ひとりぼっちのあなたへ


written by 緒形 ゆう  


                       

 どこまでも広がるからっぽの大地。
 真っ白な大地。
 原罪から逃れた無垢な大地。
 たくさんの墓標。
 生きられなかったヒトたち。
 お墓の中で生きられなかったヒトたち。
 暗闇に放り出されたヒトたち。
 今はいないヒトたち。
 ここにはいないヒトたち。
 ここにいる、私。
 大地を見下ろす司令。
 いつもと少しだけ違う表情。なんだかとても、寂しそう。
 こんなに高いところから眺めているのに、どうして?
 どうして、こんなに大きく見えるの?
 どうして、私を呼ぶの?
 着陸するVTOL機は、寒々しい。いつもより、ずっと。
 見透かしているみたい。形だけの、意味のないお墓たちを。
 
 
 母さんの墓に連れてってくれるなんて、思いもしなかった。別に、頼んだわけじ
ゃないけど。でも、だって、先生は、父さんからたくさんのお金をもらっていて、
それで言いなりになっているんじゃなかったの? 父さんは、僕を完全に捨てたん
じゃないの? 跡形も、思い出が残らないくらいに。二度と自分に近づかないよう
に。
 やめてよ、もう。
 本当に、こんなところにお墓があるのかな? だって、こんなに広くて何もない
ところなのに。もしかして、家族からも見放された人たちの共同墓地なのかな?
それなら、父さんは、僕だけじゃなくて母さんまで――
 先生は知ってるんだ。きっと、父さんのことだって、母さんのことだって。でも、
何も教えてなんかくれない。
 表情はいつもと変わらないけど、ただ淡々と車を運転してるだけだけど、きっと。
「あまり思いつめなくてもいいのよ」
「はい。でも何で急にお墓参りなんて――」
「園長がね、中学校に上がる前には連れて行きたかったみたいなの」
「……あの、もしかして父さんは――」
「ああ、残念だけど、会えないと思うわ。忙しい人みたいだから。今日が命日だと
しても、ね」
「いえ、それならよかったです。今さら、顔なんて合わせられません」
「そう? そう言ってくれるとこっちも助かるけど」
 そんなふうに微笑んでも、これが本当の素顔じゃないことくらいわかってる。き
っと、先生もそんな僕を見透かしている。だから、これでいいんだと思う。
「もう少しで着くわよ」
「はい」
 父さんに会いたくないのは、うそじゃない。だから、今日は早くお墓参りを済ま
せよう。


 右手で司令に握られる花束。
 きれいに彩られた花束。
 誰かにはふさわしい花束。
 きっと、ちゃんと吹き込まれた生命はそれだけ。
 この無意味な広い大地の中で。私も、司令も――
「ついてくる必要はない」
「……はい」
 それなら、VTOL機を降りる前に言えばいいのに。でも、司令は表情を隠すよ
うに前を向いて、ただ静かにそう伝えただけ。
「少し待っていろ」
「……はい」
 私に行くところなんてない。でも、この土地は私にあっている気がする。
 魂のない抜け殻だけの墓標。
 飾りものの石。
 偽りの地。
 少し、歩いてみたい。


「ここからは、一人で行かせてください」
「そう? 構わないけど――」
「大丈夫です。ちゃんと見てきますから」
「いえ、そういうことじゃないの――わかったわ。じゃあ、これ地図ね。赤く囲っ
たエリアの、マルをつけたところにお母さんのお墓があるわ」
「はい、ありがとうございます」
 口ではそう言うけど、きっと先生は楽になってよかったって思ってる。それなら
それで良いけど。だって、母さんと対面したときの顔なんて先生に見られたくない。
お墓の中が空っぽだっていうことはわかってるけど。
「じゃあ気をつけてね」
「はい」
 振りかえって、お墓の列がどこまでも続いていて、驚いた。それにすごく風が強
い。僕に、来るなって言ってるみたいに。
 進もうとするたびに、僕のことを邪魔する。でも、逃げちゃダメだ。
 地図では、少し離れたところにあるみたい。
 もう母さんの顔なんて覚えていないし、母さんがいないことに対して寂しいって
いう気持ちもないけど、でも、もし生きていたら、って考えることだってある。多
分それは、あそこにいるみんなも同じだと思う。親に見捨てられたみんなも。
 家族って僕たちにはなんだかわからないけど、きっと暖かいものなんだろうって、
なんとなく思う。手に入らないからうらやましく思うだけだって言う子もいるけど、
それだって負け惜しみじゃないか。僕たちが、普通の人よりどこか欠けたところの
ある人間だってことには、たぶん変わりない。みんなそれをちゃんとわかってる。
普通の人よりずっと、ずっと。
 でも、それなら、今日母さんに会ってどうすればいいの? だって、それで母さ
んが生き返るわけじゃないし、僕の名前を呼んでくれるわけでもないし。それどこ
ろか、僕は母さんの顔も思い出すことができないのに。声だってわからないのに。
 園長先生は、偽善者だよ。だって、こんなこと僕にとって良いことなわけがない。
それとも、僕に意地悪するのが目的なのかな?
 そんなわけないか。
 
 
 匂い。
 死者の匂い。
 土の匂い。
 土から生み出された人間。
 楽園を追い出された人間。
 神に見放された人間。
 死にゆく定めの、ヒト。
 でも、ここには死者なんていない。いないヒトたちのお祭り。
 ここにあるお墓。隣にあるのと何も変わらない。違うのは刻印だけ。それが、こ
のヒトたちが生きた証。ただ、それだけ。
 同じモノがどこまでも広がる。暗くて、遠い闇に。
 似てる。
 あの場所と似ている。
 私の生み出された、私が縛られた、あの場所に。
 私と司令の、小さな暗闇に。
 このお墓も、私も、一緒。
 たくさんあって代わりのあるモノ。
 ほんとうなら無かったモノ。
 仮初のカタチをしたモノ。
 ただのイレモノ。
 魂の入らなかったイレモノ。
 ヒトの作りしイレモノ。
 それなら、この土地は私にあっている。
 寒いの?
 冷たいの?
 届かない、の?
 
 
 もうそろそろかな。お墓まであと少し。
 でも、こんなにたくさんお墓があるのに、僕しかいないなんて。なんで? やっ
ぱりみんな見捨てられた人たちなのかな? それなら僕とおなじだね。
 あれ? 遠くに誰かいる。僕だけじゃなかったのかな。黒い服着てるから、あの
人もお墓参り? あのお墓の。あの人は見捨てられなかったんだ。よかったね。そ
の人、母さんの墓に近いみたい。
 え? 違う。もしかしてあれ、母さんの墓? 違う、よね? でも、何回見ても
やっぱり母さんの墓だ。地図にはあそこにマルがしてある
 しゃがんでいる黒服の人はもう、すぐそこ。母さんの親戚?
 でも、聞いたことないよ。
 それに、何か見覚えある気がする。あの人。
 あの、背中。
 誰? 誰がいるの?
 男の、人? 大きい。どこかで見た、影。
 母さんの前にいる、僕以外の誰か。
 じゃ、じゃあもしかして、この人は――
 振り向いた!
 足音で気づかれた!
 サングラス越しにこっちを見てる!
 いや、睨んでる、の?
 ど、どうすればいいの?
 なにか言うべき、なの?
 そもそも、あっちは僕のことわかるの? でも、ここに来ているんだから、それ
は僕でしかない。僕とこの人以外が来るところじゃない。
 でも、やっぱり、話しかけることなんてできるわけない。
 話しかけられるのも嫌だよ。
 関わりたくないよ。
 もうたくさんだよ。
 僕の前に来ないでよ。
 僕に思い出させないでよ。
 嫌なんだよ! あのときのことを考えるのは!
 どうして?
 何で、今になって。
 今になって、姿を見せるの?
 僕は、戻りたくなんかない。
 あのときの、僕に。
 立っていることしかできなかった、僕に。
 泣いているだけの、僕に――
 それなら、逃げるしかない。なにか、言われる前に。


 風。
 鋭い、風。
 私を吹き飛ばす風。
 風の向こうから男の子。
 走ってくる、男の子。
 私と同じくらいの男の子。
 どうしてそんなに急いでいるの?
 何を追いかけているの?
 それとも、逃げているの?
 私の近くまで来たところで、転ぶ。思い切り。
 そのまま立ち上がらない。うずくまってる。
 もう、いいの?
 うずくまったまま、右手を振り上げて、拳を握り締めて、地面にたたきつける。
 何回も、何回も。
 どうしてそういうことするの?
 拳を地面に打ちつけるのをやめる。
 嗚咽を漏らして泣き始める。下を向いたまま。
 悲しそう。いえ、悔しいの?
 寂しいの?
 どうしてそういうことするの?
 ここはこんなに無機質で溢れかえっているのに、そこだけとても生命力に満ちて
いるよう。何百年も生きる大木を目の前にした、無力な少年みたいに。
 生きたい、生きたい。無音の叫びが、木霊する。
 しばらくして泣き止むと、顔を左腕で拭って、辺りを見回して、私に気づく。
 あなた誰?
 どうしてそういうことするの?
 私、何がしたいの?
 

「手から血、出てる」
「え、え?」
「ハンカチ、使ったら?」
「え? あ、ありがとう」
 は、恥ずかしい! 穴があったら入りたいよ。あんな情けないところを見られて、
同情されちゃうなんて。でも、同情なんて真っ平だと思っていたけど、同情され慣
れてないから、どうすればいいのかわからない。ど、どうしよう。
 傷を拭くのに集中できない。でも、せっかくのコウイも無駄にできない。
「あ、あの、ごめん」
「どうして謝るの?」
「いや、あの、その……ハンカチ、汚しちゃって」
 そんなにじっと見られたら、余計にわけわからなくなるよ!
 立ったまま黙って見下ろされると、威圧感がすごい。何か言わなきゃ。
「き、君もお墓参り?」
 ほんの一瞬目を細めて、少しだけ悲しそうな顔。なのかな?
「……いえ、私はそうじゃない」
「ご、ごめんへんなこと聞いて」
 もしかして、聞いちゃいけないこと聞いたのかな? なんでそんな顔するの?
ひょっとしてこの子も?
「あ、あの、僕は母さんのお墓参りに来たんだ。小さいときに死んだから、顔もわ
からないけど――」
「………」
「そ、そしたら、僕を捨てたはずの父さんが先にいて、びっくりしちゃって」
「………」
「……すごく嫌いなはずなのに、どうすれば良いのかわからなくて」
「………」
「逃げてきたんだけど、なんか悔しくて」
「それで泣いていたの?」
「あ? う、うん。変なとこ見せちゃって、ごめん」
「そう」
 僕の勘違いだったのかな? 女の子は同情してくれたわけではないみたい。でも、
僕が血を拭くのをじっと見ている。この子にも辛いことがあったのかな? 僕はど
うすればいいのかな。
「泣くほど悔しいのなら、どうして戦わなかったの?」
「た、戦うって――」
 お、お説教? でも、ただ単純に疑問に思っているだけだって言っているような
感じもする。それに、眼差しが強い。男の僕なんかよりずっと。
「ごめん。男が泣くなんて情けないよね」
「私は、涙出ないから」
「えっ?」
「泣いたことがないから、よくわからない」
 なんだか、不思議な感じのする子だな。泣いたこと、ないなんて。
「強いんだね」
「よく、わからない」
「辛いことも、悲しいこともないの?」
「辛くても、悲しくても、涙は出ないわ……私には何もないもの」
「そう、なんだ」
「ええ」
 強いな、やっぱり。その強さがうらやましい。
 でも、そうだ。たしかに。たしかにそうだよ。泣くぐらいならなんで逃げ出した
んだ。何でも良いから言ってやればよかったのに。バカでも、クソ親父でも、母さ
んを、返せ、でも。
 それから泣いたって遅くはなかったはずなのに、僕は逃げ出した。父さんから。
母さんからも。でも、もしかしたら、この子にはもう――
「あの、涙、ほしいの?」
「……わからない……そうかも知れない」
「………」
「………」
「……きっと、僕の今の涙なんて、ほとんど意味のないものだよ、たぶん。ただ、
泣いていただけ。ただ、それだけだと思う。辛いとか、悲しいとかじゃなくて」
「………」
「でも、もし、強い絆を作ることできたら、きっと涙がでるよ。たぶんそれが途切
れそうになったときも。強い絆なら。そのときは、胸に響くよ、きっと。放しちゃ
いけないって」
「……きずな」
「今の僕にはそんなものないけど、これから、きっと見つける。それで本当の涙を
見つける」
「……戦うの?」
「戦う……そうかもしれない。でも、よくわからない」
「……そう、強いのね」
「そんな――」
「血、止まったわ」
 本当だ、いつの間にか。ハンカチどうしよう。
「ハンカチはあげる」
「え、でも」
「涙のお礼」
「そ、そう。あの、ありがとう」
 何言ってるんだろう、僕。
 でも、この子は、よくわからない子だけど、でもとても優しい子だな。それに大
切なことを教えてくれた。きっとこの子には絆ができる。
 それが今僕がもてる微かな希望。
 本当に、ありがとう。


 男の子は立ち上がって。お礼を言って、走っていく。
 どこまでも、どこまでも。
 まっさらな、ヒトのいない広い大地を。
 絆。それに、涙。
 今、私はただのイレモノだけど、まだ、これから生きていけるかもしれない。
 あの男の子のように地を踏みしめて生きていけば。
 心がふるえる瞬間があれば、きっと――
 少しして戻ってくる司令。花束はもうない。
 墓標に添えられた、ひとつのいのち。
 司令が託した、かけがえのないいのち。
 代わりがあっても、生きているいのち。
 この人は何を想い出すのだろう?
 何に、心をふるわせるのだろう?
 私が追いかけるその背中。
 いつもより少しだけ、小さく見える。
 それは私が、遠くになったから?


「泥んこじゃない!ちょっと大丈夫?」
「あ、急いでいたら転んじゃって」
「はぁ、全く、ゆっくりでよかったのに」
「大丈夫です。早く帰りましょう」
「まぁ、いいならいいけどさぁ」
 僕が車に乗ると、先生も車に乗り込む。
 女の子からもらったハンカチは、ポケットに入れた。そうすれば、これからは頑
張っていけると思う。血のついた、汚れたハンカチ。
 そういえば、名前聞かなかったな。まぁいいけど。もうここにも来ないと思うし。
でも、きっと忘れないと思う。今日のことは。
 僕が手にした、はじめての絆。
 車の窓を開けると、頬をすり抜ける風が気持ちよかった。



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