのは、僕は綾波と組みたかったのにアスカが無理やりさぁ)
(なんですってー)
乾いた音が響く
(なにすんだよ)
(自業自得よ)
そんな事を続けてきた。
なんで私の気持ちに気づかないんだろう。
「アスカ、明日はがんばろうね」
そう言ってまた食事を取り始めるヒカリ。
太陽の光が心地よい午後だった。
「やぁシンジ君、元気だったかい」
「カ、カヲル君、どうしたの?こんなに遅く」
昼休憩が半分終わった頃、渚カヲルが颯爽と教室に入ってきた。教室にはシンジがトウジ、ケンスケと一緒に食事をしていた。カヲルは爽やかな笑みを浮かべ弁当を持ってシンジの隣に座った。
「実は昨日からシンジ君のことばかり考えてしまって眠れなかったんだよ」
「そっそうなんだ」
さらりと爆弾発言をするカヲル。
シンジは引きつった笑みを浮かべる。
やはりホモかとシンジの親友は心の中で再確認する。
「シンジ君、明日はリレーに出るんだろ」
「まあね、他にも出るけど」
マシな話になってホッするシンジ。シンジが参加する種目はあと二つほど。
「君の次の走者は僕なんだ」
「そうだね。僕あんまり足速くないけど頑張ってカヲル君に繋げるよ」
シンジは選手名簿をもらった時に次の走者はカヲルということを知っている。
「その時はバトン、いや君の気持ちを僕にくれないか。僕は必ず受け取るからさ」
カ、カヲル君?僕はそんな趣味はないんだけど。
シンジ、いつでもワシに言え、渚にパチキかましたるさかい。
碇、そろそろはっきりいったほうがいいぞ。
二人の親友は目で訴えている。
シンジは先ほどとは比べ物にならないほど引きつった笑みを浮かべた。
「好きってことさ」
さらりと言いシンジの肩を触る。
ゾクゾクゾクッ。
(に、逃げなきゃダメだ。逃げなきゃダメだ。逃げなきゃダメだ。)
その時予鈴が鳴った。
「もうこんな時間かい?それじゃシンジ君また友情を語り合おうじゃないか」
そう言って自分の席に戻るカヲル。シンジは大きな息を吐いた。
カヲル君、ほんとに友情だけだよね。
心の中でそっとつぶやく。
午後の授業はまさに睡魔との闘い。食欲を満たした体に晴れた日の暖かな光と教師の子守唄のような授業。だれもがまどろむ時間。
トウジはすでに爆睡。
ケンスケは自分のパソコンで何やらしている。
カヲルはリリンの文化に興味があると言い、あのスマイルで授業を受ける。
ヒカリは委員長という責任感+勉強が好きなのでまじめに受けている。
アスカは大卒だから別に受けなくてもいい、そう思ってやる事もなくボォーっとしている。
シンジは少し眠い目をこすりながら授業を受けている。
少し眠いや。昨日母さんと夜遅くまで話してたから。あっそう言えばあのこと綾波に言うの忘れてた。
シンジは少しレイに体を近づけた。
幸い教師は滅多なことでは怒らない老教師だった。
えっ碇君?
突然シンジとの距離が縮まったレイは驚く。
綾波、あのね今日一緒に帰らない?
黒板をまっすぐ見ながら小声で喋るがレイには聞こえなかった。
碇君、何か言ったのかしら?
シンジの声が聞こえなかったレイは自分から距離を縮める。
あれ?聞こえてないのかな?
仕方なくシンジはレイの耳に手を当て先ほどと同じ事をささやこうとした。
「シンジ!」
「うわっ」
後ろから思いっきり怒られたシンジはパッとその手を離した。
もちろんアスカだった。
「どうしました碇君」
「いえ、なんでもないです」
「そうですか」
そう言って黒板にまた何やら書き始める。本当に怒らない教師だ。
なんだよアスカ。もうちょっとで言えそうだったのに。
チャンスを逃したシンジは少し落ち込んだ。
碇君が私の耳に手を当てて、もしかしてあれが内緒話をする時に使うものなの。
そうだとしたら碇君は私に何を言うつもりだったのかしら。アスカが邪魔をしなければ聞けたのに。
こちらはかなり落ち込んでいた。
あのバカシンジ、なにレイの耳に手をあててんのよ、私ですらまだされたことないのに
全く油断もスキもあったもんじゃないわよ。
こちらはかなり怒っている様子。
そんなこんなで無事?に授業が全て終わり放課後になった。
「いい?私が来るまでゼッタイに帰っちゃだめなんだからね」
そう言い残してアスカは司会の練習をするため運動場へ走っていった。
すっかり夕焼け色に染まった空、生徒のほとんどは帰るか明日の練習の為教室にはいなかった。
教室に残ったのはレイとシンジだけ。
アスカはやく帰ってきてよ
そう思いながら暇なのでS−DATをカバンから取り出そうとした。
じぃーーーーーー
左隣から強烈な視線を感じた。
「あっあの・・・綾波どうしたの?」
とりあえず無難な一言。
レイはまだ見つめてくる。
「あっあの・・・あっ綾波、さっき言えなかったんだけど。今日いっしょに帰らない?」
えっ?
碇君が誘ってくれる。
嬉しい。
そう思い、急いでカバンに教科書などを入れる。
「帰りましょう」
準備万端。あとは帰るのみ。
あまりの早業に呆気に取られたシンジ。
「あっあの、綾波。その、アスカも一緒なんだけど」
「そう」
先ほどまでの気持ちがしぼんでいく。
私は碇君とだけ一緒に帰りたい。
でもアスカがいる。
アスカとは今は一緒に帰りたくない。
碇君は私の気持ち。分かってくれない。
私にはあなたしか見えないのに。
そう思ったときすでに教室のドアのところにいた。
少しうつむいて。
「さよなら」
そのまま走った。
「綾波・・・・」
残された少年。夕日はすでに沈んでいた。
真っ青に晴れた空。その下の運動場に多くの人が集まっている。
運動場の中央に引かれた白線。長さは100メートルくらいだろうか。
自分の番を今か今かと待っている選手の中に一際目に付く少年がいる。
「徒競走とは、まさにリリンが生んだ文化の極みだね」
渚カヲル。
彼は今、生徒席を見つめている。
見つめられたと勘違いした女子が黄色い声を上げている。
シンジ君。どこにいってしまったんだ。君の応援が僕の全てなんだよ。
かなり危ない。
ちなみにシンジはユイたちに囲まれてくつろいでいた。
私の出番まであと3順、渚君の次。
レイも徒競走に出場する。
元々赤い瞳が今日は何時にもまして赤く染まっている。
レイ、大丈夫かしら。教員席でリツコは心配そうな顔をする。
昨日帰ってみたら寝顔に泣いた跡があったから。
「ん?相田君。君も徒競走に参加するのかい?奇遇だね」
カヲルと同順に出場するケンスケ。
完全に忘れ去られている。
「奇遇って。おい渚」
カヲルは爽やかスマイル全開で髪をかきあげた。
君の事はどうだっていいんだよ。それよりもシンジ君さ。
哀れ、ケンスケ。
なんで俺だけ。
ケンスケは心の中で涙した。
「おい、メガネの子。スタート位置につきなさい」
呼ばれてハッとした。
よしここで俺が活躍すればもてる。
ケンスケはそう確信した。いや確信しなければやってられなかった。
結果。
ケンスケは浮かれながら走っていたため、わずか5メートル付近で足がもつれ転倒。顔面から地面に熱いキス。カヲルは颯爽とトップでゴール。女子から黄色い声をいただいた。
シンジ君。見ていてくれたと僕は信じてるよ。
その頃、シンジは積もる話を打ち切って生徒席に戻っていた。確か、カヲル君が出るんだっけ。まだかな、友達として応援しなきゃ。友達として。
友達という部分を強調した。
「あれ?シンジ君じゃないか」
「カヲル君。どうしたの?徒競走は」
「もう終わったよ。君の応援が僕にチカラをくれたようだ」
カヲル君。君はなんて優しいんだ。それに引き換え僕は母さんたちと世間話してたなんて。僕って最低だ。
深く自己嫌悪に陥った。
「シンジ君。次は綾波君が走るみたいだよ」
シンジの隣に腰掛け、指を差した。レイが走る構えを見せている。
綾波。
空砲が響いた。
一斉に駆け出す選手たち。レイは速かったが、それと同じくらい速い選手がいた。
抜かれる。
そう思ったときシンジは立ち上がった
「綾波―。がんばってー」
自分でも驚くほど大きな声を出した。
一瞬レイがこちらをみたような気がした。
徐々に加速するレイ。そのまま後続を突き放し一気にゴール。
「やった」
自分の手を力強く握るシンジ。不思議と自分のことのように感じる。
プログラム3徒競争はこうして終わった。
「はぁ」
こんないい天気に似合わないため息を漏らすシンジ。
そんなシンジをカヲルが放っておくはずがない。
「どうしたんだいシンジ君。悩みがあるなら相談に乗ろう」
爽やかスマイル全開のカヲル。シンジの悩みは自分の悩み。シンジの痛みは自分の痛みと思っている。
「いや、実は次の玉入れで籠持ちなんだ」
いまいち話がみえてこない。
「それでさぁアスカが出るんだけど、めちゃくちゃ下手なんだ玉入れが」
「それで?」
まだ見えてこない。
「なぜか玉が僕に当たるんだよ。しかもアスカ本気で投げるから、当たると痛くて」
あぁシンジ君、なんてカワイそうなんだ。できることなら君の痛みを変わってあげたい。しかし僕にも籠持ちという仕事があるんだ。ここは涙をのんでくれ。
「シンジ君。幸運を祈るよ」
そういってカヲルは生徒席から立ち上がり走っていった。
そういえばカヲル君も籠持ちだったっけ。お互いがんばろうね。
「碇君」
頭の上から声がした。
真っ青な空の髪をした少女が立っていた。
「さっきは・・」
「あっ綾波、ゴメン。僕行かなくちゃ」
レイのちょうど真後ろに時計が立っており、よく見ると集合時間だった。
綾波と話をしていたいけど、籠持ちの僕が行かなくちゃ競技が始まらない。
責任感はけっこう強いほうだった。
碇君。
やっぱりまだ怒っているの?
さっき聞こえたあなたの声は幻だったの?
悲しくなる。
寂しくなる。
一人残されたレイは静かに生徒席に座る。
ゲンドウたち5名は早朝から陣取りを開始し最高の場所に座っている。ネルフが管理している学校といっても彼らは自分が特別な存在ということを誇示しない。
そういうことをする時代は終わったのだ。
加持はミサトの酒を控えるように説得している。
冬月は孫のように可愛がっているカヲルが先ほどの徒競争でトップだったのでご満悦。
ユイとゲンドウはシンジを探している。
「むっユイ、シンジがいるぞ」
「えっどこです?あら、籠持ち」
ユイの言葉に笑いが起きる。今か今かと待ち焦がれていた最愛の息子の初登場がよりにもよって籠持ちとは。シンジらしいといえばシンジらしい。
「碇。そう慌てることもあるまい。シンジ君も何かしらの競技には出場する」
上機嫌のままの冬月。
「シンジ、お前には失望した」
「あなたっ!なんてこと言うんです」
誰に聞かせることもなくつぶやいたのだが、ユイに思いっきりしかられた。
冬月にからかわれたのをごまかそうとしたのだが墓穴を掘ってしまったようだ。
「まあ司令、まだ競技は午後もあるんです。気長に待ちましょう」
加持の言うとおり午後もまだ競技はある。しかし、午前中の競技はこれが最後。
まぁいい、午後はしっかり頑張れよ。
不器用ながら息子に心からエールを送るゲンドウであった。
「いった。やめてよアスカ、わざとだろ」
「うるさいわね。ちゃんとやってるわよ」
シンジが非難するのも無理はない。
誰がどう見てもアスカの投げ方はおかしい。
その投球ホームは野球そのもの。
どう考えてもまっすぐにしか飛ばない。
しかもオーバースローという、おそらく速球を投げれば一番速い投球法を使っている。
豆などが入っている玉だが当たるシンジにとっては石をぶつけられたかのような痛み。
シンジにとって地獄の5分間であった。
「あーあぁシンジのせいで一個も入らなかったじゃない」
「なにバカなこと言ってんだよ。あんな野球みたいなので入るわけないじゃないか」
「バカですってー。なによ。籠をもうちょっと低くすればいいじゃない」
「籠は上を向いてるんだよ。どう考えても入るわけないじゃないか」
競技が終わり、それぞれの生徒席に戻る。
アスカとシンジは口喧嘩をしながら戻ってきた。
傍から見ると仲がよさそうに見える。
碇君。
レイは二人を見る。
二人とも怒ってはいるが、どことなく楽しそうな感じがする。
碇君はアスカがいいの?
私じゃダメなの?
ズキッ
胸が痛い。
この後は昼休憩、リツコさんのところに行こう。
レイは生徒席から教員席へ向かった。
「あれ?カヲル君。綾波は?」
「あぁ彼女ならどこかに行ってしまった様だが」
アスカと一緒に歩いてきたシンジはレイがどこかに行ってしまったと知って残念に思った。
綾波と昼ごはん食べようと思ってたんだけどな。
「ほら、シンジ、おばさまが呼んでるわよ」
「うん、それじゃ行こうか」
3人で保護者席へ向かった。
「レイ、いいの?私と食べるよりシンジ君と食べたほうが」
「いいんです。今は碇君と顔を合わせたくないから」
教員席でリツコと一緒に食べることにしたレイ。
誰から見ても寂しそうだ。
重症ね。やっぱり昨日何かあったんだわ。
何かアドバイスをしようと思ったリツコだが止めた。
これはレイの問題。私が口を出すことはないわ。レイにも自分の考えがあるんだから。
そう思っても何かを言ってあげたいとリツコは感じた。
「いっぱい食べてね。まだまだ沢山あるから」
ユイはバスケットから食事を取り出した。少し冷めてはいるが十分美味しい。
やっぱり母さんの料理は最高だ。僕の料理なんかまだまだだよ。
美味しそうに食べる息子を母は暖かく見つめた。
「カヲル。よくやったじゃないか。久しぶりにこの老骨に熱が入ったよ」
「ありがとうございます」
冬月の目も優しく孫を見つめた。普段は見せることの無い照れたカヲルがそこにいた。
「シンちゃん。すごいじゃない。あのアスカの剛速球を避けることもなく体で受け止めるなんて」
すでにほろ酔いのミサト。
加持は苦笑している。
「あれは避けられなかったんですよ。ぼく籠持ちでしたから」
「ふふっ照れなくていいのよ。お姉さんはじゅうぶん見せてもらったから。シンちゃんのアスカに対する気持ちを」
やっぱりミサトさんは変わらないや。
からかわれ続けたシンジはミサトに対する免疫が出来ており、何も言い返さなかった。
「なにバカなこと言ってんのよ。だぁれがシンジの事なんか」
アスカは真っ赤になりながら反論している。
アスカ、そんなにムキになって否定しなくても。ちょっと落ち込む。
楽しい時間はすぐに終わる。昼休憩終了5分前に放送がかかり、二人三脚の選手が集められる。
シンジとアスカは集合場所に座った。
「なんだか緊張してきた。アスカ足ひっぱったらごめんね」
「なに弱気なこと言ってんのよ。あの時みたいにやれば大丈夫なんだから」
そういうアスカも少し緊張してきた。上手くシンジに合わせられるかしら。
碇君。
なんだか楽しそう。
レイは生徒席で観戦。
その横はカヲルが座っている。
シンジ君。できれば君の隣は僕がいいんだけど、こればかりはしかたないね。
ここから応援させてもらうよ。
カヲルは生徒席で応援。
「いい、スタートと同時に右足からアンタの全開の歩幅に合わせるわよ」
「わかったよ。62秒でゴールする」
「あんたバカぁ?たかが50メートルなのに62秒もかかってどうすんのよ」
「あっごめん、22秒だった」
いくわよシンジ。
いくよアスカ。
空砲が響く。
一斉に走り出す選手たち。
バタンッ
一組だけ出遅れた。
「なにやってんのよー。右足って言ったじゃない」
「アスカが右足って言うから右足から出したんじゃないか」
「あんたバカぁ?アタシが右足だったらアンタは左足でしょ」
「僕のせいだっていうのかよ」
「そうよ」
全く収まりそうに無い喧嘩。
さすがにここで喧嘩をされては困るのでリツコが駆け寄った。
「あなたたち競技に戻りなさい」
「はーい」
怒らせると怖いのでしぶしぶ競技に戻る。
しかし、アスカ以外全員がゴールしていたのでそのまま競技に戻ることなく最下位に終わった。
「ほんとアンタといるといいとこなしじゃない」
生徒席に戻る途中アスカはシンジを非難した。
しかしいくら非難してもシンジから何も言い返してこない。
ふと隣を見ると自分の足をシンジが見ていた。
「アンタどうしたのよ?」
「アスカ、ケガしてるじゃないか」
よく見ると膝から少し血が出ている。おそらく転んだ時に擦りむいたのだろう。
ちょっとズキッてくると思ったら血が出てたんだ。
少し痛い。
パシッ
「えっ?」
アスカの手を握るシンジ。
そのまま少し駆け足で。
「ちょ、ちょっとどこに行くのよ」
「休憩所だよ。キズの手当てをしてもらわないと」
「あっ」
シンジに手を握られてる。
みんな見てるのに。
シンジは気にならないのかな?
ちょっと甘えてみよう。
突然、アスカが立ち止まる。
「どうしたの?」
「ゴメン、歩けないの」
うつむきながら、恥ずかしさを隠した。
「えっどうしよう」
目の前の少年は動揺するばかり。
かなり恥ずかしいけど言うわ。
「おぶって」
「へっ?」
何かの聞き間違いだよね、アスカ。
うつむく少女はその場に座り込んだ。
アスカは歩けないんだ。僕が逃げちゃダメだ。
「わかったよ、ほら背中につかまって」
「うん」
恥ずかしいと思い少年の背中に顔を埋める。
シンジの背中っていがいに大きいんだ。それに暖かい。
ずっとこうしていたい。
シンジのほうも恥ずかしいと思ったのか駆け足で休憩所へ向かった。
碇君。
碇君は私よりアスカのほうがいいのね。
これ以上私はこんな思いをしたくない。
少女の頬を伝う温かい水。
涙。
私、泣いてる。
でも碇君が言った「嬉しい時の涙」じゃない。
これは何?
教えて碇君。
選手席の片隅で少女が震えていた。
はぁ見ちゃいられないわね。
リツコは煙草に火をつけながらつぶやいた。
まさかシンジ君がアスカを背負ってくるなんて思わなかったわ。
レイ、あなたはそれでいいの?
自分から行動に移さないと何も手に入らないわよ。
やはりあの時アドバイスをしておけば良かったとリツコは思った。
「シンジありがと」
「えっいやいいよ。僕のほうも悪かったし」
生徒席に戻ったアスカとシンジ。
アスカのキズは消毒をしただけで済んだ。
なぜかアスカのキズを消毒しているリツコと目が合ったシンジ。
リツコさん、何か言いたそうだったけど、何だったんだろう?
「シンジ、次はリレーなんじゃない。お互い頑張ろうね」
「うん、アスカもね」
アスカは一番手だったのでスタート位置まで向かった。
僕は3番か、トラックを半分に分けて奇数、偶数で分かれるんだった。
アスカの次が僕なら先頭に並ばなくちゃ。
アスカの後を追いかけるシンジ。
「ふっ綾波君。僕たちは偶数組みだから、一緒に行こうか?」
何も答えず一人で歩き出すレイ。
これが恋する乙女ってやつなのかい。
カヲルはレイの後ろについて歩いた。
シンジ、見ててね。絶対一番でバトンをレイに渡すから。
アスカは回りを確認した。よし、この中で私より速い人はいないわ。
バトンを握る手に力が入る。
空砲が響く。
さすが体育祭のメイン。凄まじい応援が飛び交う。
シンジももちろん応援した。
「レイ、あとは頼むわ」
後続をかなり突き放したところでレイにバトンを渡し、そのままトラック内へ。
カヲルからねぎらいの言葉をもらい少し嬉しくなる。
このバトンを碇君に。
でもこのバトンは碇君とアスカの絆。
自分には関係が無い。
でもこれを捨てるのはイヤ。
頑張って碇君に渡そう。
「碇君」
「綾波、あとは任せて」
運悪くレイの2番手にはレイより速い子が混じっておりアスカが引き離した選手たちが追いついてきた。
シンジは遅刻と戦うため鍛えている足を全力で使った。あとはカヲル君に渡すんだ。
さすがにアスカとまではいかなかったが、それなりに後続をまた引き離した。
「カヲル君。あとお願い」
「シンジ君。君の心、確かに受け取ったよ」
だから、違うんだって。
シンジは心の中でツッコミを入れてトラック内へ。
あとはアスカと一緒になって応援した。
シンジたちの組のアンカーはトウジで彼は期待にこたえてくれた。
シンジ、さすが我が息子。
心の中でガッツポーズを繰り返すゲンドウ。
目頭が熱くなるユイ。
かっこよかったわシンジ。
そんな二人にシンジは生徒席からVサインを送った。
「次が最後の種目ね」
「アスカは司会だろ」
「まあね、それじゃ行って来るわ」
アスカは本部席に走っていった。
次も僕が出るんだよな。頑張らないと。
でも正直、この種目は運なんだけど。
他に出るカヲルやトウジ、ケンスケはそれぞれ屈伸などをして体をほぐしている。
僕もやっとこっかな?
「続きまして、本日最後の種目になりました」
アスカの声が聞こえる。そうとう張り切ってるみたいだ。
「借り物競争です。選手の方は集合場所へ来てください」
「センセ、悪いけどこれは個人種目や、勝たせてもらうで」
「お互い頑張ろうねトウジ」
トウジとカヲル君か、二人とも速いからな。ケンスケはまあまあだけど。
「シンジ君。スポーツマンシップにのっとってフェアプレイをしよう」
「うん」
カヲル君、なんて爽やかなんだ。君のそういうところが羨ましいよ。
よし僕も頑張るぞ。
シンジたちはスタート位置につく。
「位置について」
少しノドが鳴る。
「よーい」
大丈夫、上手く走れる。
「スタート」
一斉に走り出す。
少し出遅れたシンジだったが、あまり差はついていない。
地面に置いてある紙を手に取り広げた。
少し考えて紙を握り締め生徒席へ向かう。
「碇のお父さん、一緒に来てください」
「なに?私か」
突然、メガネをかけた少年に声を掛けられた。
いったい何と書いてあったのだ?だいたいは予想がつくが。
「時間がないんです」
「あなた、ほら行ってあげなさい」
うむ、借り物競争なんだから借りられなければならない。
「よし行くぞ」
メガネとサングラスが保護者席から飛び出した。
これは?そういうことかリリン。
カヲルも生徒席へ向かった。
「洞木君。一緒にきてくれ」
爽やかスマイル全開のカヲル。トウジ一筋の彼女でもこれはグッと来た。
えっ私?
「私でいいの?」
「もちろんさ。君以外考えられないよ」
「い、行きましょ」
鈴原ゴメン、まだ付き合ってないけど、浮気じゃないわよ。
心の中で本当に好きな人に語りかける。
碇君がこっちに来る。
何が書いてあったのかしら?
シンジはキョロキョロと生徒席を見ている。
声かけたいけど。
でも碇君はアスカが好き。
私は迷惑をかけるだけ。
でも。
「いっ碇君」
か細い声だったがシンジは声のした方へ走ってきた。
あっ。
「綾波。一緒に来て欲しい」
「わ、私?」
「うん、綾波じゃなきゃダメなんだ」
碇君を助けたい。
碇君の力になりたい。
「わかったわ。いきましょ」
離れて走ればアスカに怒られないから。
そう思っても手を握って欲しいと願ってしまう。
「綾波。手かして」
えっ?
あなたは私の心が読めるの?
黙って手を差し出す。
シンジはそれを力強く握り走り出す。
碇君。
わたしやっぱりあなたのことが好き。
あきらめられない。
あきらめたくない。
そう思いながらシンジと一緒にゴールを目指した。
「やったー。初めて俺がトップだ」
相田ケンスケは心の底から喜んだ。
苦節、14年。一度も日の当たるところに出たことがない俺がついにやったんだ。
「フッ問題ない」
ゲンドウの額は汗で濡れていた。
以外に足腰が弱っていたな。運動をしなければ。もう歳なのか。
「ゴールした選手は紙を審査員の赤木リツコ先生に渡してください」
どうやら審査員はリツコのようだった。
因縁浅からぬリツコとの対面に恐怖するゲンドウ。
(くっ逃げてはダメだ。逃げてはダメだ。逃げてはダメだ。)
服装が変わろうとも決してはずさない手袋の中にある手を握ったり、開いたりしていた。
「はい、赤木先生」
「えっと、会場で一番自分と境遇が似ている人?どうしてそう思ったの?」
「俺と碇のお父さんは出番が少ないからです」
そういったケンスケの目には哀愁が漂っていた。
ゲンドウも同じ目をしていた。これならまだ会場で一番顔が怖い人のほうがマシだった。
今日はゆっくり眠れないような気がする、ユイ今夜は一緒に酒を酌み交わそう。
どこか遠い目を二人はしていた。
「2着は渚選手です」
トップのケンスケとそれほど離れてはいなかったがヒカリと歩調を合わせたため追い抜くことが出来なかったのだ。
「ごめんなさい渚君。私のせいで」
申し訳なさそうに頭を下げるヒカリ
しかしカヲルはいつもの爽やかスマイルを絶やさない。
「いやいいんだよ。僕のほうこそもう少し速く君を見つけるべきだったから」
さりげなく自分のミスだと言う。
渚君って変わってるけど、やっぱりカッコイイ。
ちょっとカヲルのことを気にし始めたヒカリ。
「渚君。紙を見せてくれないかしら?」
「はい」
リツコの顔から血の気が引いた。しかし先ほどのケンスケと同様、渚本人とヒカリに確認を取らなければ審査員としては失格。
震える手を落ち着かせ、他のものは一切見ず紙だけを見ながら口を開いた。
「クラスメートで一番怖い人」
その瞬間、金色の疾風が吹いた。
急所に16発、正確に入りカヲルが膝から倒れた。
その直後「クラスメートで一番怖い人」の体操服の背中に「無」という文字が見えた。
「リリンは・・・・・奥が・・・深いね」
カヲルは気絶する前にそうつぶやいた。
「3着でゴールしました。シンジ・・碇選手です」
少しアスカの声にトゲが入っているように聞こえた。
「3着か。ゴメンね綾波。僕が君を速く見つけられなかったから」
シンジはすまなそうに微笑んだ。
ドキッ
あっまた違う。
「ううん。いいの私の方こそ自分の席にいなかったから」
シンジは気づいていないようだったがまだ二人は手を握っている。
碇君、気づいてない。
言ってしまおうか。
でもこの感じ気持ちいい。
ずっとこうしていたい。
「シンジ君。紙を見せてくれないかしら?」
何故だか少し微笑んでいるリツコ
何かあったのかな?シンジは傍に倒れている物体を見てすぐに視線をリツコに戻した。
はははっカヲル君。委員長に何かしたのかな?
「はい」
少しひきつった笑顔でリツコに紙を渡す。
紙をもらったリツコは驚いた顔をして、優しい声を口から出した。
「レイ、残念ね。これからはシンジ君と友達じゃなくなるわ」
昨日の放課後とは比べものにならないほど胸が痛くなった。
ズキッ。
えっ碇君?
あの紙になんて書いてあったの?
もうイヤ。
レイはシンジとつないでいる手を離した。
嫌な涙が頬を伝う
「碇君は、私が・・?」
うつむきながらレイは小声で何かを言っている。
「えっ?」
そばにいるはずのシンジにもそれは小さすぎて聞き取れない。
バッと顔を上げた。
涙で赤い瞳が充血し、口は真一文字になっている。
「あ、あの紙には・・一番・・・一番」
言いたくない。
言ってしまったら。
私はどうすればいいの?
「一番・・・嫌いな人って書いて・・・・あったんでしょ」
流れる涙をぬぐおうともせずシンジを見る。
言ってしまった。
でもいいの。
碇君から。
碇君の口から言われたくない。
それなら私から言う。
でもイヤ、嫌われるのは。
「あ、綾波・・・・」
シンジは驚いている。
「でも・・・お、お願い」
そういってレイはシンジに抱きつき顔をまだ自分とあまり変わらない幼い胸板に押し付ける。
絆を断ち切らないで欲しい。
そう思い強く抱きしめる。
「お願い、好きじゃなくてもいいから私を嫌いにならないで。私を嫌わないで・・・・あなたに嫌われたら私・・・・」
顔を上げる。
二人の距離は5センチ程度。
「私・・・生きていけない・・・・・うぅう・・・えっぐぅ・・」
また顔を胸板に押し付けた。
フワッ
シンジが優しくレイの頭を撫でる。
「綾波、僕は君の事を嫌いになんてならないよ」
「でっでも・・・友達じゃなくなるってリツコさんが・・・」
今まで黙っていたリツコは優しくレイの背中を撫でる。
そしてそっとレイをシンジから引き離す。
「レイ、友達でなくなるというのは本当よ。だってこれに書いてある内容から考えれば友達でいられるわけないわ」
充血した赤い瞳のままレイは首をかしげ分からないという。
それを見てリツコはレイの頭を撫でる。
「だってね、一番大切にしたい人って書いてあるんですもの」
一番大切にしたい人?
それが私なの?
「でもなんで友達じゃないの?」
思っていた言葉が口から出た。
「綾波、父さんや母さん、ネルフのみんな。トウジやアスカ、ケンスケにカヲル君、委員長みんな僕の大切な人、仲間、友達なんだ。でも綾波は違う。
綾波は他のみんなより大切なんだ」
碇君が大切に思っている人よりも大切。
それが私。
私は何?
シンジは先ほどまでレイを見つめていたが、少し目線を落としやがてまた戻した。
「僕は綾波が好きなんだ。愛してる」
「碇・・・君」
「前から、そうEVAの頃からずっと自分の気持ちが分からなかった。でも一昨日の夜、母さんにその事で話をしてたらやっと気づいたんだ。綾波がいないと寂しいって。綾波がいないと苦しいって。綾波がいないと僕は」
「碇君。私・・」
フラフラッとした足取りで自分に近づいてくるレイを優しく抱きしめた。
そしてソッと互いの唇を重ねる。
全員の時間にすれば一瞬、二人の時間にすれば永遠ともいえるものが流れた。
「綾波、こんな僕だけどついてきてくれる?」
「この絆・・・絶対に離さないわ」
その瞬間、周りから盛大な歓声が沸いた。
あまりの美しさに涙する。
レイ、よくやったわ。あなたは幸せにならないといけないわ。おめでとう。
そばにいたリツコは目頭を押さえた。
リリンの愛の証。確かに見させてもらったよシンジ君。おめでとう。
死の淵から蘇ったカヲルは爽やかスマイルで見つめた。
これが愛の力なのね。なんだかドラマを見てるみたい。おめでとう。
まさに夢見る少女と化したヒカリ。
シンジ、レイを幸せにしてやってくれ。お前ならできる。おめでとう。
流れ落ちる涙をぬぐおうともせずゲンドウは息子を見つめた。
シンジ、レイちゃん。しあわせになって。おめでとう。
子供のように泣くユイをそばにいた冬月は優しく頭を撫でた。
シンちゃん。ほんっとにもう立派に育っちゃって。もうお姉さんはいらないかな。おめでとう。
なんだか親離れしていく息子を見るようにシンジを見つめるミサト。
バァーカ。とっくに気づいてたわよ。アンタがレイのことずっと見てたこと。
私が知らないなんて思ってるの?はぁー。振られちゃったな。
司会席でうつむくアスカの目から涙が流れた。
レイ、おめでとう。
「綾波、ずっとずっと一緒にいてほしい」
「わたしも碇君と一緒いたい」
そしてまた唇を重ねる。この絆は離さない。
(おまけ)
「こんなもんどうやって借りろっちゅうんじゃ」
トウジがいるのは学校のコンピュータ制御室。
そこには三つほど大きな鉄の塊が置いてあった。
呆然と立ち尽くすトウジ、その手から紙が落ちた。
「MAGI」
「一人でもてるわけないやろ。誰やこんなこと書いた奴はパチキかましたる」