長野県のとある駅で会社員達が今や遅しと通勤列車を待っている。秩序とは無縁のごった返したプラットホーム。
 やがてホーム内に、
「まもなく列車が参ります。白線の内側に下がってお待ちください」
とのアナウンスが入り、構内に取り付けられたスピーカーより列車の到着を伝える音が聞こえてくる。
 一旦は大人しく白線の内側に下がる人々。が、列車の姿が見えると、気の早い者が早く乗ろうと前の人間を押して・・・・・。
 耳をつんざく様な激しいブレーキ音がホームに木霊した。
 一人の男が線路に押し出されてしまった為に。
 目を瞑る人々、恐る恐る目を開けるとそこには・・・・・死体など無かった。いや、人々は何故自分が目を瞑ったのかさえ覚えていなかった。ただ、目を瞑った時、紅い瞳が見えた。その事だけは覚えていたのだが・・・・・。


招ばれし者

〜プロローグ〜



「ここは?」
 人気の少ないホームで一人の男がポツリと呟いた。
「俺は確か、人に押されて線路に落ちたはずなのに・・・・・」
 呆然としていた男は、何が起こったのか整理する為に自分の覚えている範囲の事を思い出そうとした。
「通勤列車がホームに入ってきて、先頭車両が目の前を通過しようとした時、誰かに押されて俺は列車の前に飛び出してしまって、死を覚悟した瞬間・・・・・」
 そこまで思い出したとき、男はハッと顔を上げた。
「死を覚悟した瞬間、紅い瞳のようなものが見えて、気がついたら・・・・・」
 それが何を意味するのかわからない。だが、それはとても重要な事に思える。
「あれは一体なんだったんだ?いや、その前に此処は?」
 少し余裕の出てきた男が辺りを見回すと、何処か見覚えがあるようでまったく知らない駅に立っている事に気がついた。
 瞬間、世界が暗転し・・・・・
(ここは貴方の知らない、それでいて知っている世界・・・・・)
 何処からとも無く女性の声が聞こえてきた。
(俺の知らない、それでいて知っている世界?)
 男は不思議そうに聞き返す。
(そう、ありえたかもしれない世界、パラレルワールドとも言うわ)
(パラレルワールド・・・・・)
(そして、貴方が知っていると言った理由は・・・・・)
 その声と共に、姿も見えていないはずなのにある一点を指差しているような気がしてそちらに振り向くと・・・・・、
「え〜ん、え〜ん」
泣き声が聞こえてきた。
 泣き声のする先、そこには泣きじゃくる少年が居て、その少年を見た瞬間、男は呟いた・・・。
(碇シンジ?)
 そう、その少年は何故か男が昔、よく見ていたテレビアニメの主人公の幼かった頃に似ていた。
(でも、そんな、まさか・・・・・・)
(そう、此処は貴方たちが言う所のエヴァの世界。無数に存在するパラレルワールドの中には、貴方たちがドラマやアニメ等でみた通りの世界もあるもの。このエヴァの世界もその一つ・・・・・)
(どうして俺がそんな世界に・・・・・。いや、その前に君は一体誰なんだ!?)
 男が女性の正体をある程度予想しながら疑問を口にすると、その疑問に答える声と共に女性が姿を現した。
(列車に撥ねられて死んだ貴方をこの世界に呼んだのは私)
(やっぱりな・・・・・)
 女性の姿を見た瞬間、男はそう呟く。
(私はリリス、そして、綾波レイと呼ばれていたモノ)
 現れた女性、いや、少女を男は知っていた。
 少女も男の見ていたアニメに出ていたのだから。
(どうして俺を呼んだ?やっぱり、死んだからか?)
 だから男は何故自分を呼んだのかと言う質問だけをした。
(位置的に最も好条件が揃っていたのもあるわ。それに、死ななくても貴方を呼ぶつもりだったわ。全てが丸く収まれば元の世界に戻す事を条件に・・・・・)
 男の質問にそう答えるリリス。
(・・・・・どうして俺なんだ?)
 あの時、周りには沢山の人が居た、その中で最初から自分に決まっていた。その事が腑に落ちなかった男が質問を重ねると、予想外の答えが返って来た。
(貴方があそこに居たエヴァを知っている人々の中では一番、碇君の事を気遣ってた人だから)
(それで俺か・・・・・)
 答えに何処か納得したように呟いた男をリリスは真剣な表情でみつめて、頼んだ。
(貴方はまだ死んでいない。全てが終われば元の世界に戻すわ。だから、碇君を支えて欲しい・・・・・)
(本当に戻してくれるんだろうな?)
 男はリリスのまだ死んでいないという言葉に疑問を感じはしたが、そう確認しただけ。
 リリスが頷くのを見て息を吐き出すと、
(分かった)
リリスの申し出を承諾した。
(・・・・・ありがとう。碇君を支えてもらう為にも、この世界の最低限の知識を貴方にあげるわ)
 リリスは男に礼を述べると、そう言って右手を男の額にかざした。
 その瞬間、男の頭の中に膨大な量のデータが流れ込んできて・・・・・、やがて男は、気を失った。




*   *   *




 気がつくといつの間にか辺りは元に戻っていた。男はリリスとの約束を果たす為、いまだに泣き続けているシンジの元に向かうと声を掛けた。
「どうしたんだ、ボウヤ。迷子にでもなったか?」
 シンジは一瞬泣きじゃくるのをやめると、ジッと男を見た後、再び泣き出す。
「お、オイオイ、泣き止んでくれよ」
 驚き、一生懸命あやそうとする男にシンジは泣きながら訴えた。
「お父さんが僕を置いてどっかに行っちゃった〜」
 それは男には分かっていた事、だが、ソレをおくびにも出さず、腰を屈め、視線の高さを合わせると優しくシンジに問いかける。
「本当にボウヤを置いて何処かに行ったのかい?何か買いに行くとか言ってなかったかい?」
 男の問いにシンジはただ首を横に振るだけ。
 男は立ち上がるとシンジの手を握り、総合案内に向かった。
「それじゃ、一度お父さんを呼び出してみてもらおうか。迎えに来れば捨てられていない。迎えに来なければ捨てられた。白黒はっきりするだろ?」
 男の言葉に一瞬戸惑い、抵抗しそうな雰囲気をシンジは見せるが、結局男と共に総合案内に向かう事にした。自分が捨てられていないのか、捨てられたのかハッキリさせる為に。
「そう言えば、ボウヤの名前は?」
 総合案内に向かう途中に男がそう聞くと、
「シンジ・・・・・」
とだけ答えた。
「シンジ君・・・・・ね」
 男はシンジの名前を復唱すると、後は何も言わない。
 やがて総合案内に着き、男はカウンターに向かうと、シンジの背中を押しながら自分の横に立たせ、カウンターの中に居た女性に告げた。
「済みません、この子、シンジ君と言うそうなんですが、親とはぐれてしまったみたいで」
 すると女性はカウンターから出てきてシンジの前に屈みこみ、訊ねた。
「ボク、お父さんは如何したのかな?」
 シンジは上目遣いにその女性の顔を見ると、涙混じりに訴えるように答えた。
「お父さん・・・・・僕を置いて何処か行っちゃった・・・・・」
 そんなシンジに女性は笑顔で、殆ど男と同じような事を聞いた。
「お父さん、此処で待ってなさいとか言ってなかった?誰か迎えに行ってくるとか?」
 が、シンジの反応は男に対してしたのと同じ、首を横に振る事だけ。
 女性はシンジは本当に捨てられたのだろうと思った。何故なら、セカンドインパクトの影響が色濃く残っている現在、養えなくて子供を捨てる親が多いのが実情なのだ。実際、政府も余りの多さに匙を投げてしまっている。既に親権の放棄についての罰則など有名無実化しているといえる。ただ、そんな状態を放って置いている罪の意識からか、少しだけ法に手を加えはしたが・・・・・。
 女性はそこまで考えたが、だからといって本当に捨てられたと決め込むわけにもいかないと考え直した。それに、こんなに不安そうな少年にそんな事を告げられるわけが無い。その思いも強かったのだろう。女性は男を呼び寄せると、小声で、しかも直球で訊ねた。
「貴方は彼を如何するつもりですか?」
 男は女性のストレートな質問に苦笑する。
「俺が引き取ろうと思う。確かに血縁関係も無いし、生活も苦しいかもしれない。それでも、家族を失った者としては、理由はどうあれ、同じ境遇の、しかも子供をそのまま放って置くことは出来ないからな」
「本当に覚悟が出来てますか?」
 男の答えに女性が嘘は許さないという固い意志を持って聞くと、男は黙って頷く。  女性はそんな男をしばらくじっと見据えていたがやがて微笑むと、シンジの方に向かい、腰を屈めると訊ねた。
「ねえ、ボク、上のお名前は?」
 女性の問いにシンジは、
「・・・・・イカリ・・・・・」
とだけ答える。
 女性は答えを聞くと、再び笑顔をシンジに向け、
「イカリシンジ君・・・・・ね。ちょっと待っててね」
そう言ってカウンターの中に戻り、駅構内に放送を流した。
「迷子のお知らせを致します。イカリシンジ君を総合案内にてお預かりしております。ご家族の方は至急総合案内までお越しください」
「さて、お父さんが来るまでそこで座って待っていようか?」
 放送が終わった後、男はそう言って近くのソファーを指差した。男の言葉に頷いて答えるシンジ。二人はソファーの所まで移動すると、腰掛けた。
 しばらくは殆ど無言の時間を過ごす二人。が、一向にゲンドウはおろか、シンジを引き取るはずの人物さえ現れない。
 やがて、シンジがポツリと呟いた。
「僕、やっぱり捨てられたんだ・・・・・。やっぱり僕は要らない子なんだ・・・・・!」
 男は顔を向けると訊いた。
「なんで要らない子だなんていうんだ?」
「だって、こんなに待ったってお父さん、迎えに来ないじゃないか!」
 男の質問に目に涙を浮かべながらそう叫ぶシンジ。その瞳には絶望の色が色濃く滲んでいて・・・・・。
 男がシンジに声を掛けようとした時、声が聞こえた。
「やっと見つけた」
 そちらに目を向ける男とシンジ。
 そこには、一組の男女が居て、男の方がシンジに訊ねてきた。
「君が碇シンジ君だね?」
 男の言葉に頷くシンジ。
「私は内藤カズマ、君のお父さんに君の事を頼まれた者だ。今日から君は私の家に住んで貰う事になった。そうだな、私の事は『先生』と呼んでくれればいい。それでは、行こうか」
 そう言うと、シンジの腕を掴み、無理やり立たせるとその場を離れようとした。が、それに抵抗するシンジ。
「ええい、大人しく来ないか!」
 しばらくカズマはシンジを宥めすかしたりしていたのだが、頑として動こうとしないシンジに痺れを切らしたのか大きく手を振り上げた。
「暴力は感心しないな」
 手が振り下ろされようとしたまさにその瞬間、いつの間にかカズマの後ろに移動していた男がその手を掴んでいた。
「は、放せ!」
 もがくカズマ。
「アンタ、シンジ君をどういうつもりで預かる気なんだ?」
 だが、男は手を放すことなくカズマにそう訊く。
「知らない男が家にいきなり来て、その子の写真と金を置いて預かってくれって言われたから預かるだけだ。1000万だぞ、1000万!それに、預かれば一月ごとに莫大な養育費を支払ってくれるとその男は言ったんだ!家だって本当は他人の子供を養える程余裕があるわけじゃない!だが、この子を預かるだけで莫大な金が入るんだ。そんな美味しい話、手放すなんてバカだろう!?」
 男の問いにそう答えるカズマ。シンジはその言葉に顔から表情を無くした。
 そんなシンジを見た男は、カズマの手を放すとシンジの手を引いて自分の横に立たせ、カズマに向かって宣言した。
「その男が嘘を吐いているかも知れないと思わなかったのか?どうやってアンタがシンジ君をちゃんと預かっていると確認するんだ?ただただ金に目が眩んでそんな事も考えられないアンタにシンジ君を任せるわけにはいかないな。アンタの都合なんて如何でもいい、シンジ君は俺が預かる」
「な!?あ、あの男は沢山の黒服の屈強そうな男たちを引き連れて私を脅したんだぞ!1000万、私の目の前に置きながら。それだけであの男が本気なのは分かるだろう!?それに今日まで毎日、電柱の影に隠れている黒服の男達を必ず見かけたんだ!今も奴らがそこら辺の影に潜んでるかも知れないんだぞ!?アンタのそんな勝手な理由でこの子渡して殺されたらどうしてくれるんだ!?兎に角、この子は私が預かる!まあ、そうだな、もし嘘だったらあんたに引き渡してやるよ。相当の金額を貰うがな」
 男の言葉にカズマは必死に叫んだ後、最後に下卑た笑みを浮かべた。が、それは男の怒りに油を注いだだけ。
「影に怯えて生きるつもりなど、俺には無いんでね。本当に居るなら今此処で姿を現すんじゃないのか?だが出てこない。つまり、そんなのは妄想以外の何物でもないと言う事だ。それに、嘘なら俺に引き渡すだと?しかも相当の金を要求して・・・・・。つまり、貴様はシンジ君を金づるか何かと勘違いしているって訳だ・・・・・。そんな奴がきちんと育てられるとは思えん!兎に角、貴様にシンジ君を渡すわけにはいかん!」
 男の言葉に怯むカズマ。
 実際、その時の黒服達はゲンドウが金で集めた者たちで、電信柱の影から偶に視認出来るように姿を見せる程度の事を請け負っていただけにすぎず、今日、カズマがシンジを迎えに出た所でその役目は終えていた。一人数千万円も貰って・・・・・。
 カズマは怯えながら、まるで助けを求めるように辺りを見回してみる。
 が、男の言うとおり黒服の男が居るような気配が無い。
 騙されていたのかと考えるカズマ。
 それでも、今までずっとプレッシャーを掛けられていた為、すぐにはその考えを肯定する事が出来ないでいる。
「ア、アンタがどうなっても私は知らないからな?あの男が現れたら、アンタが無理やりその子を連れて行ったんだって言うからな?」
 やがて、カズマは一抹の不安をまだ感じて居ながらも、男とこのまま対峙している勇気もまた持っていないためだろう、そんな捨て台詞を残して女と共にそそくさと去っていった。
「さてと、シンジ君。君はどうする?」
 しばらくは男女が去っていった方向を見ていた男だったが、腰を屈めるとそうシンジに訊いた。
「どうって?」
  男の言葉の意味を理解できなかったシンジが問い返すと、男は笑顔で答える。
「俺と一緒に来るか、それとも自分一人で生きていくか・・・・・さ。俺としてはシンジ君に一緒に来て欲しいがね」
 だが、シンジは俯くと、一言呟いただけ。
「僕は・・・・・要らない子だから・・・」
 そんなシンジの肩に男は手を置くと、
「どうしてそんな悲しい事を言うんだい?俺はシンジ君、君に一緒に来て欲しいと言ってるんだよ?俺にとって君は、要らない子じゃない。いや、俺にとって君は必要な子だと思ってる」
シンジにそう告げる。
 男の言葉にハッと顔を上げるシンジ。そんなシンジを見て、さらに男は優しい声色で言葉を続ける。
「俺は記憶喪失になったのか、今までの事を覚えていないんだ。家族が居たかもしれない、居ないかもしれない。ただ、今言えるのは今の俺には家族が居ないと言うことだ。何せ、家族が居たとしても誰も思い出せないんだからな」
 辛そうに話す男に、シンジは憂いの表情を浮かべる。男は勿論、嘘を吐いている。結婚はしていないが両親は居るし、顔だって名前だって直ぐに思い出せる。しかし、それはこの世界では意味の無い事。
「だから、俺は君に家族になって欲しいと思ってる」
 男は真摯な目を向けてシンジにそう言った。
 一瞬、息を飲み込むシンジ。が、ゆっくりとその顔に笑みを浮かべていくと、男にはっきりと答えた。
「はい」




*   *   *




 男はシンジと共に市役所へと向かった。
 リリスからの情報、その一つに、
『セカンドインパクトにより、多数の死傷者及び、記憶障害者が出た事。それにより親が死んでいたり、記憶喪失による失踪等で出生が明確ではない子供が巷に大量に溢れた事。その中には食いぶちを減らす為に捨てられた子供も含まれている事。以上の理由で現在大人数の子供が孤児になっている事。この事態を重く見た政府は簡易な手続きで新しい名前や生年月日の申請・認可及び、子供を亡くした親が孤児と養子縁組出来る法律を制定した事』
等があった為に。
 一応、記憶障害の場合医師の診断書が必要で、男は持っているはずも無いのだが、リリスがどうやってか用意していたので、持っていた。
 市役所に着いた男はその書類を持って総合案内のブースに行くと、
「此処で、この診断書見せれば自分で決めた名前や誕生日を申請出来ると聞いたんですけど?」
と受付の女性に言った。
 男の言葉に、受付の女性は診断書を受け取ると記述されている内容をチェックし、不備が無いのを確認すると男を案内した。
「はい、4番窓口へどうぞ」
「ああ、それと、どうもこの子、父親に捨てられたみたいで・・・・・」
 男は診断書を受け取ると、シンジの背中を押して自分の隣に立たせ、受付の女性にそう言った。
 すると、女性はシンジに訊ねた。
「ボクはこのおじさんと家族になっても良いと思ってる?」
 どうやら、男の言葉の意味をこの受付嬢は正確に把握したようだ。
 その問いにしっかりと首を縦に振るシンジ。
「おじさんは酷いよな・・・・・」
 男は、そう言いながら頬を掻いている。
 女性は男をじっと見据えると、
「大切に育ててあげてくださいね。養子縁組は6番窓口です」
と言った。
「勿論です」
 女性の言葉に微笑んで答えると、まずは4番窓口に向かう男。
「所でシンジ君、イカリって字はどの字?」
 カウンターでなにやら書いていた男はシンジにそう声を掛けると、今書いていたものをシンジに見せる。
 そこには、
『碇、伊刈、猪狩、五十里』
と書かれており、シンジは少し悩んだ後、『碇』という字を指し示した。
 男は頷くと、再び何かを書き、ソレを今度は受付に渡した。
 シンジが不思議そうに男を見上げていると、カウンターの向こう側に居るであろう人の声が。
「碇シンイチさんで宜しいですか?」
 男の新しい名前に驚いた顔をするシンジ。
「これから家族になるんだしな」
 男はそう言ってシンジに微笑んで見せた。
 微笑み返すシンジ。
 ここに、シンジの新しい父親が誕生した。




*   *   *




 ― 7年後 ―
   無駄に広く薄暗い部屋、司令執務室。その中央に設置された執務机の椅子に一人の男が座っていた。黒いフレームに黄色いふちの眼鏡をかけた、中途半端に長い髭の男。その男こそ、シンジの本当の父親、碇ゲンドウだった。
 ゲンドウは机に肘を突き、組んだ手の上に顎を乗せると、ただ正面をじっと見ている。
 やがて、入り口のドアが開き、一人の男が入ってきた。
 その男はゲンドウの傍まで歩いてくると、ゲンドウに報告する。
「碇、シンジ君が預けた家に居ないそうだが・・・・・」
 報告したのは副司令の任につく、冬月という初老の男性。
 冬月の報告に、眉毛がピクリと動くゲンドウ。だが、ポーズを崩さぬまま、
「赤木君を呼んでくれ」
冬月にそう言った。
 ゲンドウの指示通りに赤木リツコを呼び出す冬月。その目は、心の内を探るかのようにゲンドウの横顔を盗み見ていた。
 しばらくして、白衣を着た女性、赤木リツコが司令執務室に入ってきた。
「お呼びでしょうか?」
 ゲンドウはやはりポーズを崩さぬまま、命令を下す。
「シンジが預けた家に居ないらしい。一応、計画の予備だ、必要になる可能性もある。MAGIで捜索しろ」
 ゲンドウの命令に、
「了解しました」
と言って退室するリツコ。
「冬月、内藤の処理は貴様に任せる」
 リツコを見送った後、ゲンドウはそう言った。
 冬月はそんなゲンドウの言葉を聞いて、
「雑用は全てわしに押し付けおって」
と呟きつつ、司令執務室を辞していった。
 冬月が出て行った後も身じろぎ一つしないゲンドウ。真っ暗な空間にどれだけその姿勢で居たのか、司令執務室に内線のコール音が響く。
「司令、シンジ君の所在が分かりました」
 それは、MAGIを使ってシンジの捜索をしていたリツコからの連絡。
「で、シンジは今、何処に居る?」
 ゲンドウは数瞬沈黙した後、リツコにそう聞いた。
「現在、『碇シンイチ』と名乗る男性と養子縁組をした上で一緒に暮らしているようです」
 ゲンドウの問いに答えるリツコ。
「で、シンジはどのように育っているか分かるか?」
 余りにもイレギュラーな事であり、計画の予備としては支障が生じると思ったゲンドウ。が、それ以外にも・・・いや、そのこと以上に自分の心を占める感じてはならない感情が動いている事に気が付いた。だからこそ、出てしまった問い。
「流石にそこまではMAGIでも分かりません。ですが、現在の居住地がわかりましたので諜報部を送ってみては如何でしょうか?」
 リツコは問いに答えると共にそう提案した。
 リツコの提案、それは考えれば直ぐにわかること。自分がそこまで動揺していた事に驚くゲンドウ。
 だが、その事などおくびにも出さず、
「確かにその通りだ。では、シンジの現在の居住地の情報を諜報部に送ってやってくれ」
そう言うと、受話器を置いた。
 そのまま元のポーズに戻るゲンドウだったが、自分は親としての感情を殺したはず。なのに、何故、シンジが養子縁組したことでこんなにも私は動揺しているのだ?そんな思いがぐるぐると頭の中を回っていた。それは終わりの無い螺旋階段のようで、どんどんと思考の深みへと向かっていく。
 どれだけ考えていたのだろうか、ゲンドウは突然席を立つと、何処かへと消えていった・・・・・。




*   *   *




 ― 数日後 ―
「お父さん、こんな手紙が来てたんだけど・・・・・」
 シンジはそう言って一通の手紙をシンイチに見せた。
 そこにはシンジの母である碇ユイの墓の場所と、
「来い」
という一字だけが書かれていた。
「これは?」
 シンイチは送り主が誰であるかをわかっていながらもシンジに訊ねる。
「本当の父さんからの手紙・・・」
(やはりな・・・)
 シンジの答えにシンイチはそう思いながらも聞いた。
「で、シンジは如何したいんだ?」
 シンイチの言葉に考え込んでいたシンジだったが、しばらくして答えた。
「僕、行くよ」
 シンイチは嬉しく思った。確かに今回の墓参り、ゲンドウの手紙で出掛ける事になる。が、それはゲンドウから手紙が来たから、ではなく、シンジが自分で決めた事だから。そして、流されるのではなく、自分の意思をきちんと持てている。そんなシンジの成長が。
 だからこそ、シンイチはシンジの答えに頷くと、
「シンジ、聞きたいことはきちんと聞いて来いよ」
そう言って笑顔を見せた。
 そんなシンイチに頷いてみせるシンジ。
 翌日、家を出るシンジを、シンイチは玄関先で眩しそうに目を細めて見送った。




*   *   *




 シンジが地図に書かれていた墓地に着き、母親の墓まで歩いていくと、墓の前に一際背の高い影があった。それが誰であるかすぐにわかったシンジは、無言でその影に近付くと呼びかけた
「父さん・・・・・」
「シンジか?」
 シンジの声に背の高い男はピクリと反応すると、振り返りもせず、そう訊いた。
「そうだよ」
 男の反応にシンジは苦笑しつつも、肯定の答えを返し、隣に立った。
 男は一瞬シンジの方に顔を向けたが、すぐに前へと戻す。
「父さん、髭、生やしたんだね?」
 シンジはそんな男の動作など気にせず訊いた。
 シンジの質問に、
「ああ・・・・・」
とだけ答えるゲンドウ。
 シンジはそんなゲンドウにもう一度苦笑すると訊ねた。
「ところで父さん、母さんの形見って・・・あるの?」
「・・・無い」
 シンジの問いに簡潔に返すゲンドウ。
「どうしてさ!?」
 シンジが声を荒げ、振り返りながらそう訊くと、
「私達を捨てて他の人間の子供になった奴になど教える必要は無い」
と答えるゲンドウ。
 そんなゲンドウの言葉に強い視線を向け、叫ぶシンジ。
「何が『私達を捨てた』だよ!?父さんが僕を捨てたんじゃないか!」
 が、ゲンドウは、
「捨てたのではない、知人に預けたのだ。後で内藤カズマという男が迎えに行った筈だ。なのにお前は私の知らない男の養子になっていた。つまり、私達を捨てたのはお前だ」
とシンジの方に顔を向け、そう言い切った。
 勿論、シンジはその時のことを覚えている。だから反論した。
「何が『知人』だよ!?『知らない男がいきなり家に来て、写真とお金を置いていった。』そんな事言ってたんだよ?その言葉の何処を如何聞けば『知人』なのさ!?」
 シンジの言葉に内心で金を渡した夫婦に毒づくゲンドウ。
 計画の拠り代となりうる心の壊れやすい子供に育てる為にわざわざ金に弱く、他の先生や保護者、生徒の評判が悪い教師を探し出したというのに、カズマが預からなかったせいで予定通りに育っていない。代わりに預かったイレギュラーな存在によってある程度普通に育っている事は想定はしていた。が、これほどまでとは思わなかった。完全に想定範囲外だ。このままでは計画の予備にも使えない。金を受け取っただけで役に立たない所か計画に支障をきたすような結果になっている。まったく使い物にならん夫婦め・・・と。
 そのままどうするか考え込んでいたゲンドウだったが、少しすると顔をあげ、答えた。
「確かにあの男と私は知り合いではなかった。だが、それが如何したと言うのだ?金を渡し、世話を頼んだのだ。私がお前を捨てたというのには当たらないだろう」
 ゲンドウの言いように言葉が詰まるシンジ。
「父さんには失望したよ」
 しばらく俯き、手を握ったり開いたりした後、そう言って墓を離れる。
 そんなシンジの背中に掛かるゲンドウの言葉。
「逃げるのか?シンジ」
「別に逃げるんじゃないよ。父さんと話し合う必要が無くなっただけだよ」
 シンジは振り返るとそう言って、今度こそ墓地から出て行った。
 ゲンドウはただ墓地の出入り口のほうに向かって立ち、眼鏡を押し上げただけだった。




*   *   *




 ― 2015年 7月 ―
 エントリープラグと呼ばれるコクピットに座っている少女。その顔に表情は無く・・・・・。
「実験開始」
 ゲンドウの一言によって、実験が開始された。
「良いわね?レイ」
「ハイ」
 通信機越しに聞こえてきた女性の声に事務的に答えるレイと呼ばれた少女。
「起動開始!」
 ゲンドウの声が実験場に響いた。
「停止信号プラグ排出終了」
「エントリープラグ挿入」
「プラグ固定完了」
「起動プロセス第一ステージへ入ります」
「了解、MAGIへの回線開きます」
「MAGI、データ受信」
「零号機起動準備開始」
「エントリープラグ注水」
 エントリープラグの中に下からオレンジ色の液体が満ちてくる。
 レイは表情を変えないまま液体に浸かると、大きく息を吐き出して、肺の中にその液体を満たした。
 次々と進められていく零号機の起動準備。
「主電源接続完了。起動システム作動開始」
「稼動電圧、臨界点まであと0.5、0.2・・・臨界、今!」
「全回路動力伝達」
「起動プロセス第二ステージへ」
「シナプス挿入、パイロット、シンクロスタート」
「パルス送信、全回路正常」
「A10神経接続、異常無し」
 その中、レイはジッと前を見据えている。
 その胸に去来するものが何なのか、誰も知らない。
「思考形態は日本語を基礎言語としてフィックス」
「初期コンタクトすべて異常無し」
「双方向回線開きます」
「零号機、起動」
 オペレーターの報告にスタッフ全員が安堵した、その瞬間だった。
「パ、パルス逆流!中枢神経素子に拒絶が始まってます!」
 ずっとモニターを監視していた若いオペレーターが悲痛な声をあげた。
「コンタクト停止!六番までの回路を開け!」
 様子を見に来ていたゲンドウが大声をあげて指示する。
 ゲンドウの指示に迅速に対応するオペレーターだったが、
「駄目です!信号を受け付けません!拒絶されています」
との返事が返ってくる。
「いかん!実験中止、電源落とせ!」
 ゲンドウの指示にオペレーターが慌ててコンソールにあった赤いボタンを押し込んだ。その瞬間、アンビリカルケーブルがパージされ、零号機が頭を抱えながら実験場内で暴れだす。やがて零号機が制御室の方に向き直り、悶えながらも近付いてきた。
「内部電源が切れるまで後どのくらいだ?」
「後35秒です」
 ゲンドウの質問に若い女性オペレーター答えたその瞬間、零号機が制御室の窓を殴りつけた。酷い振動に見舞われる制御室。だが、ゲンドウは静かに悶え苦しむ零号機をみつめていた。
「危険です!司令、下がってください!」
 白衣の女性が声を掛けるが、それでもゲンドウは動かない。そんなゲンドウを狙ったかのように再び制御室に見舞われる零号機の拳。その衝撃で制御室のガラスは砕散し、オペレーター達はしりもちをつく。
 実験場ではその後も相変わらず苦しみ続けている零号機。その零号機が蹲るような格好になった瞬間、バシュッ!という音と共にエントリープラグが強制イジェクションされてしまった。
「いかん!!レイ!!」
 ゲンドウは叫ぶと制御室を飛び出し、実験場に向けて駆け出した。
 実験場に着いたゲンドウは掌が焼ける事に構わず緊急ハッチのハンドルに手を掛ける。眼鏡が落ちるが、それすらも気にせず唸りながら回す。やがて緊急ハッチが開き、ゲンドウはプラグ内に上半身だけ入れると、気絶していたレイに声を掛けた。
「大丈夫か、レイ!レイ!?」
 ゲンドウの呼びかけに目を覚まし、薄っすらと目を開けるレイ。ゲンドウの姿を確認するとゲンドウの方に身を乗り出すように起き上がり、ゆっくりと頷いた。
 プラグの開口部から流れ出る加熱されたLCLによって歪むゲンドウの眼鏡。それは後にレイの宝物となる。が、そんな事は今は関係なく、ゲンドウはレイの無事を知って安堵の笑みを浮かべた。
 担架によって運ばれていくレイを見送った後、ゲンドウは静かに実験場を後にした・・・・・。




*   *   *




 ― 数日後 ―
 紅いサングラスを掛けた背の高い男、ゲンドウはいつものポーズのまま、
「冬月、シンジを召集するぞ」
冬月にそう告げた。
「シンジ君をか?」
 驚き聞き返す冬月に、
「零号機の起動実験は失敗した。レイも重傷を負って近いうちに来襲するサキエルとの戦闘は無理と診断された。このままでは計画に支障が生じる」
無表情でそう返すゲンドウ。
「そうか、だが、シンジ君が素直に乗ってくれるのか?諜報部の報告でも、お前自身が直に会ったときの感想でも理想通りには育っていなかった筈だが?」
 冬月が疑問を口にすると、唇を歪めて笑うゲンドウ。
「確かに奴は想定範囲以上に心が強く育っています。ですが、壊す方法など幾らでもありますよ」
 そんなゲンドウに、冬月は静かに嘆息した。




*   *   *




 ― 零号機起動実験から一ヵ月後 ―
 シンジの元に一通の封筒が届いていた。
 シンジが中を見ると、3年前と同じように、
「来い」
とだけ書かれた手紙と、待ち合わせの駅と時間等を書かれたゲンドウとは別の人物が書いたであろう手紙。それと、
『私が迎えに行くから待っててネン(ハート)。』
『此処に注目!』
等と書かれた一枚のキスマーク入りの写真が入っていた。
「行くの嫌だな」
 思わずこぼすシンジ。が、シンイチの勧めもあり、結局行く事となった。
 時を同じくして、シンイチにも第三新東京への出向が決まり・・・・・、こうして物語の準備は整えられていった。





後書き
ども、連載はお久しぶりのタッチです
読んでいただいてご理解いただけたかと思いますが、コレは現実→エヴァ世界作品です
本編に入る前に私なりに考えた2015年以前の状況を書いてみました
一応、隔月を目標に更新していきますので、楽しみにしてくださる方は首を長くしてお待ちください(笑
それでは

ぜひあなたの感想をタッチさんまでお送りください >[touch_an007@ksj.biglobe.ne.jp]
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