秋空の下
――ネルフ司令室――
薄暗い司令室のその中で、椅子に座る中年男、碇ゲンドウは傍らに立つ初老の男、冬月コウゾウに言葉を投げた。
「……冬月、新たな計画を発動する」
机の上に手を組み、重々しくゲンドウは言ったが、冬月の顔には陰りが射すのをゲンドウは見逃さなかった。
「……あの計画かね、私はどうも好きになれんがね」
「……すでに決済を出し、各部署には伝わっている、問題ない」
これだから年寄りは……と思いながら、あぁ、私もじきにそうなるのだなと少しばかり感傷に浸った。
「しかし……、ユイ君は何と言っている?」
あくまでさりげなくを装って、冬月は彼の妻――かつての教え子――の意見を当てにした。
「……ユイはむしろ積極的でした」
「う、うむ……、決済もすでに出しているなら、今更反対は出来るまい」
取ってつけたように、しかし当たり前のことを言う冬月にゲンドウは笑いを必死でこらえた。
その日のジオフロント内のある場所には、第一種警戒態勢が発令されたかのような緊張感があった。
張り詰めた緊張感の中、沈黙を破ったのは、オペレーター青葉シゲルであった。
「目標、投擲運動への移行を開始っ!!」
報告を受けたミサトはすぐさま彼女の右腕、日向マコトへ指示を出す。
「分析結果はっ?」
端末を操作し、データを分析し終えたマコトは、結果を報告する。
「投擲される物体の、直線移動を取る可能性を三者一致でマギは支持しています」
ミサトたちのこの一連の作業は、ほんの一瞬しかかかっておらず、日ごろの練度の高さが垣間見えた瞬間であったと言える。作業の最後の段階として、ミサトはシンジに対して指示を出した。
「任意に迎撃っ!!」
そのときすでに、目標は物体を投擲していた。
「目標来ますっ!! 推定時速120kmっ!!」
そして次の瞬間……
「!! 目標、軌道を変更っ!! ダメです、避けられません!!」
「うわっ!!?」
ズッバーンッ!!!
重みのある鈍い音がその場に響き渡り、シンジは力なく地面に膝をついた。
「シンジ君っ!?」
だがミサトの呼びかけもむなしく、シンジはただ首を振るのみ。
そしてそれに止めを刺すかのようにナオコはマギの結果を伝えた。
「パターンイエロー累積による、パターンレッドへの移行……残念だったわ、シンジ君」
「……シンジ、お前には失望した。しかし……よくやったな」
サングラスの位置を直しながら、彼は息子に対し毒づいた。
そして次に出たケンスケ、さらにはマコトすらも、ゲンドウの迫力の前に状況の打破は出来なかった。
「状況は芳しくないわね……」
ミサトは作戦要員の顔を見回しながら、腕を組んだ。
「……白旗でも挙げますか?」
いつかどこかで聞いた台詞を、彼女の側近であるマコトは少しおどけた調子で言った。
「勝負を諦める前に捨て身の努力よ!! 相手の攻撃能力は?」
勝負師ミサト。シゲルに対し、相手の分析を命じた。
「マギによると0-100で周期的に変化しています!」
「……判断するにはデータが少ない、か。……しょうがない、シンジ君に頼るしかないわ、この作戦は」
まずはデータ収集が必要であると判断したミサトは、シンジに頼ることにしたが、黙っているはずのない彼女がついに口を開いた。
「それが作戦と言えるってのっ!! だいたい、シンジにやらせるってのが間違いじゃない!! さっきだって一番に出しながらみすみす相手にやられて……」
よほど頭にきていたらしく、先ほどの不甲斐ないシンジの糾弾をはじめるアスカ。
「まぁまぁ……アスカちゃん? これからよくなっていくわ、だって生きてるんですもの」
「「「「「「「「????」」」」」」」」
よく意味の通らない言葉をシンジの母ユイは発し、周りの空気はよく分からない雰囲気へと一変した。
「(ホメオスタシスとかのことなのかしら?)」
風に乗ってきたユイの言葉に、リツコはこめかみをピクつかせながらそう考えた。
「と、とにかく、フォーメーションは話した通り。みんな、行くわよ!!」
気を取り直しながら、ミサトは先頭を切って駆け出した。
*****
「シンジ……、子供は親と向き合うことで成長していける、だが決して忘れてはならないことがある、……分かっているな、シンジ?」
ゲンドウはシンジに言いながら、息子と向き合った。
「うっ……(こ、怖い)」
シンジはかなりびびってしまった。その様子を彼の左側から見ていた蒼銀の髪をもつ彼女は、細いがよく通る声でシンジに語りかけた。
「碇くん……あなたは大丈夫、私が守るもの」
「あ……綾波(に、逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ…………・)」
とてもグッとくる声援を受けて、シンジは自身に自己暗示をかけ始めた。
なかなか戻ってこないシンジに痺れを切らしたナオコが、シンジに対して声をかける。
「早くしなさい、時間が惜しいわ」
「すっすみません……」
一気にしぼんでしまった勇気を再び振り絞り、シンジは初めて彼の父親に対して熱い思いをぶつけるための動作を始めた。
そして……
カッキーンッ!!
思った以上に心地いい音が周囲に響き、ゲンドウは満足したのかニヤリと笑って息子の父への思いに答えた。
「次は私だね、シンジ君!!」
明るい声でさわやかに、しかし目は炎をたぎらせて、鋼鉄の少女は息巻いていた。
「(逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ……)」
シンジのマナに対する思いも、やはり快音とともに返され、シンジはさすがにもうダメだと思っていたその時……
アスカのアクロバティックな動きで、その思いを受け止め、無駄のない動きで、間近に迫りつつあったゲンドウのこれ以上の進攻を阻止することに成功した。
そしてすぐさま、なかなか好きになれないあの少女へ思いをつなげた。
「ファーストッ!!」
「……何?」
やる気があるのかないのか、よく分からない台詞をこの状況で言う彼女は、それでも動作だけは真面目なものであった。
「いい……仕事だから」
しかし無常にも、その仕事はタッチの差で失敗に終わってしまった。
「ちょっとファースト! 何やってるのよ!!」
せっかくのチャンスを逃してしまい、アスカはレイに詰め寄った。
「……セカンド、うるさいわ」
それを一刀両断にするレイ。
「な、な……なんですってぇ〜!!! ちょっと言わせておけば……」
泥沼の様相を呈し始めた雰囲気に、周りの大人たちはため息をもらし始めた。
「と、とにかく1アウト取れたんだから……」
シンジはそんな周りの大人たちの空気を敏感に察知してアスカをなだめようとした。
「あんたバカぁ〜!? この調子で勝てると思ってんの? もっと強気に行きなさいよ!! 大体、相手に「打ってください」って言ってるような球投げてんじゃないわよっ!!」
一つ返せば少なくとも十は返ってくるアスカの口撃に、シンジは一気に自信を失くしてしまった。
「あ〜あ……、シンジ君がすねちゃった」
ベンチから様子を見ていたマヤだが、すねてるシンジ君も可愛いな……と、頬をほんのりと染めた。
愛しいシンジ君のそんな状況に耐えられなくなったその少年は、座っていたベンチから立ち上がると、シンジの背後から接近し、声をかけた。
「自分が嫌いなのかい?」
突然背後から声をかけられ、シンジは大いに驚き、涙目で振り向いた。
「アスカに嫌われたんだ……」
「他人に嫌われたから自分が嫌いなのかい? 君は君の思うとおりにやるといい……。僕は誰かの言いなりになってるシンジ君を見るのは辛いんだ……」
カヲルの優しい言葉に、シンジは心が洗われるような感覚を得た。気がつくと、カヲルの顔が結構近い距離にあって、思わず顔が赤くなってしまう。
「カ……カヲル君、う、嬉しいけど……、近いよ」
「シンジ君のはにかんだその顔、とてもいいね、好意に値するよ……、好きって事さ」
「ちょっ……、ちょっとカヲル!! 試合中に相手チームのピッチャーたぶらかして何考えてるの!!?」
マウンドで始まった妖しい雰囲気に、アスカはレイ糾弾を早々に切り上げ、カヲルを非難した。
「これは心外だなぁ……、僕は君たちのチームの危機を救ってあげようとしてるだけなのに」
「司令……、このままだと収拾がつかなくなるかもしれません……」
ここまで静観していた大人たちの中で、リツコは痺れをきらし、ゲンドウに進言した。
リツコは、徐々に深まっていく秋の気配と共にやってきた薄寒さに嫌気がさし、早く自分の研究室に戻ってコーヒーが飲みたくなっていたのだ。
「……ああ。分かっている、冬月、後を頼んだ」
ゲンドウは普段どおりのセリフを残して去ろうとした。
「待て碇、これはそもそもお前が言い出した企画ではないか」
冬月も、寒さが応えるらしく、いつものようにさせまいと食い下がった。
「子どもの駄々に付き合っている暇はない。……ユイ、食事にしよう」
言いだしっぺのゲンドウは、企画した当初の情熱は失い、さきほどの動きで空いた小腹を満たそうと、三塁の守備についていたユイに声をかけた。
「そうはいくか、碇。やめるならやめるで解散命令を出せばいい。そうすれば私たちもアレに付き合う義理はない」
「そうです、碇司令、時間が惜しいですわ。解散命令を出して下さい」
冬月は自分勝手にユイと食事に行こうとするゲンドウに引っ付いて行きたいがために、リツコはとにかくゲンドウとユイが二人だけで抜けるのが嫌だったので、ゲンドウに解散命令を迫った。
「……しかしまだ一回の裏だぞ? 始まったばかりだ、決着はついていない」
「このまま試合を続けることはもはや不可能だ、致し方あるいまい? ……なあ、赤木博士?」
リツコは冬月のその言い回しと意味ありげな視線を受けて、端末を操作するふりをして冬月の言葉に続いた。
「……マギも賛成2、条件付き賛成1で試合続行不能を支持しています」
「…………各自解散」
ゲンドウは重々しくそう宣言すると、口調とは裏腹に猛ダッシュでユイの手を引くとグラウンドを去っていった。
「碇め…………、老兵はただ去りゆくのみ……か」
冬月の去り際の呟きは、秋の寂しさを帯び始めた風に乗って青空へと吸い込まれていった。
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「あんたバカぁ〜!!?」
そんな冬月の大人の雰囲気を木っ端微塵にしてしまうその少女の罵声、怒号はしばらく治まることなく続いていた。
おわり……
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