シラナイ

Written by 北並



不思議なものを、見た。
混じりあって、全てが一つで、でも一つひとつがとても大きくて。
それぞれは、連続したものになっていなかったけど。
飛び飛びの「何か」は、「もっと」と、いつもは思いもしないことを私に願わせた。

目覚めてから、今のは「ユメ」と言うものだったのかと考える。
起きたあとは結局、なにも憶えていなかった。
けれど、欠けて色あせたようなものばかりだったのに。私にはそれが、とても鮮やかに見えたような気が、した。
かすかに心の奥に湧いた、淡い光のようなものを大切に抱え込みながら、私は日課をこなしに本部へと向かう。


何事もなく、試験を終え。長い移動階段に乗った私は、その到達地点に誰かが立っていることに気がついた。
「君がファーストチルドレンだね。……綾波、レイ。君は僕と同じだね。お互いに、この星で生きていく身体はリリンと同じ形へと行き着いたか」
嫌な感じがした。今のこの瞬間まで、会ったことも話したこともない存在。
それなのに、いやに私の近くまで入ってきている。そしてそれと同時に、私を拒絶している。
……違う。拒絶ではない。
それは、否定。
私という存在を正面から否定されている。
ここにいることを否定されている。
場違いだと、言われている……
「あなた、誰」
そのままでは、まともに彼に対峙していることができなくなりそうで。
私はわたしらしくもなく、言葉を紡いで沈黙から逃げ出した。
答えは最初から期待していない。なのに、
「言わなければ、わからないのかい?」
どこか不可解な笑みで、そう返された。
言われた意味もわからずに、面食らって立ち尽くしていると、彼は勝手に納得した風で肩をすくめる。
「なんだ、てっきりもう彼女なのだと思っていたんだけどね。身体はまだ君のものなのか。……かわいそうに。結局逃れられないのだから、早いうちにいなくなってしまうのが君の為だ……いや、なるほど」
彼が一歩、こちらに足を踏み出した。
体を硬くする。

早く離れたい。

何を言っているか理解したくないから。

この人と一緒にいたくない。

何を言われているかわかってしまうから。

この人に耳を傾けてはいけない。
私が壊れて、中身が顕わになってしまう。

「君はもう、ただのカケラじゃないのか」
それでも私は、彼の言葉を聞いてしまった。

自分が消え去ってしまいそうな浮揚感と、
暗い穴の奥から出てくるような冷たい気配。
私に話しかけているのに、私のことは全く意に介さず彼は語り続ける。
「もう既に、大元とは分かたれてしまったようだね。完全に一個の存在になろうとしている。そうだな、あまりに長く体に留まりすぎたからか……それとも、」
その次の言葉を聞いたとき、

「彼とのことなのかな」

その言葉を聞いたとき私の意識は一気に目覚めて、胸の奥底まで入ってきていた彼の言葉を拒絶した。
「あなたが何を言っているのかわたしにはわからないわ。私は私、綾波レイ。他の何者でもない。あなたなんかに、私に触れてほしくない」
ふしぎなことに私は、何かかけがえのないものを穢されたような、そんな苛立ちに満ちていた。
彼は私の言葉を聞いたすぐ後は面食らったような顔をしていたが、やがてふうんと鼻を鳴らすと反転して歩み去っていった。
去り際に、こんな言葉を残して。
「まあ、君がそのつもりならそれでいいさ。でも君には、もうここにいる理由はないはずなのにね」
彼の背中が自動扉の向こうに消えるのを、私はただ、眺めていた。


私は胸の奥にはっきりとしないものを抱えたまま、家へと帰っていった。

私、なぜここにいるの

終わりのときが来るまで、ただ在るために。
―――違う、気がする。それなら、「私」はいなくてもいい。
私が、この私自身が、中身を封じてまでここにいる理由。
……わからない。

私、なぜまた生きてるの

「また」?なぜ、こんなことを思ったのだろう。私は、ほんの数日前に目覚めた、「3人目」であるはずなのに。
……なのに、私は確かに彼に、綾波レイだと告げた。
何かが、たりない。

何のために
誰のために

足りないものは、私の記憶。胸に抱いていた、私の光はなんだったか。私はきっと、その為にいるような気がしたのに。

……はっきりとしないものだったから、とても大切なものだったことしか覚えていない。
それが何か、知りたい。

フィフスチルドレン
あのひと、私と同じ感じがする
……どうして

本当は、とっくに感づいている。彼に「私」を剥がされそうになったときに。それでも、それを認めたくない。感づいている理由を、私は認めたくない。
認めたら、もう私は私でいられない。ワタシに、抑えがきかなくなる。

あの少年が去る少し前に言った言葉、私を引き戻した言葉を思い浮かべる。
「彼とのこと」。あの少年は、それが私を私でいさせていると言った。
「彼」とは誰だろう。

碇司令ではないと、思う。碇司令は私に関わってはいない。「私」に影響を与えてはいない。

それなら……?

その先に思いを巡らせても、あともう少しというところでつかえてしまう。
ぽっかりと空いた黒い穴が、邪魔をしている。
何かきっかけがあれば、すぐにも出てきそうな気がするのに。
なのに、このままでは絶対に、それには届かない。


考え事をしているうちに、眠ってしまったようだった。

目覚めて食事を摂ったあと、ふと本部へ行こうと思い立つ。
今日は特に予定はなかったはずだけど、それでもこのままここにいても何も起こらないだろう。
だから、行かなくては。
あそこでなら、きっと何かが起こるから。


本部に到着してから、私は特に何ともなく歩き回った。生まれたときからずっとこの中で暮らしていたのだから、迷うはずはない。

……それなのに。私はなぜか、今まで通ったこともない道を通っている。なぜだろうと思う暇さえ与えず足は進む。
さっきから目の前をちらつく赤い色で思いがまとまらない。うるさくがなりたてている音のせいで考えることができない。耳元でささやいている声が思考を許さない。

私はなぜ、どこへ向かっている?

(下へ)

考えるまでもない。下には、ワタシがいるから。
私はそのままのふらふらとした足取りで、さらに地下へと潜っていった。


下へ向かっていくつか目のトビラを開けようとしたとき、目の前には大きな壁が立ちふさがっていた。
その壁を前に、私は怯んでいる。
昨日感じたあの否定、嫌な感覚。
私は、この先に進みたくない。

ワタシは私を急かす。
(進め)
私は怖がっているわけではなく、ただ嫌なだけだ。
(すすめ)
この先で、結局はワタシが本来なのだということを認めざるをえなくなるから。
(ススメ)
これまで無視していた、押さえつけていたのに、それを認めることは自分が消え去ることを意味する。
(ススメ!)
私は押さえつけていた原因に、心を巡らせた。そしてそのとき、なにかが、

頭の中で、はじけた。

そうだ。あの少年がこれの原因なら、確実に彼はこの中にいるはず。
今戦えるのは、彼しかいないのだから。
そう、その「彼」は。

……碇君

その名前を思い浮かべたとたん、温かいものに包まれた気がした。
「……碇君……」
ポツリとつぶやいてみる。
何かが、あふれてきそうになる。
確か、目覚めて最初の夜もそうだった。碇君のことを思い浮かべるだけで、心が温かく、そして痛くなった。

そして、あのふしぎな「ユメ」は、碇君に関係することだったのだと、ようやっと私は気がついた。
はっきりとした内容は思い出せないまま、心の奥に何かを残したまま、でも一番に重要なことを確立し私は動き出した。
こうしてはいられない。碇君を、助けなくては。
あの少年は、私に対峙してワタシを揺り起こした。
それと同じように、不安定な碇君の心の隙間に入り込み、彼を壊そうとするだろうから。


赤い機体と紫の機体が闘っている現場から少し離れた位置、磔の大十字の前に彼はいた。
……ワタシの、前に。
それを見上げつつ、彼は何事か呟いている。聞き取れない。闘いの音がうるさい。
でも、それなのに、
「……リリス」
彼が言ったその名は、私の中に直接響いてきた。
頭が痛む。
内側からこじ開けられようとしている。
気を抜けばすぐにでもどうにかなってしまいそうだった。そのとき、
轟音で感覚が戻ってきた。
弐号機が倒され、朱い飛沫があがっていた。あとから初号機が現れる。
それに振り返った彼は、伸ばされた初号機の手に掴まれた。
「ありがとう、シンジ君。弐号機は君に止めておいてもらいたかったんだ。そうしなければ、彼女といき続けたかもしれないからね」
『カヲル君……どうして!』
その、心底苦しそうな碇君の声を聞いたとき、私は既にこの少年が碇君の心に入り込んでしまったことを、―――手遅れだったということを、知った。
癪に障る笑みを浮かべながら、手の中の彼は答える。
「僕が生き続けることが、僕の運命だからだよ。結果、ヒトが滅びてもね。……だが、このまま死ぬこともできる。生と死は等価値なんだ、僕にとってはね。自らの死、それが唯一の絶対的自由なんだよ」
碇君を傷つけた彼が、そしてこうなるまでなにもできなかった私がとても嫌。
……けれど、私に何ができたのだろうか。碇君に会えない、私に。
『何を……カヲル君、君が何を言っているのかわかんないよ!……カヲル君』
繰り返すたびに、碇君の叫びは悲痛さを増す。
いまの私では、どうやっても碇君を救えない。

けれど。本当に私は、ただの私なのだろうか。そんな思いが、頭を離れない。

彼がふと、こちらを見上げてきた。私はそのまま冷たく少年を見下す。碇君を傷つけた、許せない彼は薄く笑い、
「君たちには、未来が必要だ。……ありがとう……君に会えて、嬉しかったよ……」
とても卑怯な言葉を後に残し、

そして最期まであの笑みを浮かべたまま、消えていった。


もう、私にできることは何もないのかもしれない。
けれど、私はもう一度碇君に会わなければならない。
私が見たあのことが、ただのユメだったのか、それとも現実に起こったことなのかどうか、碇君に聞かなければならない。

私は、あのユメを思い出したとき一つ思った。この私が、前の私からつながっているのかもしれないと。
今は断片しか思い出せないけれど、それでもそのユメには碇君がいた。
もしあのユメが現実に起こったことなら、私はわたしと同じなのかもしれないと思える。
何の為にここにいて、いま、何ができるかがわかる気がする。

だから私は、碇君に、もう一度だけ、

「会いたい……」



ぜひあなたの感想を北並さんまでお送りください >[nk246@jcom.home.ne.jp]

【投稿作品の目次】   【HOME】