ドアが開く。
目に飛び込んでくるのは、まるで人の住んでいる痕跡の無いのっぺりとした空間。
それでも彼女は知っている。もう何年もの間この部屋にはちゃんと人が住んでいるということを。
ゆっくりとドアを閉め中に入ると、シャワ−の音が聞こえる。
"相変わらず、不用心ね"
そう思いながら、彼女らしいその行動にどこかほっとしている自分がいる。
彼女は家の主にかわって鍵をかけ、部屋にある数少ない家具の一つであるベットに静かに腰掛けた。
綾波レイがシャワ−から出てくるのを待つために。
「・・・アスカ」
黄色いタオルで頭をふきながら、レイはさして驚いた様子も無く自分のベットに座っているアスカを目に止める。
呼ばれたアスカが落としていた視線を上げた。
"ほんと・・不用心なんだから・・・"
レイはもちろん何も身に付けていない。
その病的なまでに白く透き通った肌をあますところなくさらしている。
「・・・ちょっとは恥ずかしがりなさいよ。見ているこっちが恥ずかしいじゃない。」
そういいながらも、そんなレイを可愛いと感じる自分がいることにアスカは気付いていた。
それは少し前なら全く考えられなかったことだった。
最初は戸惑ったが、一度受け入れてしまえば後はどうということはなかった。
むしろ、今ではそんな感情を楽しいとさえ思えるようになった。
「・・・問題ないわ。アスカだもの。」
身体をふき終わったレイは、タオルで身を隠すことなくアスカの方に進んでいく。
"・・・問題ない・・ねぇ・・・"
あの冷酷無比な自分達の上司がごとく、ぶっきらぼうなその物言い。
それに隠されたレイの微妙な変化。
それを感じ取れるから、アスカも以前みたいにいらだったりしない。
「・・・なに?」
いつものように変わったブラのつけ方をしながら、レイはアスカに尋ねた。
アスカがこの部屋にくるのはなにか自分に話がある時であるということをこれまでの経験からレイは知っていた。
それがとても大切な話であるということも。
だから、尋ねながらもレイは何となくアスカの話すことがわかっていた。
今、二人にとって大切なことは一つしかないのだから。
アスカは黙ってレイを見つめている。
それはアスカにしては珍しく、どう切り出そうか迷っているふうにもみえた。
結局、アスカが口を開いたのはレイがすっかり制服を身に付け終わった後だった。
「・・・いいの?」
何の前置きもない疑問形。
アスカはそれで伝わるだろうと判断した。
「・・・なにが?」
レイは聞き返した。
いや、わざとわかっていない素振りを見せたのだった。
「・・・もう会えないわよ?たぶん。」
再び、今度は逃げ場のない質問をアスカが投げかける。
しばらくの間蒼い瞳と紅い瞳が宙を交錯する。
お互いにお互いの瞳が映っていた。
「・・・仕方ないわ。」
「どうして?・・・命令だから?」
「ええ。」
「・・・アンタ、ほんとにそれでいいの?」
「ええ。」
「・・・アンタ・・バカ?・・」
「・・・そうかも・・しれないわ・・」
「わかってても従うんだ?」
「ええ・・・だって・・」
「「命令だから」」
二人は同時にそのセリフを繰り返した。
一人はぶつけがたい怒りを吐きだすように。
もう一人は何の感情もこらない平坦な声で。
そして、静寂が再び二人を包み込んだ。
レイは何も間違ったことは言っていない。
アスカにもそのことはわかっていた。
ネルフは研究所色が強いが、軍隊の部分を備えていることにかわりがない。
現にミサトは軍人出身だし、チルドレンの扱いも厳しい規律こそないがミサトの指揮に服する兵士ということになっている。
にもかかわらず、シンジはミサトはおろか碇司令の命令に背いたばかりか、エヴァを使って反旗を翻す素振りすらみせた。
たとえ親友の負傷に端を発するとはいえ、それがゆるされるはずもない。
チルドレンとしての登録抹消は当然。
むしろ厳罰に処されなかっただけましといえる。
そんなだから、そこにアスカやレイのような一兵士にできることなどなにもない。
けれど、一方でアスカは納得がいかなかった。
頭でわかっていても心のどこかにわりきれない気持ちが澱んでいた。
そんな時ミサトが一枚のメモをくれる。
「どうしなさいとは言わない。ただ、あなた達が後悔をしないように行動なさい。」
決して思いやりのある物言いではないが、それでアスカの心は決まった。
だから今、アスカはレイの部屋にいる。
瞬間、レイは怒られると思った。
かつて"人形"といって傷つけてしまった以来、アスカはレイ自身がそういうことを言ってもレイを怒るようになった。
"自分で自分のことをそういうふうに言うもんじゃないわよ"といって。
"命令だから"
それはレイが自分の思考を停止するための方便。
自分でもそれは薄々わかっていたから、アスカは怒るだろうと思った。
だが、レイの予想に反してアスカはいつものような怒りをみせることはなかった。
「14時30分発、第二新東京行き。」
そのかわり、アスカはどこからか取り出した一枚のメモを読み上げた。
「アタシ、ずっとわけわからなかった。シンジがいなくなるって聞いたときから・・・嬉しいはずなのよ。
だって、これでまたアタシがエースになったんだから・・・けれど、嬉しいと思えなかった・・・変だと思わない?
アタシは思ったわ。何でこんな気持ちになるんだってね。」
そういってアスカは今読み上げたメモをレイに渡した。
メモにはアスカの言った通りの文字が乱雑に書きなぐられている。
「それをミサトにもらったとき、わかったのよ。アタシ、こんなの望んでないんだってね。
こんな形でシンジに勝っても、ちっとも嬉しくなんかない。
そう思ったら、是が非にでもあいつに会って一言いってやりたくなったわ・・・"勝ち逃げするんじゃないわよ"ってさ。」
ベットから立ち上がったアスカがレイに近付いていく。
気がつくと、お互いの吐息すら混じり合うほどの近くにアスカの顔があった。
その蒼い瞳を見たとき、レイは初めてアスカが本気で怒っているのだということを知った。
「人にはね、言わなければならない時があるわ。その時を逃せば思いは決して伝わらない。
伝わらない思いなんて無いも同じ。・・・アンタは一生人形でいるつもり?」
あの時不用意に使って傷つけてしまったその言葉を、今度は確信をもって言い放つ。
たとえ再び傷つけてしまうことになったとしても。
それが精一杯の自分の思いだから。
結局、人が人に思いを伝えるにはそんな方法しかないのかもしれない。
「・・・私・・私は人形じゃない・・・」
それは小さな小さなつぶやき。すぐに虚空に飲み込まれてしまうかのようなそんなか細い言葉でも、二人にはそれで十分。
アスカは笑った。あの時と同じ、いや、それ以上に美しい笑顔で。
「OK。さあ、急ぐわよ。」
そういって駆け出すアスカをレイが追う。
どうしても伝えたい思いを伝えるために。