小高い丘の上。

風が吹き、草がサラサラと囁く。








静かな夜。

白い吐息が一つ。








廃墟になってしまった街を見下ろす。

ボロボロに崩れ、でもどこか懐かしい。

そこで漸く実感。僕は帰ってきた。








荷物を下ろして、野原に寝そべって。

数多の星が煌めく夜空を見上げた。

周りには無粋な街灯なんて無い。

ただ、月の光だけが支配する。








こうしていると、ぼんやりながらも思い出す。

満月の夜。彼女の笑顔。

そして星に照らされた、あの日の横顔。















―――もう決して見ることの出来ない、君の顔。







A little miracle of star

written by 牙丸





寒い冬の日だった。

「今日さ、流星群が見えるらしいよ。」

そう切り出した僕に、君は不思議そうな表情をした。








流れ星。

希望の光。

――流れ星が消えるまでに3回願いを唱えると、願いは叶うらしいんだ。








「そんなの迷信よ! バッカじゃない?」

アスカはそう言って、鼻で笑った。

だけど……

「僕は信じてるよ。流れ星。綾波はどう?」

そう問うと、君は少し首をかしげた後

「……わからない。でも、見てみたいと思う。」

「じゃ、じゃあさ。い、一緒に、見に…行かない?良い場所知ってるんだ。あの……もし、よかったらだけど……」








あの頃の僕の、必死のお誘い。

デートとも呼べないような、デートに誘ったつもりだった。

君は少し目を丸くして、ゆっくりと、だけどしっかりと頷いた。














流星群のピークは午前3時。

約束したのは午前2時、綾波の住んでいる部屋に迎えに行く。

家に帰るなり、奥に仕舞っていた望遠鏡を取り出す。

埃を被っていたそれを、丁寧にタオルで拭く。

綾波と星を見れるのが凄く嬉しくて、自然に頬が緩んでしまいそうだった。










玄関で靴を履いて、深呼吸を1回。

僕の一大決心。僕は綾波に、告白をするつもりだった。

「勝手に行ってきなさいよ。ファーストと行けるってだけでこれなんだから! あと、そんなニヤけてちゃチカンと間違えられるわよ」

後ろでアスカが、呆れたような、怒っているような顔をする。

「いいじゃないの。良い思い出作ってきなさいよ。」

と、ミサトさんが笑って言う。








だけど、僕は何か引っかかりを感じた。

ミサトさんの笑顔に、どこか影がある。

そしてこの笑顔は、何かを隠しているときの笑顔だった。

……何か、あるのかもしれない。

嫌な予感が、少しした。













「綾波お待たせ。行こうか。」

午前2時。望遠鏡を担いで自転車に乗る。

向かうは小高い丘の上。

街の明かりからほどよく離れていて、星が綺麗に見える場所。

白い息をたなびかせ、冷たい風を切って走る。

隣で同じように自転車を漕ぐ君の、白いコートと水色のマフラーが、何故だかとても儚いもののように見えた。












風が草木を揺らしていく。

ザワザワ、サラサラと、まるで話をしているみたいだ。

空を見上げると、無数に輝く星。

月は無い。だけど、隣にいるのは月のような君。

手をこすり合わせて、息を掛けている様子が何だか幼く見えて。

僕は少し笑って、望遠鏡を取り付けた。









覗く先に広がる別世界。

手を伸ばせば届きそうなほど、近くにある星。

綾波にも替わって、見せてあげる。

必死になって覗く姿が可愛くて、ドキドキする。

さっきの星のように、綾波の心も、望遠鏡で覗ければいいのに。









そんな感じで、最初はワクワクしてた。

レンズ越しに見える、数々の星の光とか。

いつ見えるか解らない、流れ星とか。

―――君と、こんな近くにいることとか。











でも、時間が経つに連れて不安になってくる。

もう3時を過ぎるのに、一つも見えない流れ星。

僕らに会話はない。

君の顔を何度も見る。

だけど、君はジッと空を見つめたままで。

その横顔が、気のせいか曇っているように見えた。










風の音も、何も聞こえなくなっていたんだ。

ただ、僕と君の、寒さに凍える乱れた呼吸音だけが耳に残って。

それ以外は耳鳴りがしそうなほどの、無限の静寂。

夏しか知らない僕らにとって、初めての冬は寒すぎて。

隣で震えている君が、気になった。








伸ばしかけた手。だけど、結局僕の膝へ。

何かを言いたくて、だけど何も言えない。

開いたり閉じたりを繰り返した口は、こんな言葉しか紡げなかった。









「綾波。もう帰ろうか? 寒そうだし、風邪ひいちゃうよ……」

だけど君は意外な強情さで

「いい。」

と言ったきり、ずっと空を眺めていた。









目の前の空は、とても大きくて。

僕らの存在は、とてもちっぽけで。

気を抜いたら飲み込まれて、押しつぶされそうだった。









僕には、沈黙を破れるような話題も無くて、震えてる君の手を握る勇気も無くて。

ただ側にいて、同じように黙って空を見上げることしかできなくて。

「好きだよ。」の一言も結局ずっと言えなかった。













いつまで経っても、空は何も変わらない。

僕らもそれをジッと見つめたまま、何も言えない。















そうして諦めかけてたその時だった。

空が瞬いた。

親指の先ほどの点から、あふれる光。

スゥーッと空を裂くようになぞって、花火のように静かに消えた。
















彗星かと思うほど、それは大きかった。

言葉に出来ないほど美しくて。

ただ、泣きそうになるほど温かかった。









そして僕は、急いで願いを掛ける。

きっちり3回。心の中で。










午前3時半。

あの日、希望の光を僕らは確かに見た。

















隣の君の顔を見ると、目を見開いてボーっとしていた。

感動しているのだろうか?

もし、綾波がこれを綺麗だと思ってくれたのならば。

僕らが何かを共有した気がして、ちょっぴり嬉しかった。










「また、一緒に見たいね。」

僕が言うと、彼女は悲しそうな笑顔で頷いた。

でも、流れ星を見た後の僕の心は感動で興奮してて。

そんな顔をしていた理由なんか、これっぽっちも解らなかった。

それどころか、今はこのままで、一緒に時を過ごしていたい気分になってて。

告白なんかまだ出来なくても良い。と思ってすらいたんだ。


















だけど次の日、僕はその選択を後悔する。

―――それは残酷な、そしていきなりの別れだった。


















「ごめんね……ごめんね、シンジ君……」

「どうして……何も言ってくれなかったんですか……?どうして、誰も……」

ミサトさんが、泣きながら僕に話してくれた。

もうすぐ、ネルフの都合で第3新東京市が閉鎖されること。

もうエヴァはなくなってしまったけど、僕らチルドレンを狙う組織はたくさんある。

その組織から僕らを守るために、ネルフは僕らをバラバラに分けることを決めた。

一つのところにいれば、発見されやすくなってしまうから。

僕は日本の田舎の方、アスカはドイツ、綾波は体質のこととかで、設備がいいアメリカへ。

そして怪しまれないように、時期をずらして、僕らはここを去る。
















……そう。

綾波は、今日居なくなった。

流れ星を一緒に見た、翌日に。


















僕はミサトさんを責めた。

どうして言ってくれなかったの?と。

ミサトさんは言った。

「―――レイの頼みだったの。自分の口で告げたいからって……」




















でも結局僕らは、どちらもいうべきことを言えずに別れてしまった。

好きだと言えず、別れるということを言えず。

どちらも心の奥に、全てを仕舞ったまま。

僕の初恋は、こうして幕を閉じた。
















その1ヶ月後、僕はここを去ることになる。

第3新東京市を出るとき、あの丘の近くを通った。

少しだけ涙がこぼれた。















それから僕は、ひっそりとした田舎の方で少年時代を全うする。

ネルフの人が護衛してくれたおかげで、狙われることも、死ぬこともなかった。

彼女を捜そうと思って、諜報部の人に彼女のことを聞いても、何も教えてくれなかった。

住所も、生死すらも解らない。











ひたすらアメリカ宛の手紙を書いて、でも住所が書いてないから戻ってきて。

届かない手紙は山のように積もっていった。

わからないままに、がむしゃらに聞き込みをして。

ただ君に逢いたくて、ひたすら君を捜してた。













そしてたまに、夜空を見上げる。

月を見るたび、君の笑顔を思い出して泣く。

星を見るたび、あの日の自分の選択を後悔して泣く。

僕の部屋で、窓を向いたまま固定された望遠鏡のレンズは、いつも涙で濡れていた。







































でも、それは少年の僕の話。

僕は大人になってしまった。

君の笑顔も、過ごしてきた日々も、年を取るにつれて薄れ、色褪せていく。

君の声は、残念なことにもう覚えていない。














諦めたのは、いつだったんだろう。

大人になったときか、それともあの望遠鏡を仕舞ってしまったときか。

もしかすると、心の底では最初から諦めていたのかもしれない。

僕はそんな人間だから。

今まで、諦めることを重ねて生きてきたから。
















自分で稼げるようになった頃、ネルフは僕を解放した。

その頃には僕らを狙う組織も無くなっていたらしく、ネルフも大部分が解体されたようだ。

だけど、すでに僕には全てを悟ったかのような諦めた顔しかできなかった。

君を捜そうとも、全然思えなくなっていた。

何も足掻くことなく、年月だけが僕の横を通り過ぎて。

心の奥にしまわれた思いは、埃を被ったままで。









―――今は、夜空を見上げる余裕すら無い。























そんなある日のことだった。

TVのニュースで見た、第3新東京市の復興計画。

それに伴って、一般の立ち入りも許可されるようになったらしい。









正直な話、どうでもよかった。

だけど、心の奥のモヤモヤは未だに残っていて。

それと決別するために、行ってみようと思った。





物置の奥の望遠鏡を、あの時と同じように取り出してタオルで拭いた。


























そして僕は今、あの丘にいる。

フミキリの側の、小高い丘。

廃墟となった第3新東京市を見下ろしながら思う。

ここも復興されたら、前のようににぎやかになるんだろうか?

でも、それは僕らの街じゃない。僕らが守ってきた街じゃない。

僕らが過ごした、あの街ではないんだ。

君が居ないのと同じように、この街ももう、無くなってしまったんだ。

それは仕方のないこと。

手を伸ばしても、月には届かないように。

掴もうとしても決して星を掴めないのと同じように。

なぜだか視界が滲んだ。
















――流れ星が消えるまでに3回願いを唱えると、願いは叶う。

少年の僕がいった言葉。

迷信だと笑った少女。

そして君は、信じていたのか解らない。










でも、今の僕は言う。

結局迷信でしかなかったんだ。

願い事なんて、叶わなかった。
















それでも僕は、少年の僕が羨ましくなる。

一つのことを必死で信じて、がむしゃらに今日という一日を生きていた僕。

明日が呼んでたって、返事もろくにせずに、今を追いかけていた僕。

何かを探して、必死に駆け回った日々。

今の僕には、そんな無茶苦茶なことは出来ないさ。

僕は汚れてしまったのだろうか?












ああ。きっとそうなんだろう。

僕は大人になった。いつの間にかなってしまった。

純粋な子供には戻れない。

あの日には二度と、戻れない。

あの日の事実はどう足掻いたって変わらないんだ。

僕が最期のときに君の手を握れなかったこと。

最期の時に、自分の気持ちすら伝えられなかったこと。

そして屁理屈をこねて、言い訳じみた盾をかざして、いつの日か諦めてしまったんだ。

だから今の僕がいる。

君には決して届かない僕が。






今更悔やんだって、時計の針を戻すことは出来ないんだ。

















あの日と同じ、寒い、静かな夜。

だけど今日はひとりぼっち。















本当に久しぶりに、見上げた夜空。

だけど、君と来たときのような楽しさなんてこれっぽっちもない。
















目の前に広がるのは、何も変わらない暗闇ばかりで。

手を伸ばしても、触れる物は何もない。

目の前を白い吐息が遮っていって。

乱れた呼吸音だけが、辺りに響く。

じっと見つめた空は、何も返してはくれない。

ただ鋭利な、冷たい光の視線で汚れた僕を切り裂くだけ。

その視線が怖くて、セットした望遠鏡のレンズを覗いた。

レンズ越しなら、何かを間に挟めば大丈夫だから。

そうやって、生きてきたはずだから。

でも、星の光はレンズを通しても、僕を責めているようだった。

あの頃は掴めそうなほど近くに見えた星も、今じゃ掴めそうもない。

















幾ら悔やんでも変わらない現実。

寒さは心にまで染みこんできて。

孤独感に、体が震えていた。













―――昔の僕に、君に、さよならを言いに来たつもりなのに、どうしてこんなに怖くて、苦しいの?

















答えなんて、返ってくるはずもなく。

自分で考えたって解らない。いや、解ろうとしていないだけかもしれない。

目を瞑って、耳を塞いで。

全ての希望から、自身の心の声から、いつも逃げ続けていたのは誰でもない僕。
















その時、空が光った。

















ぼやけた視界に、光の筋。

レンズ越しに見える、あの日信じた光。

僕の中の闇を照らす、一筋の希望。

















それを見た瞬間、僕の中で何かが弾けた。

















いつの間にか、大声を上げて泣いていた。

別れを知った日も、僕自身がここを去る日も、ずっとずーっと今まで声は上げなかったのに。

いくら苦しくても、辛くても、歯を食いしばって心の奥に仕舞ってたのに。

堪えていた今までの分まで、思いっきり泣いた。
















ずっと耐えていたんだ。きっと。

本当は諦められなかったんだ。

でも、僕は無力で、何も出来なくて。

だからそんな弱い僕が思いっきり泣くなんて情けなくて、それは許されることじゃないと思ってた。

弱さを誤魔化すために、諦めの良い大人の仮面を繕って、そしてどうだろう?

結局逃げてただけだったじゃないか。

ここに残っているのは、空っぽの僕だ。

子供のように泣いて、薄汚れてて情けない、大人になりきれなかった僕だ。

自分の本当の声さえ無視して、何かを信じようともしなかった僕だ。



















僕は呟く。

「綾波に逢いたい。綾波に逢いたい。綾波に逢いたい。」

藁にもすがる思いなのか。

叶わないと解ってても、願ってしまう。

いや、僕の中でもう一度信じてみたいと思えたのかもしれない。

あの美しくて儚い、希望の光を。





















ねえ……君は今、どこにいるの?

何をしてるの?

幸せに生きてるの?





















ねえ……逢いたいよ。綾波……






















「碇、くん……?」

ふと、聞こえた声。

それは忘れてしまったはずの、懐かしい響き。

望遠鏡から目を離す。

振り返った先にいたのは、紛れもない彼女だった。

前と変わらず、でも大人になった彼女だった。

驚きで声が出ない。

目を何度もこする。だけど消えない。

立ち上がる。突然のことに頭がクラクラする。

ふらつく足で、彼女の元へ。

手を伸ばす。手を握る。










―――あの日握れなかった手は、優しくて温かかった。










その温もりと同時に、彼女が幻覚じゃないということがわかって。

さっきまでずっと泣いていたのに、それ以上に涙があふれた。

君は、来た。来てくれた。

届かないはずだった君は、どうだろう?

今、目の前にいて、触れることが出来る。

僕の、目の前に……
















迷信なんかじゃなかった。

流れ星は迷信なんかじゃなかった。

信じれば、願いは叶うんだ。
















彼女に縋り付いて、僕は泣いた。

後悔も、諦めも、格好だけの大人の仮面も、全てを流してしまうように―――






































一通り泣いて落ち着いた後、あの日と同じように並んで座る。

でもあの日と違うことはたくさんある。

話すことはたくさんあるし、手も繋いでいる。

そして何より、僕らは大人になった。

でも、根底に流れているのはきっと、何も変わらない少年少女の僕らなのかもしれない。
















綾波が半年ほど前に日本に戻ってきたこととか、お互いが知らない少年時代をどう過ごしたかとか、たわいもない話をたくさんした。

星が輝く空の下、静寂からいくつも生まれる声。

いつの間にか星の光は優しく、あの頃と同じく瞬いていた。

あの頃と変わらないこと、変わってしまったこと。

だけど、笑い合っている僕らはきっと、あの頃のままなんだ。

今を必死で紡いでたあの頃と。
















あの日、流れ星にかけた願い。

そして、心の奥に仕舞い込んでた気持ち。

もう決して、後悔することの無いように、僕は君に言う。

「綾波、君に言わなきゃいけないことが―――」



















あの日の僕の願いは、今、再び輝き始める。























「綾波と両想いになれますように。」






あとがき

どうも、牙丸です。

これはもともと小説を語る掲示板の方での投下作品をリテイクしたものです。

二つあった作品を一つにまとめた形なので、レイの方の心情描写が消えてしまったのが残念ですが……

作品の書き直しとはいえ、まだ雑な部分はあると思いますが、そこは大目に見てやって下さい。

これからも精進します。

それでは。



ぜひあなたの感想を牙丸さんまでお送りください >[kibamaru@hotmail.co.jp]


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