このままこうして(Special Version)
Written By NONO
きい。
扉が静かに開く音がした。
大したことではないので、かまわず本を探す。
図書室の出入口の扉は観音開きなので、勢いよく開けて大きな音を立てる人が多い。特に男子生徒。
だから、入ってきたのは女子、と判断しながら反対側の本棚を物色する。
特に目ぼしいものは見当たらない。
このあたりの専門書は、ネルフにあるものに比べてレベルが低いので、読む気にはなれなかった。
けれど、天気予報によれば、今夜から降る雨は明日からの三連休まで続くらしいので、手ぶらで帰ろうとは思わない。
小説が置いてあるコーナーに移動する。
意味深な言葉ばかりが背表紙に書いてある。
人々はそれに購買意欲だったり、こういう場所で借りる気にさせられるのかもしれないけれど、わたしにはわからなかった。論理的なものの方がわかりやすい。
論理的でないものをわかるようになりたいと思っていても、いまのわたしにはわからない。
読んだ憶えのない類いの本ばかりの中で、ある一冊が目に入った。
それを手に取って、表紙の写真――どこかの農場の写真――を見て、確認する。
以前、「彼」が訓練までに時間があるからと言って読んでいた本だった。
「綾波」
声をかけられた。
驚いて、声が聞こえた方を振り向くと、まさに今、わたしが考えていた「彼」が立っていた。
「ど、どうかした?」
わたしの動作に、彼の方が驚いたらしい。
「なんでもないわ」
かぶりを振った。彼は「そう?」と言うと、
「綾波も、雨宿り?」
「え?」
「雨が降りだしたからここにいるのかなと思って」
「知らないわ」
本棚の端から窓を覗くと、確かに雨が降りはじめていた。
「五時までにはやんでくれるといいんだけど」
図書室は五時で閉まってしまうから、彼はそう言った。
「三連休の間中、つづくらしいわ」
「え、そうなの?」
「ええ」
予報より早いけれど、仕方がない。
「まいったなー……傘、持ってきてないんだ」
だからここにいるんだけどね、と彼は苦笑いし、本棚に目を移した。
わたしは、少し迷った末、この棚から移動するのをもう少し後にすることにした。
手に取った本の表紙が、彼に見えるような角度に持ち替えながら。
「あ、その本」
彼が気づいてくれた。
「前、僕がネルフで読んでたやつだよ。憶えてる?」
「ええ」
だから、手に取ったんだもの。
「面白いよ」
「そう」
「うん」
彼は、いつも通りの、少し困ったような笑顔をわたしに向ける。
その笑顔が、わたしの胸になにか影響を与えるのだけど、それが何かを表現できず、もどかしさだけが残った。
わたしが困らせているのかと思うと、なんとか困ってない笑顔を見てみたいと思う。
そんなこと、いつから考えるようになったのだろう。
静かな図書室に、雨の音がかすかに聞こえる。
本棚の両端に立つわたしたち。
その距離が、本を探すことで縮まっていった。半歩ずつ、あくまで半歩ずつ。
少しの間だけ、わたしたちの距離がほとんど零になった。同じ本棚の同じ列を眺められる距離。
でも、それはすぐに終わって、狭い通路を交差してわたしたちは本棚を眺める。
半歩づつ、半歩づつ遠ざかっていく。そのことが、わたしの胸を強く刺激する。
わたしが最初に立っていたところに辿り着くまでには、彼は何冊かの本を手にしていた。
彼がわたしと最初に顔を合わせた場所に辿り着くころには、わたしも何冊かの本を抱えることができた。
わたしは用が済んだので、受付で手続きを済ませてカバンに本をしまった。ずしりと重くなる。
彼も、他の本棚にはほとんど用がないらしく、貸し出しの手続きを終えて本をしまった。
「帰るの?」
彼が問いかける。
「ええ」
わたしが答える。帰らなくてはならなかった。もう、用がないから。
(用がないと、帰らなくてはいけないの?)
わたしはわたしに問いかける。
わたしにはそれを覆せるだけの経験も、知識もなかった。
(そうよ)
「傘は?」
「ないわ」
「濡れるよ」
「かまわないわ」
「かまわなくはないと思うけど」
「べつに、気にならないもの」
それは本当だった。雨に濡れるからといって、それが必ず風邪をひくことになるわけでもない。
「じゃあ、僕も帰ろうかな」
「え?」
雨はまだ降っているのに?
「いや、ほら、やみそうにないし、だから……だからだよ」
彼は慌てて答える。
どうしてそんなに急いで答えたのか、わたしにはよくわからないけれど、彼がわたしと一緒に出るなら、わたしには十分。
「なら、行きましょ」
「そうだね」
わたしたちは一緒に図書室を出て、校門をくぐり抜けた。
幸い、雨は小降りだったのでそれほど気にせず歩ける。
でも、急に雨は強くなりだした。
すぐに質も量も、聞こえる音もさっきまでと変わって激しくなる。
「あそこで雨宿りしよう」
彼が公園にある屋根の下のベンチを指す。さすがに豪雨の中を歩く気にはなれなかったので、頷くなりわたしたちは小走りでそこに駆け込んだ。
「まいったな……」
彼が半ば途方に暮れている。
「これから買い物に行かなきゃいけないんだ。晩ご飯の手抜きすると、アスカが怒るからさ」
どうしてこんな時でも買い物に行かないと、怒られるんだろう。わたしにはわからない。
間違っているのは向こうの方で、彼ではないように思える。
それに、どうして彼女の名前がここに出てくるの?ここにいるのは、わたしとあなただけなのに。
顔に力が入っているのを自覚して、顔を拭いながら表情を戻す。彼に気づかれてないことを祈りながら。
「雨か……全部、流れてしまえばいいんだけどね。悲しいことも、つらいことも」
彼が呟く。
「そうね」
わたしが頷く。悪くないタイミングだったと思う。
それからしばらく、雨が降る様子を眺めていた。
少し冷えた身体が、同じ本棚の、同じ列を眺められる距離にある彼の体温を感じ取る。
たぶん、彼も感じていてくれていると思う。それが彼にとってはどうなのかは、わからない。
どうあって欲しいかは、なんとなく、わかっている。
「碇くん」
わたしが振り向いて話しかけると、碇くんは、やっぱり少し困ったような笑顔を浮かべた。
「なに?」
「……なんでもないわ」
「……そう」
向き直ったわたしたちは、二の腕と、手の甲が触れ合う距離で座っていた。
離したいとは思わない。
雨がやんで欲しいとも思わない。
もう少し、このままこうして、座っていたいと思った。
わたしのこの想いが、碇くんとシンクロしていてほしいと、強く祈った。
あとがき
ども、ののです。
「このままこうして」のSpecial Versionでした。
「このままこうして」だけ100%納得いく話ではなかったのと、
そもそもこの「Synchronicity」自体、すでに掲示板で公開されている話なので、
読んでしまった人にも新鮮味が出るようにと思い、書いてみました。
個人的にはいい雰囲気の話が書けたと思います。
ただ、綾波さんの一人称をもっとかわいらしくしたいです。
シンジと大して変わらない書き方になってるのがなあ……(--;
ちなみにメインタイトルの「Synchronicity」はThe Policeより。
二人のシンクロ感(色んな意味で)が出てる話なのでつけました。