(なんで・・・こんなことになったんだろう)
何度目の問いなのだろう。
つきつめれば自分が悪いということは十分承知しているが、その問いは頭から離れない。
(なんで・・・こんな格好してるんだろう)
今の格好は・・・エプロン。
別にエプロン姿になることは珍しくはない。というか家事能力が皆無と言っていい同居人2人を養うために、
毎日のようにこの姿になっている。その日常的な姿を非日常的にしている理由はいくつかある。
(やっぱり、このキッチン・・・慣れないな)
まず1つ目に、ここが使い慣れた台所ではないということ。造りは葛城家のそれと同じだが、その部屋の独
特な雰囲気によりまったく違う部屋に思える。
(どうしよう・・・人に教えたことなんてないし)
2つ目に、今は料理をしているのではなく料理を教えているということ。人に何かを教えるということは今
まで経験したことがない。そして3つ目・・・おそらくこれが1番の原因だろう。それは、
「?・・・碇くん、どうしたの?」
「なっ、なんでもないよ・・・綾波」
料理を教えている相手が綾波レイということだった。




・・・初めての料理・・・




数時間前・・・
シンクロテストが終わり、シンジが家に帰ってみると普段いるはずの2人の姿はなく、かわりにメモが1枚
残されていた。
『冷蔵庫カラだから、買ってきて』
一応中身を確認してみると、冷蔵庫は見事なまでに空っぽであった。そして台所には見るも無残になった鍋
や食器の数々。匂いからカレーを作ったのだと判断できたのだが、普通カレーには入れない食材まで使われ
た形跡がある。
「ミサトさん・・・か」
こめかみを押さえながら呟くシンジ。
メモがあるということはミサトはネルフに用事、アスカはこの場から逃げ出したと考えるのが妥当だろう。
「片付けしてたら・・・日が暮れるな」
今夜はカップラーメンにでもしようと思いながら、シンジは家を出た。



「えっと、後は・・・」
買い物カゴを片手にシンジは辺りを見渡す。今、彼がいる所は駅前大型デパートの食品売り場である。周り
にいる人々は主婦らしい女性ばかりで男性はごくわずか、中学生となるとシンジ以外には見当たらない。
「醤油・・・だな」
買い物カゴの中身はすでに満杯である。
「調味料まで全部使ってるなんて・・・」
それでよくカレーの匂いがしたものだと逆に感心する。
「まぁ、これで全部買え・・・あれ?」
必要なものがそろい、レジに向かう途中シンジは見覚えのある後ろ姿を見つけた。
「・・・綾、波?」
中学の制服を身を包み、蒼い髪を持つ少女など綾波レイ以外に考えられない。
それなのに彼女の名前が出るのに間があったのは、彼女がデパートの食品売り場にいたことなど今までない
し、買い物をするイメージなど持っていなかったからだ。
「綾波、何してるの?」
気付いたら彼女に近づき、声をかけていた。
後々考えてみると、食品売り場で買い物以外に何をするというのだろう。
「!・・・碇君」
振り返ったレイは深紅の瞳を見開いていた。
「珍しいね、綾波がこんなとこにいるなんて」
「ええ・・・」
「どうしたの?」
「料理・・・しようと思って」
レイは答えながら両手に持つ食材を見る。
つられてカゴを見たシンジは顔を引きつらせた。
「綾波・・・それ」
そこにはシンジのカゴに負けず劣らずの大量な食材が入っていた。
中にはいったい何処で見つけたのか、トリュフ、フカヒレ、フォアグラ、キャビア、七面鳥、鯛(尾頭付
き)etc・・・とてもスーパーなどで売っているとは思えない食材まである。
「・・・何、作ろうと思ったの?」
「ブイヤベース」
「・・・はっ?」
「フカヒレスープ」
「・・・・」
「・・・トムヤンクン?」
それは世界の3大スープ(ボルシチが入ることもある)だ。
「綾波・・・料理、できる?」
額に汗を流しながら尋ねるシンジ。
「いいえ」
「・・・教えてもらったことは?」
「ないわ」
「・・・・」
「・・・・」
会話が途切れる。
「えっと・・・」
「・・・・」
「その・・・」
「・・・・」
「僕が教えてあげようか・・・なんて――」
「構わないわ」
「はっ?」
「行きましょう・・・」
驚いて聞き返すシンジをよそに、レイはレジに向かって歩き始めていた。



(まさか、本当に教えることになるなんて)
さきほどの言葉は間が持たなくなって言った、苦し紛れの冗談のつもりだったのだ。レイに冗談は通じない
と分かっていたが、通じないにしても絶対に断られるだろうと思っていたのだ。
「この後、どうすればいいの?」
「えっ?」
レイの言葉に現実に引き戻されたシンジ。
「あ、ごめん・・・次は」
次の調理過程を的確に指示する。
今、シンジが教えている料理は『肉じゃが』・・・
「はい、最後に醤油を加えて煮込んだらおしまい」
「じゃあ、次の料理・・・教えて」
「ええっ!?・・・次って」
驚いてレイを見た後、居間にあるテーブルに視線を移すシンジ。そこには、すでに作り終えた何品かがテー
ブルの上に置かれていた。
「今日はもう、止めとこうよ」
「どうして?」
「どうしてって・・・これ以上作ったら、食べきれないよ?」
「・・・わかったわ」
レイは少し考える素振りを見せた後、小さく呟いた。
「じゃあ、僕はこれで・・・」
「・・・食べて」
「えっ?」
「食べて、いかないの?」
「う、うん・・・もう、時間も遅いし・・・」
答えながら部屋の窓を見るシンジ。窓の外はもう暗くなり始めていた。
「そう・・・」
「?・・・それじゃ、帰るね」
俯きながら答えるレイに疑問を持ったが、そのまま出口へ向かった。
「碇くん」
「何?」
レイの呼び止める声に振り向く。
先程、俯いていたはずの顔はこちらを向いている。
「今日は・・・ありがとう」
「えっ・・・」
突然の言葉に驚くシンジ。
「うん、どういたしまして」
だが、すぐにその顔は満面の笑みに変わっていた。



「ふぅ・・・」
シンジはレイのマンションを少し離れたところでため息をついた。右手には食材の入ったビニール袋を提げ
ている。
(なんか・・・変な感じだな)
デパートでレイに出会ってから、部屋で別れるまでの時間が滝のように流れて、まるで夢でも見ていたよう
である。しかし、今日の事は夢などではない。
(・・・・)
振り返ってマンションの方を見る。唯一、明かりが灯っている窓の所がレイの部屋だ。
(なんか、今日の綾波・・・いつもと違ったな)
デパートで必要ない食材を大量に買う所だった彼女。
部屋に入るなりエプロンを着始めた彼女。
もう1つのエプロンを着るよう自分に迫ってきた彼女。
味付けに塩を1ビン全部入れようとした彼女。
自分の説明を一生懸命に聞き入る彼女。
別れ際にありがとうと言ってくれた彼女・・・・
(でも・・・)
そんな彼女の雰囲気がとても心地よかった。
普段とは少し違った柔らかい雰囲気が安心できたんだ。
「料理・・・また、教えたいな・・・」
それは彼が始めて積極的に望んだことだった・・・



シンジが帰った後、レイは作った料理を食べながら今日のことを思い出していた。
レイがいきなり料理を始めようとした理由は、立ち読みした漫画にあった。
漫画の1コマに描かれていたヒロインが主人公に弁当を渡すシーン・・・
・・・碇、くん?・・・
何故かその主人公が彼と重なって見えた。
・・・碇くん・・・
私を助けてくれた人。
私に笑顔をくれた人。
私に涙をくれた人。
私を見てくれた人。
私に・・・ココロをくれた人・・・
この主人公は喜んでいるように見える。
・・・碇くんが、喜んでくれる・・・
そう思った時、足は自然と食品売り場に向かっていた。
(・・・でも)
まさか、食品売り場に彼がいるとは思いもしなかった。そして彼が「料理を教えてあげる」と言ってくれた
事も。
弁当を渡そうとしている本人に料理を教わるのも変な気がしたが、まずい料理を渡すよりはずっといいと思
い、彼の申し出を受け取った・・・
(・・・・)
ちがう料理に箸をのばす。それは、彼が手本として作った料理だった。
(おいしい・・・)
そして、
(温かい・・・)
この料理は、一番始めに作ったものだ。冷め切っていたし、味も大分落ちてしまっていただろう。
だが、レイには今まで食べたどの料理よりもおいしく感じていた。
(・・・・)
料理を通じて、彼の温もりが伝わってくる気がしたのだ。
(ありがとう・・・)
感謝の言葉。2度目の言葉・・・
(言葉だけじゃ・・・ダメ)
何かが足りなかった。彼にお礼がしたかった・・・
お礼・・・お礼?
「あっ・・・」
レイは何かを思いついたように呟くと、再び台所の前に立ち始めた。
その顔にはうっすらと、それでもはっきりと笑みが浮かんでいた・・・



〜翌日の学校で〜
教室でレイがシンジに弁当を渡そうとして、学校全体の騒ぎになったことは言うまでもない。


あとがき
キトウキノです。
短編としては初めての投稿、いかがだったでしょうか?
「フタツのココロ」の方も、ぜひ読んでみてください。
それではまた・・・


作:キトウキノ

【投稿作品の目次】   【HOME】