さくら

written by 史燕     


――2016年3月――

サードインパクトが終息し、人々はまた今までと同じ日々を過ごすようになった。
今まで通り、人は自分とは違う誰かを恐れ、傷つけ合いながらも前を向いて歩く。
変わり映えの無い世界だ。
少しだけ喜ばしいことがあるとすれば、再び日本には四季が戻り、春には桜が咲くようになったことぐらいか。

そういうわけで、今日はNERVの面々は揃ってお花見へとやってきていた。
とはいえ、もはや粗方騒ぎ終えた後。
辺り一面には空き缶やビール瓶が転がり、死屍累々といったありさまだ。
西の空はすでに、赤く染まり始めていた。

少年――碇シンジは「いつものことだ」と半ば諦めながら、それを片付けている。
ふと、目を細めて遠くを見やると、見慣れた人影が目に入った。

(どうしたのかな)

そう思っていながら、気のない様子で人影を眺めていると、ふいに後ろから声をかけられた。

「シンジ君、そこからは私たちがやっておくわ」
「葛城は、まだ飲み続けるみたいだしね。俺たちは付き合うとしても、子供たちはもう帰ってもらってもかまわないかなって話になったんだ」

声をかけたのは赤木リツコと加持リョウジだ。
その後ろには、未だに一升瓶を抱えて離さないミサトと、彼女に捕まったであろう日向マコト達三人組が、顔を真っ赤にしてひっくり返っている様子が見て取れた。

「たしかに、あれじゃあ飲み尽くすまで帰りそうにありませんね」
「だろう?」

しょうがない奴だ、と肩をすくめながらも、加持は楽しそうに笑っていた。

「碇司令たちも、もう少し飲み続けるみたいだわ」

リツコが目線を向けた先には、ちびちびと二人で盃を交わし合うゲンドウと冬月の姿があった。

「それじゃあ、ミサトさんは加持さんに、父さんはリツコさんにお任せしますね」
「ええ」
「任せてくれ」

二人にこの場を辞することを伝えると、シンジは先程見かけた人影の方へと向かった。

「やれやれ、ようやく王子様は行ったわね」
「まったく、お姫様を待たせるのはよろしくないよ、シンジ君」
「あらあら、それを加持君が言っていいのかしら」
「あー、勘弁してくれよ、リッちゃん」
「ふふ、そういう意味でもシンジ君は加持君の弟分ね」
「それをいうなら、リッちゃんはお母さんになるわけなんだが、そこのところはどうなんだい?」
「あら、そうね。だとしたら自慢の息子だわ」
「はは、こいつは一本取られたな」

「まったく、いつになってもリッちゃんには敵わないな」そう言いながら二人は未だに飲み続ける数年来の友人の元へ向かった。




――さくら
――桃色の花
――さくら
――きれいなもの、みんなが好きなもの
――さくら
――すぐに散ってしまうもの

一本の大きな桜を背に、一人の少女が腰かけていた。
桜の花びらが舞い落ちる中、碧い髪の少女がそこに座っている姿は、まるで一枚の絵画がそのまま現実へと抜け出してきたかのように、シンジには感じられた。

彼は、このままずっと眺めていたい誘惑に駆られた。

――だけど、まるでこのままどこかへと消えて行ってしまいそうに思えたから――
――そして、それは今すぐに捕まえなければなくしてしまうように思えたから――

彼は、その絵画の中へと、自ら足を踏み入れた。

「綾波」

彼女の隣に腰を下ろしながら、シンジは声をかけた。

「……いかりくん」

彼女はシンジに気が付くと、ぱーっと表情を明るくした。
シンジにはそれだけであたりが一気に華やいだように思え、うっ、と言葉を詰まらせる。

“自分と彼女が見つめ合う”
“二人の間では流れる時間さえ他と異なってしまう”

そういう風な錯覚に、シンジは陥っていた。
しかし、このままずっと見つめ合っているわけにはいかない。

「それで、綾波、一体どうしたの?」

自分でも抽象的すぎる質問でどうしたものかとも思ったが、どうにもこうにも上手く言葉に出来ない。
結局シンジは、後に続ける言葉を見つけ出すことが出来ず、二人の間は沈黙が支配していた。

「……碇君」

ポツリ、とレイがシンジを呼んだ。

「なに? 綾波」

シンジはレイの言葉を聞きのがすまいと一心に耳を傾けた。

「どうして、さくらは散るの?」

レイはまるで何か大きなものに押しつぶされそうな表情をしながら、うつむいたままシンジに訊ねた。

「どうして、か」

シンジにしてみればどう答えればいいのかわからない質問である。
桜は、花は、いつか散る。
それが自然の摂理である。
無論レイもそのことは理解している。
彼女の問いはそれらをすべて理解した上で、あらためて発せられた疑問だった。

「淋しいよね」
「えっ」

質問とは噛み合わないシンジの言葉に、レイはぱっ、と顔を上げた。

「桜が散るのは淋しい」
「それが当たり前なんだけど、みんな、誰だってきっとそう思ってる」

シンジの、依然として要領を得ない言葉に首をかしげながらも、レイはその言葉に耳を傾けた。

「だけど――」

シンジは更に言葉を紡ぐ。

「だけど、みんな桜が散るのは淋しいことだって思ってるんだけど、それでもそのことは嘆かないんだ」


「それはどうしてかわかる?」
――フルフル――

シンジの言葉に、質問をしたのは私のはずだと思いながらも、首を横に振った。

「綾波、上を見てごらん」

シンジの言葉に従い、レイはおもむろに中天へと目を向けた。

「あっ」

傾きゆく陽光を受けて、少しずつ茜色に染まりゆく大空を背景に、桜の花びらが、風に乗って舞い落ちていた。

「……きれい……」

レイの口から、すっと自然に、感嘆の声がこぼれた。

「だからだよ、綾波」

しばらく二人で桜が散る様子を眺めていると、ゆっくりと、シンジは言葉を発した。

「桜の花は綺麗だよね」
「でもそれは、一生懸命咲いた後、そっと儚く散って行くからこそ美しいんだ」
「それはとてもとても淋しいことだけど、だからこそ素晴らしいことでもあるんだ」

シンジの言葉は、レイの胸にゆっくりと染み渡っていった。

「……碇君」
「なに? 綾波」
「一瞬、なのね」

風が止み、先程まで満開を誇っていた桜の枝に、ひとつも花は残されていなかった。

「……碇君」

ぎゅっとシンジの胸に飛び込みながら、レイは言った。

「なに? 綾波」
「また――」

レイはその瞳に涙を湛えながら言葉を紡いだ。

「また、来年も一緒に来ましょう」
「ああ、またふたりで来よう」

そんな二人の様子を桜の木々だけが、そっと眺めていた。



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