ここは閑静な住宅街、第三新東京市第三地区。今朝もまた、地を蹴る轟音と彼の絶叫が聞こえてきた。


「遅刻やぁぁぁぁ!」


ドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドス…………


 彼の名は鈴原トウジ。言わずと知れた、学業機関NERV中学部2-A一の問題児、ジャージ小僧である。そしてそのフレンズ、バルディエル。彼は固定形を持たないため、常に何かに寄生しなければならない。今のお気に入りはあの国民的人気キャラクター、ドラ〇もんの等身大超合金フィギュアである。一見すると、の〇太とドラ〇もんであるが、この場合は二人とも、の〇太である事は言うまでもない。
 曲がり角を左折すると少し先に大通りが見え、車や、フレンズを連れた人々が行き交っている。トウジはそれを見ると、ニヤリと笑い、自身のフレンズに叫んだ。
「ぃよっしゃぁ〜!跳べぇバルっち!」
 バルディエルはぐぐっと足に力を溜め、その力を一気に放出、ドラ○もんの足が伸びた。その長さは優に五メートルを越え、幅が二十メートルはあろうかという大通りをいとも簡単に飛び越えた。
「ヒャッホーウ!!」
 本物のドラ○もんがこの光景を目の当たりにしたらどれ程狂喜する事か、想像もつかない。

ズダン!!

 着地したバルディエルはまた走り出した。
「急げバルっち!まだ間に合うで!」
 突然、彼の視界の隅に青が見えた。
 そして………


ごっちぃぃぃぃ……ん……


 景気のいい音が響き渡り、朝の雑踏の中に消えた。





碇くんの1日  ハプニング&アクション

written by タピオカ  



「待ってよ綾波ぃぃぃ……」
 遠くからシンジの声が聞こえる。
(まずい、碇くんが来てしまう!)
「いい?鈴原君。この事は誰にも言っちゃ、ダメ」
「まぁそう堅い事いいなさんな、センセ」
 トウジは頭を擦りながらニヤニヤしている。
(くっ………人を脅すのは得意じゃないけど……)
 レイはやにわにトウジの胴を抱きこみ、一気に絞り上げた。ベアハッグである。
「いい?もし言ったら、あの写真の事、バラすわよ……」
 レイは出来る限りドスの効いた声で言った。だが、元がいいのであまり怖くない。しかも、さっきぶつけたショックで声が震えている。だか彼には、写真の事だけで効果は十分だったようだ。
 ベアハッグで強烈に絞り込まれ真っ赤になっていたトウジの顔が途端に真っ青になる。血の引ける音が聞こえるようだ。
「そ、それだけは勘弁や……」

「……じゃあ交渉成立ね」
 トウジが力なく頷くのを見ると、学校に行くために再びラミエルに乗ろうと立ち上がり、振り向いた。



ばたん……



 レイの手は鞄を落とした。彼女の意思ではない。彼女の目は見開かれ、顔はいつも以上に白い。


「碇くん……」


 しかしその声は、遠くから聞こえたリニアの音に掻き消されてしまった。
 彼の顔は絶望感に満ちている。鈍感なレイにすら分かる程に。
「ごめん、綾波。僕先行くね……」
 そして、彼は行ってしまった。その場に彼女だけを残して。


※※※


「あ、レイやっと来た〜」
 アスカは窓から身を乗り出し、レイに向かって手を振った。
「レ〜イ!!早くしないと遅刻よ!」
 だがレイはアスカの声など聞こえないかのように、トボトボと校門へと歩いて来た。その後ろには、微妙な距離で付いてゆくラミエルの姿があった。彼も、主人の意気消沈ぶりに困っているようだ。
(レイがおかしい!)
 アスカは全速力で教室を飛びだし、玄関へと走った。
「こらアスカ!HR始まるわよ!」
 それに気付いた洞木ヒカリもアスカを追って走る。

 残された教室には、二人の姿を横目で見るシンジの姿があった。



「レイ!」

タタタタタ……
 アスカが玄関にたどり着いた時、レイは靴を自分の下駄箱にしまっているところだった。
 レイはアスカを見た。次第にその瞳に涙が溜まっていく。

「……う……うぇ…う………あすかぁ……」

 レイは泣き出してしまった。
「ど、どうしたってゆうのよ……」
 崩れるレイの体。アスカはレイを抱き抱えた。

タタタタタ……

 ヒカリが荒い息をして駆けて来た。

「はっ…はっ……あ、アスカ……は、早く、教室に、戻りなさい……」

 そこで初めて、ヒカリはレイが居ること、そして彼女が泣いている事に気付いた。

「え…ど、どうしたの綾波さん…」

「わからない…。でも一応保健室に連れて行くわ」

「…そ、そうね」

「ほら、レイ立てる?」

 アスカが問うと、レイはおぼつかない足取りで立ち上がった。
「ヒカリ。悪いけど、私たち一時間目欠席するわ」
「わかった。じゃあ、授業終わったらまた来るわ」
 ヒカリは教室へ、アスカはレイを連れて保健室へと向かった。



プシュ

 圧縮された空気が抜ける音がして、保健室の扉が開いた。

「レイ、取り敢えずそこに座って」

 アスカは入り口から一番近いベッドにレイを座らせた。
「ねぇ、今回の件について、教えてくれない?」
 アスカはレイの隣に座り、赤子をあやすように言った。レイは時折嗚咽を漏らしながら、事のあらましをアスカに話した。

「そうだったの……」

 事の次第を聞いたアスカは、思わず笑いそうになった。そんな事で必死にならなくてもいいのに、と。だがここで笑ったらレイが傷つく、必死の思いで笑いをこらえていた。

「碇くんに謝らなきゃ……」
「その必要はないわ」
 アスカはしれっと言い放った。

「え……」

 レイは信じられないという目でアスカを見る。その瞳には、まだうっすら涙が浮かんでいた。

「だってあなた、アレは抱き付いた訳じゃないんでしょ?」

コク……

「あなた、シンジのこと好きなんでしょ?」

(ぽ……)
……………コク……………
「お付き合いしたいんでしょ?」

コク……

「じゃあいいわ」
「何が?」
「ふ……この私が、あなたに作戦を伝授してあげるわ!」

「さくせん……?」
「そうよ。ちょっとレイ、耳貸して」
 アスカはレイに今回の作戦を伝えた。

カァァァァァ

「そ、そんな……」
 レイの顔は真っ赤で、まるで燃えているようだ。
「あの鈍感野郎にはこの位しないとダメよ」
「で、でも…」

 レイは口籠もった。

「いきなりキ…キスなんて…」

「それで一発KOよ!名付けて“ラブリーヤシマ作戦”!」

「ヤシマ…作戦…」

 そう。ヤシマ作戦はレイがシンジを意識し始めたきっかけだ。あの時、レイは初めて笑った。今まで寒く、暗かったレイの心に火が灯った。忘れられない戦いだ。

「少しはやる気出た?」
「……」
「ま、いいわ。私はシンジを連れて来るから、それまで考えてなさい」
「あ、アスカ…」
「ちゃんと直しておくのよ!」

ヴォン―――ガシャッ
(アスカ…どうやって連れて来てくれるんだろう…?)

「今、授業中なのに…」








ヴォン―――

 その音が聞こえたのは、アスカが出ていって2,3分後の事だった。簡易ベッドに座っていたレイが後ろを振り向くと、そこには彼が立っていた。

「碇くん…」

「あ、綾波…大丈夫?」

 彼はレイの顔を見ようとしない。

「授業は…?」

「え、えっと……お、お腹が痛くて……」

 その様子から、彼が仮病で抜け出して来たことは容易に分かった。

「そう……」

 それきり、どちらからも言葉が出なかった。いつものレイなら、この時間はとても心地よい時間だったはずだ。シンジと二人きりの、何をするわけでもない、だだ二人が同じ空間に存在しているという確信が持てる時間。しかし、今はただ苦痛な時間だった。










 沈黙を先に破ったのはシンジだった。

「綾波ってさ……」

 そろそろ立っているのが辛くなったのだろうか。シンジはレイの隣―――二つあるうちの入り口から遠い窓側―――のベッドに座った。しかし体のみレイの方を向け、窓の外を見ていた。穏やかな春の日。桜はもうとうに散り、葉が青々と茂っていた。もうすぐ夏だ。そして、意を決したように言った。

「トウジの事……好きなの……?……いや…と、特に意味はないんだけどね。なんとなく……思ってさ……。別に、いいんだけどね。綾波が誰を好きになっても。僕はみんなが元気に暮して、一緒に遊んだり、一緒に笑ったり、時々……喧嘩してみるのもいいし、すぐに仲直りして、また笑い合えればいいんだ。みんなが、勿論、綾波も……と、トウジも……そこにいてくれればいいんだ。みんなが居て、何でもない日常を過ごせれば、僕は最高に……幸せなんだ。だから……綾波はトウジを信じていいんだと思うよ。トウジは……ま、まあまあいい加減だけど、根は良い奴だからね。きっと、綾波を、し、幸せに……」

 シンジは一気に言った。レイが何も言わないよう、何も言えないように、決意が固いうちに言っておきたかった。その間、泣くのを堪えていた。ここで泣いてしまったら綾波は躊躇ってしまう。そう思い、必死に堪えた。しかし最後の方は、自分でも分かるほどに涙声だった。言っている事については少々大げさだが、彼は至極真面目だった。
―――今、僕はどんな顔をしているだろう……。きっと、情けない顔をしているだろうな。でも、そうしないと綾波は幸せになれないんだ。だからこれでいいんだ。これで―――
 シンジはその思いで自分を納得させ、自分の言動を肯定しようとした。だが、できない。出来るはずが無いのだ。シンジがレイを諦める事など……。


キーンコーンカーンコーン…………

 授業終了の鐘の音が聞こえた。シンジは涙を拭き、立ち上がった。

「ええっと…。もうお腹大丈夫だから、教室に戻るね」

 シンジはドアに向かって歩く。出来るだけレイから遠くを、一歩一歩踏みしめながら。

「じゃあね、“レイ”」

 シンジはドアのスイッチに手を伸ばした。






―――――トッ―――――






 レイはシンジの背中にしがみついた。彼女の白い手が、シンジの肩に置かれる。心臓の音が五月蠅い。しかしそれが、自分のものなのか、彼のものなのか、レイには分からなかった。

「レイ……」

 シンジは突然の事に驚き戸惑った。

「違うの、碇くん……。私は、私は………」

 レイは手に力を込めた。そして、有りったけの勇気を振り絞り、言った。

「碇くんが、好き」

ピクン

 彼の背中が反応するのをレイは感じた。顔が火照る。鼓動が加速する。足が震え、立っているのさえままならなかった。

「……碇くんは、私に光をくれた。無機質で、真っ暗だった私の心が、温かく、明るくなった。………人は闇を恐れ、火を使い、闇を削って生きてきた。私の闇を削ってくれたのは、貴方。だから、私を人にしてくれたのは貴方、碇くんなのよ!だから―――」
「止めろ!」
 シンジは背中にしがみついているレイを振り払った。目線が交わり、初めて二人は向かい合った。
 彼は今度こそ泣いていた。しかしその顔には、悲しみよりも怒りと絶望の色が濃く見られた。
「なんでだよ!どうしてだよ!………なんで、どうして……レイは僕なんかで遊ぶんだよ!僕が何をしたって言うんだよぉ!!」
「違う!違うの、碇くん!」
「うるさい!……違うもんか。僕、見たんだ。レイがトウジに抱きついている所を!」
「それは―――」
「それは誤解やで、シンジ」

―――え

 振り向くと、いつのまにか開いていたドアの向こうに、紫のジャージが見えた。

「トウジ……」

「シンジ。綾波は悪うない。……わいが悪いんや」
 トウジの語気は弱かった。いつもの気合いはなく、まるで葬式に参列した親族のような顔をしていた。

「ど、どういう事だよ!」
「わいが綾波を挑発して、綾波がわいに対して怒った。それだけなんや」
「じ、じゃあなんで抱きついてたんだよ!」
「そ、それはやなぁ……」


「……アスカの……真似をしたの……」

 レイは顔を赤らめて言った。

「真似…………あ」

 シンジの顔から血が引いていく。レイは彼の顔を覗き込んだ。

「……大丈夫?碇くん?」
「う………」

「え?」

「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


バン!!タタタタタ……


「イタッ……。待てやシンジ!!」

 駆け出そうとするトウジ。

「待って!………私が行く……!」
「せやけどなぁ……あ、こら待てや綾波!!」
 レイはトウジの答えを聞く前に、シンジを追って駆けて行った。

「もう……わいはどないしたらいいんや……」

 トウジは戸惑っていた。

「ねぇ鈴原くん。レイちゃんとシンジくん、居るかな?」
 途方に暮れていたトウジは少し驚いたが、そういう素振りを見せないよう冷静に、慎重に振り向いた
「あ、日向センセ」
 声をかけて来たのは、オールバックの頭と四角いメガネが特徴的な、2-A担任の日向マコト教諭だった。「シンジ達なら早退しました」
 未だ標準語を使うのには抵抗がある。それが碇校長の前でも、だ。
「え?どうしたんだい?」

「え、えっとなぁ……。シンジはハライタで綾波は……み、水虫……やのうて……えっと……ハライタです……」

「そうか。全く。ちゃんと連絡しないとダメじゃないか」

「そないなこと、わいに言われても困ります!」

「じゃあ彼等に伝えておいてくれ」

「はい」

「早く教室に戻るんだぞ!」

「分かっとります」

 そう言うと、彼は廊下の向こうに歩いて行った。

「面倒を押し付けよって……全く……」

と、足音がした。

「ちょっと鈴原!」

「ん……なんやイインチョかい」

「な、何だとは何よ!全く、失礼しちゃうわ!……それより、レイちゃんと碇くん居る?」

「早退したで」

「ふうぅん……。わかったわ」

 彼女はそれだけ言うと歩きだした。事の全てを悟ったようだ。流石委員長。

「早く教室に戻りなさいよ!」

「分かっとるがな……あ、そうやイインチョ!」

「何よ」

 ヒカリは面倒くさそうに振り向いた。

「今日の弁当はなんや?」

 それを聞いたヒカリは頬を赤く染めて言った。

「……中華よ……」

「もっとくわしゅう―――」
「ダメ!後は昼休みのお楽しみなんだから!!」

 そう言い放つと、ヒカリは教室へ走って行った。トウジはその後ろ姿を見ながら、頬が緩むのを感じた。

「へへ……ええなぁ……中華か……」

―――イインチョが作った中華弁当。うまいやろなぁ……。
 トウジは危うく思考の海で溺死するところだったが、休み時間があまり無い事を思い出し教室に向かって駆け出した――――が、つんのめり、頭から廊下に突っ込んだ。

ドカァァァ……

かなり盛大に。

「ねぇ鈴原。レイ知らない?あとシンジも。あいつ教室にいなかったんだけど?」

 アスカはそんな事を気にせず聞いた。まぁ、転ばせたのがアスカなのだから当然なのだが。

「……早退したで……」

「えぇ―――――!!じゃあ私のお弁当は!?」

「しらん」

 首が痛い。あと鼻も。そう思いながら適当に答える。

「ふん、まぁいいわ。ケンスケに何か奢ってもらお――っと」

 そう言うと、アスカはのんびりと教室へ歩いて行った。

「全く……なんやさっきから……」
「ねぇトウジくん」
「わあぁぁぁっ……か、カヲルか……」
 全く気配がしなかった。やはりカヲルはカヲルだ。どのカヲルも考える事は同じのようだ。彼は学校で“飼われて”いるカヲルで、碇家にいるオリジナルのカヲルを元に創りだしたカヲルだ。これもカヲルが学校に来たがらない理由の一つなのだが、主な理由は面倒だからである。彼は普段は雑用の仕事をしているのだが、時々さぼってはこうしてうろついている。サボり癖まで同じだ。
「なんや」
「シン―――――」
「シンジは居らんし綾波も居らんしすぐ教室に戻るし弁当は中華やし惣流はケンスケに奢って貰うんや!!分かったらさっさと戻らんかいボケ!!このホモ!!」

「おや、どうやらご機嫌斜めのようだね。じゃあ僕は退散しようか」
「さっさと行かんかい!!」

「はいはい」
 カヲルはさっさと廊下の向こうに行ってしまった。
 ちょっと言い過ぎたかも知れない。そう思いながら、トウジは大きなため息をついた。
 ふと窓の外を見ると、雲一つ無い青空だった。…………そういえば、シンジはかくれんぼだけは得意だった。そんな事を思いながら、無意識のうちに呟いていた。

「シンジ……見つかるとええなぁ……」


※※※


 レイは駆けていた。荒い呼吸が路地に木霊する。夜はまだ寒い。一度息を吐くごとに目の前が白くなり、視界がブレる。体力は限界を超え、今はほとんど気力だけで走っているようなものだ。それも、じき限界が来るであろう事はレイにも分かっていた。しかし走らずにはいられなかったのだ。
 時刻はもう20時を回っていた。これまでずっと、シンジが行きそうな場所を回っていた。ミサトと加持の家、ケンスケの家、駅、ショッピングモール、双子山仮設指令所跡。近辺のインターネットカフェやゲームセンターは全て探した。しかし、どこにもシンジはいなかった。
 そして今は最後の望みを掛け、ある場所へ向かっていた。


 息を荒げたままレイは立ち止まり、上を見上げた。
 この建物はこんなにも存在感が無く、寒々しかっただろうか、とレイは思った。昔―――サードインパクトの前―――は、こことネルフと時々学校を行き来するだけの日々だった。こことネルフがレイの全てで、学校はオマケのようなものだった。そんな事を思いながら、ゆっくりと階段を登り、その部屋にたどり着いた。
 汚れたドア、郵便受けには相変わらず大量の郵便物が詰め込まれたままになっており、表札には元住人のプレートが入っていた。

   『綾波』

 レイはドアノブを回し、部屋に入った。電気は点いていない。当たり前だろう、とレイは自分自身を嘲った。短い廊下を行くと、かつての居間兼自室兼寝室に着いた。コンクリートむき出しの壁、包帯だらけの段ボール箱、堅いベッド。何もかも昔のままだ。だがレイは、この部屋を見て「寂しい」と感じた。昔なら何も感じなかった筈なのに。そして悟った。ここにはシンジはいない、と。
 レイはベッドに四肢を投げ出した。


「………寂しい………そう、寂しいのね………」


 目から一筋の涙がこぼれ落ちた。










 レイはドアが閉まる音で目を覚ました……ような気がした。また寝呆けているのだろう、と思い窓の外を見ると、まだ夜明け前のようだ。時計は午前3時34分を指している。夜明けまではまだ時間がある。空は昼間とは打って変わって厚い雲に覆われ、今にも雨が降りそうだ。

―――まるで今の私の心のようだわ……。碇くんを失い、絶望で淀んでいる心。……そうだ。ココロを教えてくれたのも碇くんだった。碇くん……何処にいるの……。

 そしてレイは意識の泥海へと飲み込まれ、再び眠りに落ちた。
 だからレイは気付かなかった。壁の裏で息を潜める人影に。
 

※※※


 波の音が聞こえる。



 紅い波。
 紅い海。
 紅い空。
 紅い虹。
 赤い少女。
……少年。

 私は、そんな世界で覚醒した。


 聞こえるのは波の音だけ。

 さっきまで騒がしかったのに、みんないたのに。又、この世界に戻って来てしまった。



 私は“独り”ぼっちだ。


 でも、寂しさはなかった。……慣れているから。私はいつも独りだった。だがそれを寂しい思う事もなく、ずっと独りだろうと構わなかった。



―――好きだよ、レイ






 何?



 声が聞こえた。
 よく知ってる、愛しい人の声。だが、少年が声を発した様子はない。



幻影――――その言葉がレイの脳裏を過った。




 彼がこの紅い光景をみたらなんて言うだろう?




………ああ




 これは彼が望んだ世界へのプロセスだ。彼には、こうなる事は分かっていたはずだ。記憶ではなく、心の、もっと奥で。

 だから、この光景を見ても何も言わないだろう。
それどころか、私の顔すら見ないだろう。いや、果たして気付いてくれるだろうか。


………もう、どうでもいい。



 聞こえるのは波の音だけ。
















 彼が目を開けた。





―――私はここよ!碇くん!
 私は精一杯叫んだ。しかし、声にはななかった。





 彼は気付かない。









あ―――




 ほんの一瞬、二人の目が合った。





 そして……。






 私は戻った。生命のスープへと。思い残す事は、無くなったから。ナニモ………ナイカラ………。


※※※


 レイは飛び起き、辺りを見回した。
 夢か……?やはり彼はいない。時刻は3時36分。少し眠ってしまったようだが殆ど時間が経っていない。

ぼす

 レイは再びベッドに落ちた。背中が痛い。久しぶりにこのベッドを使ったからだろう。少し背中を上げると、バキバキ、といって関節が鳴った。レイはその痛みに顔をしかめ、天井を見上げた。あの時はシンジがいた。すぐそこにシンジの顔があり、彼の手は……。レイはその事を思い出し赤面した。あの時は気持ち悪かったが、今となってはいい思い出だ。
 レイは意を決して起き上がった。案の定背中が痛み、軽く呻いた。すると、体の上から何かが滑り落ちた。紺色の少し厚めの布地、しっかり折り目が着いた襟、ネルフのマーク、……匂い。それは紛うことない、シンジの制服のブレザーだった。

「碇くん……………!!」

 レイは再びベッドから飛び起き、シンジのブレザーを掴んでドアに向かって駆け出した。
 部屋を出、階段を駆け降り、無我夢中で走った。方向など知らない。だが、何故か“分かった”。きっと、私が碇くんを求める心がそうさせるのだろう。レイはそう思った。いや、そう確信した。頬に冷たい感触がある。レイはそれが雨粒だと認識するまで、自分の涙だと思っていた。そう、涙だ。空が泣いているようだった。

「………見つけた!」

 たった今、そこの角に白い背中が消えていった。レイも続いて追う。雨の中を歩く背中。間違いなくシンジだ。


あと10M


  9M


  8M


  7M


  6M


  5M


  4M


  3M


「碇くん!!」


  2M


 彼が振り向いた。


  1M


「あやなみ――――」


  0M!!


 レイはシンジの胸に飛び込んだ。そして彼の匂いを身体中に浴びた。

「碇くん……碇くん……!!」

「あやなみ……」

「もう、離さない……!!絶対、絶対、離さない!!」

 レイは声をあげて泣いた。涙が、止まらない。離さない、離さない、レイはそう言い続けた。彼女はシンジに会えた事より、彼が無事だった事の方が嬉しかった。

「怒って……ないの……?」

 シンジはおずおずと訊いた。レイは何も言わず、ただ首を縦に振るだけであった。

「でも、僕は僕が許せない。勝手に決め付けて、君を、傷つけてしまった……」
「そんなこと、どうでもいいわ!」

 シンジは驚いた表情でレイを見た。彼の目は赤く腫れ上がり、彼がずっと泣いていた事を証明していた。
「だって……私は貴方が好きなんですもの……!」

 雨はますます強くなる。

「ごめんね……ごめんね、あやなみ……。ほんとにごめんね……」

 シンジは控えめにレイを抱き締めた。



―――ヤシマ作戦……



 レイは軽く踵を上げ、彼の唇に己の唇を重ねた。雨の中に幻想的に写し出される二人の姿。それは初々しくも神々しかった。レイは唇を離した。

「……もういいのよ、碇くん……」

「れい……」

 シンジはレイをきつく抱き締めた。腕を解くと、どちらともなく唇を重ねた。
 二度目キスは雨と涙の匂いがした。




 少し長めのキスを終えると、二人はまた抱き合った。今だけは雨の音も、雨の冷たさも気にならなかった。

「好きだよ、レイ」

「私もよ、碇くん」

 二人は離れるとお互いに微笑み合った。

「帰りましょう……」

「帰ろうか」

 二人は手を繋ぎ、身を寄せ合って歩きだした。
 空を見上げると、雨は上がっていた。そして天空の王が現れ、一日は、巡って行くのであった。






《オチとマトメ》

「ねぇ綾波」

「何?碇くん」

「……トウジに、何されたの?」
 レイは、はたと足を止め、俯いて赤くなった。
「そ、それは、あの、えっと……」
 シンジはクスリと笑った。
「いいよ、気にしないから」

「あ、ありがとう……碇くん……」

 レイはますます赤くなった。シンジはそんなレイを見て少し悪戯したい衝動に駆られたが、理性で押さえこんだ。
 一方、レイは本気で悩んでいた。
(言えないわ……。スカートが後ろ前だったなんて…絶対に言えないわ……)
 レイはその時の事を思い出し更に赤面した。顔の血管が切れそうだ。
「うぅ……」
「どうしたの?」
「い、いえ。何でもないわ……」
「ほんとにぃ?」
「本当だってば!もう、置いてくわよ!」
 そういうと、レイは駆け出した。
「あ、待ってよぉ。あやなみぃ〜」
 シンジもレイを追って駆け出した。



―――ありがとう、碇くん。“レイ”って呼んでくれて。貴方は気付いてないだろうけど、確かに呼んだのよ。“レイ”って。…………好きよ、“シンジ”くん…………―――


 走るレイは、満面の笑みを浮かべていた。



《続く……だったり?》



《あとがき》
 どーも。タピオカです。 「碇くんの一日」Part2、お楽しみ頂けたでしょうか?読み返して見ると、前作とはかなり雰囲気の違う作品になってましたね。でも短編連作って思っているので別にいいのではないかと思っちゃってマス……ww

 さて、今回の作品ではLRSにおいて決して避けてはいけない(と思っている)シンジとレイのラブラブを描いてみましたが、どうでしょうか?個人的にはイマイチかと……。(;^_^Aラブラブ度が足りないですね。
 あと、今回の作品は皆さんからのアドバイスを出来るだけ反映するよう努力してみました。あとは文の始めを一字下げるとか、※を多用しないとか、間の取り方とか。いろいろやってみたんで、是非感想を聞かせてください。
 最後まで読んでくれてありがとうございました!m(__)m

ぜひあなたの感想を

【投稿作品の目次】   【HOME】