White Light, White Heat

written by タン塩


 さて、どうしたものか。シンジは悩んでいた。ホワイトデーのお返しのことだ。
 いくつかもらった義理チョコには、手作りクッキーでお返しするつもりだった。ミサトやマヤからは、明らかに義理とわかる小さいチョコをもらったから、手作りクッキーでいいだろうと思う。学校では数人の女子から本命っぽいチョコをもらったが、あまり大袈裟なお返しをしても誤解を招くので、これもクッキーで勘弁してもらおう。問題は、大本命のお返しだ。
 綾波レイからは、彼女の渾身の作であるチョコレートケーキをもらった。「Rei Loves Shinji」と入った大本命チョコであった。むろんシンジとしても、好きなレイにはそれなりのお返しをしたい。だが何を?
 シンジの思考はそこでいつも停止してしまう。女の子に贈り物などしたことがない。まして綾波レイの好み、趣味などわからない。そもそも趣味などあるのかすら不明である。
 何度も彼女の部屋を訪れたシンジだが、そこで趣味の小物など見たことがない。強いて言うなら数冊の文庫本ぐらいが、彼女の趣味を感じさせるものだった。
 ならば本でも贈ろうかと思ったが、その方面に疎いシンジには、どんな本を贈ったらいいかわからない。詩集などわからないし、原語の医学書や物理学の本はなおさらわからない。そんなものより、いっそ女の子らしいものを贈る手もあるかもしれない。もちろんシンジはその方面にも疎いのだが、医学書よりはハードルが低いだろう。そう判断したシンジは早速リサーチを開始した。

「なんやセンセ、どないした?」
「トウジ、ホワイトデーのお返しはどうするの?」
 まずは自分同様、本命チョコをもらった鈴原トウジに聞いてみる。
「ワシはもう決めとるで。これや!」
 トウジが出して見せたのは、白地の肩に赤いラインが入ったジャージであった。
「どうや! ワシのと色違いや。白は限定色でなかなか手に入らんのやで」
「う、うん……き、きっと委員長に似合うよ」
「そうか、センセもそう思うか!」
 いつの間にか、とっさに嘘をつけるようになってしまった自分。汚れちまった悲しみを噛み締めながら、シンジは親友と別れた。

「あ、あの、ちょっと相談していいかな」
「あら碇君、何?」
 レイ以外の同世代の女の子で、相談ができる相手といえば彼女しかいない。シンジは洞木ヒカリに聞いてみた。
「ホワイトデーのお返し? アクセサリーなんかいいんじゃないかしら」
「や、やっぱりそうかな…」
「だって彼女、そういうものを何も持ってないでしょ? ペンダントとか、一つぐらい持っててもいいんじゃないかな」
「ペンダントかぁ……ど、どんなのがいいのかな」
「それを考えるのもプレゼントのうちよ。碇君のセンスで選べばいいの」
 自分のセンス。それに一番自信がないシンジであった。

「あ、あのさ碇君。鈴原とかはどうなのかなぁ……」
 それまでと一変した、おずおずとした口調に顔を上げると、洞木ヒカリの恥ずかしげな顔があった。
「あ、ト、トウジなら、もうホワイトデーのお返し決めてるみたいだよ」
「そ、そう。ど、どんなのかしら……」
「さ、さあ、そこまでは」
「そ、そうよね。ごめんなさい、変なこと聞いて」
 言えない。自分には言えない。洞木ヒカリのうれしそうな顔を見ながら、またひとつ汚れてしまったシンジであった。

「あらシンジ君、どうしたの?」
「ち、ちょっと相談があるんです、マヤさん」
 考慮の末、シンジがNERVでの相談相手に選んだのは伊吹マヤであった。ミサトだと、さんざんからかわれた上に危険な選択肢(例えばきわどい下着とか)を提示されそうな予感がしたからである。リツコだと、ほぼ確実に猫のアクセサリーを提案されるので、これも無駄だろう。年齢が近いこともあり、伊吹マヤが一番妥当な気がしたシンジであった。
「うーん、レイちゃんへの贈り物かあ……」
「クラスメートの女の子に聞いたら、アクセサリーがいいんじゃないかって…」
「んー、まあそれが一番無難でしょうね」
「やっぱりそうですか…」
「そうね、こんなのはどう? アクセサリーと一緒にキスを贈るの」
「キ、キキ、キスって……」
「レイちゃんとキスしたことあるの?」
「そ、そんな、キスなんて」
「なら決まりね。そろそろキスぐらいしてあげないと、レイちゃんがかわいそうじゃない」
「か、かわいそう?」
「そうよ! いつまでも宙ぶらりんじゃダメ。自分の気持ちを行動で示さないと、レイちゃんだって不安でしょう」
「そ、そういうものなんですか」
「そういうものなの! いい、これは命令よ。ホワイトデーでもそうじゃなくても、レイちゃんにキスしなさい!」
 最後はマヤに叱られてしまったシンジであった。

(キス……キスかぁ……)
 シンジの頭の中では、マヤの言葉がぐるぐる回っていた。
(そうだよね……そろそろキスぐらいしてもいいよね……)
 とは思うものの、自分がレイにキスする場面を思い浮かべるだけで顔がほてるシンジであった。
(いけない、ペンダントを探しに来たのに)
 気を取り直してアクセサリーショップの陳列棚を見渡したシンジの目に止まったものがあった。シルバーの台に赤い石を嵌めたペンダント。
(この宝石、綾波の瞳の色と似てる……よし、これだ!)
 それなりのお値段のペンダントであったが、無駄遣いをしないシンジには結構貯金がある。早速女性店員に頼んでプレゼント用にラッピングしてもらった。
「ホワイトデーですか?」
「え、そ、その、そうです……」
「彼女がうらやましいですね。素敵な彼氏にプレゼントしてもらって」
「いや、そんな……す、素敵って…」
 年上の女性にからかわれやすいのは、もはや体質であろうか。シンジは頬を赤くしてアクセサリーショップを後にした。

 当日の朝、シンジはいつもより早目に登校した。教室に入ると案の定レイがいつも通りに早く来ていて、自席で文庫本を広げていた。
「お、おはよう綾波」
「おはよう、碇くん」
 緊張気味のシンジに、いつも通りの柔らかい表情で挨拶を返すレイ。
「あの綾波、今日ホワイトデーだろ? こ、これ、チョコのお返しだから」
「クッキー? あ、ありが、とう……」
 頬を染め、シンジの差し出すクッキーを受け取るレイ。
「あ、あとさ、これももらってほしいんだ」
 シンジの差し出すリボンの掛かった小箱を、少し戸惑った表情で見つめるレイ。
「あ、開けていい…?」
「う、うん」
「………これ、なに?」
「ペ、ペンダントだよ。綾波の瞳の色に似てると思ってさ」
「………うれしい」
 ペンダントを胸に抱きしめ、目を潤ませるレイ。
「な、泣かないで綾波」
「ごめんなさい……」
 レイに早くプレゼントを渡したい。しかし人に見られるのは恥ずかしい。シンジの考えた早朝プレゼント作戦は成功したかに思われた。
(碇君、やっぱりペンダントを贈ったんだ。いいなあ綾波さん……)
 涙を零すレイ。ハンカチで拭いてやるシンジ。そんな二人を入り口からこっそりのぞくのは、言わずと知れた洞木ヒカリ嬢であった。
「おはようイインチョ! 入り口で何やっとんのや」
 空気を読まない大声をかけたのは、これまた言わずと知れた鈴原トウジその人であった。
「す、鈴原!? シーッ」
「なんやシーッて」
 ヒカリ嬢の気遣いも虚しく、教室内には銅像の如く固まった二人がいた。
「なんや朝もはよからアッツイのぉ〜。綾波にホワイトデーのお返しかいな。かわいい顔してやるのぉセンセも」
「ト、ト、トウジ!? ぼ、僕らは何も……」
「ええてええて。センセもやることやっとんやな。安心したわ」
「鈴原、いい加減にしなさいよ! 碇君も綾波さんも可哀相じゃない」
「こんなん隠すことやないやろ。堂々としとればええやんか」
「みんなが鈴原みたいに神経太いわけじゃないのよ!」
「あ、そうや。ワシもイインチョにプレゼントがあるんや」
「え。わ、私に…?」
 怒りを忘れ、頬を染めるヒカリ。その目の前に差し出された包み。
「あ、開けていい…?」
「ドーンと開けんかい」
 がさがさと包み紙を開くヒカリ。現れたものを見て、銅像の如く固まる彼女。
「す、鈴原、これが…?」
「どや、カッコええやろ? 白はレア物やで! 探すのに苦労したわ」
「そ、そう……」
「ワシのとお揃いやで! ぺ、ペアルックちゅうやつや」
 ヒカリ嬢の中で葛藤が渦巻く。トウジなりの誠意は分かる。でも、着たくない。トウジをがっかりさせるのは嫌。でも、着るのもイヤ。
「……よかったわね、洞木さん」
「へ?」
 葛藤がぐるぐると駆け巡ってワケが分からなくなったヒカリの思考を断ったのは、綾波レイの一言であった。
「鈴原君は、ジャージが好きなんでしょう? 自分の好きなものを人にあげたくなるのは自然だわ」
「綾波もそう思うやろ!?」
「ええ。もっと喜んであげるべきだわ、洞木さん」
「………」
 救いを求めてシンジに視線を走らせるヒカリ嬢。しかし、その視線を避けて目を逸らすシンジ。またまた汚れてしまった碇シンジであった。
「……そう、そうね。ありがとう、うれしいわ鈴原」
 シンジの薄情を怨みつつ、動かない口を無理矢理動かして礼を言うヒカリ。
「そや!今度の日曜に、遊びに行かへんか? ペアルックでデートや」
 ますます調子に乗るトウジ。都合が悪いとかごまかしつつ、シンジにちらりと走らせたヒカリの視線に殺意が篭っていたのは、恐らく気のせいではないだろう。

「……上がっていって」
「う、うん」
 いつものようにレイを送ったシンジに、いつものようにレイが言う。レイの首筋に光るチェーンだけが、いつもと違う。
「お茶入れるわ。座っていて」
「うん」
 いそいそと紅茶を入れるレイ。心なしか、普段より機嫌が良さそうだ。
「……熱いから、気をつけて」
「あ、ありがとう」
 黙ってお茶を啜る二人。穏やかな、柔らかな空気が漂う。
「……ありがとう、碇くん」
「え?」
「ペンダント、うれしかった」
「あ、ああ、たいしたものじゃないから気にしないで」
「そんなこと、ない。碇くんの気持ちがこもっているみたいで、とても綺麗」
 うれしそうにペンダントを見つめるレイ。
(か、かわいい……)
 レイの笑顔に見とれるシンジ。その笑顔に引き寄せられるように言葉が出た。
「あ、あのさ、もうひとつプレゼントがあるんだ」
「……無理しないで。私はこれだけで十分だから」
「い、いや、お金のかかるプレゼントじゃないんだ」
「お金が、かからない…?」
「め、目をつぶってくれる?」
 シンジの真剣な眼差しに何かを悟ったのか、はっと目を見開くレイ。そしてその目を静かに閉じて、唇を差し出す。
 その唇が優しくふさがれて、互いの首に手が回る。殺風景な室内に、ただ穏やかで甘いひと時が流れた。


「やっぱり、キスだった」
 唇を離すと、レイが呟いた。
「や、やっぱりって…?」
「昨日NERVで伊吹二尉に言われたの。『そろそろシンジ君にキスしてもらえるんじゃない、レイちゃん?』って。『その時は目をつぶって手を後ろで組むのよ』
と教わったわ」
「そ、そうなんだ」
 マヤの気遣いか、陰謀か。明日NERVに行くのが怖いシンジであった。
「でも……」
「な、なに綾波」
「なぜ伊吹二尉は、碇くんが今日キスしてくれるのがわかったのかしら…?」
「さ、さあ。ぐ、偶然て恐ろしいね」
 怪訝そうな表情を浮かべるレイに、とっさに取り繕うシンジ。マヤに言われなければキスなんてできなかった、とは言えない。
 こうしてまたひとつ汚れていくシンジであった。


【終わり】

この作品の感想は、感想掲示板にお願いします。

【投稿作品の目次】   【HOME】