美しいもの

Written by tomo

狂ってしまうことなんて、案外簡単なことだと思う。

例えばそれはこういうことだ。

一年という月日が終わりを迎えたある日の夕暮れ。
大地が一日中照らされ続けた灼熱の日差しから、やっと開放されるその瞬間。
全てが赤く染められる世界の中に
ビル風に舞う一枚の白いビニール袋を僕は見た。
もちろんそれはただのビニール袋で
なんの変哲も、なんの変わり映えもないありふれた光景で。
けれどなぜか
僕はその風のロンドをずっと見つめていた。
軽やかなステップを踏み終えるその時まで。
美しかった。
ただ、美しかった。
まるで小さな子供が楽しそうにはしゃぎまわっているかのようなビニール袋は
その美しさに心を奪われた僕にそっと語りかけてくる。
“一緒に遊ぼうよ”と
狂ってしまうということは、その誘いを受け入れてしまうことなのだろう。
僕はそう思う。






“君は不器用なだけなんだ”
ある時、僕は先生にそう言われたことがある。
先生はきっと僕のことを僕以上にわかっている人だから、それは正しいのだと思う。
僕は僕が嫌いで、たしかにそれはその理由の一つに当てはまる。
ただ一つ、先生がわかっていないことがあるとすれば、僕にとっては不器用であるということが全てなのだと
いうことだ。

そういう些細なことが僕を少しずつ追い詰めていく。

かつては道路として人の往来もあったのに、何かの拍子に入り口も出口もふさがれてしまい、路上のペイント
だけが道路であったことを証明する何も生み出すことのない閉ざされた空間。
そこに来てしまったら、できることは二つ。
自分で出口を作り出すか、あきらめてその場所を楽しむか。
どっちにしても、僕にはとてもできそうも無い。

僕が追い詰められた先はそういうところなんだと思う。





ある時から僕の周りには、僕と同じようにどこか一つの空間に閉じ込められてしまっている人々が、たくさん
集まるようになった。
彼らの追い詰められている場所はもちろん僕とは違うけど
彼らが追い詰められている理由は僕のそれと似ているような気がした。
だからってどうにもならないけれど。
そこを楽しめなんてとてもじゃないけど言えないし、
抜け出すにしても僕自身だって抜け出すことができていないのだ。
何よりそこから抜け出すには、その場所にあった方法があって、それはそこにいる人にしかわからない。
結局、物事ってのはそういうものなのだろう。











どこまでも降り注ぐ月のシルバー・レイを浴びながら、
僕は、傍らの綾波と一緒に歩く。
どちらがどちらかに合わせるというわけでもなく。
それでも、僕と綾波の歩調はほとんど狂うことは無い。
「どうして?」
不意に綾波が口を開く。
綾波の言葉にはいつも多くの意味がこめられていて、僕には瞬間、その意味がつかめない。
“どうして何も喋らないの?”
“どうして私を送ってくれるの?”
“どうして私を気にかけるの?”
その言葉は、そのどれを意味するのか。それともその全てを意味するのか。
あるいは、そのどれでもないのか。
少しの間考えて、僕はただ自分の思いをそのまま答えることにした。
たぶん、それが一番正しいの答えだろうと思ったから。
「・・・興味が・・あるんだ・・・・」
ぴくん。
綾波がほんの少しだけ反応した気がした。
僕はまた間違えてしまったのかもしれない。
それでも、僕は、こういう言い方しかできない。
それで後悔するのなら仕方の無いことなのだろう。
僕が僕である限り。


しばらく、黙って歩いていた僕と綾波。
月の光はよりいっそう強く降り注ぎ、僕の体の中にまで染み入ってくるような気がする。
「どうして?」
そして、綾波は再び口を開いた。
さっきより心なしか戸惑った感じで。
だから、僕は言葉を尽くすことにした。
たとえ不器用にしか伝えられなくとも
綾波には伝えたい何かがあったから。
「・・・この世界には本当に美しいものがあるんだ。それはどんな場所にも、どんなときにでも必ず
どこかに存在している。そして、美しいものを見ると僕は壊れてしまいそうになるんだ。」
空を見上げる。
今輝く月はやっぱり、どこまでもどこまでも美しい。
「僕の周りにはこんなにも美しいものが溢れているのに、それを美しいと感じる僕は、それからあまりにも
かけ離れてしまっているんだ。その思いが、僕を苦しめる。」
風が吹いている。
いつもより少し冷たいその風は、僕の体に心地良い。
「それでも、僕は美しいものを見つめる。だって、それは本当に美しいんだもの。僕は、たとえ僕自身が
近付くことができなくても、美しいものが好きなんだ。」
視線を地上に落とす。
綾波はじっと僕の言葉を聞いている。
自分の中で咀嚼してしっかりと感じることができるように。
そう見えるのは、僕がそうあってほしいと望むからだろうか。
「・・・それで?」
やがて、綾波はまた僕に問いかけを発した。
僕は立ち止まり、綾波の目を見つめる。
ひょっとしたら、しっかりと瞳をあわせるなんて初めてだったかもしれない。
「・・・綾波は美しいと思う。」
僕はやっとそれを口にできた。
それは、最初綾波を一目見たときから思っていたこと。
それでも絶対に伝えられないと思っていえなかったこと。
口にしてしまった今だって、伝えることができるかどうかはわからない。
不安は僕の中で溢れている。
こういうときの静寂は鉛のように重く、永遠のように長い。
綾波はじっと沈黙を続けている。
そして。
「・・・・そう・・・だから、私を見つめるのね。」
そういった綾波は普段とまったく変わらなかった。
でも、だから僕は伝わったのだと感じた。
「・・・・うん。」
うなずいて僕はまた歩き始める。
綾波もそんな僕についてくる。
さっきと同じようにまったく狂わない歩調で。
その時、僕は初めて僕のままで美しいものに近付けたのだと思った。










狂ってしまうことなんて、やっぱり簡単なことだと思う。
それでも僕が狂わないでいられるのは、もう少し美しいものを感じ続けたいからだ。
一緒に踊ってしまったら、風に舞う白いビニール袋の姿をよく見ることはできないから。
そしてなにより君を見つめることができなくなってしまうから。
だから、君がそこにいてくれる限り僕はきっと大丈夫だろう。
僕は、心の底からそう思う。




<コメント>
ご無沙汰してました。tomoです。
いろいろごたごたしてまして、遅くなってしまいました。
首をなが〜くしてまっていた、なんて方はいらっしゃらないと思いますが(壊)
とりあえず、完成できてよかったです(ふにゅ〜)
次回は、もっとはやくかけたらいいなぁ〜(笑)
そんなわけで、
最後まで読んでくださってありがとうございました♪



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