駅は今、朝の中
2015年 某日
星空の夜。
工業地帯。
昼間のつんざくような騒音も夜ともなれば静まり返る。
その一角にたたずむアパートにその少女はいた。
部屋の窓を開け、無機質なベッドの上にうつぶせになっている。
風呂上りでバスタオルをはおっただけで。
蒼い髪が夜風になびく。
真っ赤な瞳はどこか虚ろだ。
少女は静かに枕を握り締めた。
*
『ムーンライダーズ「ドント・トラスト・オーバー・30」』
そう書かれたSDATを再生しながら夜道を歩く少年がいた。
「アスカったら『アイス食べたいからコンビニ行ってきてよ』だなんて…なんで僕がこんな夜中にパシリに使わされるんだよぉ…」
少年の名は碇シンジ。
特務機関NERVに所属する汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンのパイロットだ。
しかしここ最近は有事もなく、ごく平凡な日々を送っていた。
それはエヴァのパイロット全員がそうだった。
「それにしてもこれに入ってる『ボクハナク』って曲、いいなぁ。」
独り言をつぶやきながら家路に帰ろうとしていたところだった。
ふと公園にさしかかったところ。
見覚えのある人影を見つけた。
中学校の制服を着た少女。
「綾波…?」
少女はベンチにそっと座り、うつむいていた。
膝の上に掌を重ね合わせ、その肩はどこか震えていたように見えた。
その時、少女の瞳に人影が入った。
「久しぶり…綾波…一週間ぶりかな?」
「…碇君?」
「えっと、アスカにパシらせられてさ。それで今、帰りの途中で綾波を見つけて…」
…
しばし沈黙が流れる。
…
「隣、いいかな?」
「えぇ…」
少年のTシャツの肩に殴り書きされた「drums and wires」という文字がベンチの後ろの電灯に照らされた。
「綾波…元気ないね?」
「…そう?」
今にも壊れそうな儚い硝子細工のような声で少女は答えた。
「アイス食べる?ふたつあるからさ…」
(アスカには売り切れていたっていっておこう…)
年中夏なのにアイスが売り切れるわけないのだが。
ソフトクリームを舐める二人の少年少女。
「美味しい?」
「…美味しい…(碇君がそばにいるから…)」
「え?」
「いいえ。なんでもないわ。」
再び流れる沈黙。
「ねぇ」
問いかける少女。
「ん?」
コーンを頬張りながら少年は答えた。
「…もしもう使徒が来なかったら私達どうなるのかしら…」
「え…いや、普通の中学生に戻るんじゃないかな…?」
「でも私はエヴァのパイロットであることしか存在する価値がないんじゃ…」
「そんなことない!」
少年は声を少々荒げるようにして少女のつぶやきをさえぎった。
「碇…君?どうしたの?」
「え?あ…ごめん…でもさ…そんなこというなよ…」
「でも使徒は来ないわ。エヴァも今は必要ない。私は今なんの為に生きてるの?」
「…だから普通の中学生としてさ…」
「私はエヴァのパイロットとして生きてるの…でも今は…」
少年は少女が己の存在価値が希薄になっていく恐怖を察した。
「恐いんだね…?」
「…」
少年は少女を柔らかく抱きしめた。
少女の髪の洗い立ての香りが夜風とともに少年の鼻をくすぐった。
「…!」
少女は頬を桜色にして戸惑った。
「綾波を必要としている人がいるんだよ…」
「…」
「綾波はエヴァのパイロットってだけじゃない。一人の人間なんだ。」
(私はヒトじゃないの…)
少女の頬をつたう涙。
それは少年が己を肯定してくれた嬉しさと「ヒト」ではない現実から出た涙だった。
少年は少女の髪を撫でた。
「…少なくとも僕にとって綾波は大事な人だよ」
少年は少女を包んでた両腕を離し恥ずかしそうに上目で頭を掻いた。
(大事な…人…)
とくんとくんと少女の胸の中であたたかい粒がはじけた。
「あ…そろそろ帰らないとミサトさんに怒られるから…」
「もうちょっとだけこのままがいい…」
少年と少女も両者、頬がほんのり桜色だった。
寄り添うふたつの影。
*
少年が帰宅してまもなくハーフの少女の怒号が聞こえたとか何とか。
*
某日。
少女のアパート。
あれから幾度かの使徒との戦闘があった。
しかし少女はその戦闘のことより悩んでいることがあった。
それは己の秘密を少年に打ち明けるべきか否かだった。
「大事な人…碇君…私の存在を認めてくれた人…」
(私はヒトじゃない。ヒトじゃなきゃ碇君は私を『大事な人』として見てくれなくなるかも知れない…)
少女は詰まるところ人と使徒のハーフと言えるようなものだった。
少女の身体は「魂」の容れものでしかなく、身体自身は培養されたものだった。
つまり純粋な人間ではないのである。
少女の魂には「大事な人」というものがしっかり刻まれていた。
*
第十六使徒アルミサエルとの戦闘。
少女は少年を救うため己の搭乗する零号機での自爆により使徒を殲滅した。
少年はただ悲しみにくれた。
ただただ少女を助けられなかった己を呪った。
*
奇跡的に少女は生還した。
しかしそれは魂はその少女のものだったが身体は先に述べたように培養された全くの異物。
「よかった…君が生きてて…」
「…」
「…どうしたの?」
「なにも覚えてないの…」
「え?」
「私は三人目だから…」
以前打ち明けようか否か迷っていた言葉を今はそう伝えるしかなかった。
「三人目って…?」
「…」
医者と看護婦が負傷した身体の少女を病室に連れ戻した。
「綾波…」
*
某日。
少女は面会謝絶が続き、少年が少女の見舞いが出来るようになったのは戦闘からだいぶ後だった。
「具合はどう?」
「…」
「ここに花を飾っておくね。それと今日はプレゼントを持ってきたんだ…」
「…プレゼント?」
少年は「The Beach Boys『Pet Sounds』」という前世紀のアメリカン・ポップスのCDを
少女にプレゼントした。
「これ…大昔のレコードなんだけど…『God Only Knows』って曲があってね…」
「そう…」
God Only Knowsの美しいメロディーに少しばかりかうっとりしつつ相槌を打った。
少年は少し戸惑いそして困惑した表情で切り出した。
「リツコさんに見せてもらったよ…綾波の秘密…」
(!)
(ヒトではない…知ってしまったのね…)
少女に絶望が漂った。
そして少年は微笑んで言った。
「大事な人は大事な人だよ…」
少女は青ざめた顔で
「私はヒトじゃないの…この身体だって碇君が大事な人って言ってくれた私ではないわ…」
「でも綾波の『魂』は僕の事を覚えていてくれた。綾波は綾波。僕の大事な人だよ。」
*
二年後。
サード・インパクトは未然に防がれ、ゼーレは消滅、NERVは解体となりチルドレンは高校生となった。
朝のホーム、同じ高校の制服を着て微笑み合っている少年と少女の姿があった。
その二人は、碇シンジと綾波レイ。
駅は今、朝の中。
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