悲恐を越えてwritten by クーゲル
『君は1人なんだね』 「僕は1人なんかじゃない! アスカが、ミサトさんが……レイだって! みんながいる!!」 『偽るの?』 「偽ってなんかいない! 僕は1人じゃない!」 『誰もいないよ。君の周りには誰も』 アスカも、ミサトさんもリツコさんも、トウジもケンスケも委員長も。父さんも……レイも 僕の前から消えていく。 『ほら、誰もいない』 「嘘だ! こんなの嘘だ!!」 『嘘? 自分の心に嘘をつき、偽ってきたのは君だろう』 「違う、違う違う!! 僕は自分の心になんか嘘はついていない! 偽ってなんかないんだ!」 『そう。どうやら君の心の中には大切な人がいるみたいだ』 「大切な人……。レイ」 消えていた綾波が僕の前に現れる。制服を身に着け、いつもの穏やかな笑顔で僕の前に立っ ている。僕はレイに触れる為、手を伸ばす。レイも僕の手を握り返してくれた。心が満たされ ていく。この温もりは彼女にしかない温もり。 『その人が君の大切な人』 そう。レイは誰よりも大切な人だ。いつまでも一緒にいたい。いつまでも。 『じゃあその人も消してあげるよ』 僕の前からレイが消えていく。穏やかな笑顔を浮かべて僕の手を握ったまま。 「やめろぉおおおおおお!!!!!!!!!!」 「レイッ!!」 シンジはベッドから飛び起きた。呼吸が荒く、ひどい汗をかいている。そんなもの今はどう でもよかった。ふと、机の上に置いてある時計に目を向ける。時計は何事もなかったように静 かな機械音を奏でながら役割を果たしている。午前1時過ぎ。シンジはそれだけ確認すると枕 元に置いてある携帯電話を手にとった。 携帯を開くと眩しい光がシンジを照らす。最初は眩しそうにしていたシンジだったが、だん だん目が慣れてくる。シンジの瞳に映るのはレイと2人で映っている自分がいた。以前アスカ がシンジの携帯の機能を使って撮ったものだ。シンジは少し恥ずかしながらも笑顔で。レイは 頬を染めながらも穏やかな笑顔だった。 シンジはそんな2人を飽きることなく見ていた。どれくらい経っただろうか、シンジは思い 出したかのように発信履歴へと操作を行おうかしていた。後1回。後1回ボタンを操作すれば 発信履歴がわかる。だが、シンジの手は止まった。 怖かった。そこに彼女の名前が無いかも知れない。昨日も電話した。その前も、その前も。 分かっていた。そこには彼女の名前がある事を確信しているはずなのに。それなのに手に力が 入らなかった。そこに彼女の名前が無かったら僕はどうすればいいんだろう。さっきの夢が、 映像が浮かび上がる。消えていくレイ。 シンジは頭を軽く振ると、深く深呼吸した。そして、手に力を入れ、ボタンを操作した。 「あ……」 シンジは小さく声を漏らした。安心したような溜息でもあった。発信履歴にはしっかりと彼 女の名前が刻まれている。レイ、と。 『そうだよ。そんな事あるわけないんだ。僕の前から消えるなんて・・・』 だがシンジはあの映像が頭から離れなかった。レイがいることは確認している。分かってい るはずなのに不安でしかたなかった。この不安はどうすれば収まるのか。シンジは考えるより も先に動いていた。 走った。月明かりが照らす夜道を走り続けた。肺が破れそうになっても、足がうまく回らな くなっても走り続けた。 気づくとそこはレイの部屋の前だった。昔のようにポストの中にチラシが詰まってはいなく、 綾波と書かれた表札だけが変わらずそこにはあった。 だがシンジにはそこがレイの部屋だとわかっていた。何度も来たレイの部屋。間違う訳はな かった。シンジは呼吸を整えるとドアノブに手をかけた。ゆっくりとノブを廻し、少し手前に 引いてみる。扉は小さな音を立て、開いた。 シンジは少し戸惑った。いつもなら鍵が掛っているはずなのに。 『いつも鍵を掛けるんだよ』 自分がレイに言った言葉。それ以来、レイはしっかり鍵を掛けていた。シンジには合鍵を渡 している。だからレイがいつも鍵を掛けている事は知っていた。なのに今日は……。 シンジはあの時の不安を感じた。レイがいないのではないか。本当に消えてしまったのでは ないか。あの嫌な感覚がシンジを襲う。子猫が1匹通れるくらいの隙間を空けたまま、シンジ はドアノブを持ったまま止まっていた。 ふと、部屋の中から人の気配を感じた。シンジはすぐに扉を開いた。誰かが立っていた。廊 下は暗く、そこに立つ者の顔は見えない。普通の人ならばそこに立つ者が誰かなど分かるはず はなかった。 だが、シンジは違った。そこにいる者がだれかすぐに分かった。レイだと。 シンジは靴も脱がずにレイに近づいた。ゆっくりと、一歩一歩確実に近づくと、だんだんと 姿がはっきりしていく。手を伸ばせば触れられる、抱きしめる事ができるところまで近づいた が、シンジは歩みを止めた。触れてしまえばあの時のように消えてしまうのではないか、そん な考えがシンジの中にはあった。 お互いに動かず、どのくらい経ったか、シンジが口を開きかけた瞬間だった。 シンジはレイに抱きつかれた。シンジは咄嗟な事に驚いたが、抱きついているレイが小さく 震えている事に気づくと、シンジはレイを抱きしめた。 『綾波も……怖かったんだ』 シンジはレイも同じ夢を見たに違いないと思った。何故そう思ったかなどわからなかったが、 そう確信していた自分がいた。 レイの震えがおさまった事を感じたシンジはゆっくりと離れた。レイは離れていくシンジを 感じると咄嗟にシンジの手を握った。そのまま踵を返すと、シンジを連れて部屋の中に入って いく。 シンジは自分の手を握り部屋に入っていくレイの後ろ姿を見ながらも、靴を脱いでいない事 を思い出し、慌てて脱ぎだした。片手でなんとか脱ぐことはできたが、2人はすでに部屋の真 ん中まで来ていた。レイはそこまで来るとシンジの方を見つめた。 月明かりがレイとシンジを照らす。シンジが部屋にきてからお互いにやっと顔をはっきりと 見ることができた。 シンジは目を見開いた。レイの頬には涙の跡が残っていたからだ。シンジはすぐに自分の胸 に手を当てる。しっとりと濡れている自分のTシャツを握りしめると、もう1度レイを抱きし めた。 「どうして来たの?」 「レイが……消えてしまう夢をみたんだ」 「そう」 生まれた姿のまま2人はシーツに包まってベッドの上で横になっていた。しばしの沈黙が続 くと、今度はシンジが口を開いた。 「でも、どうしてレイはあそこに立っていたの?」 「シンジが来るような気がしたの」 「だから鍵も開けていたんだね」 「ええ」 あの夢から覚めた後、レイはシンジが来る気がした。どのくらい立っていたのかさえ分から なかったが、シンジは来てくれる。そう信じてレイは待っていた。そしてシンジはやってきた。 当然恐怖もあった。来てくれないのではないかと。だがそれも当然だった。連絡もいれていな いのだから。そう考えているとあの夢の映像が浮かびあがってくる。微笑んだまま消えていく シンジの姿。その恐怖に駆られていたが、自分が想っている人が、自分を想っていてくれてい る人が目の前に現れた。嬉しかった。 でも、怖かった。シンジに触れれば消えてしまうのではないかと。レイもまた、シンジと同 じ気持ちだった。そして、彼の温もりを感じたレイは涙を流した。恐怖で体が震えても二度と 離すまいと力強く抱き締めた。シンジも同じように抱き返してくれた。 そしてレイは感じた。シンジと一つになりたいと。 「綺麗だったよ。レイ」 シンジを見つめながらさっきの事を思い出していたレイだったが、突然のシンジの言葉にが 赤くなっていった。そんなレイを見たシンジは、自分が言ってしまった言葉と今の姿を見て、 急に恥ずかしくなり赤くなった。 お互いを見つめたまま赤くなった2人はしばらくそのままでいたが、どちらからともなく唇 を重ねた。月明かりがいつまでも2人を照らしていた。 「シンジ、何を見ていたの?」 「え? あ、なんでもないよ。レイ」 「そう。それより用意はできたの?」 「うん。バッチリだよ」 「それじゃ、行きましょう」 シンジはテーブルの上に置いてあったバスケットを手に持つと、ニッコリとレイに微笑む。 その笑顔を見るとレイも穏やかな笑顔をシンジに向ける。 「行こうか、レイ」 「ええ。シンジ」 2人は部屋を後にする。穏やかな日差しが部屋に差し込む。そして、テーブルの上には1つ の携帯電話が開いた状態で置かれていた。 その画面には、黒い髪をし、天使の寝顔をする2人の絆。その子をやさしい笑顔で見つめな がら抱きかかえるレイと、その隣で照れながらも、そんな2人を飽きることなく、満面の笑顔 で見つめているシンジがいた。 end
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